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■■7月20日(月)■成長と思考と情熱■■ |
これまで、ゲームを開発している特定の人間にずっと注目することは、ほとんどなかった。
しかし、WOLF RPGエディターを作って、そのコミュニティを作り上げていく過程で、
多くの開発者を長く見つめているうちに、ゲームを作る人たちには色んな人がいることを知った。
同じゲームを作っている者として、「それまで自分のやってきたこと」と
「他人がこなせていること」の違いを長期的な観点で比べることができるから、
一見地味なことをやってるように見えても、自分にできないことを
やってのけている人の凄さがよく分かる。
たった一年で、以前と比べて格段に面白いゲームを作り上げてしまう人がいる。
最初は荒削りだったのだけれど、黎明期の作品群の中では
面白い試みをしているなと思って、その人の作品を紹介したことがあった。
そのため自分は、そこそこ細かいところまでその人の作品を注視していた。
時が経ち、どんどん作品紹介の敷居が上がってきた中で
その人は様々な挑戦を行い、ときに失敗して、学習を重ね、
一年経った頃には、本当に多くの人を納得させるほどの、面白い作品を作り上げていた。
その人のどこが凄いか。
その人はこの一年間で、開発に関わる絵やシステム構築などの技術自体はそれほど
変わっていないように見える(もちろん少なからず成長しているのは分かる)のに、
それよりも明らかなのは、「ゲームを面白くするための本質」部分に関しての作成能力が
恐るべき速度で成長しているということだった。一年前は、その人のゲームを遊んだとき、
「なるほどこういうゲームか、何分かやれば先が読めるかな」なんて思いつつ遊んでいたのに、
一年後の作品では、「何これ、やめられない!気付いたら一気にクリアしてた」
まで面白さが向上していた。私自身が結構ゲーム慣れしているつもりでも、こうである。
ゲームの基本部分はほぼ同じなのに、思考の末の工夫と、気付きにくい部分の多大な努力で、
「面白さ」だけが格段に向上していたのだ。
たまたま、その人の最初と現在を見ているから変化に気付いただけで、
他の人も、かなりそれに近い傾向を感じさせる人は多い。
過去に開発の経験がたくさんある人ほど、隙が少なく、面白かったり、
また、一回作った後でも、他人の意見を採り入れてさらに面白くするなどの工夫をして
良くなっていることだってある。一度完成扱いのものをさらに大幅改善するのは、
普通に一本完成させるよりも精神に負担がかかることだ。
どんな場合にも間違いなく言えるのは、
「やめずに続けている人は、どんどん内容も良くなっている」ということ。
分からない内は、どんどん新しいことを試して知っていくしかないから、
その途上で、失敗して、厳しいことを言われることだって多いのだけれど、
そこでやめずに、受けた厳しい意見を己の糧にして、次に活かせる人というのは本当に強い。
自分も、厳しい意見をもらって、「ゲーム作りなんて自分には向いていないのではないか」と
思ったことは、一度や二度ではない。でも、続けている内に、責任のようなものが生まれ、
どんどん能力も向上していき、気付けば逆にやめられなくなっていた。
「己の持ってない技術――絵やシステム構築能力など――を得られれば、きっと面白くなるのに」
なんて無いモノねだりをせず、今現在、自分の手持ちの能力だけで、どうやれば
最高に面白く遊べるゲームを作れるか真剣に考え、それを体現している人というのは、
見てて寒気が走るくらいの凄みを感じさせる。
将来、仲間が増えたり、新たな能力を得たりして色んなことができるようになったとしても、
その人は「ゲームを面白くする」という部分に関しては、軸を外さないだろう。
時が経てば必ず名を上げているんじゃないだろうか。
一度でも「面白い部分」というものの作り方が分かれば、あとは基本的にそのパターンを使い回せる。
二度「面白い部分」を作れれば、一度目との共通項から、面白さの根幹を悟ることができる。
だが、そこまでが本当に長い。とにかく既存のものからヒントを盗み、試して、失敗を重ねるしかない。
どうやれば面白くできるかなんて、「自分で実際に手と頭を動かして」みて、
「その結果生み出せたもの」の両方がないと、知ることはできないだろうと思っている。
「どう手と頭を動かして」「どういうアウトプットができたか」という、
「行動」と「結果」のセットを自分自身の中に構築していかなければ、
「面白いもの」なんて不明瞭なものを作り上げる力は身に付かないだろう。
論理的に考えるだけで面白くできるなら、みんな当然のように面白いものを作れているし、
誰だって練習無しに綺麗な絵を描くことができるのだから。
もちろん、絵もゲームも、理論的に説明できる要素は多く存在する。
が、「そうでない部分」もある。「そうでない部分」で他人との差が付くのだ。
面白いものを作る力は、「知識」というよりは、もはやそれは「悟り」に近い気がする。
その人だけが理解している「ものの重要さ」を、そっくりそのまま他人に伝えることは非常に難しい。
どうやれば面白いものを作れるかなんて、要素のさじ加減の集合体なので、
人に教えるのは困難だし、言葉で教えても、その行動の本当の大切さと本質が分からないから、
それを実行するために真剣に努力することが難しい。
だから、まさに「悟る」というのが一番しっくり来る気がしている。
面白くするために、
「普通の人が想像も付かないほど執念深く、トコトンやらねばならない部分」
というのは、絶対にあると思う。絵を描いてる人にも共通する部分があるだろう。
間近で人が成長していく様子を見てしまうと、自分も負けられないと思う。
また一方で、作者の中に、大きな企画を展開しようとしている人がいる。
きっといつものように企画倒れになるだろうなと思って見ていたら、その人は、
現状と将来性、および使用可能な労力とそれによる計画の実現可能範囲を、
非常に現実的に把握していて、また、ネット上の企画では
ある程度強力なリーダーシップがなければ人を動かせないということもよく理解していた。
今ある分だけの信頼性、能力、協力者、可能性など、手持ちのものを最大限活かして
できる限りの現実的な計画を進めようと努力しているのが分かる提案だった。
当然、熱意や、計画の大局的な利益について説明することも忘れていないし、
協力者が少なければ、臨機応変に企画の縮小をすることも述べている。
何も作っていない状態で提案しても効果が薄いと分かっていたのか、
企画の足がかりとなる分だけのベースも、一ヶ月もかけたものが提案時にしっかり用意されている。
とにかく、未来に起こりうる企画の様々な可能性について非常によく考慮されているので、
どんな状況になっても予想外の事態で頓挫したりはしないだろうという、心強さがある。
私自身、長いことネットに浸かっている身であるにも関わらず、
「ああ、企画ってこうやって提案するものなんだ、初めて知った」と、
実際その威力を目の当たりにして、半分驚きに近い感覚で見ている。
私の場合は、積み上げてきた信頼に任せて協力を求める方法しか知らないし、逆に、
ネットで人の力を借りるには、大きな信頼を積み上げることでしかできないだろう、と思っていたので、
ここまでキッチリと計画を立てることで「これは手伝っても損にならないかも」と思わせる企画提案が
できることを知らなかった。しかも両手に余るほど大きいテーマで、それを実行しようとしている。
無理を可能にしつつある、この企画提案・遂行力は凄いと思う。自分もよく見て学びたい。
もちろん、最初は一見完璧だと思っていても、実際に企画を稼働してみると問題が出てくる。
企画を提案する人間には、当然準備の周到さも要求されるのだろうけれど、真に問われるのは、
おそらくそこから先の対応や、みんなをまとめる手腕、そしてモチベーションなのだろう。
たくさん出てくる様々な意見の中には、目的をあいまいにしたり、
状況を混乱させる元になる意見も含まれるし、企画の助けになる意見だって出てくる。
良いと思った意見は取り入れる必要があるし、そうでなければ
己の意見や、企画の原理や、元の方向性を通さなければいけないこともあるだろう。
中心に立つ人間には、素直で、常に客観的でいられる「目」が必要だと思う。
これもまた難しいから、凄いと思う。
※捕捉:ネットで立った企画は、たいていの場合、現実の労力的に困難な話だったり、
民主的に広く意見を集めようとして意見がまとまらずに雲散霧消したり、
他人の力に頼って成立することが前提の話ばかりで、企画倒れすることが非常に多い。
今あるものを最大限活かして成長していく人。
今あるものを最大限活かして、大きなことのきっかけになれる人。
どちらも、ただひたすらの努力と思考と情熱の末にできることだ。
自分もそんな人間の一人になりたいと強く願いながら、
今日も一日、自分にできることを、できる分だけしっかりやる。
自分にとってみんなは学ぶ対象であり、また、
自分自身もみんなから学ばれる対象でありたいと願っている。
みんなが他人を参考にして、全ての人が成長していくことができるなら、
これほど嬉しいことはないと思う。
インターネットの世界では、他人の行動を、長期に渡って見続けることができる。
誰しも、所詮は人間だ。必要な努力の量や、情熱に差はあれど、絶対に真似できないことなど、基本的には無い。
参考にできる部分は、どんどん取り入れていきたいと思う。
そりゃ、技術はすぐに真似できないだろうが、意識の面は心がけ次第ですぐに変われるのだ。
世界は変わる、自分も、よりよく変えていきたい。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
明日のみんなが、今日のみんなより強くありますように。