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2010年の日記

6月16日(水)

非常に当たり前の話。

『与えられたものはみな等しい』  『チャンスは平等』
言う人の立場によっては、賛否両論ある言葉だ。
ただ、ある一面では、それは正しいと思っている。


「人生の中で使える経験値の量は一定」だ。
誰だって、経験できる物事・知識・現象は平均80年分くらいしかない。
長いように思うかもしれない。でも1年や2年かけて
一本ゲームを作る状況になると、あまりにも短く感じる。

その中には、何かを失って悲しむ時間だって、あっていい。
いいが、悔やんだことや悩んだことを何日にも渡って
何十回も頭の中で反芻している自分もいて、
見返してみると、あまりにもったいない時間の使い方をしている。
私が、悲しかったり悔やんだりしている時間は、
単に現状を消化できなくて受け入れられない時間であり、
すなわち、ただひたすら自分の弱さを確認しているだけなのだ。
たったそれだけのことを行うために、それ以外のことがどれほど犠牲になったろう。

人間、「いま考えていることの90%以上」は昨日も考えた内容だという。
ならば、その時間で前に進むこと、新しいことを知る力に回せば
人間はいまの10倍近くの速度で成長し続けられるのではないか。
必要なとき以外は後ろをふりかえらず、ただ前に向かって、
「新しいこと」、「まだやっていないこと」、
「これからやらねばならないこと」を延々と続けられる人は、
同じ年齢でも、きっと中身が違うのだろう。
そして、年を取れば取るほど、差がついていく。

自分は、限定的な部分では何か優れてるかもしれないという実感はあるが、
ほとんどの部分は、やっぱり、ただの凡人だ。
だからこそ、その凡人として、死ぬまでに、一歩でも先に行きたい。
ただひたすらの経験の積み重ねで、誰も見たことや感じたことのない境地に立ってみたい。

非常に負けず嫌いの自分としては、
与えられたものを一番うまく利用してみせたい気持ちがある。
自分に与えられた時間が、あと何十年あるか分からない。
でも、うまく使いこなしたい。
「時間」という、平等なチャンスを。




少し話は変わるが、
ここまで来られたのも、今の自分を形作ってきたのも、
多分に 『運』 というものに左右されてきたんだろうな、と思っている。

ただ、他人からの評価は『運』に左右されるかもしれないけれど、
『自分自身の本当の強さ』は、そう簡単には『運』には左右されない。
自分の知識や力は、失われることもなければ、突然増えることもない。
毎日、もの凄く地道な努力を続けて、身につけていくしかないのだ。

もちろん、ある種の覚悟を持てるようになれることは、一つの運だろうけれど、
だからといって、それが降りて来るまで待つつもりか? といえば、否ではないだろうか。
それに、いつも一生懸命でない人には、覚悟を得ることはできないと思う。

きっと、地道なことに耐えられる、その『意志力』こそ、
何事においても必要なのだろうなと思う。
もしその意志力を『才能』と呼ぶのなら、
才能とは、自分自身の手で後天的に得られるものなのかもしれない。
もしそうならば、やってみせようではないか。
なれるものなら、本物の天性というものに、少しでも近付いてみせようではないか。

前に向かって歩む気持ち。時間を大切にする気持ち。やめずに続ける気持ち。
どれもきっと、かけがいのないものだ。
その結果、どこにたどり着くかは、知らない。
でも、やれる限り、前に進みたい。
ただがむしゃらに、ときに安らかに、ときに楽しく、ときに苦しく、
ときに転び、そして立ち上がって、進むのだ。



明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
明日のみんなが、今日のみんなより強くありますように。