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■■9月9日(火)■失うこと■■ |
最近、「失う事に対する恐れ」を、無意識に持つようになってきた。
「失う事を防ごうとする」動きばかりして「前に進もうとしてない」事に、
いつも後になってから、気付く事が増えた。
それはまるで、偉い人が自分の地位を守ろうとするがごとく、
金持ちが自分の金を守ろうとするがごとく、
そしてまた、人気者が人気を守ろうとするがごとく。
その地位は、得ようとして得たものではないかもしれない、
最初から得ようとして得た金ではないかもしれない、
最初から欲しかった人気ではないのかもしれないが、
いざ持ってしまうと、どうしてもそれらを守りたくなってしまう。
別に、それらの行動は悪い事ではない。
無意識の内に安定を求めようとする、人間としての当たり前の姿だと思う。
けれども、それらを守る為の労力は並大抵ではない。
心労も積み重なるし、実際の体力も激しく消費するだろう。
地位も金も人気もない人は、身軽だ。なんせ、失う物がないから、失敗覚悟で色んな事ができる。
だから、有名になってから作品が面白くなくなったとか、
音楽が似たような物ばかりになってきたとか、
そういう事は、結構起こりうると思う。
だが、持っていても守ろうとさえ思わなければ、「身軽」だ。
いつか、地位や金や人気をその手にしたとしても、
それらをまるで軽く持てるか、または半ばそれらがどうでもいいと思えるような、大きな心が欲しい。
それを「とても大事な物だ!」と思って、必死に守るような真似はしたくない。
自分にとって本当に大事なのは、
勇気と、少しの無謀さと、失敗を恐れないで、どんな時でも常に挑戦し続けようと思う心だ。
だがそう思っていても、自分の知らない内に「失敗を恐れる心」が出来ていた。
例えば、「次に作ったシル見が面白くなかったらどうしよう」と思い、
どうすれば、「それまでと同じ事が出来るだろうか?」と考えていた。
考えている間は、それが当たり前だと思ってたけれど、いざ気付けば、
それは「すでにウケると分かっている事ばかりやって安心を得ようとしていただけ」だと、気付いた。
そこまでの道ではいつも「不安」と戦っていたはずだった。
なのに、途中から「不安と戦わずに済む」戦い方に、無意識に変わってしまった。
確かにその方が「楽」なのだろう。
動物の本能としても、わざわざ不安な方法を採るような生物はいない。
だから、自然と「不安にならずにやれる方法」を採るようになる。
そうなってしまうのは、「やる前」から分かっていたのに、
いつしかそれを忘れ、安定ばかり求めたがるようになっていった。
創作する人間にとっては「安定を求める心」は時に邪魔な物となってしまう。
常に新しい物を作り続けなければならないから、当たり外れはどんな時でも覚悟する必要がある。
自分から見れば、一種のギャンブラーだ。
外せば、費やした膨大な時間は無に帰すかもしれない。
当たれば、賞賛を受け、膨大な人気を得る事になるかもしれない。
賭けるのは「時間」と「労力」、どちらも価値あるチップである。
何かするなら、まず「失う事」を覚悟しなければいけない。
創作に限らず、どんな事でも同じだ。
何かを得ようとするなら、必ず何かを失うだろう。
いくら理性で分かっていたとしても、「恐れ」と戦うのは難しい。
その時は「恐れ」と戦っていても、知らない内に「恐れ」から逃げているという事がある。
そして、なんと自分はそれに気付かない、まだ戦っている「つもり」でいる。
そんな最悪のパターンを、何周期も繰り返し、その度に気付き直してきた。
これは自分にとっての考え方だが、
「恐れがない」と自分が少しでも思った時は、「不安と戦っていない」時、
つまり、「大きく失うものがない状態」だと判断した方がいいのかもしれない。
そういう時は、たいてい、気持ちが優れない時が多い。
大胆さに欠けるし、覇気が出ない。
そして、何か心に引っかかるのだが、何が引っかかっているのかが分からない。
自分にとっては、「大きく何かを失う覚悟」が出来ていれば出来ているほど、
「より大胆」に、「より自分の心の奥底に正直な選択」が出来る。
そしてそれは、自分のまだ短いヒヨッコな人生の中で知った経験の中で、
「自分が最も力の出せる状態」だ。
『力まず、焦らず、恐れをも受け容れた、自分自身としての完全に自然な心』
それが、目指す「強い心」の一つの形だと、今は思っている。
「何物(者)にも縛られていないのだ」と「感情」と「理性」の両方で感じる事すらできる。
解放感と安らぎを感じ、そしてまた、何者も傷つける必要がないのだ、と心から思える。
その状態になるたびに、生まれ変わったような感覚すら覚える。
まるで冗談みたいな、もはや電波と言っていいような話なのかもしれないが、
けれど、「全く何の無理もせずに作品が作れる」状態は、そんな時だ。
先入観が頭の中から消える、常識も何も関係なくなる、どんな物を見ても聞いても、
素直にそれを感じる事が出来る。どんな些細な事にも興味や関心を持てるようになる、
いつも通りの日常ですら、新鮮に見える。
自分から積極的に世界に触れ、感じる事が出来る。
極限の集中状態が一日中続いてるような変な感覚で、
一日の長さが、いつもの2倍、3倍にも感じられる。
ただ、こんな状態になる事は滅多にない。
しかしその状態になった後、「ああ、こんな世界もあるんだ」とは、思った。
ひどく内気で、自分の心を守るために人を傷つけていた自分から見ると
まるで冗談みたいだと思ったが、でもその時見た世界は、優しさと感動に溢れていた。
今も内気だし、自分を守る為に人を傷つけたくなる事は、たくさんある。
何かを人のせいにしたいと思った事も、たくさんある。
けれど、本当に大きな覚悟が出来ている人は、そんな事はしない。
そもそも、覚悟があればそうする必要がないから。
自分は「覚悟」が出来る人間になりたい。
「見たくない物」から目を背けるのも、逃げるのも嫌だ。
まだ臆病さがたくさんあるのは、分かってる。
だからこそ、勇気を持てるようになりたいし、
強い心が欲しいとも思ってる。
……まあ、ボチボチ頑張るか。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように。