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8月の日記

8月11日(水)

ただひたすら、一日に出来る分だけを確実にこなし、
ただひたすら、強い意識で日々精進。


義務ではなく、真に自分から「やりたい」と思って何かをする事、
時には迷い、それをやりたくなくなる時もあるけれど、
結局最後には、やはり自分から打ち込めるものはこれしかないのだと何度も気付かされ、
すでにだいぶ長い事やっている今の趣味。

ゲームを作ると一言に言っても、それにはたくさんの過程がある。
自分は、物語を描くのが好きなのか、それともシステムを構築するのが好きなのか、
それとも絵を描くのが好きなのか――。
自分はどれも好きだし、逆にどれが一番好きという事もない。

作る側にとって、作る事の何が面白いのか。
個人的には、自分の力の小ささを常に思い知らされるというのが面白い。
どれだけ努力しようが、どれだけ頭を使おうが、複雑な構造でできている
ゲーム(RPGでもADVでもアクションでも)では最良の結果なんて出ない。
人間の心を取り扱うものは何でもそうだ。小説や音楽でも、もちろんそうだろうけれど、
「一番いい物」なんてなかなか存在しないし、誰も決められない。
第三者から見て最高にいい答えが常に見つからない状況ってのは、自分にとっては凄く楽しい。
しかも「問題」は常にすぐそこに落ちている。
トラブルなどの突発的な発生を待つわけでなく、問題はすでにそこにある。
それを一つ一つ片づけて、少しずつ形作っていく。
それは場合によっては、途方もないほどの量になる。

けれど、それを一つ一つこなしていくたび、
自分の中の「根気」が成長し、また「問題解決能力」が上がり、
「過酷な問題に対する精神」が育まれていくのが分かる。
あまりにもやらなければいけないことが多すぎて
結果や過程がまったく見えないような状況でも、
腐らずにゴールに向かって諦めずに真剣に努力できるようになり、
そして可能な限りのエネルギーを毎日飽きずに注ぎ込み、
たとえ見えないゴールへ向かってでも、悪い意味での楽をしようとは決してせず、
足下を固めて一歩一歩確実に前へ進めるだけの心が少しずつ育っていってるのが分かる。

ある意味でいい修行だ、と思う。
その結果として、日常では決して感じられないほどの達成感を味わい、
また時には途方もない絶望を、時には途方もない幸福を感じることもできる。
一生懸命丹精こめて作った物が拒絶された時の感情、また逆に、受け容れられた時の感情、
どちらも、普通に生活しているだけでは決して得られない感情だと思う。
与えられた課題をただこなしていくだけの感情とは違う、
自分から進んで何かをしたときに感じられる感情。
それは間違いなく、人間として一つ成長するための糧になると思う。
かけた時間や労力が大きければ大きいだけ、その感情は大きくなる。
頑張った末にけなされた時の「悔しさ」は、悔しいと思った数だけ人を強くする。
頑張った末に認められた時の「うれしさ」は、次への努力の大きな糧になる。
たとえどちらだったとしても、人として一つ成長できる。
そしてまた、それまでの長い長い過程は、きっとすさまじい根気と、
物怖じしない強い精神を与えてくれるだろう。


だから、
今日も自分に出来る分だけ、自分は頑張る。
途方もない何かに立ち向かえるだけの心を持てるようになるため、
そして、より強い心を持てるようになるために。


明日の自分が、今日の自分より強くありますように。