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3月の日記

■ 3月30日(土) よーし ■

田舎(って言うのか疑問だが)から帰ってきたのでゲームの製作に復帰です!
家に帰って荷物置いたらスーパーに晩飯買いに行って風呂湧かして夕風呂!
夕風呂はええです。オススメ。

それはそうと、大阪と広島は「臭い」が違う事にさっき気付きました。
大阪だと空気が悪いと思うのは、どーも広島の今住んでる環境は山に囲まれてるためか
どこから風が吹いてきても植物の臭いがするという、
森のリラックス臭が常にぷんぷんしてるゆえに落ち着くっつーいい場所っぽいからんですな。
広島の空気はやっぱり好きだ、うん。
ってか大阪に帰ってしょっちゅうイライラしとったんは
この自然臭が無かったからではなかろうかと一人考えるワケで。

人間、植物の臭いは忘れちゃならんね……。
体調がやたらといいのもコレのせいかもしれない、今年は一年を通してほとんど風邪引いてないし。
あと、人の多すぎる環境ってのも、それなりに慣れたつもりでも
必ずどこかに、わずかなりともストレス(心身どちらか、とか)が溜まるしな……。
何にせよ都市ってのは、現状の人間の遺伝子じゃ、疲れるモンだ。
刺激が多い、って部分は好きなんだがね……。


それはともかく、別の話。
「自信を付ける」という事は「自分の能力を正確に把握している」という
意味なんじゃなかろーかと最近思い始めてます。
「正確な限界能力」を知らないと、自信過剰にもなるし自信不足にもなるっつーワケです。
逆に、自分の力をきちんと理解していれば、出来る事なら自信満々で出来るし、
自分の限界ちょっと上の難易度に挑戦して成長する事も容易いでしょう。

ただ、総合能力が問われる創作の分野(具体的に言うとゲーム製作)では、
自分の能力がどのぐらいなのかという事が非常に把握しづらいです(少なくとも自分は)。
ネット上だと、感想が聞けるのは「たまたまその作品に感銘を受けた」という場合だけに偏る事が非常に多く、
「面白かった」という意見だけが圧倒的多数を占めてしまいます。
おかげで自信過剰な人が増える可能性が高い分野かもしれないなあ、などと最近思ってます。
逆に自信不足だと、作品公開する勇気も出ないという、困った状態になる可能性がありますし。

ちょっと前まで、
「慢心したら自分を戒める、自信がなくなれば自信を付ける」
という微妙な対策を取っていましたが、
現状で、慢心も自信不足も解消できる単純な対策は、
「自分の力量をきちんと把握する事」の一つで良いんじゃなかろーかと。
まあ、それが難しいからこそ困っておるんですが……
綱渡り状態で左右に微妙にチューニングするよりは
一点集中で前に向かっていく思考の方が楽なんで、
これからはこの考え方に方針転向。

……だからどうした、って言われそうな独り言自己完結的日記だが、
将来、自分が初心を忘れないようにするための日記なんで気にせぬように。

でも、さっきも言ったが「力量」ってのは言葉でも数値でもなかなか計れないから困る。
ネット上じゃ、人より一歩進んでるだけで有名になる。二歩進んでいれば、伝説。
並のものを量産するより、銘刀のように、一本を極めた方が名の残る世界だ(と、俺は思ってる)
でも、人より一歩進むための「一歩」は果てしなく遠い。
……何だかんだ言って、やっと「半歩」踏み出せたかどうか、ってレベルなんだよな、自分。
まだまだ「一歩」は遠い。
ってか、製作期間がそろそろ1年オーバーなシル見もヤバイ。
コラーゲン抽出とか言いながら一滴ずつペットボトルに水ためてる勢いで遅いです。
だがトロいならトロいで、限界まで濃度の濃いモノを作らにゃあな。
まー、製作中とか言って何年も放置気味なゲームよりは遙かにマシじゃろ、と思いたい!(おい)
ちょっとずつ作るってトコにも、ユーザーの要望を取り入れる余地があるんだしな。
とにかく、限界まで力込めて頑張ろう。
時間的、体力的に無理せずに作った作品なんだから、自分の今の限界を出さないと勿体ない。
あと、時間も体力も無理して作らなきゃいけなかった作品との差別化を図るのも目標!
そういう作品と内容が一緒だったらゆっくり作ってる意味ねーんだ!!
って事で、今日からまた製作頑張ります、ゆっくり。
シル見4は三月中は無理!!
明日(31日)が200時間あったら別だけどな、はは……。

■ 3月28日(木) 人はいつも ■

子供の時は何かと割り切れなかった。
「それ」を使わないと分かりつつも、物が捨てられなかったりする。
人と意見が違えば、自分の方が正しいといつも思ってた。
「人と意見が違う」という事について、割り切れなかったのだろう。

大人になるごとに、色々と割り切れるようになった。
何かを犠牲にしてより大きな物を得る、という事に慣れた。
「何か」を犠牲にしなければ、「何も」得られない事も知った。
それは「時間」かもしれないし、人間として当然の「何か」かもしれない。
だがそれを知ってるがゆえに、他人より「何か」が劣っていても、あまり気にならなくなった。

子供の時と比べれば、少しは自分も成長した。
まあ、成長してなかったら成長してなかったで問題だが。


長い事(というほど長くないけれど)生きてきて、色々わかった事がある。
たとえば、自分が「頑張ってる理由」なんか、だ。
人間は、立派な大志を抱いていても、それを本気に信じて全身全霊で動ける生き物じゃない(と、思う)。
結局は、環境や遺伝子によって決定づけられた、
自分の中にある『性質』がそうさせているんじゃなかろーか。
それは「支配欲(地位でも、心理的なものでも)」かもしれないし、「好奇心」かもしれない。
ここよりもっと苦しい地では、もっと単純に「食欲」とか「生存欲」などでも、
全身全霊で人を動かす心の源になるだろう。
『大志』とは、あくまで自分の『性質』にぴったり合った『行動の理由』だと自分は思う。
仮に自分の詳しい「性質」について知らなくても、
その「大志」は、正確ならずとも性質の代用をしてくれる、とは言えまいか。
って、実際言葉にしてみるとよーわからん話ですが。
単に、自分の説明能力不足か……。


ぶっちゃけて言うと、自分は「誰かを楽しませたい」とか、
そんな意識を持ってゲーム製作してるワケじゃない。
自分の性格のどこに原動力があるのかと長い事思ってたが、気付けば単純な事だった。
自分はどうも、「他人の驚いた顔を見たい」がゆえに頑張ってるらしいのだ。
生まれつきそういう性格なのか、環境がそうさせたのかはわからないが、
「他人の驚いた(崩れた?)顔を見たいという好奇心」は、どう頑張っても抑える事はできない。
(そしてまた、自分も『驚くような事』に対しての好奇心が強いと思う)
んで、どういう経緯でか、ゲーム製作をしている。
人の驚いた顔が見たいがゆえに――主な目的は、やっぱそれだ。
仮にそれが正確な答えじゃなくても、自分にとっては非常に的を得た答えである気がする。
よって、そんな欲望の前には、色んな事が霞んで見えるのかもしれない。

結局、「密度の濃い『驚き』を人に与えたい、自分も驚きたい」と思ってた、そんだけの事だ。

今になって気付いてみると、何ともしょぼい欲望である。
だが自分は、これからも、その目的の為に頑張りたい。
その「たった一人の人間としてのちっぽけな欲望」が自分を突き動かし、
自分に、勇気と行動力と根気を与えてくれる源になるのだから。

……でも考えようによっては、とんでもなくハタ迷惑な性格だけどな。
どっちにしろ、欲望は良い方向に使いたいモンだ。
そしたら自分も満足、他人も満足できっだろ(「良い方向=他人も自分も満足」?)。
何はともあれ、世の中にこれほど気持ちの良い事はない。
本気でストレス溜めてまで人の為に尽くすよりは、確実に幸せだ。

……まあ、そういう生活なんてそうそう送れるモンじゃねーだろうけどな。
でも、うまく立ち回ればできない事もない……はずだ。

■ 3月25日(月) むう ■

日本の名言名句という本を買いました。その中の一説。

「われわれはまあこの世に間借りしてるようなもので、
 何もむきになることはない。」
           庄野潤三 『浮き燈台』

ええ言葉やー、ってか自分が共感できるだけなんですが。
まあ、気楽に生きたいモンですな。
真面目に、気楽に、力まずに。
「全力」で「力まず頑張る」のが、現在で最高の理想の状態。
そうやって生まれたモノは、きっと人に何かを思わせる一品になるだろう。

……むきになると頭が悪くなる、ってのも、実際あるしな。
「心奪われる事」と、「むきになる事」には気を付けたいものだ。
どっちも視野が狭くなって頭が悪くなりがちである。
発想の幅は、自分にとっては広い方が好ましい。どんな時も。

■ 3月25日(月) RPG通信 ■

気付けば「名前のないツクール新聞」が閉鎖されてしまいましてガッカリ。
やっぱニュースサイトってのは色々とアレだからな……苦労する部分も大きいだろうしよ。
ツクール関連サイトの更新情報メールマガジンとか無いのかな……。
と思いつつも、みんな面倒な事したくないというのは私も同意見なワケで。

ニュースサイトなんて、別にやれる何か(私はゲーム製作)がある人にとっては、
ほとんど利益ってモンがない(or薄い)ゆえ、
慈善事業に近い、長続きが要求される努力ってのは、なかなかやれるモンじゃない。
ゲーム作る、って言うなら、まだ感想やらプレイヤーの声もあって嬉しいかもしれんが……。

『ツクールサイト更新情報掲示板』ってのは、いいかもしれない。
タレコミから宣伝まで何でもありのツクール作品情報の掲示板。
それこそ、一行書き込みBBS(チャットでも可)でも使えるワケだし。
……でも実際やると、そういう掲示板がそこらに溢れる可能性ってのも考慮しなきゃいけないわけで。
だいたいウチでやるにしても、普通にツクーラーが来てるかどうかが大いに疑問なワケで。
……というわけで、どっかやってくんないか!?
うまく、長くやればカウンタも伸びるしたくさん貢献もできる事請け合い。
根気があるだけで他に取り柄がない!って人には、
こういうのも結構いいんじゃないだろうか?
管理者の仕事は主に検閲削除。間違った情報を消す仕事。
全体的には、しょうもない情報もごっちゃになるのがタマに傷。
いや、どうせなら「作品公開情報」とか「新作情報(日記内含む)」とかで
色々クラス分けしておくと、質の上下が決まって良いかもしれんな……。

……自分がやるワケでもないのに無駄に考える自分。
「自分の需要」があると、それに継いで「全体の供給」の事を考える、これも商売人の血ゆえに、ってか?
つっても、クリエイターにもきっと必要なクセだとは思うけどな……。
「今までにない面白いゲームが見たい」と本気で思って作った作品と、
「とりあえず作ろう」と思って作った作品とじゃ、大きく質が変わるだろう。
ゲームやってて、もしここがXXだったらもっと面白いのにー、とか思えるヤツは幸せだ。
きっと、そいつには素質がある。
後は、苦労を厭わない努力の心と根気と自信とそれなりの技術がありゃ、
誰も作った事のない、とんでもないモノを作る事ができるかもしれない。
ただ、その製作に値する基礎能力を身につけるまでが意外と長いんだがなぁ……うーむ。
俺も、まだまだ基礎能力が足りない。
息を吸うのと同じぐらい自然に絵が描けるわけでもないし、何より下手だしな。
ドット絵なんてもっと下手だ。
なんつーか、これは普通のRPGに手を出さない理由とも言う、オリジナル志向なのがねぇ……。

まあ、何にせよぼちぼちやってくしかないんだけどな。
はやる気持ちが抑えきれずに製作に踏み込んだからにゃあ、
しゃあないと言いつつ腕を鍛えながら進むしかない。
技術的に満足できるレベルまで待てるワケもなく、
満足できるレベルなんて存在すらあやふやなモノを待つつもりもなく、だ。
シル見はそういう意味で、途中で一部顔グラフィックとか
背景をリメイクする可能性大なんで、その辺よろしく……。

■ 3月21日(木) 戦闘システム ■

シルフェイド見聞録シークエンス4には戦闘システムを加えている。
一応、別作品でも流用できるようにと汎用システムを採用しているので、
能力値やら、またそれに応じてダメージなんかの計算システムなどを持たせなきゃいけないのだが、
なかなかこういうのを作るのは難しい。
結果的に、ヤバい敵からは1,2発「まともに」攻撃を受けたら死ぬという
一見凄いシビアな状況になってしまった。
が、ある意味ではリアル……かな。

戦闘システムは基本的に、日本的のチャンバラをモチーフにしている。
従来のRPGの戦闘システムでは、攻撃も防御も
お互い決定された「規定の命中率で当たり、回避し、ダメージを与える」ようになっているが、
シル見で採用したのは「攻撃力も防御力(回避率)も流動的に変化させられる」ようにしたシステムだ。
言うなれば、普通の単純な攻撃でも、「捨て身でかかれば」確実に命中「させる」事ができるし、
技術の高い相手との戦いでも、「本気で」避けようとすれば回避「させる」事ができる
(もちろん運が悪いとか、こちらの技量が低すぎるとそれでも当たる)。
捨て身で攻撃すれば、こちらに大きな隙ができて大ダメージを受けやすくなるし、
防戦一方では有効な打撃を与えにくい。と弱点もある。
「HPの削り合い」というよりは、「紙一重の戦い」を演出する事ができればなあ、と思っている。

でも、
バランス取りがすんげームズい。
「まあこの強さなら10ターンで倒せるやろー」とか、
具体的な数字が全然わからんのです。
このシステムだと、どうしても与えるダメージの範囲が10〜100、
受けるダメージの範囲が0〜80とかになる(ユーザーの意志で変動させられるゆえに)ので、
もはやバランスとかそういう問題より遠く離れた虚空に浮かぶ謎の存在です、困った。
あげくの果てに命中率も0〜100%とかザラ。
しかも最大HP(ゲーム内ではLIFE)が100前後!
全く防御行動を取らなかったら確実に即死寸前です。ワーイ!
ってなわけで、プレイヤースキルの関与する部分が非常に大きいので、
どの程度の「慣れ」があれば勝てるか、ってのを見極めるのは非常に困難です。
新しいシステム作るのは大変ですが、バランス取るのはもっと大変なんだなあと痛感いたしました。
不思議のダンジョンシリーズなんて、どうやってあんな絶妙なバランス取ってんだろうと思います。
ちょうど死ぬか死なないか、危険かそうでないかの絶妙な位置をふらふらしつつ、
仮に運悪くひどい状況に追い込まれてもプレイヤーの技術が良ければ生き残れるが、それがないと死ぬとか。
アレはもはや天才的としか言いようがないぜ……ベテランは違うなあ。
これも「感覚」か、鍛えないとな。

■ 3月20日(水) 青少年有害社会環境対策基本法(長い) ■

昨日ネットが繋がって復活いたしました。

知らない内(というかネット離れしてる間)に、
青少年有害社会環境対策基本法(エロエロな表現ダメ暴力表現ダメ、つまる所18禁が禁止?)とやらが
ちらほら問題になってるようでして、
今年1月辺りにそんな単語を聞いたっきり音沙汰が無かったので、
もうてっきり終わったかと思ってた虚しい自分。
最近(三月初頭か二月終わり?)になって、結構な数のツクールサイトで話題に上がっております。

個人的に言うと、可決されようが否決されようがどっちでもいいかなーというのが本音。
というより、むしろ最悪の事態に備えて今から「準備」します。
法案に引っかからないよーな発想の仕方およびネタを考えたり、
法のすり抜け手段(万が一マークされても生き残れる方法)を今から用意しとく、など。
もし否決されても、「新しい発想」への道の第一歩を得る事ができる!と、思う。
暴力にも性にも頼らずにストーリー作るってのも、新しい方向性として忘れてはならない。
……まあ、そればっかになるのも困るけどなぁ。
でも仮にそういう世界になったとしても、真っ先に適応できるようになるのは強いハズだ。
それに「規制の中でいかにぶっ飛んだ真似が出来るか」という事も、
とても良い挑戦だろうし、法ってのは、長い月日が経つ内に必ず常識になってしまう事は明白だ。

自分はどっちに転んでもいいように、生きる。
あらゆる状況の変化に耐えうる心を育てたいし、
また、一般に「悪い」状況を「強さ」に変えるのも、強い心を得る一つの道。
つまらん世界になったら、根性出して面白くするだけの話だ。

……と、思ってたんですが。
どうもこれ、「見る側」の反発意見っぽい気もマンマンですなぁ。
クリエイターに足かせをはめるつもりか貴様ぁ!!という事で
本気な方々ももちろんおられるのです、が!
エロと暴力がなくなったら面白くねーよウオォォォ!って思ってる奴は何%じゃー!!
俺なんて広島に来て19にもなってエロ本やらマンガやらの類すら買った事ねーんだぞ!!
健全な青少年だ!っていうか逆に不健全なのか俺、一人暮らしなのに。
でもそういう系の本買うぐらいなら資料になるゲーム攻略本とか買うワナ。
……後々困りそうだ。
いや別に女体が嫌いとか二次元大好きとか本当は男の子がイイとかそーいうワケじゃねえんだぞ!
ただ実行に移すだけの好奇心レベルじゃないってだけでなぁ、うーむ。
妹とかいると、興味薄れるのかもしれんのう。

まあ、まとめるとユーザー側もクリエイター側もとにかく大変って事だ(まとまってねえ)
クリエイター側は、もともとの作風にもよるけど、致命的に痛い人もいるだろうし
(おとぎ話の作家なんて、モノによっては痛くもかゆくもない可能性大)
ユーザー側でそういうのが好きな人も、それはそれで困るだろう。
だが、慌てるのも良し、静かに状況を見守るも良し、先手を打つも良し、だ。
もし間違えて先走りすぎても、意味のある財産が残るように動けば、それはそれで得になるしな。


だが、落ち着いてマンガ読んでみると、ただの少年マンガでも
「暴力表現だ!」って言われたらヤバい作品が多い。
血が出たらアウト、殴りシーンあったらアウト、とかになったらシュールになるなあ。
効果音だけで表すようになるのかなー。黒ベタに「ドガッ、バキッ」とか言って。
そして次のコマにボロボロになった両者を描けばあら簡単。楽して激戦を表せるゾ!
読者の想像に任せるシーンが多すぎ!!ってのも良いかもしれませんなあ、
ヤケに黒ベタのシーンが多いマンガ。
健全なのにヤバげな方向に勘違いさせるセリフ大量(+黒ベタ)なマンガとかはギャグだが。
でも、
「うおおおお!!」「うっ、も、もうダメだー!!」(黒ベタ) 
だけのセリフで(別の意味で)危ないシーンを連想するような人もいるしなー、やっぱ困るかなー。
(※めちゃ強い敵が迫ってるシーンと仮定)

……皆が政府に怒りを表明してる中で一人にけやながら面白い状況しか思い浮かばない自分。
真面目な人に悪いぞ、自分……。
だが、世界は常にいい方向へ向かうとは限らない。備えあれば憂いなし、ってな。
結局、消費税は3%から5%になったんだし。
目の前にいい道と悪い道があるなら、両方で生存できるよう
準備しておけばどんな時も恐怖に屈せずに先に歩める。
特に、心はいついかなる時でも、状況に対して矛盾を引き起こさない形へ変化させられるハズだ。
何てったって、「死んだらその時だ」って思いこむ事すら不可能じゃないんだからな。
「どんな時も前向きに」ってのは、強さを保つためのとても柔軟な心を持てる、
って意味じゃなかろーか、って自分は思ってます。

でも、反対署名運動なども発生してるみたいだし、
国家権力をどうねじ伏せるかってのは気になるなぁ。



……と、仮にもクリエイターもどきの一人の主観(あくまでガキの主観だ!)として、
青少年有害社会環境対策基本法について述べさせていただきました。
ってか割とどうでもいいと思ってんだなー、俺。
ま、心配しなくても、どんな環境でも笑って生きられる方法はある。
余裕がないと人間アホになる、と、最近(主に一月終盤)再認識したからなぁ、うむ。
ピリピリしてると本気が出せない、それは何かと困るモンだ。