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6月の日記

6月28日(土)足りない物、心の次は知識か

もっと、色んな事を閃く事のできる頭脳や技術が欲しい。
もっともっと、想像を絶するような発想ができるようになりたい。
今まで自分の知識の中じゃ思いつきもしなかった事を思いついた瞬間には、
その度に背筋に電撃が走るような感動を覚える。

そしてまた、その感動を形にして、誰かと共有できるという事も、
また、楽しい。


「感動のおすそ分け」という言葉を、誰かが言ってたような気がする。
芸術分野で絵を描いてる人や、漫画を描いてる人、小説やゲームを作る人、音楽を作る人、
色んな人に、当てはまる言葉だと思う。
子供ですら頻繁に、「その子が感動した事」を伝えようとして、拙い言葉で色々話してくれる。
(もっとも、「そんな馬鹿な事言ってないの」といった一言で、つい一蹴してしまう事も多いが)


けれど、感動を共有するには、より「一般的」に言わなきゃいけない。
どんなに面白い話だって、説明が拙ければ、面白くない。
相手にとって、何が「知らない情報」で、何が「すでに知ってる情報」なのか、
どうやって相手の「知らない情報」だけ補完(足りない所を補う)できるように話すか。
その見極めも、とても大事な事だ。
自分は、年を喰うたび、それらについて少しずつ分かってきた。
でも100%とは言えない。
よく知ってる特定の人物と話す時ならともかく、大多数の人間、つまり
ゲームをプレイしてくれるユーザに対して、できる限り共通化した説明をするってのは、
自分にとっては異様に難しい。
ユーザ像について、文字通り「想像」する必要がある。
そして、出来る限り最大公約数の説明・選択をする。
「分かってる人しか分からない」のでなく、「分からない人にも分かる」のが、そりゃ、より良い。
が、説明が過ぎると「説明的すぎ」と思われて、熱中していた心が冷めるかもしれない。

例えば「泣いてる女の人」がいるシーンがあったとしよう、
その人の手に目薬があったら、見てる側の大半は「ああ、本気で泣いてないな」と分かるかもしれないが、
「お約束」に対する知識不足などで、それだけじゃ分からない人ももちろんいる。
が、わざわざ「目薬挿して涙に見せかけたのよ!」とか言ったとすると、
分かってる人から見れば何というか陳腐である。


で、「上手い説明の仕方」を、今も考えてる。
現状、それらをマニュアル化できるほど、理解できていない。
何にせよ、本当にたくさんの人に何かを伝えたいのなら、
一般的な人の「知識・思想」等について熟知する必要があるんじゃないだろうか、
と思って、色々見て、考えたりしている。
人類共通のクセ(たとえば「錯覚」や「無意識の推測・『当たり前』の概念」とか)も、
無論人としては共通に持ってるものだから、利用しやすいと言えば利用しやすい。
例えば、シル見でエシュターが最初トイレに駆け込んだ時、
見てる人は、「たぶん男子便所に入ったのであろう」とほぼ無意識に考えるから、
実は女子便だったというのが映える(と、作者は思っている)。

最近はプレイしている人の年齢層かつ性別が、意外にも年齢高めの人も多いという事に気付いたので、
後になればなるほど、色々な年齢向けのネタを混ぜている。
(一部の人によると、「シク1、2辺りは割と一部年齢層だけを狙っていたように感じる」という意見も)
で、「面白い!」と思える当たり所が人によって全然違うらしくて、需要が非常に掴みにくい。
つっても、別に辛いとかそういうワケじゃない。
開き直って、思いついた分だけそのまま全部ブチ込んでいるので、
「ボク子供だから、XXが教頭先生の上にいた、という事の何が大変なのか全然分かりません!」
とか言われてもニコニコしながら凄い勢いスルーです。
今のところそういう内容のアンケートは来てません、良かった良かった。


何はともあれ、RPG作るにも、専門的な話(例:主人公の医者っぽい活躍)を
混ぜるにしても知識が足りなさすぎる。
そっち方面の情報も、色々集めないとなぁ……。
野獣が襲って来る、って話一つ取っても、群れる生き物と群れない生き物の差や、
それぞれの動物の習性なんかは、知っておいた方がそりゃいいだろう。
北海道のタヌキは、雪の積もった坂道を腹で滑る事がある(マーキング行動の一つらしい?)とか、
自分でも仰天&感動な話。実際にネタに使えば、それこそまさに感動のおすそ分け、ってか、
こんな話を物語で出したら、フィクション扱いされそうな予感すらするけど……。
でもホントらしいんよ、実地を旅した獣医さんの書いた本読んで発見。

あと、原住民ネタをいくつか出してしまった手前、
「民族的な生活」がどういうのかってのも、色々見たり読んだりして、発想の参考にしたい。
テント張って生活するような民族的な人達が、都市生活のような事やってると拍子抜けですからな。
ネイティブアメリカンは集落のどこで用足ししてるのか、とか、普段だと知りもしない時点で
すでに「それらしさ」を出すのが非常に無謀な予感がする。
なぜトイレを真っ先に考えるかってぇと、食事の次にかかせない、リアリティのある話だからです、ウム。
他にも、文化や風習なんかは、物語のネタの源になりそうだ。



何はともあれ、もっともっと、知識や知恵、技術が欲しい。
その中でも、現状、最も早く手に入る力は「知識」だ。
「己の限界点」は、まだまだ遠い、自分の知らない事が多すぎる。
深い知識は、自分のわずかな才能を、きっと補ってくれるはずだ。
自身は天才でなくとも、少なからず発想の幅を広げてくれるだろう。
ってわけで、頑張らないとな。

6月13日(金)これといって…

相変わらず、誰かに伝えたい事などは無い。
が、一月に一回以上日記を書かねばいろいろとバグるので
こうして日記に意味のない文章を連ねるのでした……。

シルフェイド見聞録は、面白そうなネタが思い浮かばない限りは、なかなか続きを作らないと思います。
勝手に色々とネタや話が浮かび上がる時期というのがあるのですが、
かなり長い一定の時間をおかないと、生活の中で見聞きしたデータが
うまくネタに昇華できないようで。まあ、所詮は凡人です。
もっと鋭い知覚や神経、探求心、発想力が欲しいと、心から思います。


現在は、色々と自分に与えられた義務(宿題実験)を果たしつつ、
シル見RPGのネタを主に考えてます。戦闘の細かい仕様や大まかなシステムなども。
特に戦闘システムに関しては、現行のシル見の戦闘システムだと
多対多の戦闘バランスがメチャクチャになってしまう
(例:三人で一人を集中攻撃すればほぼ確実に沈んでしまう、
 お互いそれの繰り返し)ので、色々とシステム練り中。


あまり戦闘システムばっかり重視するのもアレなんで、
他のシステムにもこだわれる部分がないかと今も考えています。
普通のRPGをプレイしていた時、「こんな事ができれば面白いのに」と
心の中で無茶な要求をしていたのが、作る側になるとさっぱり何も思いつかないというのも何だか不思議。

まぁ、時々遊びつつ、思いついたら作りつつ、
気の向くままに一生懸命頑張ります。


自分で今書いてる日記読んでても、疲れてるのかイマイチこれまでのような気合いが入ってません。
今は休むべき、かな……。
それとも今日が暑すぎて頭がくらくらしてるのか。
今は梅雨の季節だと思ったんだけどなぁ、うーむ……。