過去の日記  2000年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
         2001年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
        2002年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
       2003年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
      2004年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
     2005年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
   2006年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年

4月の日記

■ 4月30日(火) ゲームの事しか頭にないのか、私の脳 ■

15:23 最初の起動不良 DLLファイルが無いと言って強制終了
15:24 再起動、自動スキャンディスク開始
15:25 スキャンディスクの途中で停止
15:45 20分待っても反応が無かったので再起動
15:46 再びスキャンディスク また途中で止まる
15:52 5分待っても動く気配がない上にマウスポインタも動かないので再起動
15:53 再起動に失敗 ブート可能なディスクが無いと出てくる

15:55 完全に沈黙

16:30 放心から立ち直る
16:31 なぜシル見が完成する時期になるといつも自然に(?)
ブッ潰れるのか疑問に思う(なんと3or4回目、ホントに偶然かよ……)
16:32 もちろんシル見のバックアップはしっかり取ってあるので問題無し
 製作途中のファイルが消えたーとか情けない言い訳なんて絶対したくねえ。
16:35 特に大事なファイルもないので速攻で再インストール開始
16:36 ヤケに自分が手早く色々やっている、と思う
16:36 こういう時は何か失敗してる時だ、と直感がささやく
16:43 連休中のレポート(宿題)のファイルをバックアップしてなかったのに気付く
16:44 気付いて約10秒後「HDDのフォーマットが完了しました」

16:45 完全に沈黙(俺が)

17:00 放心から立ち直る
17:01 何も考えずに再インストール開始
17:58 必要なツール・ソフト・ドライバ含めてほぼインストール完了
17:59 次回以降は再インストール前に宿題をバックアップするという
知恵が付いてるだろうから経験値アップとしておく事にしておく。
17:59 再インスト回数だけならそろそろ三桁行ってるような気がするなぁ、と回想
18:00 自分のホームページアドレスを調べるのに際し、早速検索エンジンを
使わなければいけないという屈辱を味わわされたワナ。hi-hoの次はcoじゃないぞ俺……。
18:01 とんでもない物が出てきて仰天
18:02 何事もなかったかのようにサイト巡り続行
18:03 Googleツールバー英語版をインストール
18:04 個人的な興味で「光の速度」を検索。
「全ての物質は決して光の速度は超えたりしないんだよ」の記事の真下に
「光の速度を超越する光パルスの伝播に成功」の記事。
光が光の速度を追い越したから、確かに全ての物質は光の速度を超えてないと言えるが何とも微妙。
手早く「秒速30万kmを超えた」と書けば……って、やっぱ色んな都合で書けないのかなぁ、うーむ。
にしても、この宇宙の時速制限が秒速30万kmである事には何か意味があるのだろうか……。
などと無意味にひとりごちる。自分はどうも、最先端科学とかそういうのに興味があるらしい。

……空白の時間、食事したりその他色々

19:50 野球中継を見ながら宿題を再開
19:51 初めて手を付けたときは時間がかかったが、昨日一度やった問題にはもう負けないぜ!と意気込んで頑張る
19:52 さっそく負けてるワナ、勉強に対する記憶力がニワトリ並だった事が判明


ちなみに、シル見4は最終テストプレイが済んだらVectorに送りつけて公開予定です。
そろそろHP容量もアレだし、無料ホームページスペースでも借りるかな……。
iswebなんていいかも……と思いつつも、転送料が激しすぎると、
ある日突然403フォービデュンになってるそうなのでビミョーにアレですな。

■ 4月29日(月) あ ■

すみません、「ぽやっちお」じゃなくて「ポヤッチオ」です。南無ー。

■ 4月29日(月) 物語を描く ■

物語ってのは、極限すれば人間(またはそれに似た、考えたり、動いたりする何か)の
思惑だけで動かされていると言っても過言ではないほど、人の思いの占める割合は大きい。
ぶっちゃけて言えば、歴史だって、一部の人の策略と大衆の思いで動かされてる……と、自分は思う。
一部、災害なども(隕石が降ってきただの、冷夏だっただの、病気が流行っただの)あるけれど、
面白いのはやっぱそこじゃない。
その災害で、人々がどう思って、どう動いたか。
それが、面白い。
……つっても、大ざっぱな歴史だと、言うほど面白くないかもしれんけど。

でも、歴史などの大きなスケールの話では、人の細かな考えや感情はあまり描かれない。
これは、ゲームでも言えるような気がする。
小さな組織の、小さなスケールの話には、一人一人の細やかな思いや、
ついでに生活も描ける余地があるけれど(っつーかそれがメインかも)、
少数のチーム(4、5人とか)が世界の存亡に関わるようなスケールの話で、世界をまわるような話だと、
上に比べれば確実に、個人個人の感情を挟む余地は小さくなってしまうような気がする。
(もしくは、ただ単に描いていないだけか)

うまく言えないのがもどかしいが、スケールのでかい作品には、
なんつーか「優しさ」や「身近さ」ってのが、あまり感じられない。
まあ、スケールがでかけりゃ身近じゃなくなるのは当然の話なんですが。

……最も、今まで見てきた作品を総じて言っているだけなので
これが全てというワケではないが、そんな作品の絶対数自体が少ない事は確かだと思う。


ってか、自分でもうまくまとめられないのが口惜しいが、
要は、少人数のパーティが、世界を滅ぼせるぐらいの強敵に挑むに至ってでも、
もう少し人間らしくして欲しいなぁ……と、思うワケなんスよ。
別に、伝説の勇者が「我慢できねえぇー!!」とか叫んでトイレにかけこんだっていいじゃん!
ナベ物(ファンタジーにあんのか?)食う時ぐらい全員で肉の争奪戦したっていいじゃん!
しかもたまたまナベから取った肉が生で、そのまま食あたりで寝込んでも別にいいだろーが!
旅してるならしてるで、仲間内でキャンプも張るだろうし、少しは団らんして欲しいッスよ!!
こういうのがなきゃ、仕事(この場合は戦いとか冒険)の部分だけ描いても面白さ半減な気がする!

……っつーか、実を言うと、自分は「仕事以外の部分(つまり家庭的部分)」こそが特に面白い、と思ってる。
長年ゲームやってきて思うけれど、ゲームで一番描かれてなさげのは
「家庭的な雰囲気」だから、そこを狙うとけっこう新鮮なんじゃなかろうか……とも思ってるし。

最初は、実生活では冒険なんて普通やらないから、ゲームの冒険に憧れるんだが、
長く経つと、「ゲームの冒険」に慣れてくる(飽きてくる?)気がするんだよな……これは俺の場合だけど。
でもここでだ、「ゲームで描かれる日常」とか、パッと見あまり無い。
もちろん、今までにもコンシューマとかフリーウェアで、そういうのが無かったワケじゃない。
だが少ない事は、少ないと思う。あくまで自分の見解の中で。
すぐ思いつくのは、牧場物語とかどきどきぽやっちお(知ってる人いるのか?)とか、かな。
でも、濃厚な物語がそこにあるかどうかって聞かれると微妙だったり……。

まあ、冒険なんかしなくても、普通の生活も面白いモンだ。
俺にとっちゃ、「ゲーム作る」のが「冒険」で、即ちすっげぇ面白いけど、
その冒険が無い、ただ生活するだけの中にも、面白さってのを見つけて欲しいモンである。
出来れば、「冒険」して欲しいんだけどな。
恐いが、それが面白い。
「ゲーム製作」という冒険ならば、オリジナリティを突き詰めた
創作の最前線の領域に入ると、特にそうなるだろう。
「作ったけど、受け容れられるかどうかわからない、
 そもそもコレ(システムとか、話)はプレイヤーからすれば本当に新しい物なのか?
 もし面白くなかったら長い時間を棒に振った事になる、ああ恐い……」
と、本気で思える領域だ。
俺はまだそこまで行っちゃいないが、いつか俺もそこに入りたい。
……まあ今でも、ゲーム作って公開する瞬間は十分恐いけど。


ちなみに、家庭的な部分(主人公仕事以外の場面って意味で)を
トコトンまで突き詰めたのがシル見のつもり。
主人公は友と飯を食い、そして便所へ駆け込(以下略)

んで、そろそろ普通の生活逸脱寸前のシークエンス4なんですが、マジでもうすぐ公開予定です。
作ってて手応えがイマイチ無かったので面白くないかもしれん……。
これを公開したら、次はコンテストパーク用のゲーム作る予定なんで、
シークエンス5は来年かな……(遠い目)

今日も長くてよーわからん日記だった……本日は垂れ流しデーという事で。

■ 4月27日(土) 攻撃と、防御 ■

春になったためか、虫が多くなってきた。
モニターに緑色の虫がたくさん張り付いていても、もう気にならなくなっていた。
去年は、それを忌み嫌っていたゆえか、次から次へと潰していたが、
それらの虫は別に、自分ら人間に多大な危害を加えるワケでもない。
今年は慣れたのか、「おまえらなぁ」と思いつつも、その虫たちを眺められるような余裕が出来た。
まあ、あまりにも数が増えてきたら、潰しちまうけれど。


人間や動物は、「自分にとって脅威だ」と感じるものに対しては、攻撃したり、守ったりしようとする。
人間 対 人間の間にも、それは適応されると思う。
誰かの言葉に反発したり、
それでまた誰かを傷つけるような言葉を放ったり、
「自分は他人よりも(物理的、心理的に)上の立場にいたい」と思ったり、
そんな事を思うという事は、
「他人を『脅威』と感じている」という事では、ないだろうか。
モニターに張り付いた虫たちを見てて、そう思う。
今だから、ゆっくり観察できるが、去年は潰す事に一生懸命で、そうはいかなかっただろう。
それを脅威と思わないのなら、攻撃や防衛など、する必要は皆無で、
それどころか、知識を手に入れる機会まで得る事ができる。


本当に素直な子供は、何も脅威とは思っていない。
毒を持ったクモであろうが、ヘビであろうが、
ただ純粋に、好奇心と探求心のままに観察し、触れてみたいと思うだろう。
それは人の言葉に対しても、同じだ。
素直な人は、自分の弱さを追求されたら、ただ、そうなのかな、と思うだけではないだろうか。
誰に対しても、自分を自分以上に強く見せる必要など、ないのだから。
何者にも弱さを隠す必要が、ないのだから。
ただ単に、ただ純粋に、それを「情報」としての価値でしか、見ていないのだ。
そういう点では、純粋なまでに素直な子供は、大人よりも大人らしい一面がある。
そしてまた「誰よりも賢くなれるチャンス」を、その小さな手の中に握っていると、自分は思う。


自分は、
今よりもっと賢くなりたいし、
知識も、もっと得たい。
人間として、もっと前に進みたい。
だから前に進むために何が必要なのか、考えてみたいと思う。
自分の中では、その一つは『素直さ』だ。
どんな事も、自分の都合の良いように歪めたりせずに、ありのまま、そのままに理解し、
また、何者も脅威とは思わない心。
トンでもない物からでも知識を得るためにも必要な心、だ。

……つっても、毒蛇やら毒蜘蛛なんかの物理的脅威は遠慮するけどな。


まあ、ガキなりにこんな事を一生懸命考えてみても、
やっぱ年を取った人から見れば「割と当然の事」か、
「思いっきり間違ってる事」のどっちかなんだろうな……。
自分より長く生きた人は、どんな目で世界を眺めてるんだろうか。
けっこう、気になる。
聞いて答えられるような事じゃないから、知るのは難しいけれど。

でもふと思ったが、核家族の子供は、50年、60年生きた人の知恵を、
全くと言っていいほど継承せずに生活してるんだよなあ……。
古い事から新しい事まで全て知って、
初めて「成長」や「時間の流れによる変化」の過程及び概念を
知る事ができる(少なくとも俺はそう思っとる)のに、
なんだか勿体ない気がするな……。

■ 4月20日(土) 土曜か…… ■

宿題まみれの方が、意外と何に置いてもやる気が出る。
課題やらそういった「義務」は、好きな事に集中する為の起爆剤に利用できるような気がする。
現在やらなきゃいけない事を(とりあえずは)やり遂げた、という達成感を味わったまま、
その勢いを持ったまま、次なる達成感を感じるために趣味の方も頑張る。

人から与えられた課題なんて、「自発的に何かをやる」という事に比べれば、簡単な事だ。
他人から与えられた目標や課題すらこなせないようだと、
自発的に何かをやっても、長続きなどしないだろう。

課題をやり遂げた時に、思う。
「去年は見ても何の事かわからなかった事が、今はできるのだ」と。
自分は、常に成長の証が欲しい。
「課題」のように証がわかりやすい物もあれば、「創作」という非常に曖昧な存在もある。
どんな時も、今日の自分は昨日の自分よりも前に進んでいるのだと、感じていたいと思う。
課題が面倒だと言う人もいるが、やはり、課題ができた時の達成感は気持ちいい。
あまり頭が良くないゆえか、目に見えて自分が成長しているのだと思わないと、
自分に自信が出ないのかもしれない。

課題をほったらかしにしてでも、
自発的に何かをしたいほど「それ」が好きであるならそれだけやるのもいいけれど、
それなりに普通の社会生活を送る上では、難しい相談だ。
だが、それほどにまで熱中できるという事は、普通の人に比べればとても素晴らしい事だと思う。
正直、自分はそこまで一つの事に集中できるほどの自信が無いから、羨ましい。

最初から「与えられた課題」「自発的な行動」のどちらもしない人間は、多い。
常に受け身の感動だけに身を投じ、何かやらねばならなくなってもイマイチやる気がなく、
方針を決める時は他人任せか、状況任せ。
そんな人間は、本当に多い。

どういう経験を経て、どういう環境で育ち、どういう条件があれば、
一つの事を真剣に考え、自分から動き、いつまでも頑張り続けられる人間になれるのか。
それを、とても知りたい。

時に、自分ではどうしようもない怠惰を感じる事がある。
そういう時、よく疑問に思う。
「なぜ自分は頑張れないのか」と。
「頑張れない自分」に罪の意識を感じる時もあるし、恥だとも思う事がある。
誰かに相談しても、頑張ろうという意欲は戻らず、
知識の欠如と知恵の無さゆえか、深く考えを巡らしても原因がわからない。
その次にこう思う、「なぜ自分は頑張るのか、もしくは頑張れたのか」と。
結局、その答えも出ないまま(その答えを出すことも放棄し)、
気が付けば、頑張る事に疑問を感じずに、頑張り続けていられるようになっている。

どういう条件で自分が「頑張ろう」と真剣に思えるようになるのか、未だに全然わからない。
生きてる間、なるべく「頑張っている時間」を増やしたい、とは思う。
もしかしたら、
「人間は一人一人、一生の内『頑張っていられる時間』の総計は決まっているのではないだろうか」
などと変な事も、時に思うけれど、
その時はその時で、自分にやれる分だけ、しっかりやればいいのだ。

自分は、どんな時もがむしゃらに頑張り続けられるほどの人間ではない。
でも、まったく自分から頑張ろうとしない人間、というわけでもないつもりだ。
結局、確実にわかってる事なんてその程度である。
自分はどのくらい頑張れる人間なのか、自分でもまだよくわかっていない。
けれど、少しずつでもいいから「昨日の自分より、もっと頑張れる人間」に、なりたい。

まあ、怠惰な気分の時ぐらい、休んでおくのもいいかもしれない。
どうせそんな時は、効率も、質も悪くなるのがわかっているのだから。
何かをやりたくない時でも無理矢理やれるのは人間の特権だが、
そんな特権ばっか使ってると、動物としての本能が疲れそうだしな。
心の中の獣性と、出来る限り仲良くしたいモンだ。
なんてったって、並の動物はそもそも「やる気のある事」しかできんのだから。
人間としては、やる気のない事に対して、どうにかして「やる気を持たせる」か、
もしくは、「やる気が出るまで待つ」か。
出来る限りこのどっちかで対応した方が、気持ちよく生きられるハズだ。


……それにしても宿題がムズいな、オイ。やる気出ても終わらんぞ。
挑戦心はそそられるけど、ゲームも作りたい……むしろゲーム作って気分転換でもし(略)

■ 4月16日(火) 遺伝子の声のままに ■

春になったせいか、山にいなくても、うっすらと花の香りがした。

みずみずしい草木の香り、柔らかい土の感触。
鮮やかな色の、小さな花々。
風にゆれる、新緑の葉。
肌に涼しい風、耳に心地よい水のせせらぎ、鳥の鳴き声。
果てしなく広がる、真っ青な空。

毎日見て、聞いて、触れていても、自然は飽きない。
自然は、自分の憧れだ。
ただ無垢に、ただ果てしなく大きく、
誰が教えたわけでもなく、宇宙の物理法則に適した生き方ができる存在。

人間にとっての『自然な生き方』とは、何だろう。
遺伝構造が原始の時代の「それ」とそう変わらない動物が「良く」生きるには、
何をすればいいのだろう。
一つ、この場合の「良く」とは、
「人間としての遺伝子が欲するものに適しているかどうか」
という事と定義する。

今の自分は、一つだけ、その答えを持っている。それが正しいかどうかは別として。
でも、それ以上・または同等に「遺伝子の求めるまま」の生き方が
あるのかどうかということを、知りたい。
ぶっちゃけ、それこそが『幸福』だと俺は思う。
「遺伝子が欲している何か」は、「人間の意志が真に欲している何か」と同じはずだから、だ。
もし、冷静に生きる事こそが耐え難い喜びだ、と心の底(無意識下)から思うなら、
それは、遺伝子が欲している事なのだ。
偏った言い方をすると、脳内麻薬が出なければいけない。
性行動にも似たような事が言えるかもしれないが、それは所詮、一時のものに過ぎない。
人間が他の動物と違う点は、ただ子孫を残すだけではないという点なのだ。

知りたいのは、それよりも大きく「無意識」が欲し、死ぬまで持続する「何か」だ。
他の人は、どんな「何か」を持っているのだろう?

人間を描くに至って、人間の事をもっと知りたい。

■ 4月14日(日) 今日の飯 ■

今日買ったスーパー弁当。

調味料(アミノ酸など)、酸味料、香辛料、増粘多糖類、
原材料は こめ、卵、小麦、乳、大豆、鶏肉、ホキ

……ソルビン酸とか入ってない分、結構いいんでしょうか。
ホキってのはマニアックな名前ですが、これ魚です。
給食では一般的というウワサ。

凄いのは、お値段が値引きなしで250円という事……。
12×17×5cmのサイズのきゅうきゅうに詰まった弁当なんで、かなりいいです。
ついでに昨日は値引き有りで200円!!うおおおおおーーーー!!
野菜系が色々入ってるから体にいいしな!
肉:野菜の比は3:7程度!!良し!!
昨日は値引き有りで200円!
ドカーン!という感じで良いです。
「安く作れて量がある弁当」ってのは、作る側にも買う側にもお得でいいですな。
商売とはこうやってやるモノか……勉強になるのう。

■ 4月14日(日) おお ■

なぜかウチのポストに間違って新聞が入っていたので、
しゃあないので読んでみました。
久々に熟読してみましたが、あんまり面白くないッスね……。
ムネオがどーしたこーしたって言われても
悪人なんてもう見飽きたわぁっ!!って、感じだしなぁ。
一日一枚でもいいから、もっと内容濃くして欲しいような気もする、新聞。
一日に活力が出るような新聞も、一枚くらい欲しいモンです。
でも、関西圏の話で、中小企業は「リストラの必要がなかった」ってトコが多かった、
というのは、ハハーンと思う所がありましたが。
従業員の数の問題もあって、あんまりリストラすると売り上げ減のリスクがでかいからだそうです。
大企業は、何かと大変らしいそうですけど、ね。

……まあ、紙媒体に比べればネットの読売サイトとか凄く便利ですな。
興味の出そうな面白い記事が常にトップに出てますし、一日何回も更新されますし。

んで、昨日の夜、読売サイト見てたら面白い記事が。
『青少年有害社会環境対策基本法案の通称「三点セット法案」に反対して、
 明治から昭和にかけての言論人のプラカードを掲げたデモ隊が13日、東京・銀座を行進した』
との事です、なかなか面白い事やってくれる人達がいます。
もちろん、作家の人達です。
主催したのは、ノンフィクション作家の吉岡忍さんや
田島泰彦・上智大教授、マスコミ関係の労働組合員による
「個人情報保護法拒否・共同アピールの会」だとか。若い覇気がなさそうに見えるのがちょっと残念。

で、これは13日の記事(だし、13日にあった話)なんですが、
実は4月10日、与党3党は
「青少年有害社会環境対策基本法案は今国会では見送りしまっせー」
と宣言していたそうなのです。
って事は、半分問題が終わったような状態でデモ行進っスか!?
たぶん前々から準備してたので仕方なく予定通りにやるしか無かったのかと思われますが、
それにしても何だか報われないような……
それとも、単に「保留します」って言ったのが許せなくてデモ行進したのかなぁ。
真相は新聞だけじゃわからん……。

で、実はそれより気になるのが国民総背番号制の件。
今年8月から施行されるそうですが、
カードのICチップには個人情報がバリバリ入れられる可能性があるそうです。
これからは、ネットで何かアレな事やると、晒されるのが住所だけじゃなくなりますなぁ、うっほっほ。
それに、住所はいつでも変えられるけど、番号は変えられないっぽいしね……。
場合によっては、ネットの匿名性が失われる面もあるかもしれない。
そういうのはちっと気に喰わんのう……。
例えば、無料ホームページ(またはメアド)借りるのに番号いるようになるとか。
確か韓国じゃ、国民番号偽ったらけっこう罪が重いって聞く(ホントにそうなのかは知らないが)。
融通が利いてたのが、突然利かなくなるとすると色々アレなんじゃねえかなぁ、どうなんだろ。
って、困るのはアンダーグラウンドな連中か!?

ま、何はともあれ、まずはガッコーの宿題片づけるか……。
そしたら、また明日も学校か。
テキトーにヒマ作って、シル見作らんといかんのう。

実を言うと、そろそろシル見作るのもダレてきてるよーな気がしないでもないです。
もっと新しいモン作りたいと心が訴えています。バリバリサイバーなヤツとか。
シークエンス4が終わったら、何か新しいモン作るかな……。
どーせ5までのブランクは一季節以上だろうし(オイ)
だいたい、全何話ってまだ決めてないし……。

■ 4月13日(土) すげえ ■

昨日の事です、学校のコンピュータがWORMウイルスに感染して
4時間目の講義がお亡くなりになりました。
誰が感染させたのか知らないけどありがとよ!!(コラ)

って、思ってのんびり構えてたんですが、
よーく考えたらウチらが使うのはSUNとか何たらのUNIXです。
普通はWindows系に効くウイルスばっかのはずなので(例外あるかもしれんけど)、
授業と関係ないコンピュータがやられて講義が休みになった可能性があってちょっと複雑な気分。
何もやってないのに罪悪感です、はっはっは……。


それはそうと、健康診断の前日の睡眠時間がやたら少なかった(ここ数年の自分にしては記録更新の3時間)せいか、
身長が5mm減、体重が2.4kg減(コレは元からですが)、
視力が右0.4減、左0.1減という凄い結果になりました。
っつーか去年より身長減ってるよ!!何じゃこりゃ!!
この調子で行くと40歳になる頃には20cmも身長が減ってる計算でゲッソリ。
体重に至っては-48kgかあ、って骨かよ。
もちろんそんなアホな計算にならないのは当然の事ですが、
ともかく去年より身長が減ったのはなかなか衝撃的な事実だったのです。

とりあえず、飲むヨーグルトでも買ってこよっかな……。
とは言っても、身長伸ばす事が直接的な損得に繋がるワケでもないんですけどね。


なんか、物質的・外見的な事情ってのは、年食うと気にならなくなってるような気がするなぁ……。
一つ下の日記でも言ってるような、
「幸せを感じる事のできる、やりがいのある何か」
を持ってると、こういう問題は些細なものに見えてくると思う。

むしろ、そういうのを持つと自分の場合、精神的な「本質」の方に興味が出てきたと記憶している。
下でも言ってる、「幸福とは何か」だの、「どんな思いこみが人にはあるか」だの。
そしてまた、「自分が精神的にどんな悪い状況にあるのか」だの、
「何の為に頑張るのか」など、そういう事にも興味がある。
自分がより良くなる為にはどう思う事が大切か、性格をどのように活かせば適切か、
そういう事を、本能的に知りたがるようになるのかもしれない。
もっとも、こういう事は簡単に統計が取れるワケじゃないから、断定なんて出来ないが。
「良い人間のモデル」って、一体何だろうな。

個人的には「他の動物には無い、人間だけの能力」を最大限に発揮できる生き方を、
一つのモデルとして取り上げたいような気もする。
こう言うと非常に神々しく聞こえてアレだが、人間ってのは「非常に早く無から有を作り出せる」生き物だ。
動物は「進化」する事で新たな「力」や「手段」を得られるが、
(状況に恵まれた)人間は、たった一代で大量の「力」や「手段」を作り出せる。

自分は、「ただ生きる」以上の何かを、人間に要求されているように感じる。
……なんてな、誰に要求されてるのかも知らんけど。
むつかしくて変な理屈こねるのも面白くて個人的にいいんだけどなー、軽くSFも好きだし。

ま、自分が言ってるどんな事でも、いいのか悪いのかってのは、
まだ結果が出てないので全部保留だけどな。
いわば、一人の人間が生きてく中での「途中経過」だ。
年を取ったり、時代が変わるごとに、考え方も変わっていくだろう。
でも「最期までずっと持ち続けていられた心」があるなら、それを一生に見出した正解としておきたい。
次いで、聞く人がいるなら、それを伝えるのもいい。


とても素晴らしくて、物事の理を知ってる人は、この世(+ネット上)に一杯おります。
本当に大事な事は、そういう人達から学びましょう。
でも情報源を一人に偏らせるのは、あんまり良くないかも。
思った以上に、視野が狭くなりますからねぇ。
人々にはたくさんの考え方がある、と割り切れない人は、情報源が偏ってる証拠かもしれませんぞ。


……今日も長い文章やなぁ。
もう少し縮める事はできんのか自分。
内容にも色々問題あるしな。
でも短くまとめると、後で読んだとき自分で理解できなくなります。
人の心は、量子の問題なみにあやふやですからのう……。

■ 4月10日(水) 思う ■

世界には貧しい国々がたくさんある。
だから平和に過ごし、裕福に暮らしている我々は幸福を感じ『なければいけない』。
そんな意識が、日本には溢れている気がする。
誰も、疑問には思ってないのか。
それがおかしいと、誰も思わないのか。
そしてそれを何も考えずに、当然の様に受け容れている人間が、どのくらい存在する?
「それで幸せだからこれ以上は求めない」そう言う人間が、どのくらい居る?

うわべは理想的な環境、でも本質的な部分で
何か「空虚」なものを感じる生活をしている人が、日本に何人いるだろうか。
家族もいて、仕事もあって、皆に尊敬されていて、十分な愛を受けているのに、
何故自分が生きているのかわからない人間は、果たして何人いるのだろう。

「本当に幸福に生きた人」のモデルを、今まで短い間生きてきて、まだ見た事がない。
どんな時も、「最も望ましくない人物」が大きく描かれる。
新聞、テレビ、歴史……歴史でも、大きな功績を挙げた人が果たして幸せだったのかどうかわからない。
「豊かに暮らしていればそれで幸福」などとは言わせない。
『幸福と感じてない限り、それは「幸福」では無い』――この定義に、それなりに本質が詰まってると思うからだ。


自分の場合は、「熱中できる何か」があると、幸福だと思う。
それが「自分」という存在に近ければ近いほど、良いかもしれない。
他人の作品に熱中するのも悪くないが、自分から何かを創る方がもっと大きな喜びとなる。
そしてまた、より「自分という存在」を確固たるものとして感じる事ができる。
「自己実現」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、そうでなくとも、
自分の意志で、自分が動いて、自分で表現する事は、とても楽しいと思う。
そしてまた、ゲームを遊ぶ時以上に頭を使い「挑戦」でき、また「集中」できる。
ゲームを遊ぶ事に比べれば、遙かに上位の喜びだ。

他の人は、どんな事を幸せと感じているのだろう。
「ただそこに山があるから登るのだ」と言った人もいる。
その人には、山に挑戦するという事が、耐え難い至高の喜びに違いない。

一部の人間にしか当てはまらない答えかもしれないが、
「挑戦」するという行為にこそ、人のさらなる幸せが存在すると自分は思う。
それが他人にも喜びを分け与える「挑戦」なら、もはや何も迷う事は無いのではなかろうか……とも。



自分は、ただ「挑戦」する為に頑張る。
昨日の昨日までどうも悩み続けていたようだが、
頑張る理由など、もはやそれだけで良いのだと、ちょうど今朝開き直った。
ただ山に登り続ける事ができる人を、自分はもっと見習いたい。
何も理由がないから頑張ってはいけない、などという法など、どこにも無い。
理由があって動くのは、自分の作るキャラクター達の話だ。
彼らはなぜか、理由の説明もなく動く事は好まれない。
だが現実の人間は違う。
ワケも分からずに生きてる人間など、そこら中に存在しているではないか。
自分も、その一員で構わない。
実際、ワケが分からないのだから当然の事だ。

無い理由を無理に考えて落ち着こうなどとは、思ってはいけなかったのかもしれない。
最初から理由が無ければ、理由など思いつくはずもない。
もしそれがただ「現段階で理解できないだけ」だったとしても、それは保留にしておいた方が早い。
まだ自分は若い、わからない事なんてたくさんあるからだ。
人間をたくさん見て、年を取りつつ勉強するしかないだろう。
だから今は、まるで馬鹿の様に、前へ突き進むだけでいい。
その内、わかる時も来るだろうから。

自分は完璧な人間などでは、決して無い。
だから自分の中の悪魔とも、正体不明の心とも、仲良くやっていかねばならない。
わからない物がわからない物としか認識できないなら、「わからない物」で良いではないか。

今日は、これからもっと馬鹿になる事を覚えようと決意した一日だった(学校初日)

■ 4月9日(火) くっはぁ!! ■

シルフェイド見聞録、普段は1マップに1シークエンス分詰め込んで作ってるんですが、
今回は長いので二つに分けようと思って、
分けて両マップで被ってる部分のイベントおらおらーと消してたら間違えて
両方とも同じトコ消してセーブしちまって鼻血モンです。
二段式のお弁当作って持っていったら両方とも御飯が詰まってたかのような感じでガックリです。
なんつー凡ミスや……いや、ダラダラ作ってたがゆえに油断したに違いない。
パソコンのモニターの端っこに「イベント消すときは最大警戒」ってシール貼っときます……うふははは……。

ちなみに、今モニターに貼ってあるシールは
「膝の運動をかかさずに!」「(郵便番号)」「暗記必須!(←何が暗記必須だったのか覚えてない)」
「月曜・燃えるゴミ 水曜・燃えないゴミ」等々ですな。
妙な生活臭が、豊満な香りを漂わせております。
一般住民のモニターなんてこんなモンですかねぇ……。

それとラグナロクオンラインなるゲームをプレイしておるのですが、どこも人多いですなぁ。
ガディウスやってた時も思ったけど、敵がなかなか回って来ない……のですな。
人が増えると自動的にそうなるワケなんで……オンラインゲームの構造的な難点、かな。
上手い対応策とか無いもんかねぇ。
オフラインプレイができるとチート(データ改造)されちまいますし。

でも、おかげであんまり人のいない穴場を狙うテクが上達しそうで良さげです。
ってか、もうすでにネタ的に穴場に走ってます。
最強の方がすでにたくさんおられるそうなので、目指すは最弱です。
友と二人でポリン(最弱モンスター)殴ってジョブ経験値のみゲットし、
(ベース経験値1,ジョブ経験値2のモンスターなので、二人で倒すと0/1になる)
ベースレベル6以下のままでアコライト(僧侶)を作る事に成功いたしました。
ベースレベル+INTの値が8未満なので、ヒールの回復量が見事にゼロです!!いえーい!
(ヒールの回復量は、基本値×[(ベースLV+INT)÷8(端数切り捨て)]のため)
アンデッドモンスターにヒールしてもMISS!と赤く表示されるだけでした。無情。
これから0ヒーラーが増える事を祈る……。

■ 4月7日(日) シル見では使えない一発ネタ ■

百人乗ってもだいじょーぶ!のコマーシャルで有名なイ●バ物置があります。
乗ってる人の平均が60kgだと仮定すると100人で6000kg、すなわち6tまで載せられますが、
物置の上に6t相当のものを載せられるという宣伝自体、
何を言いたいのかさっぱりわかりません。
物置の上に何置くつもりであんな宣伝作ったんだイ●バ、ゾウでも乗せるつもりなのか!?
普通に使ってる限り、真上から6tの加重がかかる気象現象及び事故なんてそうそうないんだぞ!!
どうせなら風速100mでもだいじょーぶ!とかやればいいのに。
それで吹っ飛ばなかったら吹っ飛ばなかったで
物置という名を借りた金庫のような気もしないワケじゃ無いんですが。
100人入ってもだいじょーぶ!とか言いながらガラっと戸を引くと
中にいっぱい人がワキャワキャしてたりするCMも面白いなぁ、ウハハ。
……こういうのを「批判」と呼びますね。

それはそうと、さっきスーパーに折り畳み傘(一本家に忘れたので追加購入)買いに行ったのですが、
そこのスポーツ用品売り場にておばちゃんがたまたま在庫チェックしてるついでに、
商品を手に取るフリをして握力強化用のニギニギグリップ(正式名称不明)を
ぎこぎこやってる現場を一瞬目撃してしまったので、
後でおばちゃんがいない頃を見計らってそのニギニギグリップを見たら、
強・約45kgと書いてありました。
自分もちょっと握ってみたのですがなかなか曲がりやしねえです。
これを軽そうに握ってたおばちゃんの握力って一体……いや、自分が非力なだけか!?
うーむ、ちっとは鍛えなきゃいかんのう……。

と思ったのか結局、強さ25kgの二個セット、商品名イージーグリップ250円を一つ購入。
空いてる手は常にニギニギしてます。
キーボード打つのも微妙に早くなって良い感じ、指の筋力強化ですからなぁ。
あと何故かその隣にあったホイッスル(単管笛)も一つ購入、
マジでなんで買ったのかわからん……。

■ 4月7日(日) 頭が悪くなりました ■

ゲームを作っていて、珍しくネタ切れを引き起こした。
たいがい長いこと時間を空ければ、考えれば色々と話のネタやらが出てくるものなのだが、
シークエンス4の話が少々長かったのか、それとも別の原因があるのか、
途中から何も思いつかなくなってしまった。
これがスランプと言うものなのだろうか……。

とりあえず、まずはとっとと完成させたいと思います。
シークエンス5を作るときにでも、4の面白くないトコいじって直そう、
というぶっ飛んだ事が出来るのが連載ADVゲームの強みだからだ!!(たぶん)
見切り発車OK!!グラフィック入れ替えもOK!
心配せずにガンガン突き進むのもOK!ダメだったら直せば良し!
これが漫画と違う、連載ゲームの強みってぇヤツよ。アマチュアのみにしか使えんけど。
全体の質を後から上げていける、というのは、製作する側にしても心配事が一つ減るからいいですな。

何よりギャグってのは、作る側にすれば「果たしてそれが面白いのかどうか」
というのが非常にわかりづらいので、意外と作るのが恐い。
調子に乗ってついに独りよがりになってても、自分が楽しいと思ってればそれで良し!とか思いそうになるし、
プレイヤーと作る側に致命的な感性の違いがあった場合、
全く面白くないモノが出来上がるという悲しい状態になります。

とか自分で書いてて思いましたが、最近自信不足気味のような気がする……気のせいか?
そう思ってても実は慢心してる時があるからわからない、人間の心というモノは。
まあ、慎重な気分になりたい時は慎重で行けばいい。
実際、最近はアホばっかりしてるから、何事にも慎重にならなきゃいかんし。


でもなんだ、慢心に溢れた時が、実は一番面白い作品が作れるような気もする。
自信があるから、何に置いても「踏み込み」ができる。
つまり、
「成功するかどうかがわからない、ミスれば痛い事になる危険な領域とわかりつつも実行できる」
っていう精神がある。自分の感性に、ただ馬鹿正直に作れるんだろうな。
慎重な気分の時は、ミスれば痛い事になる領域には手を出せない。他人の感性を第一に考える。
自分の感性というのを、イマイチ当てにしてない状態だ。

HPなんかで人が増えると慎重にならざるを得ないが、当たり障りのないのも面白くない。
だが迂闊に慢心に満ちたセリフを言ってみりゃ、自分にとって痛い言葉が飛び交う。それは避けたい。
この矛盾した状態でいかに「踏み込み」ができる心を保つか、今の自分には、難しい問題だ。
でも、そんな不条理を何とかできるのも人間の心。
何においても、強い心を持てるようになりたいモンである。

何かを作るために必要なのは「技術」だけじゃない。
やっぱ、心意気が一番大事なんだよな。当たり前っつったら当たり前の話なんだけど。
でも、実際自分が何かを作るとなると、ふとした時に必ず忘れる。
時々こうやって思い出さないと、何で自分が上手くいかないのかがわからなくなって、混乱する時もある。
原因がわかってる不調ほど、恐くないモノは無い。
まだ、改善しようとする努力ができるんだから。

だが何はともあれ、今は頑張るのみ。

■ 4月4日(木) うーむ ■

本日の天気――晴れ

新聞の勧誘が来た。今日はおじいさんだった。
バリバリの広島弁だったので話してる意味があまりよくわからなかった……。
でも「新聞はまだいいです、就職する時期になったらお願いすると思いますので」、
というとあっけなく行ってしまった。もうちょっと粘れよ、と思った。
終わり。

今日の製作状況
 まるで週刊ジャンプのような勢いで突然新設定追加。
 ってかシルフェイド世界についての特徴がほとんど無かったので色々と考案中。
 おかげで主人公が新設定の被害者第一人者に。今まで割と普通の少年だったのに……。
 新設定は、「キャラ属性が動物」という事です。そんだけです。
 似たようなネタがそこらにいっぱいありそうな設定ですが、まあそれはそれで。
 たとえば、主人公にはフクロウの属性があり、
 戦闘中に敵能力の分析ができたり、ダメージや命中率の正確な値を知る能力がある、
 とかそんな感じです。
 同じシルフェイド世界の話なら、別作品でもかなり流用が利きそうなんでいい感じです。
 でも、その為の導入が、何回作り直しても不自然で辛い所です。
 ロクに伏線も張ってなかったしなぁ……。
 ……まあ、今の能力で出来る限りやってみるしかないのが実状。頑張るしかないか……。
 やっぱ設定を全面に押しだそうとすると無理がありますなあ。
 キャラの関係だけでストーリーが動く、という事がどれほど自然な事かを実感。
 シークエンス4はバトルゲームという事で割り切って作ってしまおうかなぁ……微妙。
 まあ、何か実験作を作れば、つたない部分だって必ず出てくるハズだ。
 それが出なかったら、その筋の天才というヤツなんだろうが……
 凡人は、失敗をたくさん踏むしか対策がないからなぁ、しゃあねえ、開き直るか?



 とにかく、今まで通りの安定した作品よりは、多少雑でも新しくて面白いモノ、やっぱこれに尽きると思う。
 失敗するかもしれんけど、まあ構わない。まだ若いし。
「今は、先人の轍を踏んでまとまりの良い安全な作品を作るという風潮が強い」とか誰か言ってたしな。
「人と逆行したい」と思うのも、創作するヤツには必要な心じゃないかなと、個人的には思ってる。
 批判と抵抗の精神、それは幼さゆえの短所だが、長所でもある。
 負けて悔しいと思った数だけ人は強くなるが、
 悔しいと思わなかったら、そこで成長が止まるような気もする。

 大人になればなるほど、負けても悔しいとは思わなくなる(個人的には)。
 負けて悔しいと思う奴は、きっとどこまでも伸びるんだろう。
 もちろん「負けた責任は自分にある」と思える人じゃないと伸びないだろうけれど。
 「他人の妨害や邪魔で上手く行かなかったから負けたんだ」とか言ってるようでは、
「自分を高める精神」からは程遠いような気もするしな……。

 でも、負けて悔しくて頑張る人にはまだその先がある。
 仮称「悔しがる人」が、しまいにゃ誰にも負けないぐらい強くなった場合、その人はどうなるんでしょう。
 成長が止まる……のだろうか。
 例えば、チェスでチャンピオンになった人は次に何を目指せばいいのか。
 物語(漫画やゲーム)では、たいてい「成長」が描かれる。
 でも、成長しきったその先は、どうなんだろうか。
 その次は、何を求めて頑張ればいいんだろうか。
 ……まあ、自分がそこまで成長しなきゃ、考えるだけ意味の無い話かもしれない。
 でも、気になる。
 遙かな高みまで上り詰めた人は、次に何を求めて頑張るのか。

 ……やっぱ、究極形は「自分との戦い」なのかね。
 「昨日の自分を超える為に今日を生きる!」ってヤツ。
 達人ともなれば、真面目にこれを実践できるような精神が必要になってくるのかもな……。

 と、ジャンプとか読んでて思いました。でもなぜこんな事を思ったのか疑問。
 ついでに言うと、
 「成長が終わってしまってメッチャ強すぎる人間の話」ってのも実際ある。
 知ってる人がいるかどうか疑問だが、この前CATVでやってたサイバーフォーミュラの
 最後のバージョン(SINだったかな)とかちょっとそれっぽいです。
 アレはハヤト君強すぎです、ゼロの領域とかリフティングターンってアンタなあ。
 つっても実際の所、次々と他の人らがゼロの領域に目覚めまくったりして
 スーパーサイヤ人だらけの状態みたいにならなくて良かったと思う感じはありますが。
 でも、普通の少年漫画だったらきっとそうなるよなあ……。

 ま、今はもっともっと頑張って能力&発想力向上に努めるのみ!
 いつか凄い作品を作れるように、頑張ろう。
 ……相変わらず長い日記だ。

■ 4月3日(水) 4月になりましたが ■

日記で問題発言すると荒らしのネタになるだのと色々掲示板で言われちまったので
少々構造改革の必要ありと認識いたしました。
人が少ないときは、割とヤバいこと言っても笑って見逃してもらってて、
次の日に自分で日記見て「うわーやっちまった」とか思いつつも
そのまま日記を何も書き換えないで置きっぱなしというシュールな事をやっておったんですが、
最近はボロを出してほっとくと掲示板が荒れるというイヤンな状況になってしまう気がするので(ってか現在二回目)、
ちょっとこの部分についても考える必要があると思いました。
というか、ホームページで起こった問題については全て私に非があります。
客の方は、人が増えれば増えるほど百分率で綺麗に性質を分けられそうなんですが、
(例: 来るだけで何も言わない人98%、話題があればカキコする人0.5%、
   話題が無くてもカキコする人1.4%、ネタがあれば荒らす人0.08%、なくても荒らす人0.02%、とか)
店主は客が問題を起こさないような状況を作るのが役目です。
人が増えりゃ、行き当たりばったりなテキトーな手段では、
問題が起きない状況を作るのは難しくなってきます。
ホームページ運営についても、真面目に考えないといかんですな……。

ちなみに、客任せにすると必ずイレギュラーが出てきます。
注意書きをいくら書こうが、読まずに注意書きに書いてあるダメ行動を
そのまま実践する方がいらっしゃいます、ウフフハハァ……。
……いや、むしろ注意書きってのは、まともな方に「イレギュラーを潰させるための大義名分」を持たせるモノかな?
うーむ……。

あと、シル見シークエンス4の製作ですが、戦闘システムにバグが発生いたしまして製作がなかなか進みません。
それ以前にシナリオ部分も全部出来上がってないのでつまりは全然出来てないって事です、ダメですね。
おまけにまた風来のシレンGB2に手を出してハマってしまったので、
待ってる人から見たら最悪な状況です。
っていうか、はっきり言ってコレ、面白すぎです。
完全なる最強が存在しえない部分と、自由度の高いシステムと、
行き当たりばったりのアドリブで危機を切り抜ける興奮が良いです、オススメの一本。
こんなハマる面白さをいつかゲームに活かすから待ってろよ、みんな!!
という言い訳ができるのが、作ってる側の特典ですか。
だいたいこちとら、面白いとゲームやり始めたら本気で朝から晩までやっちまうよ!俺自慢!
ガキの頃からそうで、止めろと言われない限りずーっとゲームやり続けます。
この辺が問題なんだよな……親父にもよく言われたぜ、「ケジメ付けろ」って。
今もまだケジメ付けられてません。ごめん、みんな……。
でも3年ぶりに熱中できる面白いゲームやねん、コレ、マジで。
いつかアマチュア作品でも、そういうのが出てくる事を祈りたいなぁ。
ってか、俺もそれほどのゲーム作りたいモンです。頑張らないとな!
でも奈落の果てがクリアーできねえんだよ!!うおーりゃー!!