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12月の日記

12月31日(水)年の終わり

12月31日、年の終わりになった。
今年の自分と去年の自分とを比べたら、どう変わったのだろう。
吹っ切れた事はたくさんあるだろう。悪い意味での変な思いこみや、
心の鎖になるような固定観念も、少しは断ち切れたのではないかと思う。
もちろん、これまで何度も起こした同じ過ちや、同じ精神状態を
繰り返す事もたくさんあった。いつまで経っても間違いや失敗はなくならない――
――そりゃまあ、減って欲しいとは思う。ただ、失敗や不幸が完全に
無くなって欲しいとは思わない。なくなってしまえば、自分を見つめ直す機会が
減ってしまうから。

自分を見つめ直す機会が減れば減るほど、自分が良くない方向へ進んでいたとしても
それに気付く可能性が低くなってくる。忙しい時はなおさら、そうなる可能性が高い。
だからいつも寝る前に考える。今日の自分には満足しただろうか、周りの正義に流されず
自分が正しいと思った事を貫いたか、我を貫きすぎずそれなりに社会にとけ込めただろうか、
自分の取った行動が誰かを悲しませてないだろうか、自分の取った行動はどれだけ
人のためになったのだろうか、そして、明日は何をしようか……または何ができるのか。


一年間で、色々あったような気がする。
それに一年分、色々なことを考えた。
趣味の事、将来の事、明日やるべき事、今日やるべき事、今やるべき事。
これからも時々自分を見直しつつ、そして新たな事に気付きつつ、
一歩一歩、どんなにゆっくりでも自分の信ずる道を貫く。
それだけは今まで通りだけれど、だが自分自身の方は
常に変わり、よりよくなる事を目指して精進したい。

今年は大変な事が多くあったけれど、楽しかったし思ったより長かった。
それにまた、自分自身が去年の今頃と比べてだいぶ変わったのも実感できる。
それは自分にとっては何物にも代え難い、嬉しい一年の報酬だ。
個人的には、もっと自分を厳しく見つめられるようになりたい。
もっとよりよくなる為に、そして、現状に甘えずにもっと前へと進むために。


来年の自分が、今年の自分より強くありますように。
そして、どうかよいお年を。

12月3日(水)

「今ここにある心の成長の目標をいくらか達成して、ある程度心が強くなったら、
 そこからは自分の心がどうなれば良いのか、自分の心がどうあるべきかの目標を見失うかもしれない」
一年前か二年前か、日記でそんな事を言った気がする。


迷わない心や、恐れない心。
「良い意味での子供らしさ」を備えた心、すなわち好奇心、素直さ、遊び心、その他色々。
自分の負の感情や性格に対して目を逸らさず、しっかり向き合う心。
本質を見抜く目、現実をハッキリと捉える事のできる心。
どんな辛い環境にも立ち向かえる、折れない心、屈しない心。
広大な視野、どんな時でも笑みを忘れない気持ち、度量の広い心。

目標とする心は多くある。
全てを達成したわけではない、というより「達成」する事など有り得ないが、
それでも上に述べた目標の心には少しずつ近付いていると思う。


これ以外にも、自分がまだ気付いてない目標がきっとあるはずなのに、
それが分からなくて、時々考える事がある。
自分の心の弱さや不注意さを突きつけられる事が減ったのも、その一因にあるかもしれない。
言い換えると、「もっと心が強くなりたい」と強く思えるような出来事が減っている。
そう思うのはたいてい、自分が失敗した時や、自分が負の心を抱いた時だ。
ブチ切れたり、妬んだり、自分の失敗を他人のせいにしたいと思ったり、
他人にどういう影響があるかも考えずに独りよがりな行動をしたり。
そういう時は自分を見直して、どこが悪かったのかを考える事ができる、いやむしろ勝手に考えたくなる。
そして、自分がどう思い、自分がどう考える事がそれらの改善になるのか、
そうしない為には自分がどういう心であるべきなのか、といった事を「考える事ができる」のだ。
自分だけではないとは思うが、どうも人間は失敗も何もしなければ
現状で問題なしと思う生き物らしく、失敗しない限り自分を本気で見つめ直す事は難しい。
だから、成長したいならたくさん失敗した方がいいのかもしれない。
だが失敗の原因を取り除いていけば、いつか必ず失敗は減ってしまう。
その上で本気で何かに失敗したらより成長できるのだろうが、
なかなか失敗のチャンスは訪れないのが辛い所だ。


でも、自分に特に非が見られない状態でも、考える事はある。
もしかしたら、自分の心の弱さや不注意さを突きつけられる事が減ったと「思っている」のは、
自分が他人の心に鈍感になってしまって独りよがりに気付いていないのかもしれないし、
単に自分の失敗から無意識に目をそらしているだけかもしれないし、
それとも、自分が以前より良くなって失敗が減っただけかもしれない。
または、実はこれらの内のどれでもなく、自分が致命的な見落としをしているのかもしれない。

「自分は正常で何の問題もない」と思っている時こそ、本当に正常か疑わなければいけない。
実際にたくさん失敗してきた中で、学んだ事の一つだ。
病んだ心で見る病んだ心身も「自分は正常で何の問題もない」風に見える事が多い。
……もっとも、今の自分では「病んだ心で病んだ心を見てないだろうか」という可能性を考えても、
実際にそれに気付く可能性はまだとてつもなく低い。
「最初からその可能性すら考えない」よりは遙かに気付く可能性は高いが、
そんでもやっぱり気付くのは難しいものだ。
本を読んだり、親しい人と話した方が、問題に気付ける可能性は高いかもしれない。


自分は今、自分について特に問題ないんじゃないかと半分思ってる。
上で述べたような強い心になれるよう心懸けて
日々を毎日全力で生きていれば、それでいいのではないかと思ってる。
毎日元気に義務を果たし、夢中でやりたい事に取り組み、競う相手もいて、
いつになくやる気が溢れているように感じられる。明確な目標もある。
今は特に、心に引っかかる物もない。

が、色々考えた末に自分に対して何か改善案が出ないと、かえって心配になる。
無理矢理にでも自分の悪い部分を何かひねり出したいぐらいだ。
ある意味で、それがすでに自分の中の「変な思いこみ」なのかもしれない。
何か考えたら、考えた分だけ結果が欲しい、そう思ってるのかもしれない。
だが一応、積極的に自分の弱さを知ろうとする姿勢は忘れちゃダメだ。
どんな時でも、「自分は今のままでいい」という状態に甘んじていてはいけない。
自分は出来る限り「どこか成長できる部分はないか?」と、改善点を貪欲に探す姿勢でいたい。
いつまでそうやってられるか分からないけど、出来る限りは、覚えている限りはそうやっていたい。


まあ、一ヶ月に一回は日記書かないとバグるし、たまにはこういう日があってもよいのだろう。
今はただ、夢中に頑張るだけだ。
ほっといても自分から頑張れる事がある、これほど嬉しい事はない。

「今はベストコンディションだ!」と、確信とまでは言わないが、
9割ぐらいの確率でそれが正しいと思える。
だから今は、目の前にあるやりたい事を頑張るのみ。


明日の自分が、今日の自分より強くありますように。

……と、いつもの言葉をいちいち言う必要もないぐらいやる気マンマンだ。
ホントは日記を書いてる暇すら惜しい気がする。
そういや、調子がいいときはこっちの日記を全然書いてないような気もする。
いつか言ったけど、この日記の最初の方なんて、世の中への不満や愚痴を
ぶちかましてばっかりだったからなぁ。
また逆に、何とかカラ元気でも出そうと頑張ってた文も多かった。
まったく若かったなあ、あの頃は……現実の方じゃ父親や友人と衝突しまくったりもしたけど、
おかげで人の内面や心の事を真剣に考えるきっかけにもなった。
人のマジな怒り同士が真っ向からぶつかった時の感覚なんて、そうそう味わえませんよホント。
楽しい人生だったなぁ、ああ……でも大人になるにつれてそういう事が
だんだん減っていく気がするのは少し残念だ。