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■■4月7日(金)■とりとめもなく■■ |
自分用のゲームの開発ツールを作るために、プログラムの勉強をして色々と作ってみている。
プログラムは、論理さえ合っていれば正常に動作する。
単純な誤字やミスはコンパイル(プログラムコードをexeファイルに変換)する時点で指摘されるから、
理屈さえ間違っていなければ、割とすぐ正しい動作をするものが得られる。
理屈が間違っていても、どこかおかしいのは分かるから、きちんと調査すればとりあえずは直せる。
だから正しい答えに辿り着きやすい。
ただ、ここ数週間ずっとプログラム開発をしていたけれど、
ゲームのシナリオやらシステムを考えるよりはずっと楽な気がする。
複雑なプログラムには、やっぱり時間と知恵と記憶力がいるけれど、
予想通りの動作をすればいいという到達点があるので「ゴールが明確」という点で楽と感じる。
逆にシナリオやシステムは、
「考えて考えて、いまいち納得が行かないときは何度も練り直して、
その末に生まれるものだけれど、それが面白いかどうかは表に出すまで分からない」
というものだから、作ってる最中はよくも悪くも安心できない。
面白いと思ってくれるかなあという期待と、
つまらなかったらガッカリだなあという不安が同時に出てきて、
完成するまでの非常に長い間、それがどんどん溜まり続ける。
しかも自分の頭と感性で考えて出てきたものだから、責任感も自然と大きくなる。
もし何年もかけて作ったゲームが、一同に「つまらない」と評価されたら
計り知れないショックを受けるだろう。
もちろん、それに耐えうる精神と向上心がないと、
ネットの世界で創作などやってられないのだろうし、
人が多くなれば多くなるほど否定的な意見も多くなってくる。
ただ、人が多くなってきて分かったのが、どんな意見にも「割合」があるということ。
例えば1000人にアンケートを取って30人の人に
「シルエットノートは値段の割にちょっと短いと思います」という意見があったら、
アンケート数がどこまで言ってもほぼ約3%の人に同じ意見が出てくる。
キャラクター人気投票も同じで、アンケート結果が数百人を越えた辺りから、
何度途中経過を見ても各キャラの得票率の比率が変わらなくなるという妙な現象が起きる。
「感性」という本来数値化できないものを評価するにあたって、
多数の人が感じたことを「割合」という数字として
知ることができるというのは、とても面白いと思っている。
多数の人間から感想を取ると、なぜか特定割合の人が特定の感じ方をし、
それを意見としてよこしてくれるのだ。
少数意見や、「こんなこと言うのはこの人しかいないだろう」と思えるような意見も、
数が増えれば必ずどこかで同じ意見が出てきたりする。
こういうのを見ていると、きっと自分とほとんど同じような人物も
どこかにいるのだろうなという感覚が、直感的に生まれてくる。
そう思ったとき、今やってることは、その「自分に似た別の人」にでも
できるんだろうなという思いも出てきた。
そんな人達に負けたくないという気持ちはあるから、日々精進を続けていきたい。
圧倒的に才能で負けているならば、負けても仕方ないと思う気持ちはあるけれど、
同じ資質や才能を持った人間の中ならば、できる限り高きを望みたい。
今ある自分の力、資質、性格を最大に活かして、日々を生きたい。
いざ命が尽きるときには、笑って死ねるように。
そのために、自分にできることをただひたすら一生懸命やりたい。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。