過去の日記 2000年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
         2001年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
        2002年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
       2003年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
      2004年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
     2005年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
   2006年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年

2月の日記

2月12日(土)

今の日本の人たちは何を求めているのだろう。
何が足りなくて、何が欲しいんだろう。

原始的な生活をしている遠い場所の人々は、日々の糧を得るために
魚を捕ることを仕事にしているかもしれない、そして狩りをしているかもしれない、
もしかしたら、木の実を摘んでいるかもしれない。
漁師はきっと思っているはずだ、自分達がこれをやらねば家族や、
それ以外のみんなが困るのだと。
だから自分こそやらねばならない、漁をして、魚を捕って、
みんなに食べさせてやるのだと、強く想っているに違いない。
だって魚を捕って持って帰れば、間違いなく皆が喜ぶのだから。
それに、代わりをする人もそう多くいるわけではない。

物が溢れると、そうはいかない。
魚でも何でもそうだが、どこにでも「もの」はあるから、
同じ「もの」でもより良い物を探すようになる。
食事一つにしても、「食える物なら何でもいい」などとは言わなくなる。
野菜なら何でもいいとは言わなくなって、きれいな形の野菜ばかりが選ばれて、店に並ぶ。
たとえ野菜に限らずとも、どんな物でもよほど質の良い物でなければ人はあまり喜ばない。
ゲームのような娯楽でも、何でも。

だから、何かを頑張ったからといって、喜ばれるかどうかは分からない。
たとえ自分が1年かけてゲームを作ったとしても、つまらなければ
誰も何も言わずに、そのままネットの海に消えていくに違いない。
頑張って「もの」は作れたとしても、よほど質の良い物でなければ人はあまり喜ばない。
しかも代わりになるものはたくさんある。

余ってるのは物だけじゃない。日本じゃ仕事をする人ですら余ってるから、
よほど質の良い人でなければ、社会は喜ばない。
しかも代わりになる人はたくさんいる。



頑張っても、どうにもならないことがある。
誰も喜んでくれないかもしれないし、何のためにもならないかもしれない。
誰にも必要とされないかもしれない。自分の存在が無駄に思えるかもしれない。


物も人も余ってる。形の悪い野菜は捨てられる。人間も同じ。辛い世の中だ。
でも全てに絶望して何もしなくなったり、はたまた遊びほうけたり、
誰かを困らせたり傷つけたりするのは、嫌だ。


どんなときも絶望しないだけの、強い心が欲しい。
見れば見るほど、知れば知るほど辛い世界だったとしても、
何でもいいから精一杯頑張りたい。
どんな事でも、頑張れるだけ頑張ってから死にたい。
いつか年を取った時、何に対しても後悔せず、笑って死ぬために。

明日の自分が、今日の自分より強くありますように。