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1月の日記

■ 1月31日(木) ガーン ■

無心になって歩くのが面白い。
何も考えてない分、風の音や寒さや空の色が、情報として頭に入ってくる。

たとえば、「家に早く帰ろうと思って早歩きしている」とか、
そんな状態になると、自然は何も見えなくなってしまうのだと思う。

そう思いながら、帰路を歩いていた。
ふと見ると、道路の真ん中に一羽、黒いニワトリがいた。
見た直後は、トサカがあるので雄鶏だろうな、と思った。

っていうか、
なぜこんな市街のど真ん中の、それも道路の真ん中でニワトリなのだ。
通行量も少ない事も手伝って、車は器用にニワトリを避けて走ってはいたものの、
僕はその光景に何ら理由を見いだせなかった。

あまりじろじろ見てるのもアレだったので、すぐに離れたけれど、
あのニワトリの姿は頭から離れなかった。
一瞬だけ、助けようかとも思ったけれど、
あまりに奇妙さに、その事をすぐに忘れてしまった。


ひどく珍しい光景を見る事のできた一日だった。
予測可能性の存在する現実世界の中に非日常を見つけた時は、何かと楽しいものだ。

■ 1月28日(月) レベル1じゃあラスボスは倒せんわな ■

自分で作った課題に対して、色々やってみて、考えたけれど、
結局は、自分がいかに小さい存在かを知っただけだった。


己の力の限界を知らないと、
限界以上の事が求められたときに、焦る。
「果たしてそれが可能なのかどうか」が不明瞭なまま、
それに挑まなければいけないからだ。
現状の実力を100%出し切っても、
ほぼ確実に不可能(または自分の満足の行く事ができない)な事に対し
立ち向かうという事は、経験の上では良い事かもしれないが、
「現状では不可能」だと認識できないままにその壁にぶつかり続けると、
やってる側が先に壊れる事がある。

自分の許容量をあまりにも超えたものを抱えると、非常に大きな負担がかかる。
これは「挑戦」というよりは「無理している」ことだ。


日々、己の力の限界は、変わりつつある。
限界点は目に見えないほどゆっくりと、前へ進む。
が、それゆえに己の今の力が見切れず、実は予想以上に弱かったという時もある。

俺から見て「難易度がわからない」ほどに難しい課題に対して
挑戦するのは、いささか早計すぎたような気もする。
難易度が見切れないって事は、相手を認識する事ができないという事だ。
「自分から見て計り知れないほどの相手」とは、到底かなわない相手である場合が多い。

ただ、
すぐ諦めるクセが付いたら、人間は終わりだと考える。
目標・課題を冷静に分析し、それが自分の限界能力からどれほど上かを見切り、
「限界のすぐ上」と認識したなら、やるべきだ。
多少の「無理」は自分を育ててくれる。

上を目指すとき、能力を階段にたとえる。
階段は1段または2段、無理して3段程度までしか飛ばせないとしよう。
今回は20段飛ばしをしようとして、失敗したワケだ。現実でもまあ、普通は無理だ。
20段上の階段には、何が置いてあるのか下からでは見る事はできない、
しかし「そこに置いてあるモノ」こそが、課題の一つの答えであり、「目指すもの」だ。

自分の立ってる段から8段くらい上なら、その段に何があるか見る事ができる。
これが自分の「見切れる範囲」だ。
今自分は「能力という階段」のどの辺りに立ってるのか、という事を、
よく認識するべきだと思う、特に俺は。

しかし、
自分の限界を超えた所に目標を作るクセは、昔から抜けてないらしい。
問題はただ、「すぐにその目標を達成しよう」と思ってしまった事だけだ。
「発想力という力」は、絵なんかと違ってパッと見でわかるものじゃない。


「誰も作った事のないもの」で、かつ、「面白いもの」を作るのは、
ちょっとばかり(ちょっとどころじゃ済まんかもしれんが)力量不足だった。


だが最後に一つ。
課題や目標が、自分の認識外(どのくらい難しいかが見切れない状態)にあったとしても、
それが決して難しいものであるとは限らない。
単に、道がずれてるだけかもしれない、「音楽と絵の違い」のように。
またそこまではっきり分かれてなくても、
「一見同じ分野のものに見える事」に関しては、要注意だ。
同じ小説にしても、
誰かの主観で話を描く事に慣れてる人は、
ハードボイルドがキツイかもしれない。
だが、それで「ハードボイルドは主観視点のストーリーより難しい」とは決して言えないのである。
やってみると、意外と簡単な事もある。

……と思ってやったら失敗したんだよな、実は。


まあ、今は失敗覚悟でぶつかりゃーそれでいい。
何にしろ、最初っから諦める、もしくは何もやらない、というのはしゃくに障るので、
「自分が焦ってる時」が「能力限界超えた課題を抱えてる状態にある」と思うようにしよう。
こっちならまあ、自分で勝手に見切り誤って諦めるよりマシじゃろて。
またプッツン来る方が早いかもしれんがな!!
だがこれだと、
「焦った状況下」でも「自分が焦ってるかどうか知る事ができる」能力が
必要なんだな……上は遠い。


本気でゲーム作ってる奴の精神レベルってどのくらい高いんだろう……。
前に進む事に対して「確固たる理由」を持ち、後ろ向きになる事がなく、
何か起きても、自分の考えを信じられる、また、
自分を信じられるだけの「鉄壁の理由と動機付け」を持った人間、
かつ、何かあれば柔軟に考えを変えるだけの人間、とか。
今パッと思いつくのがそれぐらいか。
考えりゃまだまだいくらでも出てくるだろうけど、
俺は所詮、すぐに思いつくのはこれだけってこった。

ま、とにかくテストだな……というか、試験勉強してると色々浮かぶんだなあ。
強制的に頭使ってるから、その勢いで別の事もついでに真剣に考えられる、かな。
肝心のテスト勉強には集中力欠けてるけどな、ああ……。

■ 1月26日(土) ふと思ったが ■

ブチ切れた原因を色々と考えてみたが、

1.そのまんま一昨日言ったキレた理由のせいでキレた。
2.一月ほどネット離れしてたのでネットで拒否反応起こした。

の二つがさっきまでの考えだったのですが、
よくよく考えてみると、

3.今作ってるゲームが煮詰まりすぎて頭が暴発寸前で八つ当たり。

というのが一番でかそうなケースです。
掲示板の過去ログ見てても、いきなり俺が豹変してる様を見て
なんでこんなのになったんだろーと思いましたが、たぶんこれが一番大きな原因でしょう。
シル見第三話製作の時のよーに日記で、「わかんねーよ、うーん」って
言ってる間は全然大丈夫なんですね。
つまり愚痴るほどの余裕も無かったと。すげえプレッシャーだったようですな。
だいたい、表現するのに自分の力が足りなさすぎると思うのが
いまいち納得できんかったよーです。
「自分が弱いのは当たり前!」の観念をすっかり忘れてました。
今はどう頑張っても満足行くものが作れそうにないから、諦めるかー。
と思った瞬間、気が楽に。
十代の内に公式な評価(コンパクとかね)取っておきたいと思ったけど……
それも遙か昔に言った覚えのある言葉で言うと「心の鎖」だったのですなあ。
でも大学出る前に何とかしないと……ってのが一番大きい焦りになってる気もする。
言ってる内は大丈夫だけど、後になればなるほど焦って、
「自分が焦ってる事」にも気づけないくらいになるだろう。
「なるべく一生、自分の好きな事やってたい」って思うのが強迫観念になっちまうとはねえ……。

だが妹見てると、実はちと焦る。
あっちは若くして将来の道もそれなりに明るいが、
こっちはあっちより遙かに道が暗いんだ。
と、思ってるのがまず、いかんのだろうな。
俺は俺、人と比べてなんぼじゃねえ。

まあ、何はともあれ、
全力出せるようにするなら、まず
「焦らないで一歩ずつゆっくり道を踏みしめて行くと決める」事!!
駄目もとでやった時に限ってどうにかなっちまうのと同じだ。
いざとなったら家出してでも夢に走れば良し!!
情熱がマジなら、おとなしい人生送らんでも問題無しじゃあー!!
ってか、家族と別居中なのは家出と言わんのか?あれ?

でも、やっぱりそのうち上で再確認した事も忘れちまうだろうから、
俺用の標語でも作るかな……もち、作り直しもアリの方向でだ。
俺が変われば、心の鎖ブチ切る為のアドバイスも変わるんだろうし。
最近俺もすっげー後ろ向きな思考だったしな……どうすれば前向きになるかっていうと、
焦ったりして出てくる負の感情を取り除く事だ。俺の場合は。
それがない時は、(負の感情抱いてる時に見た)嫌なヤツ見ても嫌な気分にはならないモンだ。
少しでも「誰かが嫌な奴だ」と思うときは、自分の中に暗黒面を持ってると思って間違いないかもしれん。
負の感情を普段から持ってると、自分から見て嫌な奴も増えていくんだ。
嫌な人間の数は、自分の心の汚さの度合いだと思うべし。

とりあえず掲示板どうすっかなー。
吹っ切れるとどうでも良くなったが、三ヶ月くらい掲示板消してもいいかもしれんな。
というより、書き込み自体がなくて誰にも見向きされてない、って状況が一番やる気になる。
それなら目にもの見せてやらぁー!!って気持ちは、情熱に火付けてくれる良い着火剤になるモンだ。
だいぶ前に「人が増えすぎてやる気でなくなるかも」って危惧してた気がするが、
どうもその気もあるっぽいしなあ……。
「何の後押しもなく、来る人も十分なのに死ぬ気で頑張れるようになる」までは、
ちっとばかり修行が足りんのかもしれん。
着火剤なしで情熱に火を付ける何か、って無いモンかねえ……たとえば対抗心とか?
一方的ライバル視ってのも、意外と効果あるかもしれんな。
シル見のアルバートのように、相手がどう思ってようがこちらが本気になれるなら、
結構使えるメンタルテクニックかもしれない。
うらやむ感情より、超えてやる、の感情の方がまだ健全だろうしなー。

■ 1月25日(金) ■

んがー、昨日の日記のおかげで掲示板に論議がー。
単に俺が冷静じゃなかっただけなんだが……意外な反響だ。
それに、打開策を書かない愚痴は「タダの文句」になるってぇ事もわかった。
打開案を考えられないほどに落ち着いてなかったんだろ。俺観察。

ただ、昨日のは、少し落ち着いた今でも間違いなく「本音」として残ってる。
昨日はプッツン来て色々書いてしまったが、
「それなりに大きな個人サイトの、ある管理人は、一時的にでもこういう事を思った」
というのだけは、知っておいて欲しい気がする。
そして「どうしても冷静さを欠いてしまう自分」が嫌になるか、それとも他の理由かで、
サイトを止めていく人がいるのだろう、って事も。
たぶん、似たような状況の管理人は、少なからず同じ感情抱いてると思う。
自分一人でカバーしきれない大荷物抱えさせて持っていけって言われたら、誰だって焦る気もする。

最初は、少ない人でひっそりやってた掲示板が、
人の増加と共に少しずつ書き込み増えてきて、
そのうち最初の人達もサイト大きくなったりして離れていって、
んで、気が付けば結局管理者が発狂寸前になる……ってか?
しばらく雑談掲示板閉じて、俺がどう思うか実験してみっかな……。
完全に業務的な掲示板ばっかりってのもサイトとして味気ないけど、
こんだけでかくなっちまったら、仕方ない…のか?
だが昔の楽しかった頃の雑談掲示板を思い出すと消しづらい、ってのが一番でかい。
どうしても消さずに何とかしたい、って思うんだよなあ。
過去の状態の再来を待ってるのかね。

まあ、色々考えるか……って、それ以前にガッコのテスト勉強もやんなきゃな。
とりあえず、何にだってほどほどに頑張りゃいいし、やりたくなけりゃやらんでもええ。
ここは俺のサイトなんだからよ。色々やってみて、一番いいと思った方法を採用するのが一番。
何かと変更の難しい企業サイト、ってワケでもないんだしな。

■ 1月25日(金) ま、こんなモンかね ■

相手が何か言っても、こっちが何も言わなければ、
人はそれ以上何も言ってこないモンだ。

自分の表現の場を持っていない人は、あるいは表現し足りないと思ってる人は、
他の人が用意した表現の場で何かを表現したがる、のだろうか。
今ここで言う「用意された表現の場」とは、すなわちBBSなどの電子掲示板を指す。
大きなサイトの管理者であればあるほど、他のサイトの掲示板に
書き込んだりする事は少なくなっていく。
それは忙しさから来るのかもしれないが、個人的には表現に
満足しているからではなかろうか、などと考える。

こう言っては何だが、対人関連の表現は何かと疲れる。
一体何が言いたいのかわからない言葉に対して
自分はどう答えればいいのかわからない時とか、
あまりにも自己完結しすぎていて、
「たくさんの人に見てもらって満足する」
という事だけが目的の書き込みを見てうんざりする時がある。

本来、語る事などそれほど多くはないハズなのだ。
本当に意味のある事を伝えたいと思う人は、慎重で、結局何も言わず(言えず)に立ち去る事が多い。
特に、こんなカウンタばかりバカでかいサイトじゃあ、たいていは気後れする。
少なくとも俺自身はそうだった。
そうじゃない人は……たいていの場合、恐いもの知らずなほどに「若い」。
まあ、こんなちっぽけな事を気にしてる俺も、まだ青臭いんだろうが。


大サイトであればあるほど、掲示板の内容はより薄くなり、
BBSは意味のない書き込みで溢れていく。
一部の人は、それが嫌でサイトを閉じたり、行き先も伝えずに移転したりする。
おそらく、サイトを閉じる大部分の理由はそれだろう。
今ならわかる、断言こそしないけれど。

カウンタが増えれば増えるほど、恐いもの知らずの若者が飛び込んでくるのは自明の事だ。
そして気が付けば、なぜか管理者に取り入ろうとする人間が増えている。
昔は来る人と対等に話していたのに、
いつから自分はそんなに偉くなったのだろうかと、思う時がある。

大サイトの管理人ほど、けなしにくいだろう。
ここの管理人バカ?なんて言った所で、取り巻きに攻撃されるのがオチだと思うだろう。
よって、本音ではそうそう話せないかもしれない。いや、きっと話せない。
話せる人は話せるで、恐いもの知らずの、世を知らぬ若者である可能性が高い。
結局、管理人は話したくもない人間と延々付き合わされるハメになる。

俺が今までサイトを運営してきて「この人と話したい」と思う人など、
はっきり言って来ない。
つっても、昔も話したいと思う人間は、いなかったんだけどな……。
単に、俺の「人間への興味」が薄いのかもしれない。
掲示板の「質」は横に置いといても、自分自身が
人付き合いが嫌い、って言ってるのと相違ないかもしれん。

実際、
できたてのサイト持って「よし、カウンタ頑張ってのばすぞー」と言いながら
運営していく時が、一番幸せなのかもしれない。
頑張って頑張って、それでやっと掲示板に一件の書き込みがあった時が、一番嬉しかった気がする。
カウンタが増えすぎると、仮にそうでなくとも、
自分がカウンタを維持する為だけに頑張ってるような気がして、自分が嫌になる。

カウンタだの、書き込みだの、そういう報酬は本当はいらない。
増えすぎると逆に、邪魔者以外の何物でもなくなってくる。
最初はただ、自分はゲームが作りたいと思ってただけなんだが、
「報酬の処理」が億劫になるとは計算外だった、かな……。
一応、この自体も見越してゲーム掲示板と雑談分けておいたけど……準備が足りなかったか。
それとも、どうしようもなかったのか……。

■ 1月22日(火) ついでに ■

今日は色々と課題の一日。
ついでに雑談掲示板をHTML出力に。
これでCGI読み込み回数が劇的に減るので何かと良いハズ。
HTMLでもクッキー読み込める方法がわかればいいんだけどなあ……。
JAVAでちょっくらやってみようか、うーむ。

■ 1月21日(月) まただ…… ■

今日は久々に発作が起こりました。何カ月ぶりかは忘れましたが。
発作は起きたのは生化学の授業でビデオ見てる時でした。
なんつーか、人体内部に色々やってる映像見るとほぼ確実に起こるような感じです。
高校の時は確か中絶胎児が頭かち割られて吸い出されたあげくに
バケツに中絶胎児が大量に入れられてる映像でキました。うへえ。
別にグロい映像が嫌いとかそういうワケじゃないんだが……
理性では平気でも身体が拒否反応起こすのだろうか。

基本的な症状は、
最初は喉が詰まったような感じがして、次に気分が悪くなって、手足が痺れてきて、
それから猛烈な便意と吐き気を催して視界がブラックアウトします。
その頃には身体全体が痺れてほとんど動けなくなるのでトイレにも行けません。ぐはあ。
じわじわと二十分くらいにかけて起こるので、おかげで講義の大半は覚えてないという失態。
ゲロと便(ビッグ)は我慢したけどな!!
っつーかまともに動けないから我慢する以外に道がない!

にしても何でだろうなあ、これ。
生活が不規則になってんのかなぁ……脳に血が行かずに
機能停止寸前になってる気がするのは何となくわかるんだが。
ダチいわく、子供の時にグロいモンでも見てイヤな体験でもしたんだろうよ……との事だが。

そういや前にも言ったかもしれんけど思い出しついでに書いておく。
こういう症状って昔、特命リサーチでやってたような気が。
特定の場所に行くと何故かめまい起こして倒れる症状とか何とか。
対処法は恐れずにその場所行って慣れさせろ、だった気がするが
俺の場合、対象が微妙……PCのモニターでグロ映像見ても全然平気なのに
視聴覚室みたいなでかいモニターで見るとちょうど限界超えるのかも。
何にせよ生物学はやれんのう、自分は……脳の中心部の脳幹に直接電極差すトコとか、
レントゲンみたいな映像で見てる間は平気だが想像すると……。
見た直後は平気だがその後20分に渡ってじわじわと症状が出てくるのもよくわからん。
ゆっくり顔面蒼白になって知らない間に動けなくなる俺。無情。
もしかして俺って内臓恐怖症なのか!?うおおおおぉぉぉぉーー!!

そういや、今日はゲーム感想用掲示板をいじってHTML出力にしておきました。
クッキー入力の必要性がほとんど無い(多くの人が一回しか書き込まない)なら
CGIにする必要もないですしな。
これで少しはCGIの負荷も軽くなるっしょ……ヒット数がでかくなりすぎると
サーバーから苦情が来るみたいだし、今から軽くしておかんとな。

■ 1月20日(日) 来た来たぁ! ■

色んなトコでシル見の評価が二分化してきた。
「たぶん面白いからやれ!」
って勧めるのと、
「どこが面白いんじゃー!」
というのに分裂。好き嫌いがスッパリ分かれるという変な状況になった模様。
できることなら、二極分化になったお互いの個人個人がそれぞれ
「どんな性格、性別および年齢」なのか非常に聞きたい。
なにぶん、作った本人(私ですな)が対象年齢、対象性別不明のまま作っておるので
一体どういう客層に人気があるんかサッパリなんよ。
それさえ掴めば、それなりに対象をピンポイントにできるんだが……うーむ。
あと、勧める人間の一言には皆「君に合うかどうかわからないけど」が入ってる。
ギャグ面白くねえよボケーって意見が公式にあるんだし、そのくらいはやってくれんとな。

それと絵柄の方は……好き嫌いが激しいのかはわからん。
っつーか絵が嫌いは人はゲームすらやらない可能性が高いだろう。
なるべく絵柄は濃すぎず萌えすぎず、という半端なモノ目指してるし、
何より背景が超下手くそなのが未だにアレなんだなぁ……。
そのうち描き直そう。まだまだアップデートの余地はある。
が、キャラ絵は好みの問題か、俺が下手なのか。
「下手くそすぎ」という意見は多すぎるわけじゃないが決して少なくもない。
だが「絵があまり……」という人は多い。「絵柄が嫌い」って事だ。
諦めてもらう……という訳には行かないんだよなぁ、やっぱ。
ま、色々描けるように訓練する必要もあるって事だろ。
訓練してないレパートリーは山ほどあるんだし。絵柄も二つ三つ持ってて損はなし。

まあ、それなりに頑張るしかねえわな……。
にしても意外と有名になってんのかね、シル見。いかにして叩かれるかが気になる。
とりあえず「絵がペケ」ってのと「ギャグ面白くない」を抜いたら何が残るか楽しみじゃのう。
っつーかそれ以外何もないんだよな……よく考えたらこれだけで有名になるわきゃねーじゃん。

……ま、作る側が有名になっても、俺の能力自体が上がるわけじゃねえんだ。
有名になる事に固執するのはただのアホだ……慢心に気を付けろ、自分。

■ 1月16日(水) ■

何もないところから何かを考えるのは、面白い。

最近思うのだが、
自分の中で生まれた何かは、誰かと共有せずとも、未熟ながら一つの形として
完成されているのではないか、と何となく思う。

そしてまた、
そう思う事を他人に語るのは単なる慢心ではないのか、とも思ってみる。

でもこれは、自分が後から見て、当時の自分を思い出すための日記だ。
たとえ読みにくかろうが、意味が繋がってなかろうが、
俺の思ったままを書けばよいわけであって、
決して他人に見せる為の日記などではない。
たとえ、仮に「来る人」が増えたとしても、それは同じである。


「初心忘るるべからず」
自分の今立ってる場所が大きくなってくるにつれ、
初心を忘れて、方向を見失う事は多い。
半年で、自分のホームページの存在が思う以上にでかくなって、
一体自分は何をやっていたのだろうと、ふと思ってしまうがある。

地位、財産、顧客、何でもそうだが、
それらを得たからと言って、決して自分が大きくなったワケでもないし、
それによって決して自分自身が強くなるワケではない。
逆に、それらは人を弱くする。
気が付かない内に、己は何をすれば良かったのかという事を忘れ、
得た財産や地位を高める事ばかりに目を向けてしまって、
かつて描いていた純粋な目標が消える。


だから、己の純粋な目標をここに残す。

頑張りたい。
今出来る限り、どこまでも。
自分は、自分と人の為にゲームを作るのかも知れないが、
それは人が楽しむ前に自分が楽しめなければ、
決して私の満足できるゲームとは言えない。

俺は、自分の感覚で最大限面白いと言えるようなモノを作りたい。
だがあまりにも力がない事に、焦る。
誰も見たことのない、そして面白いゲームを作るほどの力量はまだないと、自分の勘が伝えてる。
冷静に見れば見るほど、そう見える。まだ自分の力が若すぎるのだ。


現状で満足してはいけない。
いつだって、そうだ。
だから、俺は、己の力の無さを痛感し、悩み、苦しめ。
人はそうやって強くなれる。
なんてったって、悩むのは人の特権なのだから。

■ 1月9日(水) 語るべきは沈黙か ■

たまには言いたいことが思いつかないときもある。
そういう時は普通に日記でも書こうと思うのだが、

「あー、今日は学校行った。終わり」

ってぐらいで済ませるのもどうかと思うのでどうしようか迷うひととき。

そういや、今日はプログラムの授業で一つ良いことを学びました。
整数型なら、どんな数字でも2で割りまくると最終的に0になるという事です。
これをすっかり忘れてた私は、考える時間を大量に割く必要があったのですが、
プログラマーとしての経験値が数ポイント上がった気もするのでそれもまた良し。

あとシルフェイド見聞録には女の子キャラが少ないという苦情が
アンケートで意外とたくさん来たので、一回シル見キャラの総数を数えてみた所、
全キャラを計算してみると男15、6人、女10人、性別不明3人(匹)となっており、
テストの妖精やら犬やらマユトカゲまで女に含めても比率が合ってない事が判明。
このまま突っ走って男キャラだらけになってレジェレス状態になったら
それはそれで面白いが、見てる側としてはあんまりなんだろうか、疑問。

ついでに報告。
シル見が何故か女性向けゲームにまぎれて紹介されてる事がある。
女性向けというか、万人向けには作ったつもりだが……何か腑に落ちないのう……。

■ 1月8日(火) 気が付けば ■

気が付けばウチのサイトも三周年済みで日記も三年目。
サイトは三年分、でも日記は二年分。

なぜ日記の方が一年分少ないかというと、
最初の一年間は自分の残した「人生の航跡」があまりにも
恥ずかしく思えてしまったがゆえに日記を消してしまったからです。
あえて名を付けるなら、それは「己に自信のなかった一年間」だったんですな。

んで、今は過去の若さも容認できるようになった。
「今考えると恥ずかしい昔の俺」も含めて俺は俺である、
と思えるようになったから、かもしれない。
これは「自信」か、それとも「アイデンティティー」と呼ばれるヤツなのかね。
どっちも、ある意味では一緒だとは思うが……。

んで、
日記を最初の方から読み直してみると、
二年前はやっぱり「若い」というか「幼い」雰囲気がした。
それと、自分の心をコントロールする方法が「勢い」から「理性」に
変わっていきつつある、という事を、見てて何となく思った。

あともう一つ、
「自分のやってる事が『あってる』かどうか」……と思った時は、
ほとんど「自然」と照らし合わせて考えているようだ。
人間倫理の上で「合ってる」、「間違ってる」、なんて誰も決められないから、
己は「自然」を倫理判断の材料に選んだ。
人間を、動物の生き方に照らし合わせ、
これまで宇宙や地球、全生命も含めた万物が何を為してきたかを考える。
そして、最後は己の「自然」のままに生きよ、って結果になる。


結局、
自分は、人間社会の中でどうやれば「自然」に生きられるか、を考えてるらしい。
別に自然っつったって、森の中にこもるとかそういう事じゃない。
いかに自分のやりたい事をやるか、自分の意に反した行動を取らずに済むか、ってのが俺の「自然」だ。
単にこれだけだったら獣みたいに阿呆でわがままなだけになるので、
人間社会の中ではそれなりに制限を付ける必要がある。

「人と自分、またはその周りの人の間で衝突が起きないようにし、
 かつなるべく人様に迷惑をかけずに、自分のやりたいように生きる」

が、最終目標だ。
人間は、結局はほとんど自分の事しか考えてない生き物だから、
自分、および知り合いに物理的、精神的被害が及ばなければ、何やっても大概容認される。
「物理的被害」ってのは、金の問題や身体に傷害を受けたりする事。
「精神的被害」ってのは、見てて気分が悪くなるとか、トラウマになったとか、そういう事だ。
この二つがなければ、大して気には留められないし、問題視もされない。

そしてまた、「人を傷つけまい」と意識するよりは、
「自分の言いたい放題言っても大丈夫なような心」を目指そうと思うようになった。
それが俺のよく言う「強い心」ってヤツだ。
深層心理から、素で社会生活に普通に適応できるよーにしておけば、
何ら意識する事なく円満な生活を送れるという素晴らしいオマケ付きで
かつ人に対してびくびくして付き合う事も減ってくる。

唯一の問題は、たまに調子に乗って正直に言いすぎて
ヤバイ事になってしまうという事だが、一応は言いたい事が
伝わってるのは伝わってるので、それもまた良し。
誤解されてこんがらがった時が一番ヤバイ。
最近は、
「表現する為の手段であるハズの言葉が、己の表現手段になってない」
って人も多そうだしな……。
正直に表現してないその言葉から本音を予想する技術も必要だが、
どっちかというと「理」を最大発揮できる、お互い確実な、正直な言葉の方が好きだ。
つっても、迷惑かけない程度に正直に、な。
言葉の言い方も色々あるし、そこはテクでどうにかする、と。


でも、俺が一番遠慮してんのが家族なんだよな……。
ガキの頃の消極的だったクセがそのまま残ってるのかもしれん。
それとも、家族とはウソ付いてでも平和でいたい、って意味かね。
言いたいことが言えない、ってぇのは、やっぱ辛いモンだ。
おかげで、どうも家族の一部には俺の事を理解されてないとよく感じる。
そのたび、俺は自分の弱さを身に染みて感じる。
言うと被害ダメージが大きそうだから言えないってのは、
すでに考え方の違いがあまりにも大きいってわかってるから、かもしれんな……。
それが学校内だったら相手を避ければいいだけだが、家族だとそうはいかない。
基本的に避けるのは不可能だ、家族は。

まあ、何でもいいや……とにかく宿題。

■ 1月7日(月) ようやくまともに復帰 ■

ようやくデスクトップパソコンが使えるようになったのはいいけどブックマークが全部空っぽー。
まあ、いつもの事なんだが……またツクールサイト巡りでもすっかなぁ。
ゲーム作るのに手出し始めてから長い事経ったし、そろそろキラリと光る作品探し、ってな。
俺の言う「キラリと光る」モノってのは、

『他のヤツは皆あれやこれやとやってるけど俺はこれで貫くんじゃぁああ!』

という雰囲気ムンムンな作品の事。

「ウケるかどうかはわからんけど、誰かの真似などせん!」

っつー勢いを感じるモノが自分は好きだ。
よって普通のRPGっぽいのとか、それに既存にありがちなシステムを
くっつけたよーなブツはあんまりプレイしたいとは思わない。
そういう意味ではシルフェイド見聞録なんて終わってますがね……。
新しいシステムなんてカケラもない正統派ADVブッ貫き。
なんでアレが面白いのか自分でもよくわからんよ……そもそもシナリオなんてまだ無いに等しいぞ。
システム系のゲームを真っ向から否定するような勢いだ、ううむ。

とにかく、目指すはシステムからキャラの会話に始まって全部に良さを見出す事!
シル見は「キャラの会話なら誰にも負けん!」という部分を極めようと努力するための作品。
「こんな面白くて新しいゲームシステムを見たことがあるか!!」
ってぐらいのシステムも、いつか作りたいモンだ。
そしてまた、そのシステムを思い描いたままに実現するための技術も得たい。
とにかく、頑張らないとな。

ゲーム作るってのは、結局は俺の中で「一番好きなこと」だ。
自分は『己の人生の中で一番面白くて、かつ、できれば生産的な事』を「夢」と定義している。
ゲーム作んのは、俺の夢。
将来の仕事にするかどうかは知らないが、とにかく俺の夢。
だから、たとえ将来の仕事にできなくても構わないから、今だけでも精一杯頑張りたい。
「将来できなくなるから今もやらない」ってぇのは、やっぱ諦め人生っぽくてヤだしな。
どうせ人生一回きり、好きな事に時間をつぎ込めるだけつぎ込んで、やれるトコまで頑張るのみ!

後になってから「俺の人生では夢が叶わなかった」なんて言いたくない。
どんな時でも後悔の言葉を発したくないから、今頑張る。単純な事だ。
もっとも、「夢が叶う」ってのは、俺の「夢」の定義から言うと変な言葉だが……。
単に「夢」を「目標」とみなすか、「行為」とみなすかの違いなんだけどな。
でも、俺には「××のようになりたい」とか、「目標数」とか、そんな具体的な目標はない。
好きだからやる、好きだから上手くなりたい、ただそれだけだ。


あと「決して誰にも真似できない物を創る」事もまた、求める一つの道。
それが一つの「極めた形である」という証明になるからだ。

『世界の情報が共有できるようになった今、「誰かが作れる作品」を作った所で、あまり意味がない』

と自分は考える。
あなたの作った作品はアメリカ人の誰々さんの作品に酷似していますねえ、
と言われたって、文句の言いようがない時代になってきている。

だからこそ、「真のオリジナル」を作るなら、
とんでもない苦労と発想が必要になってくるだろう。
「誰かの後を追う」だけじゃ、それは決して達成しえない。

よって、「誰にも真似できない物を創りたい」と俺は思う。
それがどんな物なのか、まだ知らない。
何と言っても、目指すは「まだ誰も作った事のない、自分にしか作れない物」なのだから。

ま、いつも通りマイペースに全力出して、頑張りましょか。
って、その前に学校の宿題だな……。

■ 1月5日(土) 巣に戻る ■

ついさっき実家から巣に戻ったはいいのですが、
どうもPCのご機嫌が斜めどころか真横向いてるような勢いで少々困っております。
っつーわけで現在復旧中……インストールしなきゃいけないものが山積みだが
それ以前に起動せんだら話にならんのだよマイPC!

とにかく!
「理論に頼りすぎない」「何でも試す」「結果良ければ全て良し」の
三大原則抱えて頑張るのみじゃあ!!
以上、限界起動時間5分のノートPCで書いた日記でした終わり!
サブのノートPCには5分以内に大事っぽいプログラムが
ページ違反とか何かで落ちてフリーズするバグ発生中!!
うおおおおおぉぉぉぉぉー!!

■ 1月1日(火) 2001年の終わり 2002年の始まり ■

結局、
2001年のラスト日記は非常に寂しい状態で終わってしまいましたが、
最後の日の入りだけは見られたので、とりあえず良しとしませう。

PCの故障は、HDDに主要な原因があった模様です。
それ以外にも色々ヤバげなトコがありそうなんですが詳細は不明。
とにかく、実家から巣へ帰る日の2002年1月6日より通常運営しようと思っておりますので
そこんとこよろしくお願い致します。

んで、それはともかく、現在別ゲーの企画中です。
シル見はいつになるかわかりませんので、あまり期待せずにお待ちいただけると嬉しい。
というより、己のやりたいままに生きるってのが自分の力だ。
自分のやりたいままにやって、努力して努力して、成功する。
それが、「己に自信が持てる瞬間」だ。
「人に何か命令されたりしてそれを実行して成功」しても、
己自身で決めて成功したときの成功の喜びに比べれば、
どうしても小さいモンになっちまうんだ、やっぱ。
もちろん、自分で決めて、頑張って、それでも失敗してしまった時の
悔しさや悲しさも「本物」になっちまうんだがね。