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12月の日記

■ 12月15日(土) まずったなぁ・・・ ■

今、なんだかすんげー不調なノートPC使ってます。
でも最後の肝心かつ重要な生き残りファイルが入ってるから消すにも消せないんですなぁ、とほ。

デスクトップの方、Windowsを再インストールしようと思って何十回と
スキャンディスクフォーマットその他色々含めてトライしてみましたが、
どうもCDの方がちょっとだけ逝ってるらしく、
Windowsを動かすのに必要なファイルが足りないと言われてインストールが途中で止まってしまい、
しょうがないのでノートPCから足りないDLLファイルなどを一つずつ移植しようとしてみましたが、
今度は存在するハズのファイルがスタートできませんだの困った事ばかり言われてしまい、
久々にちょっとガックリしております。

とりあえず今度の正月、実家に帰ったらWindowsのCD貰ってとっとと直す予定なので、
メールの返事、BBSのレス、その他は、それまで少しお待ち下さると幸いッス。
ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。

■ 12月1日(土) 出産 ■

皇太子妃の雅子さまが女児を出産。

確かにおめでたい事かもしれないが、
それを祝うのは半分、儀礼的な部分もあるんだろうな、と思う。

心から嬉しいと思ってる人は、どのぐらいいるのだろうか。

今の日本は、天皇が動かしているわけじゃない。
戦争が終わってだいぶ経った後に生まれた人は、
天皇が絶対者であるという認識もない。
平素より天皇に感謝している人は、どのくらいいるんだろう。

とりあえずおめでたいって事にはしておくけれど、
一体何がおめでたいのかと、問いただしたい気もする。
テレビを見れば見るほど、それがおめでたい事のように見えてくるが、
読売新聞ニュースのサイトを見れば、他の記事と同等の、たった一つの話題に過ぎない。

テレビの影響力ってのは、やっぱ凄い。
ガキん頃からテレビばっか見てる奴だと、
色んな意味で放送局の操り人形になっちまうんじゃねえか?
って、気がしてくるぐらいに。

普通にニュースで、一つの出来事としてだけしか取り上げなければ、
「あれ、そういや子供生まれたとか言ってなかった?」
「ああ、そんなの言ってたっけ?」
としか、人々の会話には上らないだろう。
それはすでに、「一応」も付かないほどにおめでたい事では
なくなっているかもしれない。
全ての出来事の優先順位も、テレビ……すなわち放送局が決めるのだ。
見る側の自由は、チャンネルの自由だけ。
一見自由と見せかけて、結局はどこまでも、
放送する側の仕掛けたワナにハマっているだけだ。


……と、思ってみるのもまた一興。
半分は本気で、半分は冗談だ。
というより冗談にしておこう、って感じかね。


俺は、ある情報が大事な事だと思ったら、その先は自分で調べる。
都合の悪い部分の話、評判、一般には言えない事、色々わかる。
ついでに、その周辺部分の背景も出てくるから、真に理解するのには便利だ。
情報ってのは、ヘッドラインさえ出してくれればそれでいい、と、思うんだが……。
まあ、平均的な会社にでも入るとか、平均的な人と付き合うつもりなら、
一般社会の常識くらいはあらかじめ知っておくべきだろうがね。

■ 12月1日(土) ■

ある日、突然世の中の何もかも全てが
「安直」なものに見えてきて、面白くなくなってきた。
身の回りの全てが、「起こりうるのは至極当然」の事で、
驚くような事など特に何もない。
冷静になると、何もかもが面白くない。
世の中には、面白いものなど一つもないのではないかと、ふと思う。

だから色々考える。
退屈な世界を退屈なまま過ごすのは、非常に退屈だから。
だから退屈な世界を壊すために、何かしたいと思う。
なるべくなら、誰にも迷惑をかけない方法で。

企業に入って、地位を上げて、そのうち死ぬ事が目的ではない。
有名になって、人々の間に名を残す事が目的ではない。
ささやかな家庭を築いて、そしていつか死にゆく事も目的ではない気がする。

一般道徳の中には、こういう項目がある。
「誰かにとって良い事をしなさい」と。
人に何か幸せを与えて死ぬという事は、何か意味があるのか。

全ての生物は、進化する為に生き続けていると自分は考える。
植物も動物も40億年、今までずっと進化するために生きてきた。
「進化」を、生物としての「進歩」と考えるなら、
「科学の発展」も生物としての「進歩」だ。
もっとも、今は人間のみにしか与えられていない力だけれど。

だから「自然に生きる」なら「進歩」する為に生きればいい。
自分はそう考える。
「進歩」するのは、何でもいい。
「これだけは絶対に進歩していなければいけない」
というものは知らない。
何か一つでも、進歩するものがあればそれでいい。
キリンは、突然変異で首が伸びただけだ。
ゾウは、鼻が伸びただけなのだ。
でも、だからこそ強くなった、自然界で今まで生き残って来れたのだ。
どんな些細な成長でも、きっと生き残る率は上がる。

だから、成長するために、生きる。
自分の一番得意な何かを使って。
ゾウなら、その長い鼻を使えばいい、
キリンは、その長い首を使えばいい。
そしてニンゲンは、知識・技術の共有という力を使えばいい。
よって、「誰かに与えるための知識や技術」を生み出す事もまた、よし。