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5月の日記

■ 5月29日(水) 気持ちが緩んでるな… ■

ただ愚痴を言っているだけの自分を見て、思った。
何かを愚痴ってみたところで、何が得られるわけでもない。
大切なのは、そこから何かを見出したり、何かを生み出す事だ。

自分がなぜそう思うのか、それを知る事でもいい。
なぜ愚痴る対象を、心落ち着けて認められないのか、
また、どうすればその対象を認め、受け容れる事ができるのか、
それを考える事でもいい。
何でもいい、自分の一挙一動や想い、それらには自分を知るための答えがある。

愚痴を言えば、誰かから同情は得られるかも知れない。
だが誰かから同情を得たところで、それはさしたる利益ではない。

どんな時でも前に向かっていく気持ちがあるなら、
どんなものでも、先に進む材料にしたい。
自分を知るというだけでも、それは成長という一つの形であるのだ。


無駄に自分の辛さを垂れ流しにするだけでは、人は成長しない。
ただ、誰かに甘えてるだけだ。


俺は、前に進みたい。
だから、どんな時でも、どんな物からでも、成長の糧を得ようとせよ。
人よりも意識して、貪欲に成長しようとせよ。

常に、自分に厳しくあれ。
そして、甘えるな。

■ 5月28日(火) 終わらん… ■

毎日それなりに時間費やしてるのに、締め切り二日前までに課題が終わらない時はちと焦る。
万が一別の宿題が出ても何とか間に合うように(かつ、爽快感満載でゲーム作りたいがゆえに)
急ぎ急ぎで課題を片づけてはいるのだが、なかなかどうにもならん課題っつーのもたまにあるモンである。

結局、明日提出の課題を今日中に終わらせて自由時間(定時に布団に入るまでの残り時間)を1時間ほどゲットしたのだが、
こういう時にメールの処理しようと思うと気分が沈みますな……。
徹夜してまでやらなきゃ終わらない課題が出てない分、まだマシですが……。



……なんかストレートに愚痴ってると頭悪いみたいだな。
普段ならもう少し頭使って前向きに考えそうなモンだが……最近ずっと疲れてるからな、しゃあねえか……。
何とか、もちっと時間稼いでゲーム作りたい……。

■ 5月27日(月) 音感ねえ ■

以前、音を聞く能力について云々考えていたのだが、
それから意識して音を聞くようになって、いくつか気付いた事がある。
これからも耳が成長する可能性も無きにしもあらずなので、ここで途中経過を一つ。
とりあえず音感、リズム感、ついでに、音質感(?)について。

意識して音を聞くのに慣れて来ると、音が高い、低いというのがだいぶわかるようになってきた。
救急車のドップラー効果みたいに、「非常に滑らか」な音の上がり下がりなら、
かなりの確率で気付ける事がわかったのだ。
要は、ド、ソ、ファ、レとか飛ばずに、
ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ……と音の高さがゆっくり長く増加してりゃ、
ほぼ確実に「音が高くなっている」と認識できるようになった……と、思う。
ゆっくりでも音程がわかるのなら、後はこれを素早く判別できるようになれば良いだけの話だ。

次に、リズム感はもともと備わっていたようで、
よく考えれば、アクションゲーム他で相当鍛えられてるような気がしないでもない。
(「一定のタイミングを見切る」のに必要なのがリズム感……だと自分は思ってる)
特に音楽だと、1、1/2、1/4、1/8、と非常にわかりやすく音の長さが分けられてるため、
意外と何とかなるかもしれないな……とか淡い期待を抱いてみたりする。

最後に音質感。楽器の違いによる音の差というか何というか……。
よくわからないが、そんなモンらしい。
どうもコレがまだまだ弱いような気がする。

普通は誰かに話しかけられた場合、顔を見るまでは誰なのかはわからない。
もちろん、状況によって話しかけてくる相手が限定されてるので、
絶対にわからないほどではない。
例えば、家の中で誰かに話しかけられた場合、それは父か母か妹だけだ。
声のでかさは「父>妹>母」なのでそれなりに認識が付くが、祖父母の家に行った時は
祖父と父、祖母と母と叔母、については、
口元を見てないと誰が話してるのかがよくわからなくなる。
(常に妹の声に気付けるのは、長年の付き合いゆえか?)

人の声を聞き分けるのが得意なら、音質の違いに強いらしいのだが、
はっきり言って、声だけから人物を特定するのは難しい。
電話をかけて、相手が「はい、XXです」と言っただけで相手の特定ができる人は
そう多くないとは思うのだが、ンなしょーもないデータ統計なんて全然ないので
自分がどのくらい音質の違いに気付けるのかは不明である。
男と女の声の差が付くのはほぼ確実だ。高さからして違うし。

あと、それに付随してか、二人以上の人が話してる場合、
片方だけに集中して聞くというのはどうもできない。
何か話をするとき、祖父はテレビをよく消す(テレビの音と声が混ざって聞き取りづらい)ので、
たぶん自分と似た性質の耳なのかな、とも思うのだが、
妹は割とテレビを付けながらでも平気で話す。
女性は、赤ん坊の泣き声を判別して、何を求めているのか知る事ができる確率が男性に比べ圧倒的に高い、
などという統計もあるので、人間の声や音の質に敏感かどうかに関しては、
女性の方が強いのかもしれない。


とりあえず、まずは音程を理解できるようになって、
肌(感覚)で楽譜を感じられる所から始めないと、音楽作りは辛いかのう……。
肝心のピアノ教室は、やっぱ今考えるとタイピングテストと何ら変わらんかった。
楽譜に書かれてる通りの一定の順番でボタン(鍵盤)押せばクリアーな授業だったし、
先生もキツかったから、「音を感じるヒマ」ってのが無かったんかもしれない……。
鍵盤押して「この音は?」って聞かれた時は、勘でしか答えた事がないしなぁ(しかも外れ90%)。
間違えたらどうしようと思いつつもどうにもならない、恐怖の瞬間だった。

子供に音楽教えるなら、逆からやらせた方が良さそうな気がする。
音(音楽)を聞かせてから、それを鍵盤で手探りで弾かせる、という方がいいのかも。
とりあえずその方針で行くと、自分の当初の目標は、楽譜なしで音楽を再現する「耳コピ」ですな。
「音質の違い」にも気付かなきゃいけないし、「音程」ももちろん大事。
一応、音楽作りに必要な全ての要素が必要とされるわけだし。
これさえ突破できれば、音楽自作も夢じゃないかも……。



あとついでに言っておくと、
どうも自分は音感という分野に関して、
強いコンプレックス(「他人よりも確実に劣っている」とか思いこんでいる)を抱いてる(もう過去形かもしれないが)ようだ。
前の日記を見る限り、自分は、他人が自分より耳がいいという前提で何か馬鹿な事を語っていたらしい。

が、コンプレックスってのは、ひとたび「これが普通かな」と思えば、
すぐに解消してしまうような気がする(少なくとも自分は)。
たまたま周りに、音感がずば抜けた人がいたのも、原因かもしれない。
小学校の時、音楽の授業で先生が鍵盤を弾いて「この音は?」と皆に問うた時、
自分が隣の子に「ドレミとか、絶対わかんないよなあ」とか、子供っぽく同意を求めた所、
A「え?ミでしょ?」B「ミだよなー」とか皆に散々言われて、
それが正解だった時のショックは今でも覚えてる。
今になって冷静に考えると、他の人はたぶん一人目の意見についていっただけだろうなあ、
と思えるのだが(もちろん、皆が皆ちゃんとわかっていたという可能性は捨てきれないが)、
それ以後十年以上も、音感に関しては何も問われなかったので、心の奥底に潜みすぎて
自分でも気付いていなかったらしい。

結局の所、コンプレックスが解消されるかどうかは、
「それがコンプレックスだ」と気付くかどうかにある、と思う。
まあ、こういうのはその人の世界観がよく出る分野だから、
「現実と多少ズレのある認識」ってのも悪くはないかもしれないが、
なるべくなら直しておきたいモンだ。


最後に一言。
「助けに来たぞ!」「この声は……!」などというセリフを言わせる作家は、
たぶん私よりは耳が良い可能性が高い。

■ 5月24日(金) 失う事を恐れない、か… ■

金も地位も、仲間も、家族すら失ったとしても、
それでも残る「何か」があれば、
人はあまり、せっぱ詰まらずに済む。
どんな時でも、逃げ道があると知っているから。

安心感の源は「周りの人」にあるのか、それとも「自分自身」にあるのか。
一人でいる時、誰かと一緒じゃないと不安な人は、安心感が「他人」の中にある。
誰かの手を借りないと不安な時も、安心感が「他人」の中にある。
自分一人でも割と何とかなる、と思え、
また、たった一人で危機に直面してもほとんど焦らず立ち向かえる人は、
安心感が「自分」の中にある人だ。

自分の中にある安心感の源は、「技術」だったり、「自分は誰かの役に立てる」と思う事だったり、
「自分は誰かに認められている、と認識している」事だったり、
「自分の選択は間違っていなかったと思える、過去の経験」だったりする。
(欲求のレベルが下がれば、安心感は「食料を確保できる」ことや、
「命の危険がない、安全な場所にいる」ことから生まれたりする)

要は、
「自分の意志で何かやって、それがたまたま成功した」→「自分の意志で動くのは間違っていない」
と、最低一度でも思った事があるかどうかだと、自分は思う。
まあ、普段は気が弱くて人の言いなりになってしまいがちな人の
パターンに限るけど……それ以外は知らんのでね。
一人で色んな性格の体験をしろ!ってのは無理があるし。
つっても、自分の意志で「何か」をやった場合、
大抵それは抑圧から逃れる為の「反抗」だったり(例えば家出)、
好奇心から起こった行動(幼児に多い、そこらのモン荒らすとか)だったりすることが多いため、
結局、「自分の意志で動くのはいけない事」という意識が自分の中で肥大化するのが、
オチだったりすることも多いが……。
出来る限り、そういうのは、生産的趣味に発散させたいモンである。
自分の場合も、抑圧から逃れる為の生産的趣味だったし。

んで、元の話に戻るが、今の自分から見てると、
「どこにも所属していない状態」で、「一人でそれなりの戦果を挙げられた人」は、
割と、何があっても安心できるんじゃないかな、などと思う。
組織に加入してないと自分の力が発揮しきれないわけでもないし(生きる程度の金は必要だが)、
仮にどっかに入ってて、止めさせられそうになっても、さほど重大には考えなさそうな気がする。

だが、おかげでというか何というか、そういう経験を一度してしまうと、
割と抑圧を嫌う傾向が出てくる(人の言うこと聞かないとか…)っぽいので、
これもまた一長一短だったりするのだろうが……。


……実は、以上の話は、今までも似たような事を何度も言ってる。
管理者が思い出したように再認識してるだけです。たぶん内容は前より発展。



追加:

とある著書と自分の経験から照らし合わせると、
前進志向のある人(ちょっとぐらいは俺にもあると思う……)は、
「自分がどれだけ前進してるのかを把握したい」がゆえか、
もしくは
「自己実現とやらを目指す人は自己実現の対象(作品)に『他人』という別の色が混ざるのを嫌う」ゆえか、
(つまり「どこまでも自分のスタイル・自分だけの表現を貫きたい!」って意味ですな)
どういう理由だかは知らないが、あまり人を求めない傾向があるらしい。
もちろん、それはゼロじゃないが、寂しくなったりする事は普通の人より非常に少ないという。
とりあえず「来る人は拒まず」程度の付き合いはするが、
しつこい人(もしくは構ってくる人が多い状況)は猛烈に嫌うようだ。

で、それ読んでて、
「ああ、じゃあ人が多すぎじゃー!」って言って俺が以前キレてたのは、
流れとして間違っちゃいないのかー、じゃあ俺って前進志向のある人間?

とか思いたがってる自分がいて、悲しかったりもするんですが……。
本に書いてあるからって、むやみに自分に当てはめるのは良くない傾向ですな。
でも、嬉しいと思うたびに自分の情けなさを呪う自分がこれまた虚しい……。

ちなみに、相手と付き合う事で自分に「有益」だと直感が判断したら、
積極的に仲良くするのだという。
「有益」ってのは、金だのコネだの操り人形だのじゃなくって、
相手の「自分が持ってない知識」だったり「自分以上の知恵」だったり、
「未知の考え方(笑)」及び、「相手が自分と波長の合う人間である事」だったりするらしいが。


まあ、そういうわけなんで、趣味一直線の志向がある人は、
人付き合いが悪いのは割と開き直った方がいいかと……。
「もともと人付き合いが悪い事を知ってて人と付き合う」のと、
「なぜかわからんけど人付き合いが悪い」のとだったら、前者の方が融通が利きますしなぁ。
「もともと人付き合いが苦手だから、時には意識して人付き合いする必要がある」
って理解してるワケですから。



ただ、そういう系の本の著者の心理学者がたいてい男だったのとか、
年齢的にかなり老けてたとか、色々と条件が偏ってるので、
男女差とか年齢差とかで、結果がどうなるかは現段階では不明。
ま、心理学ほど主観的な学問も無いしな……
「自分の主観が他人と同じである」という前提の元で理論を決定付けてるんだから。


とにかく、そんなこんなで一つ自分に納得付けられた一日でしたとさ。
もっと自分の思考アルゴリズムを解明して、より良くしていきたいモンだ……。

……それはそうと、心理学の本読んでて、
「あ、このオッサン俺と気が合うな(俺の事よくわかってるな)」
とかアホなこと思ったのは、きっと俺だけじゃないハズだ。
正式に心理学の本(理論)として認められるのは、そう思える本だけなんだろうなあ、やっぱ。
書く方も主観的なら見る方も主観的、そう考えると綱渡り的に
危うい学問だなあ……直感で理解できる所は、素晴らしいんだが。

■ 5月22日(水) 頭が痛い…風邪? ■

友に、
「おまえは、『当たり前すぎて誰も気付かないような事』に気付くヤツだな」
と言われた(実際はこんなに端的に言ったワケではないが、たぶんこんな意味だろう)。

そう言われてみれば、そんな気がしないワケでもない。
実際の所は統計も何も取ってないのでどうか知らないが、
少なくとも自分は「そうかもしれないな」と思った。
自分でも気付いてなかった特殊な力(と言うほどの事でもないか?)に気付くと、
途端に、自分が偉くなったような気がして、気分が良くなる。
まあ、何だか人間くさすぎて、情けない事なんだが。

んで、色々と考えてる内に気付いたが、「当たり前すぎて誰も気付かない事に」に
気付いていなかったのは、自分の方ではないかと、思った。
彼の言った「当たり前すぎて誰も気付かない事に気付ける」力に「気付いてない自分」は、
果たして、「当たり前すぎて誰も気付かない事に気付いている」と
言えるのかどうか、疑問になった。

結局は程度の問題だろうが、それでも、
「大多数の人が気付かない(もしくは単に「言わない」)事を言う」ことより、
「自分の能力に気付く」方が難しいとは、いかがなモンだろうか。



自分は他人と何が違うのか、どこが優れてて、どこが悪いのか、
特に、自分の得意分野、得意な見方というのは、よっぽど目立って優れていない限り、
言われるまで全く気付かない事が多い。

きっと、他人と比べた時に、初めて自分の力に気付く事が多いのではないか、と思う。
得意な事ってのは、無意識の内にやってしまう事が非常に多い。
ただ「文章を書く」だけで、仮にその文章が筆者が何も思ってない駄作だったとしても、
周りが本気で面白いと思ったのなら、それが得意な事だ。
狙って面白くしようとしてるわけでもないのにそれが面白くなったら、
「得意」以外の何と呼べようか。


でも、今の日本の人達は、他人のいい所を、見つけて教えてくれたりはしない。
親から、自分のいい所が何か、教えて貰った人がいないから、だろうか。

「おまえは勉強がとても得意だ」と言われて育った人間は多そうだ。
でもそんな人は、自分より勉強において上の人間がいる事に気付いて、絶望するだけだと思う。
その当人はきっと、「自分の得意な事は勉強しかない」と思いこんでるケースが多い。
唯一の、他人よりも一歩秀でてると思っていた優位な点を、
他人に軽々と(悪気もなく)踏みにじられた時の辛さは、分からないわけじゃない。
昔は俺も、そうだった。
勉強ができなければ、親に殺されると思いこんでたフシすらあった。
成績が悪かったためにオヤジに怒られた事も、今となっては懐かしい話だ。
昔は、「親から見ての自分の価値の尺度」は、主に「成績だけ」だったのだから。

こういう言い方をするのも何だが、
愛(友情含む)の与え方ってのは、親から学ぶものだ。
普通の人は、成績が良ければ他人を誉める。
仮に「お世辞」でも、それは交友を円滑にするために愛や友情を与える行為、
と言えるかもしれない。
それ以外で人を誉めない(誉める事ができない)のは、
人に、優れてる点を指摘された事がないからではなかろうか。

ついでに言うと、スポーツや音楽、絵の「技術」は誉められるが、
そこにある斬新性、独自性などは、学校や家庭では問われない事が非常に多い。
結局、そんなこんなで、斬新性や独自性を持つ必要がなくなり、
大人になるにつれ、消滅していくんじゃなかろうか……。

つっても、その才能を失った責任は社会制度や親の責任かもしれないが、
失ったものを取り戻そうとしないのは、本人の責任だ。
日本社会の責任でも、親の責任でもない。
それは、間違えないようにしたい。
何でも人のせいにする、すぐ人に頼ろうとする人間の所へは、
本当に幸運と思えるような出来事は、来ない。

なぜなら、そいつらは失った才能を、自分で取り戻そうとしないから。
「自分は努力する事ができない」と嘆くのなら、自分が努力できる何かを探せ。
待ってるだけじゃ何も幸せなんて来ないってのは、そういう事だ。

■ 5月21日(火) 形があれば ■

新しい(というか知識にないようなシステムの)ゲーム画面のレイアウトを考えたり、
画面に表示させておくべくステータスが何であるかを考える時は、
実際に、動かなくてもいいからゲーム画面を作ってみると、結構何かと感じが良い。

普通のゲームをいじっただけのようなゲームでなく、
根っこからだいぶ普通から逸脱したものを作りたい!という人は、
まず画面に表示させるべきステータスを考える必要がある。
普通のRPGだったら、HP、MP、キャラ名、ぐらいでいいかもしれない。
でも、例えばロボット物のゲームを考えてみよう。アクションでもRPGでもいい。
そんな時、場面場面ごとに、画面には何を表示させておけば良いのだろうか。

例えば買い物シーンなら、「残金」の表示は必須だ。
買う装備を選ぶ時は、今使ってるものとの性能差が表示されれば、プレイヤーにとってはよりわかりやすいだろう。

では、戦闘シーンはどうだろう。
ロボット物らしく、残弾数、残り装甲値(HPみたいなモン)は必須だろう、無いと厳しすぎる。
特殊弾の概念があるなら、今使ってる特殊弾を表示させる必要があるし、
ボタンごとに発射される武器が違うなら、それぞれのボタンに対応した武器が常に表示されてる方がわかりやすい。
ニンテンドー64版ゼルダの伝説では、Cボタンごとに対応した
特殊アイテムがすでに全部表示されているので、わかりやすかった。
では次は、残り装甲値などの他にも、バックパック(ロボの背中にある箱、回復アイテムとか入ってるワケね)に
入ってるアイテムも、戦闘中にずっと表示させておけばどうか?と思ってみたりもするかもしれないが、
実際やってみると、それは不要な情報だ。
戦闘中は、バックパックの中身が見えなくても、全然支障が無い。大抵、ヤバくなった時だけ見るのだから。

こういう、既存にもよくありそうな物なら、どのシーンで何のステータスを表示すべきかがすぐわかるのだが、
そうじゃないときは、ついうっかり、肝心なステータスの表示を忘れて作ってしまうケースも増えてくる。
「いちいち××を確認しなければいけないのが面倒だった」と言われたら、それだ。
普通のRPGでHPが見えず、キャラごとの詳細ステータス画面(戦闘中でも開ける)でしか
見られないとなると、キツイ事は明白だ。
いちいち戦闘中に各キャラのHPを確認して戦っていたのでは、ユーザーから苦情が出たって仕方ないだろう。
最初から最後までHPが見えない仕様だったら、これまた色々と変わるんだろうけど……。

というわけで、既存にない作品を創ろうと思ってるあなたは、一回ゲーム画面をお絵かきツールで描いてみて、
それを頭に入れて想像でゲームをプレイしてみる事を、オススメする。
何のステータス表示が足りなくて、どのステータス表示が不要なのかが、わかるかもしれない。
つっても、別に強制するワケじゃない。
はっきり言って、これがいい方法とは限らない。自分は、達人でも何でもないんだから。
それに、何せ俺もまだガキだ。もっといい方法を知ってる人だって、たくさんいるハズだしな。

イメージ力の強い人だったら、絵なんて描かなくてもンな事全部理解できるんだろうけどなあ、うーむ……。
っつーか、ステータス表示からして、1から考え直さなきゃいけないゲーム、誰か作ってみない?
それはきっと、斬新さの証にもなるだろう。
システムの説明にしくじったらクソゲー決定な、ギリギリのゲームになる事間違いなし、かもしれない。
もちろん、「ヒットポイント」をただ別の名前に置き換えただけとか、そういうのは却下だけどな……。

でも、「ステータス」という方向から斬新性を導くのも、ある意味で良いかも。
「攻撃を受けたら減る数字(HPとか)」「特殊攻撃したら減る数字(MPとか)」
が、ゲームの「ステータス」としてメジャーになりすぎてるから、
そういう部分を考えてみれば、意外と突飛な作品が作りやすいかもしれないな……。
その上で面白くするってのはまた、難しい話だけど。その辺は根性!

■ 5月20日(月) 批評、か ■

一昨日辺り、色んな所からツクールのゲームをかき集めて学校の課題の合間にちょくちょくとやりつつ、
ネタもないし、ちょっとレビューでも書こうかなと思い、ちょっと書いてみた。

……のだが、正直に書けば書くほど、恐ろしく主観的で、
かつ、自分が相手の立場より上になったかのような錯覚を感じてしまった。
どの作品も自分の現在の製作スキルと比べてしまうし、改善すれば面白くなりそうな点などなども、
どうも「自分テイスト」な面白さにしかならない。
もちろん、その作品の趣旨ぐらいは理解してるつもりだが、
(例えば真面目な内容のゲームを面白くするのに、ギャグを持ち込むような真似はしないとか)
その人の得意そうな「面白さの伸ばし方」ってのが、色々と頑張って考えてみても、なかなか掴めないのだ。
どんな作品でも、「その人なりの面白さ」ってのがどこかに見受けられるモンなのだが、
自分にはまだ、それを具体的に形にするほど認識する能力がないらしい。

単純な「操作性の改善」など、そういう単純な部分なら
いくらでも言える(っつーか言わなくても誰でもわかるか…)が、
作品を引き立たせる為のアドバイスができるほど、目は肥えていない。

結局の所、作品レビューなんて、自分勝手な意見を押しつけるだけにしかならないのだと、感じた。
それに、レビューする対象作品、及び作者が「自分と対等」でなければ、
こんなモン書いたって、普通は載せる気になれないモンである。
逆に言えば、「その作品」をレビューすれば、「その制作者」と対等の立場にあるような感じがしてしまうのだ。
傍目から見ても、本人から見ても。

ただ誉めるだけなら、その筆者は、作品の作者より立場が下のようであるかのように見える。
悪い所ばかり突けば、その筆者は、作品の作者より立場が上であるかのように感じる。
そして両方書けば、その筆者は、作品の作者と対等の立場にあるように見える。
たぶん、本人がその作品と同レベルの物を作れなかったとしても、そう見えるのかもしれない。

どう考えても俺より能力が上の人の作品だって、俺はレビューできるし、悪い所もいくつも挙げられる。
どこをどうすれば面白くなりそうか、も言えそうだが、
その言葉の半分は「面白そうな部分のブースト」、もう半分は結局の所「悪い部分の修正」だ。

その気になれば悪い部分なんていくらでも追求できるし、
その逆に、良い部分ばかり列挙しまくる事もできる。
だが、それが何か、異様なのだ。
作者が若かったら、レビューを手加減しろと言うのか、
作者が長年色んな作品を作ってるのなら、厳しくレビューするのか。
そういう評価の基準は、極端なほどレビュアーの主観に任されている。

はっきり言うと、評価の基準なんて、まったくと言って良いほど無いのだ。


どうも、レビューというモンに疑問を感じる今日この頃。
だいたい、「どこをどうすれば面白さが上がるか」というアドバイスが
できるのは同業者しかいないような気もするのだが、
肝心の同業者はレビューがどんなに無意味かを理解してるのか、
同じ土俵の人達に対してレビューする、なんて事は滅多にしないようだ……。
いや、そもそもレビューって「アドバイス」じゃないっぽいか……何か勘違いしてるな、自分。
まあ何にせよ、他人の作品に公的な場で(しかも自分のホームページで)ちょっかいかけるなんて、
あんまりやりたくないな……敵が増えるだけって感じもするし。
やられるのはむしろ、大歓迎なんだけどねえ……。


にしても、サイトが少々大きくなってくると、
たまにツクールのゲームで「これだ!」ってヤツがあっても、なかなか紹介しにくいんスよ……。
そういうの(紹介されるの)が気分悪いって人も中には居るし、
荒らしだの色々な人が流入して、いざ何か起こった時に、
紹介した側の責任になったりで色々とアレなんよなあ。

「自分の作品に対する他人の意見」ってのは、創作する一人間として恐れたくないけれど、
相手に迷惑かけるかどうかの瀬戸際だと、慎重にやらんといかん。
そして結局、面倒くさくなって忘れるワナ。
何だかんだ言って、そんなのが続きに続いて、
他人のゲーム紹介なんぞやったことすら無いんじゃないか、ここのサイト……。
まあなんつーか、別に勝手に紹介しちまってもいいんだろうけどなぁ。
人と人の繋がりってのは、多少の積極性から生まれるモンだし。

ま、その気になったら、ツクールで良かったゲームでも紹介するか……。

■ 5月18日(土) 己の精神の弱さ ■

シルフェイド見聞録を公開した時、今と比べれば全然人が来なかったのだが、
ある有名サイト(しかもゲーム紹介サイトじゃない)でちらりと取り上げられた瞬間から、突然人が増えた。
もっとも、取り上げらたのは今年の1月や2月と言ったすぐ最近の話なのだが、
それまでは、どこのホームページでも、
シル見が紹介(これオススメー、とか)されたりする事はあまりなかった。
その後、爆発的に(それまでの5倍くらい)紹介されるようになってしまった……らしい。


たまたま広まった結果、一定確率の人(ホームページ管理人)にウケて、
その人のホームページで紹介される確率が上がったとも考えられたが、
その結果、言い方が悪いが、またそのホームページを見ていた人が
その紹介につられて他に伝播していったと考えると、
すでに有名なホームページ管理者の目に留まるってのは、
名前が売れるためにはやっぱ必要なのかなぁ、と思った。
もちろん、自分は名前を売る為だけに頑張っているワケではないのだが、
結局は「他の人の力がそこにある」ことが、名前を売るのに非常に大きな影響を与えるという事が、
何だかどーも複雑な心境なワケでして。
やっぱネットの世界でも、口添えあっての名声ってヤツなんでしょうかね……。

そら、自力で頑張った結果がそれだったらいいじゃん、と言われるかもしれませんが、
何の面識もない人にちらりと紹介されただけで、いきなり
こっちのサイトのヒット数がドカーンと上がったとか言われたら、
なーんか屈辱にも似た感情を抱いてしまうワケでして!
といっても、上には上がいるってのは、常に仕方が無い事なんですが……。


ただ、話はズレますが、少しでも「屈辱を感じた」という時点で、
「ヒット数」という事に多少とらわれてる自分がいる事にも気付いて、なんだか悲しくなるのですな。
まあ自分は完璧人間じゃないんで、これはこれで普通の事なんですが、
時々どうしようもなく出てくる「怠惰」やら
「しょーもない欲・観念」(カウンタの数字がでかい方が良いサイトだーと心の底で思ってるとか)
を感じると、ビミョーに罪悪感が出て来てしまうワケで……。

とりあえず、どこまでも前進思考の人は、
一般人が気にしてるような小さい事なんて全然気にしてないようなので、
いつかそんなでかい人間になってみたいモンです。


……で、結局何が言いたかったんだっけ?
結論は特になし……か?
まー、たまには垂れ流しもいいか……。




にしても、ふと自分で見てて思ったけど、
読者を意識しすぎてるのが気に喰わんな、この日記。
でも、言いたいこと言いすぎると、いつ叩かれるかわからんからなぁ……。
多少はアイドル的な意識(というのか?)をせんと、自分がイタい目に遭うのですよ。
毎日ホームページに人が一杯来るってのは、結構な重圧です。
ちょっとでもボロ見せようモンなら晒し上げですし。
結局、言いたい事も抑えてテキトーな話ばっかり載せておけば満足するだろうなどという
単純な魂胆で日記書いてるような気も、しないワケじゃないのです。
それが正確な自分の意志かどうかはあやふやですが。

でもたまには本音書かないと俺がキレる!!
何のためのホームページだコラァ!!
俺は来てるヤツを満足させたいからホームページやってるんじゃない!
俺がゲーム作ってるからついでにホームページ作ってんだよー!!
って感じで、たまに鬱憤が溜まっとる事もあるのです……。
ゲームの方も、下ネタがダメとか言われていろいろと抑圧が……。
って、いかんな、もう少し自由な心を持たないと。人に流されてどうするよ。

あんまり多くの目を意識しすぎると、
どっかの大企業(つっても一杯あるけど)みたいに、
新しい事をする勇気が無くなっちまうんだよな……。
「悪い意見が来ようが何だろうが、自分の表現したいままにやってみろ」
が、クリエイターには一番必要な精神だと自分は思ってる。
でも実は「批判覚悟で何かする」って時点で、すでに心は自由じゃない。
変な観念や思いこみが、深層心理かどっかに隠れてて、自分でも知らないうちに保守的になっている。
一番いいのは、「批判は意見としては一応考えてはおくけど、特に気にならない」なワケで。
こっちは特に気にならないどころか、かなり気にしてます。まだまだ精神レベル低いです。

やっぱ、もっとでかい人間にならんと、本当に作りたい作品創りも何もできんなぁ、自分。
何というか、今の「自分」という土台がヘボすぎるような気もしてきた。
もっともっと、頑張らんとな。
「作品を創る前に、自分という人間を作る」って感じで。


明日の自分が、今日の俺より強くありますように。

■ 5月15日(水) ストーリー予想 ■

友人からKANONなるゲームの話を聞く。

1.主人公が懐かしの故郷へと帰ってくる所から物語がスタート。
  陸上部の部長をしているヒロイン(幼なじみ)と会う。

 ※陸上部の部長と聞いたのでベリーショートカットでボーイッシュな女の子を想像。
  だがその情報だけではストーリーが想像できない……。
  下の不良少女更生物語パターンが流用されるなら、実は隠れてドーピングやってたとかで(略)
  にしても、「久々に会った幼なじみは、以前とはうって変わってヤマンバギャルになってました」
  などというインパクツは無いんだね……まあ、現実ってそんなモンやねんけどな、うん。


2.他にも色々ヒロインがいて、万引き常習犯(!?)の女の子とか
  刃物振り回してる女の子とかいる……らしい。

 ※万引き常習犯のヒロインが警察に捕まってる所に、
  彼女の家庭事情を知ってる(以前に見聞きした)主人公が登場して、
  「その子だって、悪気があってやったワケじゃないんだ!
   この子がどんなに辛い生活をしてるのか、知ってるのか!?」 
  とか言って事情を語り、警官の同情を誘うとか、そんなストーリー展開だろうか。
  結局、主人公の居候させてもらってる家で養う事になるらしいし……。
  刃物ッコの方はどうでしょう。想像しづらいな。
  まさか、ドスッと刺された所から恋が始まるとか!?
  主人公が体を張った(ナイフが腹にささったままの)必至の説得によって、更生させるとか。
  「怖がらなくていい……俺は、君が何を言いたいのか、わかってあげたい…つもり……ゴハッ!(吐血)」
  などと言うんでしょうか。格好いいよ主人公くん……でも死ぬなよ。


3.あとついでに、主人公と同年代にも関わらず学校(高校だっけ)にも行ってないヒロイン二人、
  獣憑き(?)のヒロインと、病人にも関わらず外を出歩いているヒロインがいるらしい。

 ※獣憑きって……実は二重人格症状だったとか?
  むーん、話の想像が付かん……。
  病人の方は、実は仮病で、長期欠席(登校拒否?)して学校サボってるんだけど、
  それを見とがめた主人公が勉強教えてあげて、最終的に同じ大学に入るとか
  高校に復帰したりしてハッピーエンド、とか……。

……。

きっと想像を絶するような、主に「更生」をテーマにしたストーリーがあるに違いない。


とか言ってみたものの、KANONというゲームについては、
以前しょっちゅうファミ通なんかでも紹介されてたので
どんなキャラがいるか、などは知ってるのですが、話は全く知らないので一人予想してみました。
実のところ、KANONという題名を聞かずに途中から話を聞き始めてたモンで、絵と全く合わない、
上のようなダーティーでドロドロした予想(ごく一部ネタ含む)をしとったんですが……。


にしても、自分で見てみてもセオリー通りのストーリー予想ですなあ。
ある「限定された状況」から導き出せて、かつ「説得力のある話」というと、
どうも型が決まってしまう気もする。
斬新なストーリーを作るには、不自然になりがちな「奇抜な(無茶な?)流れ・展開」よりは、
やはり「自然な流れ」で「奇抜な状況」を作るのが最優先事項かもしれない……。

つっても、
「『奇抜な状況』を作り出すための『自然な展開』」
ってを作るのは、非常に難しいんだけどな……。
シル見の「教頭に(変な意味で)追われる主人公」なんて、奇抜な状況ではあるけれど、
それまでのストーリーの経緯において、けっこう不自然な展開も見え隠れしてるし。
(ギャグ物だから、って事で、見る側にとっても多少は甘い部分があるのだろうが)


一番凄いのは、「自然な展開」と「わずかなヒネリ」だけで、
誰も見たことのない、とんでもなく奇抜なストーリーを生み出す事!
話の軌道変更(ヒネリ)を激しくしすぎると、見る側は付いていけなくなる(展開が不自然に見える)し、
軌道変更を全く行わなければ、あまりにも予想通りで面白くない。
いかにわずかな軌道変更だけで凄い方向へ持っていくか!
非常に無駄のないストーリーの軌道変更!
これこそベテランの手腕が問われる部分ってヤツなんだろうなぁ、きっと。

ま、自分も、そこまで目指して頑張りたいモンだ。

ちなみに、ストーリー予想ってのは、外れた時に自分のネタにできるから便利です。
面白そうな映画の宣伝なんかを見かけたら、ストーリーを想像して書き出してみるのも良いかも?

■ 5月12日(日) お? ■

ゆでキャベツをいっぱい噛んだ時の風味が、何となくブドウに似ているような気がしました。
甘みは無いですが、口に残る後味と、苦さの質が、非常に類似したもののような気がします。


それはそうと、
今日は休みだったので、久々にネットを散策していたのですが、
気が付けばそろそろFF11の発売日なんですなあ、驚き。
とはいっても、FFシリーズはだいぶ前からやってないんでプレイする気はないんですが……。


オンラインゲーは、根気のある人は、プレイするのが非常に危険な予感がします。
それこそゲーム中で目立てるぐらいのレベルになろう、なんて思った日にゃあ、
毎日の時間の大半をゲームに費やしてしまう可能性だってあるわけで……。
しかも対人だと、ゲームのパターンが一通りで終わるワケじゃないので、
ハマるとかなりヤバイです。他の人と話すのも(のが?)面白いし。
ラグナロクオンラインも、結構色々やっとったんですが……
というか、これやってる間、一時期ゲームに合わせて生活し始めてるのに気がついて、
「うわ、こりゃヤバい」と思って速攻オンラインゲー離れしようと努力した覚えがありまして……。
ほとんど、「レベル上げてステータス上げるだけのゲーム」と言っても過言じゃないのに
それでもハマれるって、ある意味で凄いと思います。
それこそ、もの凄く単純なRPGにオンライン要素を含めただけ、ってのが
ラグナロクオンラインであると考えた場合(グラフィックの良さも要因の一つではあるでしょうけれど)、
「オンラインで他人と同時にプレイする」というだけの要素に、
どれほどの魅力が詰まってるかという意味も、少しはわかりそうなモンです。

果たしてFF11が社会にどのような影響を及ぼすのか、が非常に気になる所。
……なんですが、それ以前に「HDD(BBユニット)の注文したのに来ねえー!!!」とか
「HDDって何?FF11するのに要るの?」「要ります、しかも通販のみです」とかの情報が氾濫してる現在、
開始(発売)時にどのような騒ぎが起こるかがもっと気になる……。
発売日はおもちゃ売り場が大騒ぎになってるかなー、
なんか野次馬根性がメラメラと燃え上がりそうです。
初日からスクウェアに問い合わせ殺到の可能性も大。


にしても、ヤケにややこしい方式採りますな……ゲームするのに通販が必須って、すんげー面倒だぞ。
FF11だけ買って喜んでる人が、帰って遊べない事に気付いてガックリ来る人もいっぱいいそうだ……。
何より発売日に買えなくてどんよりしてる人が何人出てくる事か……。
……新聞でも二面記事くらい飾りそうな予感。

■ 5月12日(日) 理系に、文系、ね ■

日本では、人間を分類する時、「理系」と「文系」の二通りで分ける人が多い。
一般的な定義では、
理系人間は、論理思考に優れており、研究に向いてて、図形の仕事が得意。
文系人間は、芸術性に優れ、感性面や文章(?)の仕事を得意とする。
という感じらしい。といっても、文献でチラッと見た程度の見聞なので、正確な事は知らない。

自分は、どっちかというと理系人間という方に分類されるそうだ。
物を考える時、直感的に考える事が少ないからだろうか。
一応、理屈を付けて何かを考えたり、何かを分析するのは、好きらしい。

だが決して芸術性や直感性、文章力がないワケでもない……と思う。
もちろん、あくまで「かもしれない」の領域だ。
堂々とそう言えるだけの自信があるわけではないし、少しは謙遜も混じってるだろう。
でも、自分は少しながらも人の心を動かす作品を作れるんじゃないか、とも、少しだけ思ってる。
「文系人間」に分類される人よりも圧倒的に「直感力」が少なくても、
直感の「当たり」を分析して、何とか追いつくぐらい、もしくは、
同じくらいのレベルまで直感に訴える力のある「作品」を創る事が、できるような気がしている。

「文系人間」と呼ばれる人達なら、少しの分析能力を駆使するだけで、
名のある作品を残す事も、不可能ではないのだろうか。
正直、それだけ直感に訴えられるほどの力なら、今の自分から見れば羨ましい。

だがぶっちゃけた話、「文系」も「理系」も、どっちの能力も無ければ
なかなか辛いような気もする。
「科学」にとっては、「直感」は発明の母でもある。
理論的に考えるだけで、エレベーターから相対性理論が導き出せようか。
「文学」や「芸術」にも、似たような事が言えるのかもしれない。
もっとも、「芸術」は、理屈だてて理解するようなものではないのかもしれないが……。

日本人は、どうも文系は文系、理系は理系と、真っ二つに分かれあって、
互いに干渉しないようにしているフシがあるんじゃないかと思う時がある。


俺は今学校で勉強してる事も、得意科目も理系だが、文系かもしれない。
人間心理について理解を深めるのも好きだし、絵を描くのも好きだ。
音楽を聴くのも、もちろん好きだ。
でも、科学の進歩にも興味がある。
またそれがどういう原理で動いているのかにも、興味がある。

器用貧乏と、人は言うかもしれない。
でも、今の状態で、人より一歩前進した場所にいるような、わずかにそんな自覚がある。
まあ、これも慢心かもしれない。傍目はともかく、自分だけはそう思ってるらしい。

それでも、
人間をたった二種類に分類する事は、色々と不都合が生じるんじゃないだろーか……。
などと思う、今日この頃。
仮に法で改善はされなくても、せめて心には留めておきたい。
「理系だから、文系の仕事をしてはいけない」というルールはない。
また、その逆も同じく。
面白い小説が書ける科学者なんてのも、格好いいじゃないか。


ま、こんな理系だの文系だのって事、ちっと物事が分かってる人なら
当たり前の話なんだろうけどな……。
ただ、やたらうるさく理系だの文系だのがどーのって言ってる人がいるから、
自分の考えを整理しただけだ。



……にしても、こうやって見てると最近、自分の知らない事は
ちゃんと「知らない事」として置いて考えるようになってるな……。
「他人の考え」だの、「欠損してる知識」だの。または「自分の感情の動機・完全な動かし方」とかかな。
何でも理解しようとすると過剰なストレスでオーバーヒートするから、
仕方なしにそう考えるようになってるらしいが……これが「無知の知」ってヤツか?
少しは成長してんのかな……。

■ 5月8日(水) 戦闘を作ってみて ■

新システムを導入したRPGやアクションゲームなどを作る際、
作者も楽しめるような戦闘バランス(難易度)にすると、
往々にして、非常に高難度になる事が多い。

システムを一番理解し、一番慣れてる制作者ゆえに起こる事態なのだが、
意外と、気づける人は少ない。


と思って、シル見は制作者にとって緊張感のカケラもないよーな
戦闘バランスにしてしまったがゆえに、戦闘がやさしい、という意見が目立った。
バランスの良い難易度ってのはムズかしい、ということを実感。
まだ普通の戦闘システムならバランス取る自信があるんだが……。

一番思ったのは、プレイヤーの人は思っていたよりシステムへの順応が早かったなぁという事。
WILLのポイントをどのくらい配分すれば良いか、など、そういう事へのカンはなかなか鋭いらしい。

一応、「誘導」する部分も、無かったワケではない。
製作初期では、斬りコマンドでも突きコマンドでも、WILLを使いたい放題だったのだが、
それだと配分が難しすぎるという事で、今の形になっている。
1ターン目で全WILLで攻撃!倒しきれない!反撃受ける!WILLない、防御不能、即死!という、
かなりヤバいケースが異様に多かったからだ。
今は、突きでWILL全力7ポイント使っても、少しは防御に使える分が残ってるので、
無茶しない限りは即死しない……ハズ。
また全体的に見ると、攻撃時はWILL全開にした方が有利、という傾向があるのも、
多少の「誘導」の一つになってると思う。セオリーがない戦いは、毎回対応に苦しむので、辛い。

ゲームを作るに至っては、「自由度の深さ」というのも、色々と考える必要があると思う。
自由度が無さ過ぎると面白くない、かといって、自由度がありすぎると、
何をどうすればいいのかがわからない。
その辺も、色々と微妙なモンだ……。

■ 5月4日(土) シルフェイド見聞録 シークエンス4公開 ■

ギャグ物ってのは、一年も経てば人気が無くなるかと思ってたんですが、
どうもそうじゃないみたいです。
というより、半年間ほったらかしにされてる作品が
まだ続いてると思ってらっしゃる方々がいるという事自体が
なんつーかなぁ……という気も。
いや、確かに嬉しい気もするのですが、何か複雑。

戦闘システム組むのに二ヶ月半もかかった割にはイマイチ派手さがなくて地味ですが、
「かつての過去のゲームに、防御まで手動でやらせるゲームは無かった……ハズだ!?(疑問系)」
ぐらいには自信あります(でも微妙)。
前にも言ったような気もしますが、表現したかったことは、

・2対1で戦闘したら、まず確実に1人の方が負ける。
 (トーテムによる強化が無かったら、たぶん不良二人組に速攻やられてます)
・防御を捨てた、「捨て身の一撃」が放てる。
・防御行動を取らないと一瞬で死ぬ(教頭戦など、防御しなかったら即死です)。
・どんなに強い相手でも、ライフの数字自体はあまり差がない。
 (トーテム無しの人間としてのMAXライフはたったの150です、主人公の初期値が100)
・戦闘に「賢さ(ゲーム中では知力)」の概念を盛り込みたい。
 (知力が高いと、長期戦になった場合、命中、回避にボーナスが発生します)
・魔法は無しの方針で。
 (強いて言うなら、並の人間には使用不可能な「アナライズ」や「見切り」が魔法です、これらはトーテム専用技)
・戦闘向きの動物じゃなくても、トーテム能力者はバリ強し。

などです。特に前の4つ辺りは、既存のゲームではあまり無かった様な気もするので、
「攻撃防御ポイント配分システム」を思いついた時は「これだー!!」と思いました。
偉そうに言うのも何ですが、単純かつ
プレイヤーの意志を反映しやすいシステムのような気がしてウッハウハだったのです。
欠点としては、敵と味方の数が増えた場合、いちいちWILLの入力が面倒になるという事ですが、
実はそこまで使えるようにすると、推奨環境が1Ghzとかになりかねないので、
今作では、最大で1vs2までしかできないようにしてあります。そんでも500は必須かも?
本気でやろうと思ったらプログラム組まないとキツイか……。

で、今回の問題は、戦闘の方に時間かけすぎて、肝心の本編の方が微妙に薄いという事です。
すでに大量に指摘されてます。ギャグがうすーい、と。
どうせ実験作なので、ギャグばっか同じ事やってるのも芸がないと思っておったんですが、
やっぱ何だかんだ言っても、ギャグ必須なんですなぁ、うーむ。
自分ではギャグ作品のつもりはあんまり無いのに、なぜか
「ギャグ無くしてなぜギャグゲーと呼べようか!!」
という意見まで出る始末。ちょっと聞け、みんな!
俺は今までシルフェイド見聞録がギャグゲーなんて一言も言ってないんだぞ!!
いや、一言ぐらいは言ったかもしれんが……とにかく公式にはそういう見解は無い!
んで、その辺よろしくお願いいたします。

……にしても宿題多い。大学に入ってもGWは勉強する日ですか。
たまにはゆっくりしたいモンだが……まあ、一般的な忙しい生活もまた良し。
忙しいとは別の話だが、「普通」を理解してこそ、親しみやすい作品が生み出せるような気もする。
普段から変な生活してる人は「普通」とのギャップを計れなくなるんだよなあ。
ギャグを作るなら、まず普通の生活をして、普通の人の考え方を学ぶ。これに尽きる。
……あくまで俺の場合ですが。

■ 5月1日(水) ……ニヤ ■

たまたま久しぶりにデジタルファミ通のホームページ行ったら、
コンテストパークが5月20日分で締め切り&ジ・エンドですとー!?
あと19日しか無いじゃん!どうすんだよ俺!!

……というか一瞬焦ったものの、実際の所、どうもしません。
新作は新作で、焦らず作ります。19日で作れるほどラクそうじゃありませんし、
何より送る先が無くなっても、作りたいモンは作りたいんだからどうにもこうにも……。
完成した頃に公式評価を得たいと思っているなら、エビコンに送れば良し!
まあ、載るかどうかは微妙だけどな!!コンパクより圧倒的に難度高いよアレ!
しかもトップ目指そうと思ったら、感性に訴えるのも必要だけど何より斬新さが必須!
完成度が高いだけでもダメ、面白いだけでもダメ。恐らく斬新さを筆頭に全ての要素が必要です。
特にギャグ物なんて、ゲームについて恐ろしく経験し尽くした審査員の目には効かぬ!!という可能性大。

ある意味で目的がより崇高になった分、心に燃えるモノがあるのですが、
コンパク→エビコンとステップアップしていこうかと思っていた矢先、
ちょっとコンパク休止はショックですなあ。
でもその分、なんだか気が楽になって良いんですが……。
「まさか届くまい」と思ってる領域に挑戦する方が、
「何とか届きそうなトコに挑戦する」よりもずっと気が楽なんですな、自分の場合。
「もし届かなかったら(つまり賞を取れなかったら)どうしよう」じゃなくて、
「ダメもとでやってみるかー!」になるからでしょうかねえ。
こうやって見てると、後者の方がパーっと弾けてていい感じです。
全力出すにしても、こっちの方がやりやすいですし。

まあ気が楽になったところで……昨日間違えて消した宿題をやろうかな、フハハ……。