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7月の日記

■ 7月27日(土) 誰でもできること、自分にしか出来ないこと ■

今自分がやっている事はあくまで趣味であり、義務ではない。
他人の期待に答えようと意識しすぎる必要もなければ、
いつでも全て投げ出して「やーめた」と言う事もできることを、
自分は常に、よく認識すべきだ。

『誰かに強制されてやっている』と少しでも感じた瞬間、
その人の自主的なやる気は、大きく削がれる。


何かの理由でやりたくない時は、やらなくても良い。
そのうち、自分は我慢できなくなってきて、勝手にゲームを作りたくなってくる。

己の意志に、自然に身を任せる。
自分は、本当にその作者の心から湧き出た、心のこもった質の良い物を作るためなら、
そうしたい。

真に合わせるべきは、「期限」でも「人の期待」でも無い。
「自分の意志」だ。
これまでもそうだったし、これからもそうだ。

できる事なら、常に自発的にやりたい状態に持っていくような、強い意志が欲しい。
どうも最近、己の気持ちに緊張感が足りない気がする。
明確な課題が与えられている「勉強」は、
課題すら自分で考える必要のある「創作」よりは簡単だが、
勉強に慣れてしまうと、どうも創作する気が湧かなくなる。
なんというか、「課題を考える」力が鈍るというか……そんな感じだろうか。

やはり、「ある事に反応して何かをする」事は簡単だ。
「問題解決能力」は個人差はあれ、割と誰でも持っている事だ。
だが「自分から動いて何かをする」事は、難しい。
「問題発見能力」や「想像力」が必要だ。
これも誰でも持ってるかもしれないが、これらのスキルが高い人はあまりいない。

難易度の高い事に立ち向かわなければ、人は成長しない。
勉強(問題解決能力)はできて当たり前。
その上で、創作(問題発見能力・想像力)も上手にこなせるようになりたい。
ゲーム作りにおいては、自分は、
「問題解決能力」は操作性、難易度、物語の矛盾を無くす、面白さの向上、など、
作者が違っても、割と調整が利く部分に影響していて、
「問題発見能力・想像力」は、物語を考えたり、新しいシステムを作ったり、
要は、その作者の個性が大きく出る部分、つまり「その作者にしかできない事」に影響してくると思っている。


何はともあれ、
誰でもできる事は、当然できなきゃいかん。
そしてまた、自分にしかできない事も、追求していきたい。
もっともっと、頑張らないとな……とにかく、まず気合い!WILL全開!(あ?)

■ 7月25日(木) どうでもいい話… ■

最近、ブロードバンドも発達してきたのか、ホームページの転送量の問題がちらほらと。
転送量が多すぎるのでホームページ落とすよーというプロバやホームページスペースもあるみたいで、
何かと帯域の無駄使いができない今日この頃。
ついでにCGIの負荷も馬鹿になりませんし……うーむ。

意外と、ゲーム載せてるサイトでは、人が増えてくると深刻な問題になります。
2MBのデータを1000人ダウンロードしたらそれだけで一日の転送量が2GB。
どんどん肥大化してって10MBなんかになっちまった日にゃあ、1000人のダウンロードで10GBですよ。
転送量的に言うと、ちょっとプロバに怒られそうな数字です。
なかなか難しい問題だ……ベクターはソフトにバグがあった場合、アップデートが遅くなりすぎるし。
うーむ……。

■ 7月13日(土) やべえ… ■

ホントにやらなきゃいかん事が多い時は日記も書けないモンですな…

■ 7月7日(日) レポート終わらねえ… ■

頑張る事に理由を付けるのはいいと思うけれど、
頑張らない事に理由を付けて何もしないのは、嫌いだ。

忙しくても、ゲームは作りたい。
まわりに勉強しろと言われたくはないから、勉強はする。
課題を片づけるのなら、それぐらいの理由で十分。
というより、元気がある時は理由なんぞなくても頑張れるモンだ。
どういう理由付けしても、頑張れないほど疲れてる時は、何やっても頑張れない傾向が強い。

毎日朝から晩までレポート作って学校行くだけの毎日は、正直言ってゲーム作るよりはつまらん。
誰かに感謝される方が気分がいいというのもあるし、それに何より自分はゲームが好きだから、だ。

これからも、きっとこんなのが続くのだろう。
つまらん「仕事」をしつつ、自由な時間が出来たら自分の好きな事もやる。
だが好きな事を無理に「仕事」にしなくてもいい。と最近思うようになってきた。
必死になってまでやってもいいけど、必死になってやってたら、
それはもう「好きな事」じゃなくなってる気がする。

気付けば、「夢」は、「好きな事」をする職業になる事、ではなくなっていた。
「『好きな事』をする職業になる」ことは、ただの「外見」に過ぎない。
誰かの役に立ちたいというのなら、消防士や警察官になってもいいだろう、
でも、紛争状態の所へ身一つでボランティアするのも、同じだ。
前者は、一定の規則やルールがある。後者は、割とルールもクソもない事もある、
ただ、自分の判断は大きく要求される。
だがどちらも、本質はただ「好きな事」をやる事。そんだけだ。
「好きな事」に対する意志が強いのなら、組織としてのルールもクソもない世界で模索して頑張ってもいい。
何より、組織としてのルールは、時にただの利益に走る事も多い。
一人じゃ組織並みの事は何もできないかもしれないが、
自分は一人で出来る分だけでも自由にやりたい。

人生で一発当てなくてもいい、有名にならなくてもいい、金持ちにならなくてもいい、
他人よりも優越を感じられるような立場にいられなくてもいい、
自己犠牲のような真似に酔う必要もない、何もいらないから、
人生の中の1割でも「好きな事」をやっていたい。

一生、「好きなことや夢」をただの「趣味」で終わらせても、それはそれで何も言うまい。
「趣味」という形が、金も何もからんでなくて、
ただそこには「作る側の意志」だけが輝いてて、一番綺麗だから。
物質的な代価を求めようとすると、人は腐って行く事が、多い。


こんな汚い世の中、一つくらいは綺麗なモノを心に抱えて歩んで行きたいモンです。

■ 7月5日(金) なんだか疲れた… ■

どうでもいい話だが。

少し疲れて意識が朦朧とした時、死ぬってどんな感じなんだろうと、思った。
疲れてる時は、よくそんな言葉が浮かぶ。

人は死ねば、意識のない体だけがそこに残る。
あらゆる感覚は途切れ、何も思わず、動かない。時間が経てば体も無に帰す。

だが、その感覚はもう、ある意味で「体験」しているのではないかと、
混濁した考えの中で、思った。
最初を振り返れば、そこにはもう己の存在すら無い。
自分の生まれる前は、体すら無い。感覚などもっての他だ。
存在しない筈のものがどこからともなく現れているのにも関わらず、
気が付けば、それがまるで自分にとって当たり前の事のように思ってる。
それがもう一度なくなろうが、結局は元の状態に戻っただけなのだ。

「輪廻」という言葉で誰かが言った、「死ぬ」とは最初に戻る事だと。
存在し得ない物がこの世に現れ、それがまた存在を消しても、「最初」と何ら状態は変わらない。
今なら、何となくこの言葉の意味がわかる。

この宇宙が発生してから、確か150億年程度は経ったのだろうか。
自分は60年生きるかどうかもわからない。
最初は何も無くて、きっと最後も何も無いのだろう。

疲れた……。

■ 7月3日(水) ■

本格的に疲労している時はもうダメです……何も考えられません……。

■ 7月3日(水) ■

己の心は、最初はただ、必死で「まわりの流れ」に逆らう事だけを覚えた。
今は、自分の行きたい所へ、流れに負けずに、真っ直ぐ進んで行く事を覚えた。

誰しも、最初は不器用なモンだ。
赤ん坊は何も知らない。教えてもいない事を、知ってるワケも無い。
今の自分もそうだ。
たとえ今まで知らなかったのが「偶然」でも、「全く見聞きしてない物事」を知ってるほど、
全知では、無い。
だが、それまでの経験から、「ちゃんと考えればわかる」事は、ある。

「わからない」ものに対して、自分で何も考えてなかった時がある。宿題の話だ。
それは、ちょっと考えれば、自分でもすぐわかる事だった。
ハナから「調べなきゃわからない」などと思っていた自分が、情けなかった。
また、最初から「考える事」を放棄していた自分が、恥だとも思った。

最近の課題は、自分の手だけでは手に負えないほどの難易度、
もしくは自分が全く知らない知識が要求される事があまりにも多かったから、
たまたま出された、経験した事もない課題を見て、
「調べないとわからない」のが「当然」のように思っていた。
てっきり、図書館で調べないとわからない事なのだと思いこんでいた。

だが、それに慣れてしまうと、不必要なほど「データ」や「人」に頼る癖が付く事が、わかった。
己の力だけでもどうにかなる問題まで、何かに頼ろうとしてしまう。

物事を見極める目が鈍ると、人は弱くなる。
自分は、心を強く持ちたい。

だから、
未知のものに対して、最初から理解できないなんて思いこむのは、絶対によせ。