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11月の日記

11月29日(月)

昼間は太陽が差し込む森も、夜中になると、
まるで襲ってきそうな巨大さがあるように思える。
通学路は自然に満ちているが、夜は獣が多い。


忙しくなったせいか、夜に帰路に就くことが多くなった。
そのうち本格的に仕事に就けば、毎日夜中まで頑張らねばならないのだろうかと
少し気は重くなるけれど、でもなったらなったで1ヶ月もすれば慣れてしまいそうな気がする。

とても忙しい時は、何のために自分が生きてるのか小さな疑問を感じる時がある。
別に自殺したいとかそういう意味でなくて、毎日が(ほどほどに)充実していると感じるときは
日々の生活に疑問など感じたりしないし、これからどうやればもっと頑張れるかという事ばかり
考えられるのだけれど、外から義務を与えられて忙しくなればなるほど
「あれ?なんでこんなことやってるんだ?」という思いが突然出てくる。
まあ、昔は逆だったけれど。


もっと自分の年が若い頃は、なぜ自分が生きてるのかという疑問が
常についてまわったけれど、自己満足な趣味を始めて、自分みたいな人間でも誰かに
喜んでもらえるということを知ってからは、あんまり疑問を感じなくなった。
人を少しでも幸せにするということは、今の趣味みたいに自己満足みたいな物じゃなくて、
もっと身を削って自己を押し殺し、それでいて人に尽くすことが本質なんじゃないかと思っていたから、
小さい頃は誰かを幸せにするなんてとても辛そうだと思っていた。
けれど、そんな苦痛でなくて、自分の好きな事、やりたい事でもそれなりに人の役に立てる事が
分かってからは、生への疑問を感じなくなった。

本当は、疑問というよりは恐怖だったのかもしれない。
自分は素のままじゃ誰の役にも立てないんじゃないか、
誰かの役に立つほどのそんな力なんて全然ないんじゃないか、
そんな心配が疑問を引き起こしていたのかもしれない。
そして今、その疑問をまた感じ始めている。

これから何をして食べていくのか、どんな事をして人の役に立つべきなのか、
もうそろそろ、それも考えなければいけない時期になった。
結局、どうやって生きていくべきなのかと悩み続けている。



ただ一つ言えるのは、自分の場合、自分を殺して人生の岐路をうまく選んで成功するよりは、
たとえ苦があろうと自分の満足する道を選んだ人の方が幸せのように見えるという事だ。
人生の岐路をうまく選んでお金を得て、地位を得て、最後の最後に
「自分は何やってきたんだろ」と思って死ぬよりも、
死ぬ間際になった自分が後悔しない生き方ができたならば
それが一番幸せな生き方じゃないかと自分は思う。
お金があったって、地位があったって、墓には持っていけない。
墓に持ってくのは、金より地位より「笑顔で死ねた自分」にしたい。

まあ、ちょっとくらい人に迷惑かけつつ、自分のやりたい道を
究めるのも悪くないのかもしれない。
人生の旅は、まだ長い。