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5月の日記

5月3日(火)

行動が本当に自分にとって『自然』なものとなるとき、人は最大限の力を持てる。
何かの本に、そんな事が書いてあった。
「集中する」ことは疑いやあいまいさに薄められていないから、全力が出せる状態だけれど
でも周りの世界は注意を逸らすものや誘惑するものがたくさんある、とも書いてあった。

一つの事・物に「焦点を合わせる」ということは、短時間なら自然に起こるという。
それが1秒か、1分か、1時間かは分からないけれど、
ただそこで「焦点を合わせ続ける」のは一つの修行だともいう。


「焦点を合わせ続けられる」事を見つけられたのなら、幸せだろう。
普通の人は、ある物事に対してずっと集中して何かをしているわけではないから、
何か長く集中し続けられるものがあるなら、それは人より一歩抜きんでるための
素質となる。それが何かを生み出す生産的な活動ならば、なおさらだ。

年を取るたびに、やらねばならないことがどんどん増え、
一つの物事に没頭することが少なくなってきた。
常に色々な事を考え、並列して物事を進めていかねばならないことも多い。
それぞれの物事を早く済ませるためには集中してやるのが効率的なのだけれど、
色々溜まっているとなかなか落ち着いて集中することができない。

どんな事でも、仕事をするならなるべくやらねばならない事を常に一つに限定し、
それに特化して意識をパッパと切り替えてやるのが望ましい。
でも、なかなかそれができない。
次第に落ち着きをなくし、混乱し、心に無理な負担がかかる。

少しずつ意識の切り替えが高速にできるよう、自分自身が変わるか、
それができなければ、別の手段で代用するか。


一日中全力で何かやっても物事が間に合わなくなると、
それ以上に効率を上げるしか手段がなくなる。
最も自然に効率を上げるなら、体と心をより良くしていくことが確実だけれど、
それは付け焼き刃ではどうにもならない。


もっと時間が欲しい。
やりたい事がたくさんある。やらねばならない事もたくさんある。


そしてついでに、自分はまだ強くなれるのだろうかとも思い始めてきた。
年を取って、自分の心がよりよく変わっていく変化が
ほとんど何も感じられなくなってきた。
変化に気付く感覚が鈍っただけか、それとも本当に成長がなくなってきたのか。

明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
そう祈って今日を生きる。
年を取って死ぬその時まで、前に歩み続けたいと願う。