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10月の日記

■ 10月30日(火) うおおおお ■

んー、最近刺激が少ないのか自分から刺激的な行動取る事が多い、俺。
自分で作ったものに感激できるならまだしも、
全然そうできないから余計に調子狂うなあ……。
ううーむ、今の技術に精神が追いついたというべきなのか。
もっと上を目指さなければいけませんのう、うむ。
自信がなくなるのも、また試練。
気合い出して頑張るか。

■ 10月29日(月) 文字 ■

文字は、人が次の世代へと何かを伝えるための手段の、一つだ。
でも、過去の人間が残した「何か」を見ようとしない人は多い。

文字を書くことは、個人的な見解から言うと絵を描くよりも簡単だ。
文字というのは、結局のところ一定規格の部品なので、組み合わせるだけでも何かが作れる。
絵のように、規格が定まらない自由な線と色の世界は、文字よりも難しい。

で、文字の話だが、「読んで意味がわかる事」ほど気持ちの良い事はない。
数学の難しく抽象化された文章を完全に理解した時は、個人的には嬉しく感じるものだ。

……で、何言おうと思ってたんだっけ。あれ?
コーヒー入れてたら忘れてしもた。
集中解いたらすぐ記憶がなくなるんだよな、俺……。

■ 10月28日(日) 数学の世界 ■

数学は、我々の住んでない世界の事も表現できる。
n次元の世界、たとえば4次元世界、5次元世界……などなど。
2、3次元の世界は、親しい。モニターに出てる世界と、実際に住んでる世界だ。
2次元なら、世界は縦と横で表される。(1,3)なら、縦1、横3の座標を示す。
3次元なら、縦横高さの三つ。(3,6,8)などと表記される。
だが、1次元の世界については、あまり語られない。

3次元のものを2次元に表現するときは、
一定方向からギューッと押しつぶして2次元にすると考えるのが良い。
たとえば、高さがゼロになるよーに上から押しつぶすと2次元になる、って感じで。
この要領で、2次元を1次元にするなら、
縦の方向からギューッと押して、一本の線になるよーにすればよい。
結局、1次元ってのは直線の世界だ。(4)とかで表せるわけだし。
だが、この要領で行くとゼロ次元は点になるのだろうか。
あんまり議論されない部分。うーむ……。

ちなみに、横縦高さに時間を加えると4次元の世界として表せる。
1秒後の三次元世界、2秒後の三次元世界って書けるわけだ。
同じ時間軸上にパラレルワールドがあると考えると
横、縦、高さ、時間、世界番号、となって計5次元。
「世界番号」って数は何か怪しさ爆発だけどな。別の世界を表す数。

にしても、色々と広がりがあるなあ。面白い。
系列が違えば、「平行な二直線は、決して交わらないとは限らない」とか
変な領域に行ってきまーす、な感じになるんだけどな。
そういう変な怪しさがあるのも数学の世界。変だ。
アインシュタインはなぜ数学で宇宙のあの公式が分かったのか、はてさてさっぱりである。
やっぱあのオッサン、凄いセンスだぜ……理論で宇宙が見えてるのだろうか。
頭が柔らかいんだろうな。柔軟な発想力と、広い視野、か。
つっても、これなくしては科学者も数学者も芸術家も創作家も
何にもできんのだけれどな……。
発想も視野も、訓練でけっこう身に付くモンだ。頑張らないとな。

■ 10月28日(日) 人に教えること ■

人に何かを伝えたいなら、段取りを踏まなければいけないと、今日認識した。
足し算、引き算しか知らない人に微分積分を教えようとするのは、無理だ。
心もまた同じく、段階ごとに教えてやらなきゃ、上手に伝える事はできない。

人が何か心を伝えようとしても時に失敗するのは、「心に段階がない」と思ってるから、だろうか。
しょっちゅう最終目標ばかり教えていたけれど、
自分は最初から最終目標に向かって生きてきたわけじゃない。
その時々に応じて、その段階で一番進める場所まで行って、考えて、
また一番進める所をわずかに超えて……その繰り返しで、今まで成長してきた。
相手が「今どの段階にいて、現段階ではどこまで教えられるのか」を知る心が必要、か。
昔から、そういう意味では限界量超えた「劇薬」ばっかり飲まされてきた気がするからな……。
どうも俺は、「ゆっくり進む」という、そんな心には疎かったらしい。
一気に傷つけられて、一気に心が強くなって……その繰り返しだ。
現実は普通そんなモンだが、もっと上手に伝える手段も持ってないと、いけないだろうな……。
子供を育てる時になって困らないように、とか、使い道は色々とある。
それに、出会った人達だけにでも、知って欲しい事が山ほどあるんだ。
正しい、正しくないに関わらず、俺の持ってるような、
ひどくて、馬鹿で、前向きな考えがあるのだという事を知って欲しい。
色んな人と接する事で、色んな事がわかる。
いいヤツに見えても悪人、という人間が存在するという事も、知ってもらいたい。
変なゲームを作るヤツが、
つまらん事に対して「余計なお世話」ばっかりするヤツだという事も、
思った事を飾らずに言って「人を傷つける」ヤツだという事も、
よく「身内とケンカする」ヤツだということも。
でも俺はもう、人に嫌われる事は恐れない。
普通にゲーム作ってるだけで、すでにたくさん嫌われてるし、
どんなに普通に生きようとしても、必ず誰かに嫌われる。
誰にも嫌われたくないと思う気持ちで生きてウソばかり付くのは、なるべくなら止めたい。

だいぶ昔にも、言ったけれど、
飾らないでいれば、俺の「そのままの心」が言いと言う人も、どこかにいるかもしれない。
俺がウソ付いてる状態の、「飾った心」なんかが良いと思われたら、嫌だしな……。
そうしたら、俺はその人を騙してる事になる。
きっといつか、その人は俺の本性に気付いて、嫌いになるだろう。
それなら、最初から本性見せて嫌われてた方が、気分がいい。
どうせ、ウソ付いてても、同じ分だけ好かれたり、嫌われたりするんだ。
正直に生きて、同じ分だけ好かれたり、嫌われたりしてる方が、よっぽどいい。
つっても、同級生とか、家族とか、常に一緒にいなければ
いけない事がわかってるなら、ウソ付くんだけどな……。
現実世界では、出会う人の数に限りがある。
悲しい事に、組織内の全員に嫌われるという事は、やろうと思えば可能なのだ。
だから、本当に信頼できる人以外には、平気でウソを付きまくるだろう。
父にも、母にも、妹にもそうだし、親しい同級生にも、無言のウソを含めてたくさんウソを付く。
でも、ネットみたいな広い世界で生きるなら、正直に生きた方が得だと思う。
どんな生き方をしても、完全には嫌われないし、完全には好かれないのだから。

もっとも、俺みたいなヤツが好きなんて人間は、そうそういないだろうけれど……な。
良い物を創るからいい人、なんて定義が当てはまるかどうかなんて、俺は知らないし、
俺は「人に好かれる」ために、生きてるわけじゃない。
だから、自分は飾らない。

これが俺なりの「自然に生きる」って、意味だ。
素直に、正直に生きること一つとっても、色んな理由があるだろうが、
俺は、こんな理由だ。

■ 10月27日(土) ツクーラー ■

自分は、新作ゲームの情報などは発表しない方だ。
それはなぜか、途中でやる気を失ってもすぐ放っておくことができるようにする為に、
言い換えると、「最後の逃げ場を残しておく為に」だ。

心の余裕ってモンは、持っていて損はない。
「自分が今何をしているのか、他人ならどう思うのか」
など、広い観点からものを見て考えるためには、心の余裕が要る。
完成させなければ!と強制力に乗っ取られた状態で物を作っても、
そうそう面白いものは作れない……と、自分は思ってる。
急かされていると、自分しか見えないものだ。
そういう状態になると、自分さえ良ければいいと思ってしまうのが、人間だ。
とにかく自分の「やるべき事」だけを最優先にし、他は見ない。
たとえば、「ゲームの完成」が「やるべき事」なら、
本当に「ゲームを完成させる事だけ」が全てになってしまう。
色んな意味での「面白く作る」ということを、忘れてしまうのだ。

それに、自分は、人の期待を背負うのは嫌いだ。
次回を楽しみにしていますと言う人は多い、それはそれで嬉しいが、
自分が何の為にゲームを作っていたのか、ふと忘れてしまいそうになる。
俺は、「他人が自分にゲームを作って欲しいと思ってる」から作るのではない、
「俺が作りたいから」作るのだ、と認識していないと、やる気が出ない。
『自分の生きる道は自分の意志で決めたい』と、馬鹿みたいだが本気でそう思ってるからだ。
そしてまた、生きてる内では、それが「とても価値ある行動」だと思ってる。

結局のところ、他人に「お願い」されて作りたくはないのである。
「他人からの強制力」は、どんな類のものであろうと自分の「心の余裕」を減らしていく。
俺がまだ未熟ゆえにそうなってる、それは確かだ。
他人の言う事をなるべく全て「意見として取り入れ」つつも、
自分の意志を揺らさずに「完全な平常心」を保つのは、まだ俺にはできない。
他人の期待を完璧に無視できるほどの「自分勝手さ」も、将来は必要になるのだろう。
その代わり、他人の期待を無視して遊びほうけるという意味じゃないので注意。
新しいものを作るために、「それまで作り続けていたものを放棄する心」も必要だ、
という意味で言ってる。

というわけで、シルフェイド見聞録ばっか作ってられないので、
第三話をのんびり面白く仕上げた後にコンパク用ゲームを作る予定。
目指すは、「俺以外の誰にも作れないゲーム」だ!
他人がどうやっても真似できない「何か」を掴む!!
っつーか結局はパクり不可なゲームを作ること!
昔はよくそれで泣かされたからな……。
ん?もしかして「既存のゲーム作っても意味ねえ!」って言うクセがあるのは、
それがトラウマになっとるからか?
結構そうかもしれんな……そういう意味では、俺は貴重な体験をしたわけか。
これだけは、強迫観念として持ってても別に悪くないかも……。

ま、どーせ「普通のゲーム」なんて、誰かが「勝手に作ってくれる」しな。
「待っててもきっと作られない物」を創るのが、真の「クリエイター」ってモンじゃないかね?
と、俺はそう思ってる。
そしてまた、それを実践していこうと努力してるつもりだ。
家族のしがらみや金の問題がなけりゃ、一生そうやって生きていきたいモンだけどな……。
でも、そんなわがままが許されるほど、世間は甘くないんだ。しゃあねえわな。

とにかく、誰も見た事のない物を創るために、頑張る。
ただ、それだけだ。

■ 10月26日(金) おう ■

おお、お気に入りのツクールサイトの更新がすでに二ヶ月止まっとる〜、
って、ツクールサイトでは普通の事なのだろうか。
製作グループだと余計に不安なんだけどなあ……まさか消滅……?

それはそうと、今朝学校に行ったら、明日、明後日の学祭の準備のためか
食堂の二階で寝泊まりしている連中を発見。ベンチに横になって寝てました。
中には寝袋持参なお方までおりました、さすがだ……。
相変わらず無所属な私は特に仕事も何もないので、気楽。
組織、というか部活に入ると確実に時間削られるのはわかってますからねえ。
それに自分の夢も持ってるし……何より自分から拘束されにいくのも好きじゃないしな……。
もちろん、自由な時間がヒマ、すなわち、ヒマな時間がある、っていう人は、
入った方が得かもしれません。
もしくは、その部活自体が自分の夢である、なんて場合も同じく。
こちとらヒマな時間なんてここ一年ほぼゼロ。
掲示板にレスする事すらおっくうなぐらいッスよ……
まあ、だから掲示板分けてるんですけどね。レス頻度順に分割。
その中では、感想掲示板は割とよい機能を果たしてくれてますな。
来た人も、ダウンロードする前にゲームがどんなものかを知るのにも便利だし。

ああ、でも情熱を注げる何かがあるって良いですなあ。
オタクな方もそうですが、やっぱし生き生きしてますな、うん。
生きる目的もなしに日々つらつらと無意味に生き続ける人間よりはマシ!
そしてゲーム作る側からとしても、オタク的情報仕入れて作品に利用するのは良き一手!
普通のコンシューマゲームの情報も大事ですが、あっち方面の情報も全部足して
分析した方が何かと熱いモノができるような気がしないでもありません。
何事も、片方だけに偏るとあんまり良くない気がしますしね……。
オタクスピリットとコンシューマ好きの気持ちが混ざり合って
シルフェイド見聞録みたいなビミョー(?)なゲームができたわけですし。
マニアがやってそう、な雰囲気を漂わせるゲームには、必ずといっていいほど
キャラクターに重きを置く傾向があります。
美少女ゲームと呼ばれるものの大半はそうですね。
ですが、コンシューマ的なゲームは、キャラよりゲームそのものの面白さなんかを
第一に置く傾向があると思ってます。
(最近はキャラに重点を置くのも増えてきたかもしれませんが)

んで、この両方を足してできたのがシル見です。
キャラに重点を置くという点だけ抜いてゲームにぶち込んだら
こんな感じになるのではないでしょーか。
っつーかまさにそれだけのゲームだったんで、それ以外のツッコミが大量に入って焦ったほどです。
だいたい、ストーリーの入ったゲームを作った経験がゼロという
致命的な弱点抱えながら作ってた事を考えると何だかなあ、って感じですな。
結局の所、私もほとんど初心者なんスよね……。
ストーリーの作り方、今から勉強しなきゃいけませんな。頑張ろ。

■ 10月25日(木) ドリィィム ■

今日見た夢は、

自分が冷蔵庫からビール(?)の缶と認識したものを取り出して、
プシュッと空けた後になぜか「さー、気(炭酸)が抜けるまで待つかあ」といいながら
冷蔵庫に戻すというという微妙な夢でした。
しかもその時点ですでに「うわ、勿体ねえ〜」って思いながらやっており、
結局おまえは何がしたいんじゃー!っとツッコミ入れたくなるような気分に
なったのは確かだったのです。

ガキん時から、夢を見ながら現実の自分が冷静に見てるという状況はたまにありましたが、
やっぱり「生」で見てるのは面白いですな、自分の夢って。
そういや、ガキん時は、夢見ながらでも体動かして、無理矢理目を開けて
覚醒するとか変な事ができたんですが、最近は無理ですな……。
昔は悪夢ばっかり見てたからなあ……夢見るのが嫌なくらいの夢がたまにあって、
無理矢理にでも起きるという手段をよく使用。
体が動くのがわかるのに起きられない、ってのは脳のレベルが低いからでしょうな。
そんでも、勝手に起きないで夢を見続けるってのも変ですが。

にしても、これって子供の時からストレスまみれって事でしょーか。
近代によくある問題なのかもしれんなぁ、ううむ。
ガキの目からしてみれば毎日が生命の危機。
少しでも変な真似したら殺される、と思いながら生きるんだ。
心の安まるハズの場所の家の中ですら、頼れる人間もいないしな……。
そんでどこに心の拠り所を求めるかというと、自分の殻の中に閉じこもるしかない。
でもここ数年は、それでも十分に解決できるようになった。ある意味、自立したんだろうな。
人間の悩みは、全部自分の中の考えから来る物だ。そりゃ、考えてみれば当然の事だな。
どんな出来事だって、必ず無意識の内に、自分の経験や意志と照らし合わせて考えてる。
自分の悩みは、自分の思考作業で直せるモンだ。
対人関係は、勇気を持って何かを言ったり、ガツンと言うのも必要だろう。
言えないなら、その勇気を持てるように自分を変えればいい。
仕事の上司で生活がかかってて言えない、とか言うならそれもいいけど、
怒らずに冷静に伝えれば直せる事も多いだろう。
もしセクハラとか、法に反する事ならそっち方面で脅しをかけるのも良し、だ。
多少ひどい事でもそれが必要ならやる、って勇気も、無いと生きていけんよ、最近は。

だが、自分は人に頼る事を知らずに生きてきたのかもしれんのう……。
人に「愛」を求めないタイプ、ってヤツか。
「誰かに誉めて欲しい」とか「何か頼んだらやってくれるんだろうか」とか、
あんまりそういう事は思わないんだよな、確かに。
妹は逆みたいだけど。現状じゃ、どっちもどっちか。

俺が愛を与えるっつーたら、やっぱ「正直に接する事」が一番の愛なんだよなあ。
おかげで最近は兄妹ゲンカが勃発しまくり。
今まで怒らせないようにウソばっかり付いてきたのと、一体どっちが悪いんだろ。
「俺が何も言わなきゃこいつは己の駄目な部分にも気付かずクサレ人生一直線じゃ!」とか思いながら
ぬるい言葉をかける俺。一見お互いを思いやってるように見えるけどこれじゃあ悪人だよな……。
やはり、「意見の相違」というものが無ければ兄弟ではありませんな、うむ。
ケンカするのが普通なんだろ、たぶん。
最近は誰にでも正直に言いたいこと言っちまうから毒舌野郎と化してますが。
ん?って事は、妹も他人も、俺から見れば所詮は同じ列の人間なのだろうか……。
そもそも、他人びいきとかもあんましない気もする。嫌いなヤツ以外は全員平等。
初カキコだろーが何だろうが、性格とか作品が良いと思ったなら素直に良い!と言うし、
甘えておるヤツには素直に助言し……いや、毒舌か!?まだ上手く伝えられないからなぁ。
まあ、とりあえずツッコむ。嫌われることなんて、すでに無視。
対象が無差別になっとる分、ある意味で妹より毒舌だな。
妹は、俺になら言っても嫌いにはならんだろうという信頼があって言ってくれるんだろうが、
俺って一体……いや、でも全部正直な感想なんだぞ。
言い方は間違っていても、内容は間違ってるとは思ってません!たぶん。
何年かしたら内容も変わるかもしれんけどな。俺もバージョンアップの一つや二つする。
ま、キツイ内容でも、多少はゆるく、上手に伝えられるように努力するさ……。
妹ももう少しその辺をなー、うーん。

っていうのが俺の正直な感想だ。って、相変わらず長い上に話の流れも変わってるし。
半分、連想ゲームみたいなモンなんですな、俺の日記は。
思い浮かんだ事をつらつらと書く、以上。って感じで。
その日によってポジティブな内容になったりネガティブな内容になったりして、
自分で見てても俺の精神状態はわかりやすい。
昔は、「恥ずかしさ」と「俺を良く見せようとする心」が働いて
全然素直に書けなかったもんなー。
当たり障りのない事をテキトーに書いて終わり、みたいな感じで。
まあ、普通の日記サイトってそんなモンだけどさ……。
とりあえず何かに対してツッコんでおくとか、やった事を述べるだけなのがよくある。
自分の素直な感想がほとんどナシ、なんだよな。
「自分が他の人とどう違うのか」ってのは、見られたくない部分なのかもしれん。
いつ俺がそこから開き直ったのかは知らないけど……。
「昔の日記」を消す事に罪悪感を感じるようになってからか?
それじゃあ2000年の始まりって事になるな……。

まあ、とりあえず30年分くらい日記が溜まる日でも楽しみにしようか。
それだけで「伝説の人」になれるかもしれない、とか、期待してみたりして。
にしても、16歳の終わりから付け始めた日記か……死ぬのが70歳でも、50年分くらい書けるのかな。
ネット日記はノートみたいに腐ったりしないので良いね。それにかさばらないし。
仮に人生に失敗しても、俺の生き様はデータにして残しておきたい。
誰かが同じ過ちを繰り返さないように、な。
成功したなら、参考にしてくりゃいいんだ。
どちらでも、人様の役には立つだろう。

■ 10月24日(水) たゆまぬ訓練が〜 ■

あー、今年分の日記のHTMLファイルが645KB超えました。
一行につき平均30文字書いてるとするとBRのタグで4バイト、
4/(30x2+4)と計算すると64分の4、すなわち16分の1が改行タグになってると考えると、
文章量そのものは約600KBってトコでしょう。
十ヶ月で600×1024÷2文字っつーたら30万と7200。
800字詰め原稿用紙に段落分け無しでギチギチに詰めて書いても384ページ……ふう。
活字離れのこの御時世、誰も読まねえよなあ、うう……。

そういえば、聞いた話だが、最近、人間って活字を認識する能力が高いばかりではないらしい。
文字を読んでもあまり脳に伝達されず、読んでもあまり頭に入らないという人は意外に多いという。
最近の日本は識字率が非常に高いが、ほんの100年前までは識字率も結構低かっただろうし、
そもそも、ここ何十万年の間、そんなモンが無くても生存できたのだ。
遺伝子的に「読書障害」のある人間が多い可能性は、非常に高い。
もちろん、本気で全く読めないレベル、というわけでないだろうが、
文字に対する認識能力が足りない(もしくはそれが普通かもしれない)人はそれなりにいるだろう。
自分から活字を読むほどに「読書適応」な人は、DNA的にも少ないのかもしれんな……。

意外と、これからはこういう「感覚」の時代が来るのかもしれない。
感覚が高い人間は、生き残る。
良いものを作るには、感覚が要る。ってな。
何かに気付く能力、何もない所から知る能力、調整するための精密な感覚。
……色々と、生まれつきの能力の差が出てくるのかな。
だが、努力する才能ならわずかなりともある!馬鹿は馬鹿なりに頑張ってる!!
才能がなくてどんなにあがいて駄目だったとしても……
って、いや、そんときは人と協力するべきなのか?
それじゃあ、「人と協力する」ってのは、それぞれの個人の強い感覚を
いいトコ取りして、人間としての感覚を高める為、って割り切るのもいいかもしれんな……。
ま、それはやって駄目だった時の話だ。
耳が駄目なら、それ以外の五感でカバーする事も不可能じゃないし。
いざとなったら英語圏の人達と筆談で話すとか、そういう代用手段ってのはどんな時でもある。

……でも英語が嫌いでも音楽は好きなのな、俺。
むしろ英会話の部分か。プログラム言語とかは大得意で、
英語の文章自体は覚えるのはまだマシだが、口の真似はしんどい。
発音が変とか言ってレポート大量に書かされた時代の嫌な思い出もあるし。
正しい国際人は自国以外の言語を二つ喋れければナラナーイ、のだろうか、死にそう。
世の中が全て文字言語になってくれれば助かるのに……はあ。
とにかく、筆談だけ、即ちインターネット上だけでも、まともにしゃべれるようにしとかんとな。

これは言い過ぎだが、たぶん俺の脳の中では音は1か0しかわからん。
小さい音でも気づけるが、たくさんの音から一つだけに気付くのは不可。
それぞれの波の波長は分けては受信できない。
たぶんな。上の事は、俺の感覚に気付いた日から、周りの人間見てて何となくわかった事だ。
訓練で身に付けばいいモンだが、20年近くこのままってのも疑問だよなあ……。
うーむ、欠点直したい症候群、が発動中だ。
向上心の源なのはいいんだが、遺伝子的な事まで無理に治そうとすると
心が身体改造まで行っちゃうので危険かも。
三週間くらい頑張ってるのに成果がほとんど上がらんって何じゃあ、うおー!
いやいや、そもそも「成長して当然」という発想を捨てなきゃいかんな……。
でもこれを捨てると俺の唯一の馬鹿の一つ覚えの向上心も……ああ、俺はどうすればいいんだー!?

まあ、とにかく気長にがんばろー……俺にできる事をやる、
というのから始めなきゃいけないんだよな、結局は。
最初から諦めるってのは、俺から見れば「負け」なんだけどな、なんだかジレンマ。
意地を貫き通したいが、色々やってきた経験から「無理だ!」って直感が教えてて、
俺の意志は「なせばなる!」って言ってて、知恵は「時間の無駄使い」って思ってる。
○:×が「1.3:1.7」ってトコか。困るなあ、こういう状況。
たいていは「3.0:0.0」とか「2.5:0.5」で即決なんだが。
さて、どうやって自分を納得させれば良いものか……。

■ 10月23日(火) たまにはツクール談義でも ■

最近は色々とツクール業界にも動きがありますなあ。
ネオガイア内ツクールプラネットでは「千年期の少女」なる作品が
テックウィンに連載されはじめるそうですし、
デジタルファミ通は昔のソフコン形式に変わりましたし、
まあ色々とやっておられる事で……。

うーん、にしても「千年期の少女」とかグラフィックすげえ。
とは思うんだけど宣伝ムービーの説得力があまり……いや、負け惜しみに聞こえるから止めだ。
でもなあ、もう少しゾクッとする言い方もあるだろうになぁ。
おそらくあの方々も意識しておられるであろう、ファルコムの宣伝ムービーはハイレベルよー。
見てるだけでゾクゾク感が沸くあの感じ、たまらん。
つっても、「素晴らしい言葉の使い回し」っつーのは、
個人にゆだねられてしかるべきモンだから、人間がたくさんいても
文字表現のマックスレベルはあんまり変わらないんだろうけどな……。
この辺はやっぱり才能の次元なのかなあ、それとも、技術の差なのか。

たとえば、いつか使おうと思ってるんだけど
(もう誰か使ってたらすまぬ、Google検索には無かったが)、

 『世界は、沈黙を語る』

とか、そういう表現に何となくゾクリと来るものが、
って自分で言って置いて何だって感じですけど。もち世界観に基づいた台詞ね。
上の文章も俺的にはまだまだヘボですが、
その文字列の意味する所が一体何なのか、わかりそーでわからんけどでも壮大な表現、
ってのは、作ろうとしたらだいぶ難しいのよ!
「わかりそうでわからん」ってのは、引き込む為に結構必要な要素だし、
「壮大な表現」ってのは何となく背筋がゾクっと来るもの!!
これ無くして正当派でお客さんを引き込むのは辛いかもしんない。
宣伝ってのは、一番根性込めなきゃいけない部分だと思うんだけどなあ……。
……ま、いいや。文句付けたってしゃあねえな。

最近は月60〜70KBという激重の誰も読まない事で有名(?)な日記書いてるから
多少は文章力も上がってるかな……いや、なんか違うな。
どこが変わったかっつーと、いかに率直に己の意見を述べられるか、な気がする。
「表現するのに適した言葉」がないときは多少難しい語彙も使うが、
基本的には、いかに自分の言いたいことをまんま書くか、のレベルが上昇してんだよな。
もっとも、それを「まとめて分かりやすく」するのはまだまだだが、
日記一発書くのに3時間とか費やすよーな馬鹿な真似ができるほどに集中力が増大したのは確か。
この集中力を少しでも耳に分けてやりてぇ……目が凄くても耳がバカでは音楽作りがしんどい。
なんつーか、聴覚部分の脳の機能が、目と思考作業用の部分にだいぶ回されてしまった感じがするのう……。
だが、普通の製作グループに太刀打ちできるくらいになるには、やっぱいつかマスターしなきゃな。
その気になれば、全部標準レベル以上目指すのも夢じゃない。
人間一人でやれる事なんざ、たかが知れてる、って思うのもいいし、
人間一人でもここまで出来るんだ!って頑張るのも、また良し。

「協力」は一人で立ち向かえないような困難に面した時に非常に重要になるが、
「己そのものだけに対する自信」も、あって損は無し、だ。
自分に自信がなくて、協力さえすればどうにかなると思ってる連中も多いけどな。
物質世界ではそれが大きく当てはまるかもしれんが、ネットは半分精神世界だ。
素晴らしいモノは、HDD以外の「情報を入れる媒体」は特に無しで多くの人へ伝えられる。
フロッピーやらCDが無くてもダウンロードできる、紙がなくても絵や文章が見れる、って意味でな。
だから、たとえ一人の力でも「質」が良ければ、その分だけ強力な存在になる。
「量産」なんて言葉が似合わん世界だ。
ありきたりのものをそれなりの時間で作るより、
とんでもなく凄いものを長い時間かけてでも作る方が、大事だと思う。
たった一人のクソガキでも、心と実力があれば尊重されるんだ、悪いこたぁねえ。
だから、自分を信じて、実力の底の底まで引き出せるようにする!!
そして徹底的にこだわる!それが大事!!

つーか、今回は自信過剰じゃなくって、自信不足になってたっぽいからな、
標準レベルまで戻さんといかん。
意識してニヤる(ニヤリとする)、拳を思いっきり握って「うし!」と気合い入れてみる、
などなど無理にでもやれば案外すぐ戻るけど、最近忘れてたんだよな、ううむ。
いちおう、自信を持ちすぎないよう、及び自信喪失にならない程度に自信を持つ!
半年くらい前から頑張ってる気がするけど全然身に付かないぞ!この技術!!
もしかしたら一生モノかもしれんが、まあそれも良し!
とにかく、気合い戻して頑張ろか!うおおおおー!

■ 10月22日(月) やべえ ■

お、俺の右手の親指、左手より7mmも長い……。
病気ちゃうかー、とも思ったけどよく考えたら小学二年生の時まで指吸ってたから当然か。

それはそうと、今日はセロトニンについて学んだ!!
特命リサーチでもたまにやってるけど、セロトニンってのは脳の神経伝達物質で、
これが足りないと情報が上手く伝達されず、何もかもが意味のないものに見えたり
状況がヤバくなってきても「その状況を情報として受け入れられない」から、
全然やる気がなかったり鬱になったりとかそれっぽい感じになるそうです。

あと、心の傷がセロトニンの分泌を悪くするそうです。
さらに、ストレスなどの心の傷は、実は脳の神経細胞にも傷を与えるらしいので、
ストレスまみれになってる人は普通に鬱状態になってる上に
回復しようとする意志すら存在しない状態になってるようなので、
どうしようもねえ状態に……って、俺も昔そうだったなあ。治ったけど。
自分で心の癒しができるよーになったから、か?
まあ、ニヤリと笑えばたいてい勝手に自信が湧いてくるモンだ、うん。
……つっても、最近、全然笑ってないなあ……大丈夫か、俺。
単に自信無くしてるだけだろうか。
他人との感覚の落差にショック受けたり
己の力の無さに愕然としたり、っつって色々あったしねえ。
耳はどうしようもないが、力の無さは努力オンリーだ、気合い抜けてたら何もできんな……。

でも、耳といえばテレビ付けながら話すのだけは止めて欲しい気も。
テレビ付けながら話しされても全然耳に入らねえんだよな……。
テレビだけか話すだけかどっちかじゃないと……って、
並列思考能力を身につけるなら、片方だけ聞けるようになるのも必要、か……。
大学の教室での講義とかも全然向いてないしなあ、誰か喋ってたらもう聞こえない。
いや、聞こえるのは聞こえるんだけど声が混ざって何言ってるかが聞き取れないんだ……ううーむ。
本読んで勉強した方がよっぽど頭に入るんだが……なんで大学の先生って黒板に書かないんだ?
高校の時は全部ノート写して後でじっくり見れば授業聞けなくてもわかったが、
大学になるとほとんど耳だけで聞かなきゃならんのよ、ひでえや、くそ。
やっぱ聴力矯正に努めなきゃいかんのかなあ、うーん。
でも周りのみんなはすでに最初っから聞くのを放棄してるような人も……ひょっとして同類か!?
にしても、これって音の選別能力にも繋がってんのかなあ……
音楽でも、楽器一つの音だけを意識して聞ける人って意外と多いみたいだし。

たくさんの声の中から一つを選別して聞く能力か……あって普通なのか、
それとも無いのが普通なのか。
いや、そもそも「普通」って概念も、よくわからんけどな。
みんな自分の感覚が「普通」だと思ってるんだし、頑張ってもなかなか理解するのは難しい、か……。
先生が「静かにしなさい」って言うような状況になっても、
まだその時点で先生の言ってる事がちゃんと聞こえてる人もいるし、
一番前に座ってても先生が注意するだいぶ前から聞こえんヤツもいる……俺だけど。

ゲーム作るにも、他人と自分の感覚の差が大きく出てくる。
感覚の差を理解するのは、これからの課題の一つかもしれんな……。
だが、(もしかして他人より劣っているかもしれない)悪い感覚を
備えてるってのは、逆に言えばそういう人達の気持ちがわかるって事だ。
たくさんの経験をする上では、才能ばかりでなく、
「治しようがないでかい欠点」とかも、感じなきゃいけないんだろうし。
皆の聞いてる音楽はどんなのだろう、いい気分になれるんだろうか、
今よりもっと鮮明に聞こえるんだろうか……とか、色々思う。
これが目の見えない人なら、皆が見てる風景はどんなものなのか憧れ、
自分もその感覚を共有したいと強く願うけど、どうにもならない気持ちがあるんだろう。

まあいいや、とにかく俺の中では俺の聴覚は普通って事にしとこ。
もしかしたら人より悪いかもしれないなあ、程度で構わない。
どうせ、生きてる中で重大な支障が出る時なんて、無いしな……。

■ 10月21日(日) どひゃー ■

人間は両手で10までしか数えられないといいますが、
よく考えりゃ、片手だけでも二進数を採用すれば16+8+4+2+1で31まで計算できる!!
01001(二進数)=9(十進数)を表現したい場合は右手の薬指と親指を立てれば良し!!
両手まで採用すれば最大2047までOK!!既存(最大10まで)の200倍じゃねーか!!
しかもこれ、桁数が増えれば増えるほど表現できる数が二乗で増えていくから
二人で協力して指20本使えば2097151!!200万ですよアンタ!!
指を30本用意したら2147483647!?20兆!!
指が10本増えるたびに1024倍の数を数えられるようになるので、
10人で協力して指100本使えば2535301200456458802993406410751!!
宇宙のでかさですら「10の28乗」cmしか無いんだから、数字だけならすでに超えとるぞ、これ。
ちなみに上の数字の羅列は「2.5」x「10の30乗」。
ううーむ、凄い。
問題は計算がちゃんとできるかどうかという事だけだが、
それを抜きにしても10人で宇宙のでかさを表現できるくらい凄いのはなかなかにアンビリーバボーである。

あ、そうそう、一つ下に書いてある日記はぬるいヤツには関係ねえ!!
というか、ちょっとサイトが軌道に乗ってくると必ず来る障害だかんな、他人に傷つけられるのは。
もっと軌道に乗ってくると、利点の分だけ傷つけられるのが当然。
だがそれに慣れれば全然平気なんだがね……あと、他人に傷つけられないような行動もとれるようになる。
高慢ちきな野郎は必ず潰しに会うから気を付けるように。
慢心せずに済むという点ではよろしいのだがねえ。
特に、ゲーム関連は色々言われるモンだ……
面白くねえ、こんなんクソ作品じゃ!!
って言われるのも普通なら、面白かったと言われる事もある。
ま、その辺はまだ序の口なんだがな……ふふははは。
人の見えない所で、大サイトの管理者潰すのが己の強さの表現だと思って色々やってくれる方もおりますしなあ。
だが、そういう連中のいるトコの方が危険で面白いモンだ。
「あんたらが潰しにかかるなら、俺はしつこく生き抜いてみせる、
 潰しがあんたらの強さの表現なら、生き抜く事が俺の強さの表現だ」
って、思えるからな。
まるで思考が動物だけどな、弱肉強食……。
別の意味で言うと、そんだけワイルドなヤツじゃないと頑張れないのかも。

とりあえず、理知的でワイルド(前向き思考含む)で努力家な人になりたいモンだ。
ついでに、誰かさんが生きるための「見本」にでも、なれたらいいんだがな……。
って、まだヒヨッコのガキが考えるような事じゃねえか。
まあ今は馬鹿みたいに頑張るのみ!!

■ 10月20日(土) 人間 ■

心の底から、誰にも言われずとも頑張ろうと思える事が「何かを作る」
という事である人は、少ないらしい。
たいていの人は、「消費」する。
食料でもゲームでもテレビ番組でも、音楽でも絵でも小説でも。

ホームページを持ってるかどうか、というのは、一つの差だ。
表現したいものや、人に与えたいものはバラバラだが、
何かを「作ろう」とする意志が、そこにある。
そして、その大半は「無償の何か」だ。
その「何か」は「情報」かもしれないし「創作」かもしれない。
だが、とにかく金が絡まない事は、多い。
報酬は人の声。
たとえ本人の前では当たり障りのない事を言ってても、どこかに必ず真実の言葉がある。
本人にはとても聞かせられないような、心の底からの感想だ。

この世界で強く生き抜くなら、図太い神経が必要だ。
辛い事をたくさん言われるのは、最初から覚悟しなければならない。
聞きたくもないような辛い事を言われ、しかもそれが正論だったらなおさら、
平気な顔して頑張り続けなきゃならん。
そしてまた、その言葉を受け容れられるようにもならないといけない。

古来より日本の文化では、直接的に物事を言うという事は、あまりしない。
人の顔色をうかがっては、思ってもいない事を口にせねばならない、
まるでガラスのような友情と愛の中で生きてきた人には、この世界は耐えられないかもしれない。

自分は、心を心をぶつけ合えるこの世界が、やはり好きだ。
自分と知りあってる人が辛い真実を述べられなくても、
誰かがその辛い真実、すなわち「間違い」を、自分に伝えようとしてくれる。
それはたいてい、厳しい言葉で、正論だ。
俺はネットの世界で、親に教えられてきた以上に様々な事を教えられてきた。
俺が「尊敬すべき人などいない」というのは、この世界全体がまさに尊敬すべき師だからだ。

正論を言葉にして述べられるほどに世の中を知ってる人、
その正論はその人を傷つけるであろうと思って、わかってても言わない人、
最初から何も分かっていない人、
むやみに人を傷つけようとする人、
中途半端な友であるがゆえに何も言わない人、
本当に友であるがゆえに辛い真実でも正直に言える人、
負けを認めるのが嫌で強がる人、
負けたフリして実は自分の勝ちだとほくそ笑んでる人、
相手を自分の手の上で動かそうとする人、
熱狂的になりやすい人、
いつも傍観している人、
ウソばっかり言ってる人、
何か言いたいけれど遠慮が邪魔して言えない人、
自分の強さ賢さを見せつけたいがゆえに無駄に話す人、
いつも偉そうにしてる人、
いつも愚痴ばかり言っている人、
誰かに勇気を与えられる人、
自分の正直な感想を言ってるつもりで、本当は言えない人、
自分勝手な都合を他人に押しつけようとする人、
他人からいい人だと思われたがってる人、
他人に嫌われてもいいから、自分のやりたいようにやる人、
いつも前向きに何かを頑張ろうと思う人。

ネットの世界には、色んな人がいる。ネットの裏にも、表にも。
普通に生活するよりも多くの人と出会い、多くの人の考えを知り、
そしてまた、自分が他人とどういう風に違うのかを知ることが出来る。
自分は、自分の嫌いな種類の人間を見て、そうならないように努力する事ができた。
そして、自分の好きな種類の人間を見て、そうなれるように努力する事もできた。
両親の生き方は、必ずしも自分と合ってるとは、思わなかったから、
だから自分の目で見て、知って、そして生きる目標を定めた。
とはいっても、「困難と戦う考え方」は、ほとんどマンガから学んだんだけどな……。
実際に「困難と戦う考え方」を持ってる人間は、まだ会った事がない。
どんな時も前向きで、ただひたすら情熱に燃えていて、
困難に対して、どういう考えを抱いて戦えばいいのかを、真に知ってる人。
自分は、そういう人間になりたい。
多くの人や物事を見てきて、一番いいなと思った生き方だ。

ネットは、どんな人間になりたいかを知る事のできる世界だと、俺は思ってる。
俺を強くさせてくれたのは、まさにこの世界だ。
思春期の真っ直中を、人生史上見たこともないような、
人間のドロドロした部分で飾ってくれた。
心のナイフを振りかざし、本気で心の殺し合いをしてるような、そんな光景を見た気がした。
俺は、その逆になりたいと思ってる。

■ 10月19日(金) うふははは ■

最近、一日の食費が通常より(39円+69円)×1.05(消費税)くらい増加しちまいました。
冬になるとやっぱり喰うなあ、とほー。

■ 10月18日(木) ふふ…… ■

ドラゴンスケイル改造、主人公の能力に「龍化」コマンド追加。
使うと3ターンの間ドラゴンになってステータスアップという代物。
本当はブレス攻撃とか付けられたら面白いんだけどな……。

んで、散々そこらでドラゴンスケイルがラングリッサーなるゲームに似てると
言われてしまっているので、路線変更しようと思ってます。
やっぱり既存のゲームの真似したって面白かねえモンな。
それに、仮に特殊なシステム搭載してるとしても、外見が似てるだけで
相変わらずパクリと言われる可能性は極めて高い!!ためです。
ついでに、システムの大幅な改善も。
シミュレーションなるゲームは、プレイヤーの行動が戦況に左右されなければいけない!
という前提がたぶんありますので、戦略の幅が広げられるような特殊な基本システムも考え中。
が、「シミュレーションにおける偶然性」は相変わらず完全排除。
セーブしてロードしてクリティカル出るまでやり直しじゃあ!という
プレイは基本的に気にくわないし。
その代わり、プレイヤーが自分のプレイスタイルを追求できるような
システムとか入れなきゃいけないわけで……ううーむ。
まあ、色々頑張ってみるかあ。
もっと毛色の違った、既存には無いシミュレーション作ってみたいモンだ。

っつーかそれ以前にRPGツクールで普通のRPGまだ一つも作ってないなあ。
それもそのうち作りたい……し、シルフェイド見聞録も作りたい。
むう、やりたい事だらけじゃねえか。学校無かったらもっと作りまくっとるぞ。
でも、将来この趣味を仕事にすると、辛いかもしれんのよね……どうすれば良いものか。
道楽だけで一生を生きるほど、気が引ける真似もしたくないし。
いつかケリ付けないとな……ワーキングシェアが実現されれば、
自由な時間はできるんだが……。

最近は、夢を追う人間には、厳しい世の中だ。
「金」や「生き残り」って目的のために頑張るようになってしまったら、
俺の中の「自由」は無くなる。
今の自分は、「何をするか」を選択できる時間がある。
その時間を使えない人間は、勿体ない事にその「自由」に対して「ヒマだ」と言う。

いつからか、俺は「ヒマだ」という言葉を、全く使わなくなっていた。
「自由」をほぼ全て「夢」につぎ込める自信はある。
でも、「自由」じゃない「夢」、つまり「仕事」にしてしまうと、
「自分から何か新しい事をやってみよう」とは、思えなくなってしまう気がする。
ただ「ノルマをこなす為」だけに頑張っていては、そこに「自分の意志」など感じられない。

俺は、自分で「何かを選びたい」し、「自分の意志」によって生まれた何かが
「結果」になって帰ってくるのが、一番嬉しいと思う。
「命令される」ことに、「自分の選択」は無い。
また「自分が選択してる」気分にもなれない。
またそうやって「他人の意志」から生まれた何かが、たとえ人から良いと言われても、
俺はあまり、やりがいを感じられないだろう。
その「他人の意志」は、何も立場の強い者からの物だけではない。
立場に関係ない人の期待や、その他の意志も、俺を狂わせる。
例えば、誰かの期待に応えようとすると、
自分の判断――今自分が一番したいのは何なのか、何が正しいと思ってるのか――が、わからなくなる。

ただ、期待は別に無視したとしても損はしない。
他人に見限られても、俺は新しい物を創りたいという気持ちは消えないし、
その新しい物で、また誰かが喜んでくれるかもしれないから。
問題は、金を得る為に「命令される側」についてる場合だ。
見限られたら、首が飛ぶ。そして金が得られなくなる、ジ・エンド、だ。
気が付けば、自分の中で一番大事な事が「好きな事をやる」ではなく、
「金を得る」に変わってしまっているだろう。
そして、金を得るだけならもっと簡単な方法もある。
金があれば生活できる、生活できれば好きな事がやれる、そういう思いこみが出てきたら、
犯罪だろうが何だろうが手を出してしまうかもしれない。
何せ、銀行を襲って2億でも得られれば、あとの人生、全部自分の夢につぎ込めるんだからな。
中途半端なままで死ぬか、「本気で夢に努力できる環境」を自分の手で作り出すか、
これで言うと、銀行強盗は後者のパターンだ。
本気で夢を追い求めようとする人間、自分の夢が金という存在の為に
汚されるのが許せないと思う人間なら、
ここまで大きな事でも、平気でするかもしれない。
心の底から、真剣に夢を追い求める人間は、そんなモンだ。
夢を真剣に追い求めない人間には、わからないだろけれど。

でも俺は、銀行を襲うくらいなら、金を得るために他の事に時間を取られて
中途半端なままに死んでも別にいい、と思ってる。
普通と言えば、普通のことだ。
悲しいが、社会のルールは守らなくてはいけない。
自分一人のために人に迷惑をかけるのは馬鹿な事なのだと、親から、先生から、友から、学んだ。

結局、
他の人間も、そうなのだ。
自分の夢には、「残った時間」だけしか費やせない。
なぜなら、生きる糧、たとえば金を得る為にも、時間を費やさねばならないから、だ。
しょうがないから、自由な時間を全部、夢に費やそうと思う。
でも、子供が産まれるとそうも行かないだろうし、金を得る為の仕事が忙しくなっても、夢に時間を費やせない。
気が付けば忙しい生活に慣れてしまって、自由な時間を使う術を忘れているかもしれない。
そして過去の夢の事など全て忘れ、何をしたかったのか思い出せぬままに死んでいく。
そんな虚しい人生は、送りたくない。

だが、どうすればいいのかは、まだわからない。
誰かの元について金を得られる仕事をしつつ、それと並行して夢を追うか、
それとも、誰かの元について夢を仕事にするか、
はたまた、誰の元にもつかずに夢を仕事にするか。

誰の元にもつかずに夢を仕事にできるなら、それもいい。
でも、それがグループであるなら、他の人間にも仕事、つまり金の事情が出る。
それはそれで厄介だ。
金がない、仕事をくれ、と言われたら、また焦って何かを忘れる。
結局、相手が上だろうが下だろうが、「命令・要求」されると本気出せないんだよな……。
とはいっても、各自に足りない、もしくは低い能力は仲間達でカバーしあうしかないのだが……。
でも、仲間の有無には関わらず、フリーランスで生き抜けるぐらいの実力は欲しい。
インターネットの存在によって、ソフトの物量の時代は終わる。
どこの企業に頼まなくても、自分自身で販売が行えるようになるからだ。
どうせ、元手はほぼゼロだ、真に実力がある者なら、生き抜けない事もない。
これから社会がどう変わるかにもよるけど、な……。
世の中、そんなに甘いものではない事は、とうの昔にわかってる。
だから余計に迷ってる。
他人の元で依存しつつ夢も並行して追うのか、
他人の元で夢を仕事にするのか、
それとも、自分の力に全てをかけ、夢を仕事にし、それを追って生き抜くか。
「組織力」という安定した力の元にいる限り、夢は多少なりとも遠くなる。
能力があるなら、誰の元にもつかず、自分の力で頑張った方が
遙かに早く、多くの「生きる糧」を得られるかもしれない。
そうすれば、金の為に働く回数が確実に減る。
その分、別の事で仕事をしてる状態より、金を取らない努力がたくさんできるかもしれない。
だが、それは常識からは結構かけ離れた行為だ。
家族には、認められないだろう。
フリーランスで仕事するなんて普通は認めない。
子供には不安定な道を進ませたくない、そう思うのが普通の親だ。
やるんだったら、文句なしにOKが付けられるほどの結果を出すほどに、頑張らなきゃいけない。
それなりの「数字の」結果も、出さないといけないだろう。
だから今、頑張ってんだけどな……社会で通用するレベルには、いつ到達できるものやら。

■ 10月15日(月) ぐはあ〜 ■

や、やっぱり何か作り始めるとヘボくて見てられません。
俺は一体どれだけのレベルを求めてるんだ〜、うお〜。
この不満を抱えたまま作れっつーのはやっぱり拷問に近いなあ、ああ……。
まあ、そんでもやれるだけやるしか無い、か……。

とりあえず、目標がちょっと高すぎるだけなんだよな、たぶん。
少しでも追いつけるよう、頑張ろう。

■ 10月14日(日) ふう ■

俺のゲームなんだから好きにやりゃあいいや、もう。
「技能」なんてモンは、頑張ってりゃいつでも後からついてくる。
だが、いつも通りに続ける代わりに、これからは何か
革新的なレベルアップが図れる場所がないかを確かめながら、作る。
それならちっとは、何かが変わるだろう……。
悪い部分が大量に溢れ出てるけど、それはそれでいいモンだ。

初心者は、全部の事を一気に意識して何かを作れるわけじゃない。
最初は一つの事を直せるように努力する、慣れたら、今度は二つの事を直せるように意識する。
そうやっていく内に、多くの事を一気に並列して意識できる「経験」が生まれる。
今の俺に足りない部分は、数えるとたくさんある。
どうすれば面白くなるかをリストにして、それ見ながらでもゆっくり成長していきゃ、それで良し。
つまらないなぐさめにしか過ぎないが、普通にフリーウェア作ってる人達の中では、
それなりの結果は出せているような気もするしな……。

結局、頑張って頑張って考え出した答えっていっつもコレなんだよなあ。
何か革新的な事が思いつきそうな気がする時は、一旦諦めてから本業入って、
それから実際にやって気付く、ああ、ここをこうすればいいのか、と。
やっぱこれじゃあいかん、やっぱり上手く行かないって言ってる内に吹っ切れて、
とりあえずその革新的な何かに近づけるように小さな努力から始めるかー、って
言ってやり始めて、やっとその「革新的な何かを掴む」のかもしれない。
「革新的な何か」を得られないか、って思う瞬間は、
単に「革新的な何か」に気付いただけで、技術レベルの点では追いついてないのかもしれない。
あるのは知ってるけど、「その段階ではどう頑張っても得られない物」か……。
現実的に言えば、買いたい物はあるけど金は無い、って状況かな。
欲しい能力はあるのに、技術が足りない。
でも少し技術を足せば、能力を得るのに足りる……。
だが人は、その能力の存在に気付いてすぐにでも得ようとするけどやっぱり無理で挫折する、のかな。
意外に、この辺って心臓破りの丘なのかもしれんなあ……。
すぐに丘を越えるなんてハナから到底無理で、一番の近道はただ道を歩み続けるのみ、ってか。
俺の場合、「道を歩み続ける」のは「作る事」だ。
丘を越えたら、きっと革新的な何かが見える。
っつーわけで、スランプってる場合じゃねえな……考えるよりまず動け、か。
だが、色々とウジウジ考えてたのも無駄じゃない。
俺が今求めている「革新的な何か」ほどではないが、多くの技術や考え方、観点を身につけた。
作ってばっかりじゃなくって、たまには「勉強」するのもいいモンだ。
ウジウジするのも、今の俺には必要だった、って事だな。

まあ結局、何をしてても全ては俺の糧になるモンなんだよな……。
己の心に自然に生きる事は、俺にとっては良い事だ。
ありのままの己を表現するのは、創作する人間にとっても必要な特徴だし。
くじけそうになる時は、俺にとってくじける事が必要だからくじける。
嫌になりそうな時は、やっぱり嫌になる事が必要だから嫌になるんだろう。
そう思って生きると、俺の中のどんな感情でも許せる。
感情を許すと、負の感情はすぐにおさまる。
妬み、悲しみ、怒り、苛立ち、恐れ、などなど。
「何で自分は恐れてるんだ!俺は恐くない、恐くない!」って思うよりは、
「恐いのは当たり前かあ、しゃあねえな」って言ってる方がよっぽど気が楽だし。

ま、いつも通りで頑張るか……色々考えた割には答えはつまらんのう。
何はともあれ、シル見シークエンス3製作開始。
シークエンス2よりは面白くなるよう努力します。

■ 10月13日(土) 色々と才能ってあるのね…… ■

音楽を聴く時、一つの楽器の音に集中して音階を聞ける人がいるという。
4つ以上の楽器が鳴ってても、ピアノだけの音を聞くとか、ドラムだけの音を聞くとか
そういう事ができる……らしい。
これは絶対音感とかそういうのじゃなくて、普通に音楽鳴ってる状態で
一つの楽器の音(たとえばピアノだけとか)に集中して聞ける、ってモンだそうです。
やっぱ色々と凄い人はおるもんですなあ。
高速で音が流れてるよーに聞こえるのを、ラインごとに一つ一つ分解できるってのは、
作曲する上ではやっぱり必要、なのだろうか……。
まあ、ソロ演奏機能という強い味方もいるし、これは別にいいんですけどね。

やっぱし「感覚」ってのは人によって大きな差がある……んだろうなあ。
人間は皆違う、とは前々から認識してるつもりだったけど、
実際に違われると色々と物悲しいものがあるな……。
霊が見えると言ってる人も、それが霊だと証明する物が何も無いから、
仮にモノホンでも他人から疑われざるを得ないわけで。
うーむ、確かにそんな人が可哀相な感じはするが……。
だからといって霊を信じたりはしないなぁ。
無いという証拠も無ければ有るという証拠も無い。すなわち確実な答えは「不明」だ。
結局どんな物も、それが本当はどんな物かも知らないまま生きなきゃならんのかぁ。
俺の聞いてる音は、他人に聞かせるとどんな感じなんだろうな……。

でも結局の所、俺が信じられるのは自分の感覚だけだし、しょうがないんだよな。
ある物を間違えた情報にして身に入れてても、
その間違えた情報をそのまま発信していればそれは正しい情報だ。
世界が逆さまに見えてる人が、そのままスケッチブックに
逆さまの世界の絵をそのままそっくりに描いてるつもりであれば、
それは結局、普通の人が描いた、普通の世界を描いた絵にしか過ぎないのだから。

絵もゲームも音楽も全部一人で作れるなんて人もそうそういないし、
無理しない程度に頑張って、結果が出たらもっと頑張りゃ、それでいい。
ゲームもゲームで、色々と考えなきゃな……ううーむ、課題多し。

■ 10月11日(木) ははーん ■

耳では辛いので今度は手でやってたのですが、やーっとわかりましたよ。
スピーカー握ってる時の音が高い時の手のふるえ!
「ファ+ラ」くらいまで来るとわずかにビリビリ来る感じになる!!
さらに音が上がればビリビリが強くなるのでよりわかる!
けどあまり高い所まで行くと今度は逆に何も感じない!
これを使えば楽譜のちょうど真ん中辺りの領域なら音が判別できるかも!
低い音、高い音の判別、もしくは単一の音の判別は未だ不可!
というか、最低でも二つ以上音符が鳴ってないと、手では感知できません、うーむ。
ま、使えるモンは全部使って、音を聞こう。頑張らないとな。

そういや、最近の自動作曲ソフトって上手く出来てますなあ。
伴奏とかも勝手に作ってくれるから、こういう部分は結構使えそうです。
ま、便利な世の中になったモンだ、うんうん。

■ 10月11日(木) うーむ…… ■

MIDIサイト巡りしてたら、デジファミ音楽堂にも大量に掲載されておられる大嶋さんのサイトを発見。
やはり上手い人のは全部見ておいて損はあるまいと思って、
とりあえずMIDIダウンロードして片っ端から中身見てみるんですが……
初心者目から見ても「ずぇったいに弾けるかこんなモン!!」って感じの譜面でした。
音符が大量に重なってて潰れて読む事すら不可能っぽいトコとか8分音符が1つと16分音符が一つで
16分の3効果とか、慣れた人ってこんな事平気でやるのかーと感心。
同じ楽器の音は1ラインに全部まとめてあるから、二つ以上のメロディが重なってる事もよくある。
何より音符の上の「3」とか多い……音程とかリズムを聞いて判別できる人はいいんだろうけど、
音の流れを主に想像に頼ってる組には、複雑になると逆にキツイのう……。
どちらかというと、音の長さって色んな音符とか休符とか組み合わせて無理矢理合わせてるのかな。
何となく、そんな感じがしないでもない。
というかDTMでは、通常の楽譜に使われてる基本的な記号の一部が欠けてるから、こうやってんのかも。
だが、だとするとMIDIとかで音楽作ってる方々って「理論」より「耳に合わせて」作ってるんだろうか……。
だったらそれキツイなあ、本当に見込みが無くなってきちまうぞ。
ノーマルな音感、リズム感すらヤバイっつーのに……どんどん虚しくなってきた……。
っつーかヘッドホン音量マックスで聞かないと、
音が上がってるのかどうかわからんので耳がキーンキーンと。
うーん、頭痛い。体に犠牲負うよーな事やるとやっぱ辛いですな。
特訓は一日一時間までに抑えるかあ……とほほ。

まあ、耳とリズムが馬鹿でも、理論に基づいた方式だけでどこまで行けるか
試してみるのもまた一興、か。
幸いにも、音の流れはこうしたら良いだの、資料もネット上にたくさんあるし。
感性無くとも理論で勝負〜、って、そういやMIDI自動作成ソフトってあったよなぁ。
MIDIを一体どういう原理で作ってるのか、っていう指針になるかも……。
一回それでMIDI作りまくって内容を見て勉強するのもいいな。
結構オススメしてる人もいるって事は、それなりにいい音楽が作れるんだろうし。
ま、とりあえずは「音が外れてない音符の流れ」を法則化する勉強、だ。

それはそうと、自転車が煙のように消えました。はっは、がっくり。
だいたいアレパンク直してないんだけどなぁ。
ちょっと前に後輪パンクして、最近前輪もパンク。どっかのイタズラッコの仕業としか思えんぞ。
まあ、自転車持ってない人ももともと多いし、無くても困らないんだったら
リスク侵してまで買う必要はない、か。
楽しい事ってたいてい一気に起こるモンだなあ、わははは……。

■ 10月10日(水) あひゃーん ■

見込みのない事やるぐらいならゲーム作れやコラァ!という内容のメールが。
いや、予想してなかったわけでもないんだけど、
まさかこんなクソ長いヒマ日記見てる人がいるなんてなあ……。
どっちかというと、音楽作ろうと思ってるのはゲーム製作の方が煮詰まってるからなんスよ。
一日中ゲームの方針について考え直すのも疲れるし。
妹にも友人にもその他大勢にもツッコまれた事なんですが、
方針も不明瞭ならギャグも面白くない、もしくは偏りがありすぎるという
色んな欠点が大量に浮き彫りになっちまって、
確かに自分もそうだと思えるような納得いく解答だった為に色々考え直し中です。
今は、お話の基本的な方針およびギャグの種類、他、全部洗い直しています。
っつーかもう一回最初っから企画し直し、って意味なんですけどね……。
今考え直しても、一話、二話は、「ゲーム製作に復帰した際のリハビリ」程度の結果しか出せてません。
何も考えずに連載ゲーム作ってたのはやっぱ無謀です。すぐに先が見えなくなります。
というわけで今んトコ、シル見の企画段階へ逆戻り。
面白くなくなってきた作家がまた面白くなってきた、というのは何度か見てきてますが、
そのような作家の得た「何か」を、今度は自分が探さなきゃいけません。

まあ、今度のシル見第三話は、半端に作りかけてたのを放棄してまた最初からッス。
やっぱり、もう何やっても全然上手くいかないんで。
というかこれが俗に言うスランプってヤツなのだろうか……。
まあ原因がハッキリしてる分、まだマシですが。
とにかく、それ考えるばかりでも疲れるので、それと並行して音楽作りです。
本業ができない、および詰まった時は気分転換に別の訓練するのも、
気晴らしになっていいですしね……絵もそうだったんですが、
新しい技術はいつも気分転換がてらにやってて身に付く事が多いんで。
とはいっても、音楽は早速壁がでかくてちょっぴり参ってますが。

まあ、結局は現状で満足行かなくなってるだけなんスよね……。
先日の事で言えば、行き場のなかった余計な向上心をRPGツクール2000で
シミュレーションゲーム作ってみたりするのに使ったり。
とにかく研究!面白い作家さんの作品を見て、どこらへんが面白いと思えるのか!!
結構人によってもまちまちですが、必ず一本筋通った何かがあるハズ!
まだまだ成長しどころがあるってのは、やっぱりいいモンですなあ……。

■ 10月9日(火) 音感レポート ■

とりあえずメモ代わりに記述しておく。
絶対音感は後天的能力であり、7歳までに音楽教育を行っていれば身に付く可能性がある。
絶対とは言わずとも、小さな時からそういう音楽教育を受けていれば
多少の音感は身に付くようだ。
妹は小さな時からピアノ教室に通っていた経験があり、
子供の頃でも、簡単な曲なら楽譜がなくても、一つ一つ鍵盤を叩いて音を確かめつつだが
その曲をピアノで弾く事ができた。
現状の自分では、鍵盤をいくら叩いても音が合ってるかどうかわからない。
また音の高低を聞き分ける能力も、他人と比べて低い可能性が高い。
1オクターブの上下(普通のドミソ、一つ高い、もしくは低いドミソの違い)は、
今のところ聞き分けられる率は40%。
(目をつぶって音符を打ちまくり、ゆっくり流して音が上がったか下がったかをメモ、確認、
 という方法を取った、その中で1オクターブ以上の差があったものだけを見て40%)
ほとんどの場合、オクターブが違えど同じ音程だと思ってしまうらしい。
が、一昨日が20%以下だった事を思えば結構な成長だ。
ここから成長していけば、1音の違い、半音の違いもわかるかもしれない。
っつーか、もしかしたら、普通の人と比べてとんでもなく耳悪いんじゃないだろうか……。
とりあえず、俺の感覚から言うと「しぼられる」感じがしたときは、音が高くなった時だ。
低くなるのはその逆。まずそれだけは確かだな。

色々過去の事を思い出してみるが、場合によっては、
本当に音の「振動数」そのもので音楽を聞いてる可能性もある。
高校中盤の時からヘッドホンで音楽を聴くようになったが、
今になって重うと、「ヘッドホンじゃないと周りの音が聞こえないから云々」じゃなくって、
それじゃないと「音楽を音楽として認識できなかった」から、かもしれない。
ベートーベンも使ってた「骨振動による音程判別」は、
音の出てる物体(ピアノとか)に直接触れてないと
効果が非常に薄いからな……。
密閉型ヘッドホンは耳に触れてるし音の振動を逃がさない点では非常に良し。
普通に空気で伝わるレベルの振動では、パワーが低すぎて骨で感知できない事が多そうだし。
結局、自分でも気が付かない内に、耳にほとんど残ってない音程判別能力と
骨振動聴覚の複合センサー使って音聴いてるのかもしれんのう……。
それだったら音楽の「良い、悪い」をほぼ普通のレベルで判別できるのもわかる気がする。

まあ結局、音感はベートーベンの真似でどうにかなるかもしれん、って事だ。
耳が聞こえないも同然なら振動で感じる!
物理学的に言っても、音のある所には必ず振動もあるわけだからな。
まずは遙かに凡人以下の音感を、並レベルまで取得する事から始めよう。
明日は1オクターブの判別率を60%、明後日は80%。
確実に判別できるようになったら、同じオクターブ内での音の高低判断。
そしたら、最後にドレミファソラシを覚える!
生の音は判別できなくてもいい、覚えるのは、ヘッドホンから来る振動。
耳に集中できないなら体で感じればいい、そんだけの話だな。
人間、足りないものは必ず何かの感覚で代用できるんだ。
チャンスはある、頑張ろう。

■ 10月8日(月) みんなの聞く音は ■

みんなの聞くドの音は、こんな音だろうか。
ミの音は、こんな音だろうか。
と、想像してみるが、
やはり、聞いた事もない音を何かに例えるのはとてつもなく難しい。
それでも、音楽の良し悪しを他人に尋ねたら、たいてい自分も同じような事を思っている。
あのBGM聞いてて鳥肌が立ちそうになった、とか掲示板で話しているのを見て、
「ああ、俺もそう思った」と思う事は何度もある。もちろん、そんな曲は滅多に無いけれど。
だから、音楽に対する好き嫌い、良し悪しなどは、一般人並に判別できるはずなんだ。
問題は俺がどの感覚で聞いてるか、って事なんだよな……。
絶対音感どころか相対音感すら非常に危ういのに、何でいい、悪いが分かるんだろ……。
音は聴神経に伝わり、そこから脳に信号流して情報化する……んだから、
俺の場合、聴神経から出す信号バグってんのか?
音の信号化が何らかの事情で苦手になったとか。
じゃあ音そのもの、もしくは音から生まれる振動だけが脳に届いてんのかな……。
それなら俺は触覚で音楽聞いておるんか!?ううーむ……。

にしても、作曲家って頭の中にメトロノームがないとキツイっぽいらしい。
音と音の、微妙なタイミングの差を計れる能力がどうしても要求されるんだろうな。
そのため、その能力も絶対音感の一つに含まれているらしい。
そして、絶対音感=リズム+音程判別が必須なのは、主に作曲家だ。
……っつー事は何だ、致命的に才能無いどころか最低必要条件すら無い事になりますな、俺。

でも、音感とかリズム感って成長させられないのかなあ……。
今んトコ、それが成功したケースはゼロらしいが、
普通の人が音楽の勉強とか練習とかしまくって、
音を聞けば楽譜にできる、ってレベルになるのは、聴覚の成長なのかそれとも
音階を「知った」事によって、音程をデータ化する事が可能になっただけなのか。
科学的に前者が証明されたら、生まれつき音感が無い人でも
「頑張ればやれる!」って思えるようになるんだろうが、
そんなの待ってる暇なんて無いんだよなあ。
時代が進歩する前に俺が進歩しなかったら、ほとんど何もできないままに
死んでしまう事実の方が、たぶん先に来るだろう。


とりあえず、俺は人間、やりゃどんな事だってこなせるかもしれない。
根本的な資質がないからダメだった、とか、そういうのは嫌いだ。
挫折するなら、思いっきりやってから挫折したい。

必要なのは、無茶を可能にする精神力。
どんなに無理に見えても諦めない心、
どんなに無理に見えても真剣に頑張る心、
だ。
不可能を可能にしなきゃ、人間はいつまで経っても進歩できないんだから。
いっちょ腰据えて、頑張るとするか。
もちろん、シル見も並行して作りつつ、な。

■ 10月7日(日) 初心を思い出すのう ■

音の訓練中。
ゲーム作り始めた頃も、絵の練習始めた頃も、確かこんな気持ちだったなあと思い出す今日この頃。
何となくいっぱい色んな事やってみるんだけど、どうにも上手く行かないこの感じ。
自分の得意な分野に慣れてくると、さすがにこういう感じは
遠慮したくなってしまう気もする。
が、ゼロからの出発なんて、いつもこんな感じだろうしな、慣れないと。

「どんなに年取っても、自分の知らない事を学んで強くなれる力は必ず持ってる」

って一度でも自分自身に証明すりゃ、死ぬまで新しいものを受け容れられるようになるし、
新時代が来て全然知らない新しい事をやるにしても、強い自信を持てる。
力のある領域から、力のない領域へ踏み込むのはやはり勇気がいる。
けど、勇気が必要な事ってのは、大抵やって損は無い。
まあ俺の場合、半分以上「無謀」な気がしないでもないんだけどな。

にしても、力のないみじめさは、いつになっても忘れちゃいかんのかもしれんな……。
自分はちょっと出来る方なのかも、って思う気持ちと、
やっぱり自分ってダメだ〜、って気持ちを同居させてると、
いい感じに慢心せずに済むのかも。
初心の頃の気持ちも思い出せるしのう。

それはそうと、
自分に足りない技術が必要なんだ!って思った時、
その技術を持ってる人材を探そうとする人と、
自分自身で足りない技術を得ようとする人とでは、
どっちの方が多いんだろうな……。
表立ったデータでは、人材探す人の方が多いけど、
自力で頑張る人はあんまり表に出てこないからなあ……。

まあ、ゼロからの出発っつっても、軌道に乗り始めるとすぐにハマ出すかもしれないし。
どんどん上手くなっていく自分が嬉くて、気が付いたら好きになったんだよなあ、絵の方は。
音楽も好きになれるといいんだが……。
でも音が外れてるのかどうかもわからんようじゃあ、辛いかなあ、うーむ。
音の高低を聞き分ける能力とか、生活する上ではほとんど支障ないのにねえ……そういう診断も無いし。

それと音楽作る(っつーか適当に音符並べたりコード入れたりするだけだけど)際に、
色々資料とか見ててもわかったんですが、
「こういう音階は音が外れてる」
ってデータがなぜか全然ない!!って当たり前か!?
耳の悪い俺としてはまずそっちの方のデータが欲しいんだが……。
メロディとかコード進行とか言う以前に音が外れてるのかどうかが
わからないと、どうにもなりませんからねえ……。
ううむ、才能の無いヤツは淘汰されるような世界なのか、ここは。
弱肉強食ですなあ。

でも、音程が判別しづらかったり、リズム感のない人って、たぶんそこら中にいる気もする。
普通の検査ではそうそうわからないし、仮にリズム感が無くたって
ビートマニアだとかが下手クソなだけですからのう。
音程がわからなくたって全然問題なしに生活できるから、
遺伝子的に音程やリズム感のわからない人間だって、いてもおかしくはない。
仮に支障が出るっつっても……せいぜいカラオケが下手だとか、
英語のヒアリングの点が恐ろしく悪いとか……って俺いつもほとんど0点じゃん!
むう、これからは俺の耳悪い遺伝子は淘汰されそうだ〜、やべえ〜。
あ、でも幼児期に英語教育受けさせりゃ、確かそれに対する感覚が出来上がるって何かで言ってたな。
じゃあ遺伝子に関係なく子供はまあ何とかなる可能性があるわけか……。
ん?でも俺ってガキん時に英語教育受けてなかったっけ?何か受けてた気がするぞ?
全然面白くなかったっつーか嫌いになったのは覚えてる気がするんだけど。
うーむ、それじゃあやっぱ遺伝子に影響する部分も多いのだろうか……。


ま、とりあえず特訓だ。
だいたい、俺がどこで音楽感じて「いい」、「悪い」って言ってるのか、
その原因さえわかれば、どうにかなるような気もしないでは無いんだ。
耳も悪い、音感も無いヤツが必死になって音楽作ったらどんなものになるのかも、ちょっと気になるしな……。
とりあえず、第一の結果が出るのは二、三年後だ。
それを見てから、それからの事を考えればいいさ。

■ 10月6日(土) 音 ■

ぬおおお!!天は二物を与えずって言うがやはりそうなのか!?
いや、本来の意味とはちょっと違うんですけどね、
本当は「自分の中の最強の能力は二つもないよ」って意味みたいッスけど。

で、何が二物を与えないのかというと、「音」なんです。
目や味覚、嗅覚に神経を集中したり、考える為の集中は出来るんですが、
何故か「耳」に集中する事が全然できない!!
他の人と比べられないからあまり断言できませんが、「音」そのものは非常によく聞こえるんです。聴力診断も全部正常だし。
どこから聞こえてるだとか、何の音か、などはよくわかるんです。
でも、音程が何故か全然わからないんス。
これも比べられないので他人とどう違うのかはわかりませんが、音の上がり下がりが
よくわからないってのは……どうなんでしょう?普通?
人間の声に関しては、「あの人、今声が裏返った」って言われて、やっとその事に気付いたり。
そういう事があったら、たいてい皆笑ってるのに何故か自分は笑ってない、
というかそもそもそれに気付いてない事が多い……。

他にもリズム感覚においては非常に鈍感。
高校生の時に音楽聞きまくってたので多少どうにかなってる気がしてたのですが、
やはり色々とリズムが付けられません。というか「リズムの記憶」が苦手なのか?
そんでも、やっぱりいい音楽は「いい」と感じます。
音の高低がわかりづらいのと、音楽がわからないのは別……なんだろうか……うーむ。

結局、音楽作ろうとして今日色々やってみたのはいいのですが、
色んな音符の並べ方を作っても全部ほとんど一緒に聞こえるのは結構ダイナミックにヤバイっぽいッス。
もしかして「目」と「考える力」の方に脳の成長割かれちゃったのかも……。
まあ男の標準像としては立体認識と集中(というか一度に一つの事しか考えられない)は、
普通にできるハズから当たり前と言えば当たり前かもしれんが……。
むう、人間ってやっぱり何かの能力に偏らなきゃ、強くなれないのかなあ。
だが、俺には楽譜を見る「目」がある!多少の分析能力と論理思考もある!!
大量の楽譜見て法則を見出し、根性でどうにかやれるトコまでやってやろうじゃーん。
それでもダメなら人に頼って良し!!
でも本格的にやらない内から諦めてはいけない、それが大事だ。
耳が聞こえなくたって音楽作ってた変な偉人(失礼)もいらっしゃった事だしな。
最初から「これじゃあ無理だ」って言って諦めるのは簡単だ。
確かにハナから無理っぽい事をやったら、そりゃ最終的には全てが本当に無駄になるかもしれない。
それがわかってるのに労力なんて費やせるか、って、普通の人は思うんだ。
だが、前に進む事を忘れたら、俺はそこで終わりな気がする。
ハナから無理っぽい事でも、本気で、諦めずにやってれば、絶対に全ては無駄にならない。
誰も行った事のない未知の新たな領域へは、到達できないかもしれないけれど、
誰かがたどり着いた領域くらいなら、諦めない限り必ず到達できる。

だから、忍耐の続く限り、本気になって努力する!
才能が無くてさらにマイナス条件背負ってても、
本気でやりゃここまではどうにかなる、って証明にはなる!!
忍耐が切れたら誰かに頼る……って、実はそっち探す方が忍耐いるんじゃないか?
能力のある人は、誰かの元に付こうとはなかなか思わないからなぁ。
……ま、それは忍耐が切れた時に考えようか。

とにもかくにも、暇を見つけては音楽作りの特訓だ、頑張ろう。

■ 10月5日(金) 子供 ■

人間には、
己に自信が無くて、人に何か言われたらそれがイヤでも「はい」と答える人間と、
他人を犠牲にして何かを達成したり、蹴落としたりしてまで自身を高める人間と、
真に努力して自分そのものを強化し、めっちゃ気持ちいい人生を送ってる人間、
の、三つのパターンに分けられるという。
最初の一つは昔の俺だ。
何か命令されたら、それがイヤでも自分は従った。
第二のタイプは、よく見る。
よく人にものを頼む、攻撃的な口調で何か言う、人の行動も自分で決める。
これら全部ひっくるめて、二つ目だ。
第三のタイプは、一、二年前に知った。
自信が無さ過ぎるわけでも、自信過剰で己が優位であるとも思わない、
それでいて、努力すりゃ何事も何とかなると思ってる。
自分から選択をして、努力して、そして良い結果を導き出せる。
自分の好きな事を自分自身で見つけて、
誰にも教えられずとも一生懸命それを努力してレベルアップして、
そして最終的に皆に喜んでもらえたら、これほど嬉しい事はない。

「自分の選択はたぶん正しかった、そして自分はちゃんと成長できる、
 自分は自分のやりたい事をやってても、人の為に生きられるんだ」

そう真剣に思えるようになった瞬間から、人は強くなる。
「自分も人も幸せになれる」という結果があると知った時から、
誰よりも真剣に努力できるようになる。
他人を蹴落とすくらいなら自分自身が努力しよう、と思える。
そして、無意味に人を傷つけようとはしない。
人を傷つけるのは、何かの意味がある時だけだ。

でも、そのような人はあまり社会には喜ばれない。
本当に社会にとって必要なのは、イヤな事を押しつけられても「断れず」、
無表情なフリして嫌々でもやってしまう、自信の無い人間だ。
だから、学校へ行ってる間は決して波風が立たぬよう、
極限まで目立たないように心がけて生活している。
学校や職場など、義務を背負う時はおとなしく従順なフリをした方が圧倒的に得だから。
会社でも学校でも、目立てば潰される。
家庭でもそうだ。
「親に反抗するな、親の言う事に従えばいいんだ」と。
直接ではないが、必ずそういう事を言う。

人の成長に最も良いハズの向上心は、子供の内に全て摘み取られる。
今年中か、それとももっと前の日記に書いたかは忘れたが、
「子供の時に俺が失ったもの」は、きっとそれだ。
でも、失ったなら取り戻せばいいとも言った。
誰にでもあったハズの物なのだ、取り戻せない事はない。
心の一部を無くしたからといって、俺は絶対に諦めない。
己の心ほど、どうにかなるものは無いのだから。

俺にとって、ホームページというのは自由な表現の場所だ。
そしてまた、本当に実力を試せる、公平な場所だと思ってる。
だから、どこまでも頑張れる。
ここでは、頑張れば頑張るほど、何らかの結果が出るのだから。
何の為に頑張ってるのかわからなくなってるサラリーマンなんかより、
よっぽど力強く、本気で努力できる。
この「本気で努力できる瞬間」を本当に知ってる人間なら、
金や地位や名誉なんて、本気で気にしない。
だが決して無欲なのではない、「本気で努力できる瞬間」は、
「世界で一番高い報酬」なのだから、と俺は思ってる。

よくそんな事を言えるな、どうせでまかせだろ?と言う人間は、間違いなくたくさんいるだろう。
でも、それは知らないだけだ。
辞書にも載ってない、普通の人も知らない何かが、きっとある。
その「誰も信じない何か」を信じる事のできた、ごく少数の人間だけが
「真に努力できるような最強の向上心」を持てるのだとしたら、
偉人の数の方が少ないのは、当然かもしれない。

過去の偉人が残していった何かを知り、そして使いこなせば、
きっと過去の偉人以上の存在になれる。
彼らは、後世の人間が、またさらに自分らを超えて成長できるようにと
様々なものを残していったのだから、当然といえば当然だ。
それは科学技術だけじゃない、心や発想も、何もかもだ。

とにかく、自分はもっともっと前に進みたい。
まだ誰もやっていない事を、たくさんやってみたい。
そしてまた、強い心を持ちたい、「誰にも負けない向上心」も欲しい。

だから、これからも頑張る。
前に進むには、それしか道は無いから。

■ 10月4日(木) ■

朝4時に起きてシャワー浴びるなんて初めての体験でした。
でも眠いねえ……すんげーやる気のない一日。
妹はいつもこんな状況で生活しとるんだろうか……。

うーむ、何もせんで終わる一日ってのも気に喰わんのう。
学校行ってヘロヘロになってても夜ゲーム作れるくらいのエネルギーないと
やっぱり厳しいかも……もっと良い睡眠を取らなきゃいかんなあ。
遺伝的な性質も相まって結構体も弱いけど、そんでも何とか趣味もやれるくらいに
上手く物事をこなせるようになりたいモンだ。
体力がないならスキルでカバーするしかないからな。
元気がない状態から無理矢理やる気出すのもスキルの一つ、
学校行って義務果たす時に余計な体力を使わないのも、スキルの一つ。
だからと言って手ぇ抜くのは却下。
楽ばっかやってると意外とアホになるからな。

一日でエネルギー100%使い果たしつつ、次の日までに100%回復させりゃ、
二日で200%分もエネルギーが使える。
あんまり夜更かしやってると回復が60%とか70%になっちまうから、
二日でも120〜130%しかエネルギー使えなかったりもする。
学校行って帰ってきた時点で70%消費してたら、後者の場合それだけで一日終わっちまうからなあ。
でもここで100%の回復量がありゃ、残りの30%を製作とかに使えるわけよ。
このたった「30」が365日続いてみろってんだ、10950だぞ!0と約11000では差が歴然!!
というわけで早起きはいいッスよー、うん。

にしても眠い……寝てもいいけどそれじゃあ夜寝られない……。
ああ、無情……。

■ 10月2日(火) 意志ねえ ■

自分の意志を明確に持ち、自分から動ける人間と、
そうでない人間とでは、どちらが良いのか。
政府が利益を求めてある事を行い、そこに住む人々の仕事がなくなり、
生きるための方法が無くなってどうしようもなくなっても、
文句一つ言わずに生きてる人達も、いる。
それで同胞が大勢死んでも、何も言わない。
彼らは遙か昔からそういう状態に慣れてるから、今更反抗しようとは思わない。
ヨーロッパでは、そういう反抗は何度も起きた。
少なからずとも自分の意志が尊重される場所で育った人間は、
「そんなの暴虐だ」と言って、政府に立ち向かう事を思いつくのだろう。

最近は、やはりアメリカで起きた集団多発テロの話題が多い。
日本はアメリカに統治されてるも同然の状態だから、もちろんアメリカに協力する事を述べた。
世界中の多くの国に働きかける力は、遙かにアメリカの方が上だろう。
もし50年前、日本がサウジアラビアに占拠されてしまっていたとしたら、
日本はアメリカの敵になったかもしれないのに、である。

結局、タリバンが敵だのどうのこうの言ってるのは、
偉いさん方の適当な都合で植え付けられた考えに過ぎない。
先に攻撃した方が悪いのかと言えばそうではない、
攻撃させるような火元を作った方が悪いのかもしれない。
子供同士で、散々悪口を言った方が悪いのか、悪口を聞いて怒って殴った方が悪いのか、の違いだ。
まあ、人の死んだ数はこの考慮には入れてないが。

場合によっては、偉い人達の間では最初から全部仕組まれた事かもしれない。
大統領、もしくはアメリカを裏で実際に牛耳ってる連中とタリバンの間で話はついてるかもしれないのだ。
我々の知らない水面下での莫大な利益交換などない、とは決して言い切れない。
このテロは、規模も死傷者も非常に多い。
だいたい、貿易センタービルなんて大事な拠点を破壊するなど、
仕組まれた事にしては少々やりすぎではないか?
普通の人は、そう思う。慎重な人もそう思うだろう。
でも、これくらい派手にやった方が、逆に全く疑われずに済むのだ。
それがわかってる人間なら、リスクを背負ってでもこうする。
裏の裏を平気でかく事のできる人間だって、いるのだから。
人はそれを天才と呼ぶ。

結局、そういう人達の前では、我々は操り人形にしか過ぎない。
しかも心の底から操るのだから、始末に負えない。
一体誰が悪で誰が善かなど、当事者以外、誰にもわからないのだ。
我々にわかるのは、偉い人達が我々に、「誰が善で誰が悪か」ということを
刷り込もうとしてるのか、という事だけ。

TVなどから与えられる「他人があらかじめ作った観念」を、
そのまま自分の考えにしてるようでは、
自分の意志など、持っていないも同然だ。
だが意志が無い事が、悪いとは言わない。
意志があった方がいい、というのは、俺が他人から与えられた、勝手な価値観だからだ。

でも、俺は強い意志を持ってる方が格好いいと思ってる。
何かを受けるだけでなく、何かを形にして出す事ができるから。
強い意志は、溢れる行動力になる。
絵を描いたり、音楽を作ったりできるのは、それが好きだから。
でも溢れるほどの行動力が無ければ、受ける(見たり聞いたり)だけで終わってしまう。
本気で人に何かを伝えたいと思うなら、文章を書くのもいいだろう。
それが意志だ。
ホームページでも、更新しなきゃなあ、と言ってるのは一つの意志だ。
来てくれている人に対して申し訳ないと思うことから来る行動でも、
人の為に何かしようと思ってる事には、変わりないのだから。
はたまた、ホームページを運営してる者としての威信を守るため、か。
まあ、この場合はどちらも受動的な意志なんだけどな。

一番いいのは、能動的な意志だ。
誰に言われるでも無く、状況が悪くなって来てる(例:更新が滞ってる)でもない状態で、
必死に頑張って何かを創り出したりできるのが、一番いいと思う。
だから、俺はそんな人間になりたい。
政府とか、偉い役職の人みたいに「状態をコントロールする」仕事よりは、大きな意志が必要かもしれない。
状態をコントロールする仕事は、状況に応じて「反応」すればいいから、まだ楽な気がするんだ。
でも、「創る」のは、「反応」するわけじゃない。
無から創り出さなきゃいけないから、ずっと大変な気がする。
まあ、俺の思い違いかもしれないけどな……。

本当は金を取る段階まで、入り込んじゃいけないのかもしれん。
「どんなに頑張っても金が入るわけじゃないのに、本気で頑張れる」
のが、たぶん今の状況だ。
だが仕事にしてしまうと、金のために頑張ってるのか、夢のために頑張ってるのか
わからなくなってくるかもしれない。
いつまでに仕上げないと期日に間に合わないだとか、それで結果が悪くなったらイヤだしねえ。
もともと、自由が好きなんだ。何者にも制限されない状態が一番強いから。
それに、真剣に頑張って作った物なんだから、金を取らずにたくさんの人にやってもらいたい。
って事を思うと……やっぱり将来の職業は別に取らなきゃいかんのかなあ。
もしかしたら俺ってアホなのかも……うう。
まあどっちにしろ、今は勉強も製作も、本気で頑張るしかねえや。
将来は技術者になるのもよし、ゲーム作って暮らすもよし、だ。
選べる道は多いに越した事はない。
努力すれば、選べる道が増える。
そうすりゃ道の分岐点に来たとき、一番選びたい自由な道を歩ける。
だから頑張らないとな!
必要最小限なんて言葉は、俺には似合わぬ!!

■ 10月1日(月) あー ■

ハッピーバースデー父〜。
というかグリーティングカードが届いて気付く父の誕生日って一体……。
まあ自分の年も誕生日もロクに覚えておりませんからなあ、所詮こんなモンかあ。
んで、とりあえず学校が今日から始まりました。
授業選びはまあまあ良かった……のかな?たぶん。

にしても、人はやっぱり実際の評価値を見て物事を見ますなあ。
点がいいからすげえって言うのもどうかと思うし、
点が悪いからって言ったってそいつが馬鹿なワケでもない。
目に見える評価は嫌いだ……だいたい「点数」だけに込められたデータっつーのは異様に少ない。
そういうモノだけでは、結局何もわからん……まだゲームの感想貰ってる方がよっぽどわかりやすいぞ。
まあその上で感想をデータ化(例えばプレイした人と書き込んでくれた人の比を計算するとか)すりゃ
具体的な目標はできるんだけどな。
俺は感想率0.5%を目指す、とか。
しかもこれ、学校のテストみたいに100点を楽勝で取れるわけじゃない、
だいたい感想率10%だとしても、それは異常に恐ろしい数字だ。
10人に一人が、感想を言わずにはいられないって代物なんだからな。
元来、知らない人の掲示板に書き込みするのには勇気とエネルギーがいるモンだし、
ネット上のフリーのゲームなんてやってるって事は、たぶん濃い人種だ。
もしかしたら、内向的な人の方が多いかもしれない。
だから、その人達を突き動かせるブツなんてそうそう作れない。
そういう人達は他にも多くのゲームをやってきているハズだから、それなりの耐性も付いてるだろうしな。

とりあえず、まずはプレイした人が他人にもオススメしたいと思えるゲームを作りたい。
趣味で食っていきたいなら、必ず超えなきゃいけないラインだ。
まだまだそこまでいいと思った人は少ないし、頑張らないとな。
夢を叶える為だ、うむ。