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2008年の日記

4月17日(木)

いつだって、勝たなくてもいいと思う。
ときに、続く勝ちは自分を弱くすることがある。
負けて強くならねばならないこともある。
自分をより強くするために必要な「負け」というのは、必ずあると思う。


「昨日の自分に負けなければそれでいい」
自分はいつもそう思っていたつもりだけれど、
でも気付かないうちに、昨日の自分に負けていることもあるのだと
最近ようやく本気で理解し始めた。
それは『失敗していないとき』だ。

うまく物事が運び続けると、必ずどこかで失敗する。
そして失敗の度合いは、うまくいき続けた時間が長ければ長いほど致命的になる。
山を登っていて、自分に分不相応なところまで登ってしまったとしても、
失敗しなければそれに気付くことなく、先に進もうとしてしまい、
自分の能力に不相応な高い場所からさらに進もうとして、あるとき一つ油断をすると、
たくさん転がり落ちて痛い目を見る。

でも次からは、さらなる慎重さと経験を身につけて、
もっと高いところに登っていけるようになる。
上を目指し続けている限り、基本的にはその繰り返しだと思う。


最近は、少しは失敗が減ってきたかもしれない、
または無意識に失敗を避ける行動をしているからかもしれない。
ただ一つ変わったのは、年を経るうちに、自身の犯した失敗に喜べるようになってきたことだ。
失敗はいつでも、新しいことを学ぶいい機会だと思えるようになってきた。
失敗したときに初めて、「今の自分を変えよう」と真剣に考えることができるのだから。

何より失敗して嬉しいのは、
まだまだ自分が成長できる余地があるのだと
身をもって知ることができるということだ。
「まだまだ強くなれる、もっと上を目指せる」
それがどれだけ嬉しいことか。
周りを見て、自分に致命的な欠点がない限りは
「足りなさ」を自覚するのは難しいのだけれど、
でも何かしらの失敗を犯せば、間違いなく「足りなさ」を知ることができる。
「足りなさ」を自覚しているうちは、とても幸せだ。

本当は自分に足りないものがものすごくたくさんあるのに、
「今の自分には一体何が足りないんだろう?」なんて
無知も甚だしいことを問うている時間は、やっぱり、すごく長い。
でも人情として、失敗するその瞬間まで、足りないものに気付くのは困難だと思う。

だからどんなときも、次の「失敗」という恵みが巡ってくるまで、ひたすら頑張り続けるのだ。
どのみち失敗する瞬間までは、「足りなさ」を自覚することなどできなくて、
また、足りなさを「ただの努力不足だ」などといって言い訳してしまわないよう、
いつだって可能な限り全力で頑張らなければいけない。
全力でやってなお足りないときに、その記憶が心に最も深く刻まれて、
それと同時に、もっと賢くなりたい、もっと強くなりたいと願うことができるのだ。


『明日の自分が、今日の自分より強くありますように』
「成功」だらけの日照り続きにならず、
「失敗」という恵みの雨も、ときどき降りますように。