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10月の日記

10月17日(金)考える事

疲れている時は、本当に何も感じない。
良い話、ひどい話、それらを耳にしても、「ただそういう情報がある」としか認識できない。
素晴らしい景色、とんでもなく気持ちの悪い物、それらを目にしても、
「目に映るだけ」で頭には入ってこない。

すでに、情報を情報として認識出来ない。
ただ冷たく、主観的に感じる事ができないのはもちろん、客観的に分析する事すらしない。
何もかもがどうでも良く見え、無感動になる。
冷め切った大人の気分は、こういう物だろうか。
少し前の年までは、自分はずっとそんな気持ちだ、と感じていたが
今から考えれば、それまで見てきた経験の中だけの、甘い考えだったようだと、感じる。

見る物に意味はなく、聞く物に意味はなく、感じる物全てから意味は消え失せ、
ただ何もないのと同じ世界が、広がる。

そんな時は、よく色んな事を考える。
「周りに何もなければ」視点は自然と己の内に移る。
そして、己に問う。
今の自分はこのままで良いのか、進むべき道はとりあえずこれでいいのか、
自分でも気付いてない悩みや思いこみはないか、もし今の状況がイヤならどうすればいいか、
自分には何ができるのか、自分は本当はどこまでできるのか、
今の自分の性格は自分で納得が行くものだろうか、自分は他の人間と比べたらどうなのか、
自分はどういう役割を持って生きるべきか、今自分の持ってる力はどういう使い道があるか、
これから身につけるべき力は何か、これから自分の目指すべき自分の在り方は何か、
自分にとっての納得が行く強い心とは何か、どうすればその目標に近づけるか、
何か面白い事は思いつかないだろうか、思いついたならそれをどう実現すればいいのか、
人々はどういう考えを持って生きているのか、どんな種類の人々がいるだろうか、
どうすれば自分は認められるだろうか、自分は何がしたいのだろうか、
自分の納得の行く生き方とは何だろうか。

最近は、自分の「内」より、「外」に情報を求めるようになったゆえか、
自分をかえりみる事が随分と少なくなった。
日記を書かなくなってきたのも、それが理由の一部となっていると思う。
もちろん、「外」に情報を求めるのは、それはそれで大切な事だ。
自分にとっては、己の外からの情報や経験などから得た感動を凝縮し、
それを作品にして誰かに伝えるのが、何かを創る事の真髄の一部だと思っているから、
「外からの情報」を得ない事には、どうにもならない。
「これから」の情報だけでなく、「今まで」生きてきた長い生活の中で得た情報も、
もちろんその一部に含まれる。

しかし、何かを創る時は徹底的に自分の内に自問自答し続けないと、なかなか作品は作れない。
創作は、見て聞いた事を凝縮し、感動を徹底的に固めた結晶にする作業だ、と、自分は思ってる。
だからその人が何を大事だと思っているか、どういう形で表す事が一番伝わるか、とか、
そういう部分がモロに出てくる。だからこそ、頑張り所だと思う。
単に思想的な問題でなく、ゲームなら数字の設定からダンジョンの形から何から何まで、
作者の性格が出るだろう。ある一部分だけがもの凄く光る物があれば、
その人はそこに重点を置いているか、または無意識的に素晴らしい出来にしてしまっているかの
どちらかだろうし、また、ある部分がテキトーに作ってあれば、
その作者は、その部分を大事だと思ってないのだろう……たぶん。




最近は、何も面白い物が無さそうなかたわら、目移りするような物事で溢れている。
たまには、目を閉ざし、耳を閉ざして、ゆっくり何かを考えてみるのも悪くないかもしれない。
……ネタがいまいち浮かばないってのも、意外とこれが原因かもしれない。
実は、考える時間が短ければ、ふと思い浮かぶネタの量も不思議と少なくなってしまっていて、
そこで、「あらかじめ考える」事で、面白い事に対するセンサーを強化している、
というのも、あるのかもしれない。
次の授業の内容を予習する事で、授業の前に「自分が理解できない部分」に気付き、
その後の授業で「分からない部分」だけに意識をより集中できるようになる、というように、
肝心な「欠けている部分」、つまり「発見や発想の可能性となりうる、よく見るべき部分」に
注目できるようになる、というのは、確かにありそうだ。
勉強みたいに、発見に「欠けている部分」がすぐ分かるというわけではないだろうけれど、
欠けている部分を発見できる確率は、少なからず上昇するだろう。

かつての栄光の科学者達も、ボロボロになるまで考えたあげくに、
たまたま休んでる時に、つまらないものから大発見のヒントを得た、という話は多い。
「閃く準備」ができてなければ、何を見ても閃かない、って事なのかもしれないなぁ……。
こうなったら瞑想でもやってみようか。
つまり、毎日必ず「何もしない時間」を作る、という意味で。
一日の中で、「何かをやってるようで何もやってない時間」は割と多いけど、
「ハナから何もしないつもりで、何もしない時間」は、本当に少ない。
過去には無意識的にその時間を取っていたけれど(単に、面白い物を制限されていただけとも言う)、
一人になってからはそのような時間が減ってしまった。
これからは、もう少し、考える時間も取ろうと思う。
もちろん、外の情報を得るのも大事だけれど、そっちは勝手にやってるので現状では放置。

いつか年を取って、「考える時間」と「外の情報を得る時間」の時間配分の比率が
またひっくり返ったら、その時は自発的に外の情報も得るように心懸けるようにしよう。
どんな事も、偏りすぎは良くない。とはいっても、実は偏らなきゃ見えない事もあるので、
「行動や精神の偏りの有無」に対しても、偏りすぎは良くない。何か矛盾してるけれど。
とりあえず、たまには偏っててもいいけれど、たまには偏りのない姿を。
そして、極限の怒り、極限の優しさ、極限の嫉妬、極限の憎しみ、
普通程度の落ち着き、緊張、焦り、等々も含め、多くの心を体験し、
子細に知る事ができるようになりたい。
多くの心を知れば、何かを表現する時にも便利だし、
様々な状況下で、己の精神の制御を利かせる事ができるだろう。

あと、この事を自分もよく覚えておこう。
自らを「落ち着かせる」事だけが、精神の制御じゃない。
何もない状態から、楽しい感情を引き出したり、悲しくさせたり、
怒った時のように、闘争本能むき出しで身体全体をいきり立たせたり、
そういうのも、精神の制御の一部だ。
ただ「落ち着かせる」より、けた外れに難しいけれど、創作には必要だと思った。



とりあえず、今の自分に「何もしない時間」を。一日10分でもいい。
「閃く準備」なんて、本当にできるのかどうかは分からないけれど、
何はともあれ、「考える」ことは「最近あまり考えない」自分にとっては、必要な事だ。

10月12日(日)

最近、己に覇気がないと思う……ので、過去の日記を読み返してみた。

日記を読み返した限り、半年から一年程度の長い周期で、
「覇気に溢れている」状態と「覇気がない状態」を繰り返してきたようだ。
覇気に溢れている時は、自信に満ち、何事も恐れず、楽しい事が多く思いつくが、
そうでない時は、自信も不安定で、ありのままに表現する事を恐れ、楽しい事がなかなか思いつかない。
日常生活では、たとえば何か言おうとした時、
つまらない事でも口に出てしまうようならば覇気がある、
つまらない事だと思って口に出さないならば覇気がない、と区別している。

メチャメチャ元気な時が一年の内で2,3ヶ月以上は確実にあるようだが、
あんまり元気がない時の方が、やはり長い。
学校通いの身体の疲れから精神的な疲れが起きているのか、それとも、
何もしなくても自動的にそういうリズムになっているのか。
現状は、どちらかというと覇気がない状態だ。


こういう時、結構な確率で、何か自分の心に引っかかっている物がある。
つまらない思いこみ、無意識下の制限(〜してはいけない)、現状では解決できない不安要素。
前の二つは、ゆっくり考えれば答えは出るが、最後の一つは文字通り現状ではどうしようもない。
「今、自分は学生だ。もし自分の力の不足で、社会人になっても何もできなかったらどうしよう」
といった思考の類は、実際にその状況にぶつからない限り、解決しないし、無くならない。
そういう事をスッパリ忘れられればいいのだが、それはなかなか難しい話だ。


自分は、社会に出た後どうなるかが、心に引っかかってどうにもならない。
全体的に働き口が減少気味らしく、まともな仕事にありつくのは大変だそうだ。
そりゃ数年前の企業のリストラの流行とかで、必要な人材だけ残して後は切っちゃってるのだから、
新しく人を増やすにしても、残った「必要な人材」より優秀でなければ、
企業としてはなかなか雇う意味がないのだろう。
人材の教育はお金かかるし、途中で辞められたら教育費がパァだ。
それでかつ別の会社に入られたら、教育費がまるまるその別の会社に取られた事になる。
企業としては、新人雇って人材教育〜、なんて、あまりやりたくないだろうなあ。
「よっぽど優秀になる見込みがある」とか、おいしそうな人じゃないと相手にされない予感。

さらには、情報関係(プログラムとか)の勉強は、
10年も経たない内に古くさくなってしまうゆえ、そっち方面の求人は使い捨てが多く、
かつ、新しく勉強するような時間もなかなか取れないそうで。
つまり「長く使える」使い捨てになるのも難しいとか。
今ガッコで勉強してるのはそっち方面なんだよなぁ……うーむ。

サービス残業(時間外労働なのにお給料無し)に関しては、
それがない会社を探す方が難しいそうです。まあこの辺は常識のようですな。
でも、最近は仕事のしすぎで逝ったとしても、闇に葬られてニュースにならないとか。

まあ、色々とありますが、一日9:00-24:00までの15時間労働で
土日無し残業代無し保険等込み月給25マソで、計算してみると
実は時給555円(\250000÷450時間)だったりとかしなければ何とかなるかな……。
どこかで働くとしても時給700円以上は欲しいなあ。
(※将来読む時の為に。2003年現在では、普通のパン一個分の価値が100円ぐらいです)
いや、これでも贅沢か……ってそもそもお金の問題じゃないな、まず生きるか死ぬかだ。
どうせ働く時間が多かったら、お金なんか使う暇ないだろうし。
ただ、趣味に使えそうな時間(と元気)がなくなる可能性は高い。

趣味で食うにしても、ギャンブル度がメチャメチャ高いので、
楽しそうなのは楽しそうだけど、人生というチップを賭けるのは痛い。
当たれば普通に働くより大穴だろうけど、当たらなきゃ完全に時間の損。
でも趣味はやりたい。どうにも揺らぐ心。
まあ一度きりの人生だし、好きにやればいいのだろう……。



ここまで自分で書いて、見て思ったけど、イマイチ前向きなパワーが足りない。
だが元気がない時の状態の日記だからといって自分にとって価値がないわけではない。
たまに自分が、元気があるのかないのか分からないほどに
ヤバい状態になった時に役に立ちます。


まあ、とりあえず今は将来不安でダークな気分です、と。
就職活動は3〜4年後の予定。その頃、時代はどうなってるかねぇ……。


あとテキトー気分が乗ってるので現状のメモ。
お酒が飲める年になったばかりですがビール50ccで二日酔い起こすほど弱いです。
しかも飲むと一週間は論理思考力がダウンします。
昨日まで楽々組めたようなレベルのプログラムが突然組めなくなります。
もはや酒弱いというかそういう次元を超えて全く飲めません。
それなのにさっきジュースと間違えてアルコール買って来たのを
知らずにガブ飲みしてしまったのでちょっとヤバいです。
明日この日記を見たらきっと後悔すると思います。
ごめんよ明日の自分、でも日記は書き換えたり消したりしないのがポリシー。
たとえそれが一時の感情でも、「自分」は『自分』。
怒る時もあれば、他人のことがムカついて攻撃的なことを書いたりもする。
所詮、自分は凡人であって、聖人ではない。
でも、時に聖人のフリもしたくなる。
そしてまた、万能で全知のフリもしたくなる。
だからこそ、自分が聖人でも万能でも全知でもない事を理解する為に、日記を残す。
実際、嫌な所を見せさえしなければ聖人に見えるかと言われればノーだし、
そしてまた、周りを見れば万能なワケじゃないとすぐ分かるし、
毎日が驚きに溢れているほど、自分は無知だ。


で、結局何が言いたいのか分からない。
これが酔ってるって事なのか……というかホントにこれ日記に残していいのだろうか。
開き直って載せられない分、思い切りや自信が足りないというか、何というか。