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8月の日記

■ 8月28日(水) 特に ■

しばらく日記を書いていない。
特に、誰かに伝えるような事はない。
というより、己の考えを整理する場を必要としていない状態なのだろうか。

自分や、周りに不満がないワケではない。
不満はたくさんある。何でもっと頑張れないんだろうとか、
新しい事を始める勇気が何故こんなに無いのだろうとか、色々思ってる。
でも、どれも本当に少しずつだが、克服し始めている。

もっと新しい、自分でも驚くような欠点に気が付く必要があるのだろうか。
前は、自分のなるべき姿(なりたい姿)を提示し、
それに追いつくためにこの日記を利用する事もあったが、
今は、「なるべき姿」というのが、思いつかない。
強いて言えば、ただ今の自分をバージョンアップさせただけのものしか思い浮かばない。

人は変わらなきゃ成長しない。
変化の真っ直中にいる方が「ついでに何でも来い」という気になって、勇気も出るモンだ。
もちろん、そこには見切り違いもあるから、間違いも多い。
だが「一応これが正しい」という形に安定すると、そこで「変化」が消える。
変化している間は間違いをたくさん犯す。だからこそ、成長していると言える。
間違いを犯した数だけ、人間は賢くなるのだから。

昔の己をよくよく思い出してみれば、
自分には、「間違いを犯さない方法」が身に染みついてしまっている気がする。
そりゃ、他人にけなされないようにして、他人にツッコまれないようにして
何かをするのは、成長とも言える。昔は、それが出来なかったからだ。
今じゃ、自動的にそれが働く。
他人にけなされ、ツッコまれ、だからこそそれを避ける為に変化した、
そういう点では成長しているとも言える。
だが、成長に見せかけた足かせというモノも、ある。
インディーズ時代のアルバムの方がいいよ、と思われる歌手だって、結構いるだろう。
恐れ知らずだった時代が、一番強い。
ツッコまれようがないほど無名なら、何を言おうが叫び放題なのだから。
昔と同じだ。自分が戦うべきは、この恐れだ。
傷付く痛みを知らない時代は良かった。恐れを知らなかったとも言えるからだ。
痛みを知ってて、恐れを感じないようにするのはもっと難しい。
心に傷を受けるリスクを負う。目を逸らさないで、それを認め、理解し、
その上で、自分のやる事が成功(もしくは自分の伝えたいもの)だと
思うのなら、自分が痛む可能性を寛容して、実行する。

恐れを知って恐がりになったからと言って、昔より堕ちたのではない。
きっと、そういう成長の段階なのだ。
恐れを知らない状態から、恐れを知った状態へ、
そして、恐れを認め、それと戦える状態へと、成長する。


世間の現実を一つ知り、自分が情けなくなったのなら、
もう一つだけ壁をブチ破って、いい状態へ前進しろ。
そういうヤツはきっと、恐れを知った上で、強さを知っている。
心が傷付く事を恐れるな。

傷付く事を知らぬ時代に言った「恐れるな」という言葉とは、意味も、立場も違う。
これまで以上に「知らない間に身に染みついた恐怖」を知る努力をし、
そして、どんな負の感情でも許容できる、大きな強い心を持て。

以上、自分への教訓。
その内忘れて、また思い出すんだろう。でも、それでいい。

■ 8月6日(火) そこが行き止まりと思う無かれ、か ■

日記は、
伝える事がないのなら無理には書かない。
だが、そんな状況でも、「伝える事がない」ことに対する理由を考える事はできる。
なぜ「伝える事がない」のだろうと、考える事ができる。

「考える」ことは、意識すればどこまでも出来るハズなのだ。
誰も気にしないような事に興味を持ち、
誰も気にも留めないような「何か」に気づける力は、
その人独自に与えられた、強い力になる。

そこにあるのに誰も気付かないモノ、そこにあるのに誰も疑問に思わないモノ、
それに気づけた時、その人は、他の人と違う「目」が身に付いた事になる。
「誰も思いつかなかったような発想」は、そういう部分から出てくる。
もちろん、「誰も気付かなかった事」に気付くことなんて事は、
それまで「誰も気付いていなかった」わけだから、気付くのは非常に難しい。

たとえば、今あなたの目に映った全てのモノの名を呼んでみた時、
必ず気付かないモノがある。
それは「壁」かもしれない、「机の模様」かもしれないが、
とにかく、「そこに置いてあるもの」だけが目に映るもの全てではない。
「本」やら「パソコン」、細かく言ってみれば「モニター」やら「ケーブル」やら
「キーボード」やら「『ま(J)』のキー」やら、「スピーカーの穴」も「底のゴム」だってある。

思いっきり何かを細分化して見た時、それぞれに何かネタが思いつかないかと考えてみる。
例として、キーボードの「『ま(J)』のキー」が、別のキーに入れ替わっていたとしたらどうだろう。
ブラインドタッチのできる人にとっては、キーが入れ替わってようが関係ない(というか気付かない?)が、
パソコン(ワープロ)初心者にとっては、押しても別の文字が出て困るだけだ。
これは、殺人事件のトリックに使えないだろうか。
たとえば、滅多に押さなさそうなキー(『へ(^)』とか)を爆弾の起爆スイッチにしておくとか。
ブラインドタッチのできるような人間は大丈夫だが、初心者は文章によっては押してしまうかも知れない。
一番使う頻度の大きそうなa、i、u、e、oのキーがそれだったら、ほぼ確実に押してしまうだろう。
パソコンに仕掛けられた爆弾、一見無差別殺人のように見せかけて、実は特定の人(初心者)を狙っていた……と、
これだけで探偵モノのネタが1話分できあがりだ(即席で考えたのでショボい&既存かもしれんが)。


人を驚かせたい(または出し抜いたりしたい)と思ったら、
なるたけ誰も気付かないような事に気付かねばならない。
それは戦略でも、シナリオでも、単なるギャグでも何でも一緒だ。

自分は、色んな事に気付ける豊かなセンサーを備えたい。
だから、頑張らないとな。