過去の日記■ 2000年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
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■■9月23日(日)■開発に対する取り組み■■ |
開発に対する取り組みについて知りたいという
ご意見をいただいたので、ちらっと書いてみようと思う。
内容は、作業時間の管理とモチベーションの維持について。
【作業時間の管理などについて】
基本的に、開発における時間は「1集中単位(今勝手に考えた)」の集合として考えている。
「1集中単位」とは、集中しはじめてから疲れるまでの1時間〜2時間ほどのまとまった時間を表す。
集中力は徐々に高まっていくものなので、あまりに短い時間しか確保できない状況では
エンジンが暖まった頃に開発が中断されてしまうし、
切れ切れの時間だと何を作っても自慢できるほどのデキにはならないなと個人的に思っている。
(時間確保が難しかった頃のシルノの表シナリオにちょっとその傾向が有った。
また、作業の単位も「集中単位」の数で計算するようにしている。
調子のいい日はたくさん集中できるし、調子が悪い日は一度もまともに集中できないという具合に、
一日に集中できる回数には差があるけれど、進み具合は集中した回数にほぼ完全に比例すると思う。
当然ながら、作業に入る場合はある程度の元気がなければ
開発は進みにくい、または全く進まないと思う。
創作活動全般に言えるだけれども、作業するにあたっては
非常に高い自主性・積極性が求められるので、
ただ与えられた課題をこなすよりよっぽど大きなエネルギーが要求される。
眠い状況、疲れた状況、体調不良の状況ではほとんど進まない。
進み具合を見るにあたって「集中単位」の数だけにしか注目していないのも、
大きなエネルギーを捻出できる状況でないとまともに進められないためだ。
なので、一日のうちに
「まだ元気な状態で、1〜2時間のまとまった時間が一度以上取れる」
かどうかが、忙しい中でも開発するにあたっての
重要な焦点になるんじゃないかなと感じている。
学校が忙しかった頃は、11時に寝て、朝早く起きて
それから開発して、学校に行く生活をしていた。
しかし、それができない方もおられると思う。
まとまった時間の確保が無理な場合は、一日数十分でもいいので
開発し続けた方が、土日休日などの長い時間が確保できたときに
頭をすぐ開発モードに切り替えられるのでいいかなーと思っている。
自分の場合、平日に何も触ってない状態から
「土日に入ったから、さあやるぞ!」と思っても、
カンを取り戻すだけで土日を使ってしまって
実質上ほとんど何も進んでいなかったということが多かった。
ちなみに大学が忙しくて土日もずっと研究していた頃は、
最初にまとめた仕様通りにただ作っていけばいい
「プログラミング作業」しかやっていない(WOLF RPGエディターの開発)
時間が確保できない間は、そういった心を込めなくてもいい部分の開発や、
ネタを溜め続けることに集中してもいいかもしれない。
【モチベーション維持について】
次に開発に対するモチベーション維持について。
これは個人的には、「経験」が一番ものを言うと思ってて、
一作目と二作目以降ではモチベーション維持の難易度は劇的に変化する……と思う。
たとえばある開発がすでに「二作目以降」だった場合は、
「やればできるじゃないか!」という気持ちが心の底に
ある程度刻まれている可能性が高いので割とどんどん進めていけるのだけれど、
後述する一作目の場合だとかなり厳しい部分がある。
いつも「自分は運がよかった」と思っているのはそこで、
たまたまレジェレス(※処女作)を完成できて、
遊んでもらった人たち(高校の友人)から
「面白かった」という感想をもらえたということは、
人生の最大の分岐点になったかなと思うくらいの奇跡に感じている。
その次の作品からは、腰を落ち着けて挑もうと思う余裕も生まれたし、作品の開発を重ねるごとに
「自分の感性を信じてじっくり作ればきっと面白くなる、だから手を抜かない」
と、どんどん強く思えるようになったのは間違いない。
二作目以降のモチベーション維持は、ゲーム開発が好きなら
間違いなく続くんじゃないかなあと思う。
で、これが「一作目」の場合だとどうなるかというと、
開発する人はゲーム作りのど素人もいいところなので、
現状がうまくいっているかどうかも全く分からず常に疑心暗鬼の上、
たいていの場合は指導してくれる人もいないはずなので
開発開始から公開するまでの間、開発における自分のありとあらゆる選択に
ずっと迷い続けなければならない。
これに耐えながら開発を続けるには、相当の気力と意志力が必要だと思う。
また公開後も、慣れない身としてはあまりに多くの指摘が来るので、
公開後も実は精神的な負荷が高い。
(最初から完全な作品なんて当然作れないけれど、本人にとって予想外の指摘が
山ほど来ると、ものすごく心に痛いんです)
それに耐えられず逃避しちゃう場合もあるんじゃないかなあとも思っているのだけれど、
実際はそういう人はほとんど見ない気がする。
きっと、そこまで乗り切った人はそれまでの辛い行程で、
予想外の指摘に耐えられる精神力をすでに身につけているのかもしれない。
正直なところ、自分も最初はやめたいと思ったことが何度もある。
今の自分は、受けるであろう指摘もそれなりに予想できるようになってきたため、
ものすごく辛いということはあまりない。
という具合に、二作目以降と一作目では状況が大きく違うため、
短くてもいいから一本完成させることはモチベーション維持にとても有利だと思う。
(その一本作るのがとても大変なんだ、というのはまあ置いといて)
それ以外のモチベーション維持は、ゲーム開発が好きになれるかどうかの一点に
ほぼ全てがかかっていると思うので、状況で左右されることはあまりないんじゃなかろうか。
ちなみに個人的には「一作目」なんてほんと作りたいように作れば何でもよい気がする。
処女作のレジェレスには、まともなストーリーもなければ独特のシステムもないけれど、
ただ、笑って欲しいという気持ちだけは当時もの凄く強かったので、
笑いどころをたくさん作ろうとだけ努力した。
それ以外の要素など何にもないが、最初はそんな感じでいいと思う。
ただ一つ言っておくと、「自分の作りたいように作る」ということだけは絶対に外せないと思う。
フリーゲーム層は異常なほど趣味の幅が広くて、
どんなとんがったゲーム(例:敵が異常に強い・理不尽な罠があるetc)でも
操作性さえそれなりなら、ファンになってくれる人は必ず出てくる。
あなたの素の気持ちを形にしたモノで楽しんでもらえることが、
創作にとって一番のモチベーションになるのは間違いない。
それに何よりもいいのが、二作目以降の開発において
「自分の素の気持ちで作ったものが楽しんでもらえると分かった、なら自分を信じてやり抜こう」
という自信が付くことだと思う。
以上。
いい機会だと思ったので、自分の観点から色々と書いてみた。
昔に比べると、えらく堂々とした書き方ができるようになったなあとも思うけれど、
自分の目線から見て感じてきたことなので、ウソはない。
■■6月26日(火)■成長■■ |
何年も何年も昔に思っていた夢を実現するだけの能力が、
少しずつだが着実に身に付いてきた。
最初に思いついた構想を実現させられる見込みが出るまで、
もう7年以上もかかっていることに気付いた。
「それ」を実現するのに必要だったのはただのプログラミング能力なのに、
えらく遠回りをしてきた気がする。
昔はとても無理だと思っていたことも、ここ数年で突然たくさんできるようになってきた。
開発に関しては、知識を得る機会と意志をたまたま得ることさえできれば、
しっかりを腰を据えて何ヶ月か学ぶことで、
必ず何らかの手がかりがつかめるようになることが分かった。
『やればできる』
たったそれだけのことを心から学習できたことが、
自分にとっては何にも代え難いほど大きい経験となった。
「努力ができるのは、自発的に努力して何かを得られた人だけ」
というのと同じように、
「新しいことを覚えようと思えるのは、自発的に新しいことを覚えて何かを得られた人だけ」
なのだ。その経験は、今のご時世の日本では、すごく貴重な気がしている。
子供の頃から、何かするときは、外から何かを指示されたか、
または義務としてやらねばならないときだけだった。
自発性に何かをするという意識がまったくといっていいほど身についていなかった。
おそらく他の子供たちも、さほど変わらないのではないだろうか。
そしてまた、自分の子供たちもきっとそうなると思う。
昔の自分がここまで来るのに、20数年かかった。
もしかしたら子供でさえ理解しているかもしれない「やればできる」ということを知るのに、それだけかかった。
ただし子供のときに持てなかった、数ヶ月単位の長くを耐えるだけの根気が
ある程度身に付いたということは間違いなく実感できるから、
何かしらの点で成長はしているのだろう。
でも、これまでに得たものばかり眺めて、悦に浸ってばかりも得られない。
これから強くなっていくためには何が必要なのか、それは年を重ねるたびに
どんどん見えなくなっている。
ひょっとしたら、以前足りなかったものを今はもう得たからこそ、
足りないものが見えなくなっただけかもしれない。
確かに、何かを続ける根気や、何かを始めようとするときに必要な意志力は確実に成長した、
かつて足りなかった心の強さが少しずつ身に付いているということは、意識できるほどに感じられる。
でも、足りないと思わなくなったのは、目標が低いからと見ることもできる。
どんなときでも、少しずつ着実に目標を上げていきたい。成長とはそういうことなのだから。
これからも全力でものごとに挑み続ければ、
自分に足りないものがまた新たに見えてくるのかもしれない。
誰かのために、自分の人間的な力を最大限に発揮することができれば、
それは自分にとって一番の幸せだ。
真の天才には絶対に勝てないということはすでに分かっている、
だから天才に追いつけなくたっていい、凡才なら凡才の極みを目指したい。
ひょっとしたら、自分も天才の仲間入りができるかもしれないとささやかな夢を抱きながら、
全力で果てなく頑張り続けたい。
そして、頑張り続けられるだけの強い心に成長したいと強く願う。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
■■5月12日(土)■■ |
先日、悪い意味で頑張ってみた。
約2日まったく寝ずに、日常繰り返していることに加えて、
今後のサイト運営に関する議論だとか(むしろこの議論で寝る間もなく
夜が明けてしまったというのが正しい、非常に参考になったし面白かったけれど)
さらにはプログラムだとかサイトの更新だとかで、最終的に1.7日(40時間くらい)ほど連続で作業をしてみた。
普段はどんなに忙しいときでも絶対寝ることだけは欠かさなかったから、
徹夜なんてそれこそ一年に数度程度で滅多にせず、自分にとって徹夜は奇跡みたいなものだった。
徹夜して色々やってみて一つ分かった大きな事は、
どんなに眠くても「理論立てられた作業」はできるということだった。
特にプログラムなら寝ずとも全く問題なくやれる、
既存のプログラムを理解し、それをデバッグする作業をする際も、
いつもの6割か7割程度の能力を発揮できた気がした。
思っていた以上に解析・分析の精度も下がらなかった。少なくとも風邪のときよりはマシだ。
一日にソースプログラムを1万行書けるという人達には絶対敵わないけれど、
ある程度こういう分野に対する適性は高いのかもしれない、などと我ながら期待する。
もちろん緊急事態でもない限り、ボロボロの状況下での能力が
あまり高くてもしょうがない気はするけれど。
だが寝ずに人付き合いは無理だ。
色んなところで普段なら口にしないような暴言を
たくさん吐いてしまった気がするが、あまり覚えていないからたまらない。
ついでに言うとまともにシナリオなどを考えるのも不可能に近いから、
間違いなく、精神性に関わる作業にはたずさわれない気がする。
そりゃありきたりなものならいくらでも書けるけれど、それでは意味がない。
しまいには途中から一時的に眠気を感じなくなってくるし、
もっと本気で起き続ければどこまで行くのか恐ろしい。
確か3日寝なければ人間の精神がおかしくなるという情報を
何かで見かけた気がするけれど、正直1.5日目でイライラ最高潮で
もう限界だと思った。
と思って不眠のギネスを調べてみたら、1965年にまる11日間(264時間)起き続けた凄い少年や
募金集めのために200時間連続でラジオ放送し続けたDJがいるそうで、世の中は広い!
もちろん、イライラ・妄想・幻覚の三大症状は漏れなく付いてきたそうな。
朦朧とした意識の中だと、何か良い芸術的発想に目覚めるかと少し期待したけれど
慣れたルーチンワークとありきたりな発想しかできない上に、
心にも健康にも悪いので、やはり睡眠はしっかり自制して取らなければと再認識しただけだった。
でもこんな風に失敗したおかげで、たるみがちな心に張りが戻ってきた。
いつも通りやっていることの重要性を確認することは凄く難しくて
ときに見失いがちになるけれど、実際見失ってみると思った以上の悪影響があるものだ。
特に朝ご飯の重要性はすでに理解しているつもりなので、朝に米を食う習慣だけは
可能な状況下では何としてでも守り通したいと思う。
寝ずに働いている人には何甘ったれたこと言ってるんだと思われるだろうけれど、
何はともあれ、夜は時間通りきっちり寝ようとさらに心に決めた1日(2日?)だった。
健康で規則的な生活は、やはり創作活動で重要なんだろう。
最高のコンディションでなければ、他の人と違うことを考えたり、
面白いことを思いつくなんて、とてもできないのだから。
それにたとえ最高のコンディションでも、面白い物事を考えるのは難しい、
体力と精神力が失われていけば、それらを思いつく確率が加速度的に減少していく。
そして、しまいにはどんどん当然のことすらできなくなっていく。
規則正しい生活なんて学校でもどこでも言われ続けていて、
大抵の人にとっては今さらとてもつまらないことかもしれないけれど、
でも本当は心と体に関わる、何よりも重要なことだ。
どんなときでも、「大切な明日」のために規則正しく生活するのだと、今一度、心に決めたいと思う。
日が変わる前には布団に入っていつも通りの時間に起きて、朝食は必ず取って一日を始め、
あとは日々の繰り返しを過ごしながら、自分の何か一つでも前進し続けていきたい。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
■■3月11日(日)■■ |
この2年間、とても忙しかった。
ゲーム開発を始めた最初の頃は、どんな労力を負ってでも、
一番面白いものを作るんだと考えていた。
時間が無くなっていく中で、そのうち短い時間でどれだけ面白いものを
作れるかということを考えるようになり、もっと時間がなくなっていく中で、
最短時間で何か少しでもしなければならないと考えるようになり、
そしていつしか、時間をかけてでも最大の面白さを狙おうという気持ちはなくなっていた。
ゲーム開発は、考える作業が大半を占める。
己が目標を決め、それを越えられるものを作るために脳が焼き付く寸前まで一生懸命考え、
最期に「作業」を行い、完成へ近づけていく。
しかし、「高い目標を設定し、それを絶対乗り越えてやるという強い覚悟」は
長く続く心と身体の疲労の中、霧のように消え去ってしまっていた気がする。
それでもプログラムすることくらいはできたけれど、面白い物を作るために
果てしない労力をする覚悟ができていたかというと、そういうこともなかった気がする。
時間がないからこのまま果てしない労力を費やすことをし続ければ
何もできないと思って、ラクすることばかり考えていた。
でも少し時間に余裕ができた今なら思い出せる。
自分は、大きな労力に立ち向かうだけの覚悟を失っていたのだ。
人間が一生の間にやれることは決まっている。
幅広い視野・視点を持つために、幅広い知識や経験を得ることは大事なことだけれど、
あるていど特化することで、より深みに到達できることは間違いないと思う。
だからこれからは、もう少しゲーム開発に意識をおきたい。
人を楽しませるという技術の、極みに近付いてみたい。
ゲームなんて、甘い覚悟で作れるものではない。
たぶん、本当に普通にやっていたら、完成しないものだ。
そんなことも忘れて、自分は何をやっていたのか。
って、去年はほとんどツールばっかり作ってたんだっけか?
とにかく、完成させるだけなら、最低でも強い意志力と、根気が要る。
驚きを与えるためには、もちろん発想力が要る。
面白いものを作りたいなら、深い思いやりと、
数多くのユーザの思考を「読む」ための鋭い洞察力が必要になるだろう。
人間が持つ様々な心の力を限界まで磨かなければ、きっと素晴らしい物は作れない。
だから、もっともっと成長したい。
もし弱くなったのなら、今一度強い心が欲しい。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
■■2月23日(金)■前へ■■ |
色々な大変なことから、やっと解放されつつある。
また逆に、色々なやらねばならないことがやってきた。
企業からのお仕事やら、他の人からのお願いやら。
ただ、やらねばならないことは己の趣味に関すること中心なので、自然と心に気合いが入る。
好きなことなら、精神が疲れ果てるまで常に全力でやり続けられる自信がある。
少し落ち着いてみると、趣味でも学業でも、今まで積み重ねてきたことの全てが、
自分の判断力と洞察力に繋がっていることが感じられる。
今は2年ぶりに、気に病む必要のあることがほぼ無い状態になった。
それだけでもう気力が溢れて来るのが分かる。
心が疲れていた状況でよくシルエットノートが作れたものだと今になって思う。
その時の全力は尽くしたつもりだが、果たして面白い物になっているのだろうか。
今は、2年ぶりに元気が出ていると感じられる。
自分自身の頭でゼロから考え、発想し、行動することができるアマチュアゲームの世界は
とても面白い。これまで己を育ててくれたこの世界を盛り上げていきたいと思うと共に、
初心に戻って、力の限りゲームを作りたい。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
■■1月26日(金)■■ |
休日も平日も変わらずただ頑張って、帰る頃には疲れ果てていて、
家に帰ればもはやほとんど考える力は残っておらず、
少しばかり創作活動に手を出そうとしては眠りに落ちる。
最近はそんな状況が続いている。
疲れ果てて元気のない人の気持ちが、少し分かったかもしれない。
本当はもっともっと疲れ果てた先の領域があって、
自分はその一端を垣間見ただけなのだと思うけれど。
疲れているときは、最後の一線だけは越えちゃいけないのは頭で分かってるけれど、
赤信号の前に立てば、そのまま前に歩いていってもいいような気持ちになったり、
高い所に行けば、全てを投げ出したい気持ちになることがある。
本当に疲れているときは何となくで、車が走っている赤信号を渡れそうだから恐い。
たぶん、疲れると何にも意識しなくなるんだろうなと思う。
疲れすぎて命を絶つ人は、死のうとか思って死ぬんじゃなくて、
色んな事に何とも思わなくなって、ちょっと安らぎを得たい気持ちで
何となく死んじゃうんじゃなかろうか。
とか、変な理屈が頭に思い浮かぶ。
自分は、疲れ果てた人達に元気を与えられる存在になりたい。
それはとても難しいことかも知れないけれど、
疲れ果てた状態からちょっと元気な状態に戻ったとき、
そう願う心が芽生えた気がする。
体が疲れれば心も疲れる、心が疲れれば体も疲れるけれど、
せめて心だけは、生きる気持ちを失わない程度に元気でいて欲しいと願う。
そしてまた、元気にしてあげられるだけの力が欲しいとも。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。