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6月の日記

■ 6月30日(土) 21世紀最初の一年の半分 ■

今日が終われば、一年のちょうど半分が終わる。
生まれ育った場所を離れて、すでに二ヶ月近く。

やりたい事がありすぎて、
家に帰るのも惜しいと思うのは、親不孝かもしれない。

人が「寂しい」と思うのは、何故だろう。
自分一人でいる事が不安なのか、それとも愛に飢えているのか。
……夢、つまり趣味が無い人間が「寂しい」と思うんじゃないかなどと、ふと思ったりもする。
もちろん、これは自分と比べた相対的な勝手な判断だ。馬鹿げた仮定に過ぎない。

自分の夢と比べたら、
小さな悪い出来事なんて、米粒のように小さな存在なのかもしれない。
悪い事があっても、自分がまだ好きな事をやれると思う限り、自分は笑っていられる。
いつも非常に巨大なものと比べているから、何もかもちっぽけな事に見えてしまう。
それで、感情が希薄なのかもしれない。
楽観的とも言われるけれど、悪い状況を悪いと受け取れるだけの感受性が無いだけだ。


受験の真っ直中だった今年の1月よりも、自分は成長した。
そしてこれからも毎日、成長し続ける。
何者も恐れぬ、自分から前に進もうとする心と共に。
やらなきゃ、何も変わらない。

■ 6月30日(土) 自分からやらねば得られぬもの ■

毎日見てるようなガードレールは、
一体どういう仕組みで作られているのか、知っているだろうか。
鉄板とボルトがどういう部品でどのように組み合わされて作られているのか、
一回見れば、ほぼ完璧に覚えられるような簡単な構造なのに、
いざ聞かれてみると、誰も知らない。
だから今日、ガードレールを見て勉強した。

何気なく目に見える、全てのものの形だけでも知ろうとしたい。
飽くなき探求心の一つの形。
これなら歩くだけでも、知識は溜まる。
あの植物の葉っぱは、どんな形をしているのだろう?
洗濯機はどんな形で、どんなボタン配置になっているのだろう?
この部屋は、絵に描いたらどんな感じになるだろう?遠近感は?壁の模様は?構造は正確に書けるか?
あの自動車のデザインは?タイヤはどんな風だ?前方から見た形はどうだろう?

アリはどんな行動プログラムで動くのだろう。
考えているのか、それとも遺伝子に従って動くだけか。
なぜアリは金属の板の上に乗せると、触覚でいちいち前方を確認して
非常にゆっくりとしか移動できなくなるのか。

全てのものは、見てるだけでも面白い。
子供の頃に失った好奇心を蘇らせたいと思っている内に、本当にそれができつつある。
やっぱり、「大人になってからでは子供の頃に失った何かを取り戻せない」んじゃない。
ただ単に、『取り戻さない』だけだ。
本当に何かになりたい、何かをしたいと思うのなら、
自分からやらなきゃ、何も変わらない。

自分から何かする事、行動力。
もしかしたら、人間が最初から持っているものではないかもしれない。
それとも、抑制する力が働きすぎて消えているのかもしれない。
抑制が働かない人間は犯罪者になるかもしれない。
ある部分で抑制を解除できないと、何もしない人間で終わるかもしれない。
もしかしたら、自制できる行動力を持つのは、とても難しい事かもしれない。

でも、やらなきゃ何も変わらない。
何も変えられない。
何もできない。

だから、頑張る。

■ 6月29日(金) ごめん、読●新聞のおっさん ■

「新聞取っていらっしゃらないんですか?」
「ええ、読まずにどんどん溜まるばっかりだったんで…」
「え?じゃあ一時期新聞取っていらしゃったんですか?」
「はい、そうなんですけど(真顔)」

すいません、ウソです。
が、一瞬にして新聞の勧誘は帰っていきました。
起こりうる実状を正確に話すと意外と相手は納得する。
今時、新聞読まないからって馬鹿って訳じゃないだろうし。
それに、他人に賢いと思われるのが、俺の人生の目的じゃないしな。
見栄は張る必要などない。

どうせならセールスマンもこう言えばいいのになあ、
「これ売らないと私の首が飛ぶんです、お願いします!」
とか。
正直者は損をするって言うが、得をする場面も多い。
人生全部ウソで塗り固めるのも、なんだか嫌だしな。

俺はいくつかの道を選べるのなら、後味の良い道の方がいい。
一番嫌なのは、「自分があまりやりたくない道を選んで、なおかつ失敗する」事だ。
その次は「あまりやりたくない事をして成功する」事。
そして、上から二番目は「やりたい事をやって失敗する」事。
一番いいのは、「やりたい事をやって成功する」事。
どうせ失敗するなら、やりたい事をやって失敗した方がよっぽどマシだ。
人間は、たった100年も寿命が無いんだからな。

自分の心にウソをついてまで客層を保持しようとか、そんな事は考えない。
一応形式的な部分は守るが、好き勝手言わせてもらう場所(日記とか)ではそんな事言うまい。
自分が純粋に良い人間なら人は集まるだろうし、悪い人間ならどっちにしろ離れていく。
自分が悪い人間なら、悪い人間なりに考えて、頑張る。
条件に捕らわれないよう、生きたい。

■ 6月28日(木) 私は ■

いつでも、どこに向かって成長できるかを考える。
これ以上成長できないように見えても、必ず足りないものはどこかにある。
足りないものに気付き、改善しようとする目。
大事な問題解決能力の一つ。
そして、明日への活力。
問題がそこにある限り、自分は解決しようと努力するだろう。

状況を甘受するのは、好きじゃない。
失敗を恐れずに、努力する。
だからよく、失敗する。
でも失敗なんて、すぐ忘れる。
そして、成功したことは忘れられない。

人が失敗している時は、なぐさめる事よりも具体的な解決案の方を出す。
命という時間の無駄遣いはさせたくないし、自分もしたくないから。

環境破壊をくい止めようと言うのなら、
少数の個人個人に半強制的なルール(省エネetc)を持たせるより、
何らかの効果的な方法で、心の底からルールを持たせた方が楽だと自分は思う。
それは一冊の本かもしれないし、TV番組かもしれないし、連ドラかもしれない。
はたまた、ある人のカリスマゆえかもしれない。

何か世界的な変化を持たせる目標を果たしたいなら、
心を変えるほどの力を持つという事が、意外と手っ取り早いんじゃないだろうか。
自分一人で植林に一生を費やすよりは、実質的な効果は遙かに大きいと思う。
もっとも、利益の追求が大切だという人間の価値観すら変えてしまう力など、そうそうあるものではないが……。
そこまでは変えられずとも、一般人くらいなら変えてしまうかもしれない。


……夢見がちか、この考えは。
現実的な目で考えた、何の組織力もない個人にできる
数少ない有効な方法だとは思うんだけどな。

無茶を可能にするのは、「できる」という自信とそれに向かって突っ走れる勇気だ。
それが無ければ、努力もしないままに終わる。

「才能」とは、意外と「自信と勇気」だけで出来ているのかもしれない。
こんなもの、持とうと思えば誰でも持てる。
「才能」は特別な人間にだけ与えられたものだという先入観が、
自分はできない人間だと思いこませているだけだ。
親や周りの人間やマスメディアに、そう洗脳されてるんじゃないか?
そりゃ、表舞台に出てくる偉人らの数は非常に少ない。
でも、その連中はきっと、「才能なんか無くたってできるさ」と言っていたのではないか?

才能の有無など気にしている暇があるなら、
ただひたすら、頑張れ。
俺も含めて、な。

■ 6月27日(水) 忙しい、か? ■

最近、忙しくて何もできない。
いや……正確に考えてみれば、そういう事ではない。
勉強時間そのものは以前とあまり変わらないはずだ。

単に、試験やら色々で、気が抜けないだけなのかもしれない。
ここでは悪い意味で「気が抜けない」のだ。
気は常に抜きつつ、入れつつで、バランスを取らねば崩壊する。

今日は試験があったため、
先日まで、あまり何かを創ろうという気は出なかった。
土曜日にも試験があるから、これからも同じ状態が続くかもしれない。
少しは大人になって精神の調整も利くようになってしまったのか、
成長した事が、いささか疎ましい。
だが、「気の抜き加減を調整できない」という点では、まだ精神の調整は全然利いていない事になる。
「中途半端に賢い」事が、単なる「恐れ」となるように、
中途半端な精神調整力も、また自身の心を蝕む元になる。
よくよく考えてみれば、全然大人になっていないのだ。
子供の頃は良かったと言う人間もいるが、単に自分の子供らしさと、
今の状態を融合させられない、自分の成長を諦めた人間の言う事なのかもしれない。

時間はあるのに、
勉強しなきゃと思ってつい能率の悪い状態で勉強をしてしまう。
慎重すぎるのも、問題だ。

バランスが大事とか言うのは女のやる事だと、誰か言うかもしれないが、
俺の言い分では、最強の均衡とは一番自分の力を発揮できる状態の事。
どんなに忙しくても義務を果たし、なおかつ自分の夢を貫ける、それが自分の理想の姿だ。
そしてそれは、決して無理ではない。
誰もそれに向かって努力しないだけの話に過ぎない。
「どうせ空など飛べない」という人々と、ライト兄弟を見比べれば分かるはずだ。
今立てた自分の簡単な目標など、彼らの偉業に比べれば遙かに小さな事。

『いかなる時も義務を果たし、どんな環境下でも夢を貫く』

この程度の事ができないようでは、これからも何もできまい。
だから、今から変われるように努力する。
ただ、それだけの事。

■ 6月24日(日) 久々に太陽を見た ■

母と妹が遊びに来た。
基本的にこれといって何もせず。
新幹線切符消費の為とは言え、文化祭もクソもない時に来ても
何もやる事ないしな……。
一ヶ月や二ヶ月程度じゃ、何も変わらない、か。これは安心すべき事なのかどうか。
でも顔の変化度合いが微妙にわかった。毎日合ってるとわかんないんだろうなあ、これは。
妹は何かまたでかくなった気がする……ただの気のせいならいいんだが。

相変わらず、二人がやってきた直後に晴れるというパターンが何故かおきまり。
来たら晴れるのか、それとも晴れるタイミングを見計らって来るのか、微妙な所である。
妹は色々進路で悩んでいる。
俺は、どんな道を選んでも必ず自分の好きな事だけはやり続けると決めていたから、
実際の所かなりテキトーに選んだ気がするなあ、今の道。
まあ、悩むも良し、悩まないも良し。
どっちにしろ、結果なんて似たようなモンだ。
一生が変わるほどの選択に見えても、意外と関係無かったりする時もあるしな。
もしかしたら、変な無名校に伝説の先生がいるかもしれない。
いい大学なのに、ヘボい先生しかいないかもしれない。

少なくとも、自分の生きたい道には大学なんて関係ない。
誰にも教えられなくても、自分は強くなるつもりだ。
人生の中で唯一、これが好きだと言える事があるから、な。

自分の力を過信しすぎても過小評価しすぎてもいけないが、
「本気でやって努力すれば必ず成功する」
くらいは信じてやってもいいと思う。

とにかく、
「考える事」「感動する事」を覚えないと、発想力なんて身に付かない。
数学の勉強をただひたすらやりまくっていた時に気付いた事だ。
わからない問題があって、必死に考えまくったあげく、解答を見て、
「すっげえ、こんなやり方有りかよ!?」とか叫べるくらい興奮する瞬間があった。
参考書に表記されてる解答が、とんでもない解き方だと思ったからだ。
でも、そのおかげで「こんなのありかよ!?」という「考え方そのもの」が身に付いた。
というより、「そんな考え方をしても良い」という概念が身に付いたのだ。
だから多少ぶっ飛んだやり方でも試験問題が解けた。

妹が一番の難関としている部分は、
技術よりも、「概念」の方が大事なのかもしれない、と個人的に思っている。
こういうのはたいてい、何故か「吹っ切れた者」から勝っていく。
それは、自分の中の「思いこみ」を打破したという事。
「XXしなきゃいけない」と思ってる限り、面白い思いつきなど出てこない。
知らぬ内に、当たり前のようにやってた事を「そうか、別にXXしなくてもいいんだ!」と気付いた者が、
自分を堂々と表現できる強さを身につける。

何が自分を縛っているのか、一回考えてみてもいいかもしれない。
絵なんて綺麗に描く必要ないんだ!とか思ってるヤツの方が、
意外と構図とか面白いのを描ける可能性は高い。
一つの事に目が行きすぎて他の事に気が回ってない、ってのもよくある話だ。

俺には絵なんて真剣に教授された覚えもないし、その事で色々言える資格もないだろう。
だがスランプってる時の原因ってのは、たいがい上に挙げた事だ。

もしかしたら、
「できない」んじゃなくって「したくない」と思ってる可能性だって、
無いわけじゃないんだけどな。
自分の求めているものが、「目標」以外の別の所にある場合によくある話だ。
それをこなす事によって「何か」を失うのが怖い、のだ。

リスクを恐れていては何もできない。
現実を真正面から受け止める力がなきゃ、これからも何にもできやしない。
今から変わるしか無いのだ。


ま、俺の答えが違っていたにせよ、合っていたにせよ、
ほどほどに、そして出来る限りの全力で、頑張って欲しいものだ。
一日4時間遊んでたって一日5時間勉強してりゃ実際受かるんだからよ、
勉強しまくったストレスは同じだけ遊んで解消すりゃいい。
落ちたら落ちたでその辺りをいっぱい追求されそうな気もしてたけど、
このぐらいリスク満開でやんないと気持ちいい人生なんて送れないぜ。
もちろん、受かるっていう保証のある程度には勉強するってのが、一番大事な要素だけど。

……やっぱり俺ってある意味馬鹿かもな。

■ 6月23日(土) 何もできない日は ■

創作活動が何もできない日は、
日記を書く。
ある意味、こっちも「創作」という点では似てるから、か。
もっとも、ほとんど誰も見てない日記だから、気は楽だ。
見られる事を気にすれば、そこには重い心の鎖ができてしまって、
本当に自分の言いたい事が何なのかすら、わからなくなる。

自分は、常に何か新しい物を生み出さなければ気が済まない人間なのかもしれない。
自分の中の、誰も考えた事のない(かもしれない)考えを書いてみたり、
どうやれば面白いゲームが作れるのか考えてみたり、それを実際作ってみたりするのが好きだ。
妹はきっと、絵を描いてないと気が済まない性格なのだろう。
「何か」を止められない、その「何か」こそ、自分に一番「可能性のある」事だと自分は考える。
「止められない」というのは、「好き」を通り越した段階だからだ。

もっとも、何事も好きになりすぎると失敗する。人も、趣味でも、何でも。
身を滅ぼすほどに入れ込むのも、あまりいい事ではないだろう。
いつでも広い視野を失わない程度に好きである事が、一番いいと思う。

自分が好きなのは、自分にしかできない何かをする事、これに尽きる。
将来もそうやって人生を歩めるよう、今から布石を打つ。
どうせ生きなきゃいけないのだったら、生きやすい生き方をしたい。

■ 6月22日(金) 苦しみ ■

とても苦しい夢を見た日の朝、
自分がまだ生きているという事実に安堵する。

だが、
なぜそれで安心するのだ、自分は。
死ぬことがそんなに怖いのか。

死んでも、自分は何も損しない。
そんな気分は、ある。
たった一人の人間が、自己の精神的満足の為に必死に努力した跡を残しても、
それはいつしか消え果ててしまうのだから、最後は無意味になる。
地球のスケールで見れば、自分個人が生きていることなど、あまりにも小さな意味しかなさない。


『生きてるから、仕方なく頑張らなきゃいけない』

案外、今はそう割り切って生きているのかもしれない。
受験があるから、勉強するのと同じだ。生きてるから頑張る、ただそれだけ。

でも、
自分の限界を試したい、とは思う。
それは冷たい感情が求める、小さな欲望。

そして、
ある所に問題があるなら、反射的に解決しようと試みてしまう、この性格と、
どんな事だって出来ないはずはない、と愚かなまでに信じる「可能」への信仰心。
もう、ガキの頃とは違う。
後ろばかり振り返っていた15年間は、終わった。
今の自分は、背伸びしてまで生きる必要はない。
自分自身を認めて、何も強がらない方が、やっぱり楽だから。
そして、人間は皆、必ず「違う」ものだと、理解したから。
成長力も、技術も、精神も、色んな面を見れば、必ずどこかで劣っていたり優れていたりする。
劣っている事に、何も悪いことはない。
劣っている部分が多ければ多いほど、優れている部分も同じだけあるから。


死ぬとどうなるのか自分は知らないし、知る事ができないのなら、
「知らない」と、きちんと認めるつもりだ。
それが「背伸びをしない」ということ。
人間は知ることのできない存在を全て否定できるほど、偉いわけじゃない。
理解できないものは、「無い」のではない。
ただ「わからない」のに、それを認めるのが嫌なだけの人間。負けを認めたくない人間。
どんなに馬鹿馬鹿しい事だって、本気になって真面目に探さないと答えは見つからないのに、
誰もその存在自体を否定して、「無い」事の証明すらしようとしない。

自分は、そんな人間にはなりたくない。
だから死ぬまで頑張り続ける。
それが明日か、十年後か、それは知らないけれど。

■ 6月21日(木) 親と自分と ■

父や母は、今の俺と同じような年頃の時、
やはり今の俺と同じような事を考えていたのだろうか。

今よりも20年以上生きたら、一体何が見えるのだろう。

まだ二十歳にもなっていない俺の言い分は、色々と説教臭いらしい。
人に道を教えるにはあまりにも若すぎるのだろう。
言い分も、心も、知恵も、何もかも。

自分はまだ若い。
確かに、何の分別も無いただの馬鹿だ。
だからこそ、これから賢くなれるように頑張る。
ただ、それだけの話。
「あなたは馬鹿だ」と言われるのなら、自分は賢くなればいいだけ。
明確な弱点を言われる事ほど、いい事はない。
何に向かって頑張ればいいのか、わかりやすいから。

自分の弱さから目を背けてはいけない。
自分の、「ある弱さ」がどんなに許せない事だと思っても、
結局、それは人から植え付けられた勝手な価値感で決めているに過ぎない。

自分はまだ、愚かだ。
人の心を動かす力もない、ただの馬鹿なのだろう。
今はそれでもいい。
今から、少しでも賢くなれるよう、努力する。
明日からでも、来週からでもない。

やるべき事があるなら、今すぐやれ。
無駄な時間を過ごしても、ただ自身の命を無駄に消費しているだけだという事を、思い出せ。

これは俺への言葉だ。
他人に押しつけるつもりは、ない。
この日記自体、自分だけの為のモノなのだから。
他人に同意を求めたり、同情してもらったり、理解してもらうためのものでは無いのだ。

今も出来る限りの事をやって、そして疲れたら休めばいい。
「自然に生きる」という言い方は抽象的すぎて嫌いだが、
もし自分に行動を選べる権利があるなら、無理はしない。ただそれだけ。
明日の為に力をためるのは、悪い事じゃないし、何もやっていないわけではない。

ゆっくり、確実に、焦らずに前進しろ、自分。
無理をすれば、命を無駄に削る事になる。

■ 6月20日(水) まずは小さい事から、か ■

でっかい目標ってのは、小さい事を片づけないと出てこない。
だから、今もしょうもないように思える事ばっかり夢中でやってる。
飯喰って、寝て、学校行って、宿題貰って、宿題片づける。
それで一日が終わるなら、それもいい。
だがそれもできないようじゃ、いつまで経っても目標など生まれはしない。
目の前にやるべき何かがあるなら、それをやる。
無いなら、自分の性格に合った一番いい目標を掲げて、夢の為に頑張る。
それで一生を終える。
言葉にすれば、単純な人生だ。

バカみたいに真面目に生きてるヤツの方が、何か見つけられるかもしれない。
やらされていようが、何だろうが、目の前に何かがあるなら、自分はどんな事でも本気でやるつもりだ。
サボったり手抜いたりするほど、頭が良くないからな、俺は。
それに、もしサボるなら、絶対にやらなくてはいけない何か、または絶対にやりたい何かが存在する時だけだ。
それに備える為に、別の場所で体力を使わないように手を抜く。
もちろん、休む事も「絶対にやらなくてはいけない」事の一つである事は否定すまい。

手を抜いても、結局何もしない連中は、最後まで何もしないだけだ。
それで、死んだときに満足できるのか?

■ 6月20日(水) おお ■

最近TVで宣伝されてるiモードのアルファベットのメアド変更、
下記の事で父よりアドバイス貰ったのでやってみました。
これでパケット料金ゼロ円への道が一歩近づく。

■ 6月20日(水) 今日までのお値段 ■

iモード、メール送ってもいなければ電話も一切してないのでわかるのですが、
今月最初から今日のDMまでで747パケットつまり224円を消耗しています。
この調子だと一月350円程度使用する事になり、
無料通話分500円ってのはつまりDM分が大半の御様子。
まったくどうにかならんかねえ、ネットに住んでる(というのか?)ヤツはこんなDM即捨てるぞ……。
しかも携帯ってカスタマイズ効きにくいし。
俺にはテレビと同じくらい必要ないブツになってしまいそうだ、ああ……。

■ 6月19日(火) うえー ■

すげえ雨で全身ずぶ濡れじゃーい。
さすがに今日は凄かった……他の地方はどうか知らんけど。
だいたい、ただの泥の水たまりかと思ったら何で15cmもあるんだよ!フェイントかコラァ!?
というわけで久々に足首まで水に浸かって靴の中までずぶ濡れでちょっといい気分でした、ああ……。
底が見えない水たまりは本当に危ない、御注意。


そういや、マンションとかのドアの穴(外見るヤツね)、
原理がよくわからないんですが、ドアから50cmくらい離れたら中が見えるんですけどー。
(つっても小さすぎてほとんどわかりませんが)
これヤバイだろ……というわけで今朝ドア穴封印。
ちょっと調べてみたら、ちゃんとドア穴から中見る為の探偵用アイテムもあるそうな。
これじゃあドアの意味ねえよなあ……。
これは是非とも普段から封じておかないとアブない、特に女性。
私は付箋紙をペタっと貼り付けております。これならすぐはがせるし。

■ 6月19日(火) ははーん ■

学校のUNIXにもWinNTにもネスケの4.7しか入ってなーい!!
ああ、ウチのHPはとても見られるもんじゃねえや……
つっても、かろうじてコンテンツは全部読めるってのが不幸中の幸い。
独り言出ないけどね!ネスケとかレイヤーの設定が一体どうなってんのかよくわからん……。
知り合いのHPとかも、見たら凄い事になってるし。
ネスケユーザーは大変な世の中なのかねえ。

■ 6月18日(月) たまには疲れるか ■

疲れていても飯は食わねばならん。
毎日飯作らなきゃいけないんだから母も大変である。

まあ、体も頭も疲れてる時は何にもできん。
気合い出して頑張ってもいいが、気合いも出ないよーじゃ話にならんしな……。
今日は今日の勉強をして、そして寝よう。

そろそろ、大学も本格的に忙しくなってきたなあ……。
まあ、義務は果たさないとな。
例えそれが役に立たなくても、頑張ってわからない問題を考える事で、
俺の脳もちったぁ発達してるんだろうし。
楽々にこなせる事なんて、やってても何も面白くねえ。
受験勉強なんて今から考えればクソみたいに簡単な事だ。

そして、自分の夢もまた同じ。
少なくとも、楽々にこなせる事じゃない。恐ろしいほど考えなければいけない。
それでも自分は、「自分の夢を叶えた」人間になりたい。

自分には目標がある。
果てしなく遠くて、でも、追いかけたい目標がある。
7年前から、決めた事だ。
本気で頑張れば、きっと夢を叶えられるという自信がある。
その決意さえあれば、どんな弱点だって克服できると信じてる。
明確な目標のあるヤツは、必ず強くなれるはずだから。


明日の自分が、今日の自分より強くありますように。

■ 6月17日(日) うおおお!! ■

作りたいゲームが次から次へと浮かんで作ってられぬ!!
というかシステムメインの考案ばっかりでストーリー案が無いからいっつも困る。
RPGの戦闘システムなんて、工夫すれば近未来物でも時代劇物でも共有できるから
自由と言えば自由なんだろうが……。


ネタもしくは別作品へのやる気がなければシルフェイド見聞録製作続行。
顔グラフィックとか背景描くのが一番大変なんだよなあ、
第一話の絵全部で総計30時間ぐらい費やしてる気が……。
下手くそな絵ばっか増やしてもアレだよなあ、ぐふう。
美術関連のクラブなどを一個も受けてない割にはまあまあかもしれんが、
ユーザーにはンな事関係ないもんな。最終的な結果が全て。
誰も作ってるヤツの状況なんて考えてくれないのさ……フッ。

それにしても今日は何もしませんでした。
今週も風邪引いてます、はあ。

あと夏用布団買いました。
「おらあー」と布団(無包装)をそのままレジに持ち込む俺。
だってお店の人に聞いたらそのままレジに持っていってくださいって言ったんだもん!
聞いた瞬間俺がバカのようでした、はは。
何だかなあ……まあお値段980円ですしー。布団カバーの方が高いんじゃないか?

あとついでに言っておくと昨日広島米2kgも購入。
2kgのパックがコレしか無かったんで。
ちなみにウイスキーのでっかいペットボトルちょうど一本分。
約35日で全部食い尽くしましたから来月また買わないといけませんなあ。

で、味は今まで食ってたのと同じようにしか感じられませんでした。
母さん、やっぱり僕お米の味なんてわかんないよー、って感じです。
それとも炊飯器が優秀すぎるのか!?
うーむ、どうなんだろう。俺の舌が悪いだけなんだろうか……。

■ 6月16日(土) おっ ■

今日、隣の家の飼い犬が柵の下に穴掘って脱出を敢行しようとしておりました。
すぐ横に1mしかない塀があってもそこから脱出しようとしないのが
元平原動物のサガってヤツですか。
どうも高い所に登るっていう概念がない御様子。トホホ。

にしても可愛いなあ、犬〜。
時々勝手に出歩いているのがどーにもこーにも問題な彼なんですが。
でも動物が自分から何かやってるのって見てて面白い。
動物園のヤツらはみんなやる気なさげだもんなあ。
もちろん、人間にも同じ事が言えるけどな。
自分から進んで何かやってるヤツは、見てて面白いモンだ。

それにしてもこの辺は変な動物多い。
自分から近寄ってくる猫とか、狐の死骸が転がってるとか、
あまつさえ工事現場で脱皮した蛇の抜け殻とか、
しかもトンビまで飛んでるよオイ。
都会の人間にとっては珍しいモノばっかりだ。

■ 6月15日(金) まだまだ、か ■

シルフェイド見聞録、一週間でやっと感想が計6、7件(全掲示板足して)。
ま、ツクール作品上げたらこんなモンでしょ、というくらいかな。
少ねえ〜、って言いたい所だが、そこまで慢心するわけにゃあ行くまい。
今はまだ、前進するので精一杯だしな。満足してる暇などない。

今の自分の力を認識する事。
実際より小さく見るのは努力の種になるからいいが、大きく見るのは慢心の元だ。
力が無いなら、努力すればいい。それだけの話。

とにかく、今日は何か疲れた……宿題もテストも、なんか結構あるし。
だが、趣味と両立できるように頑張らないとな。
どんな無茶なようなスケジュールでも、必ず空き時間は作れるモンだ。
受験中でもクソほど朝早く起きて遊んでたしー(コラ)

でも現在はあんまり作る気力が無い。疲れてんのかも。
そういう時は休んで力を蓄える。これが一番。
今日はとっとと寝よう……。

■ 6月14日(木) …… ■

今日は学校の創立記念日で休みです。
もちろん、気付いたのは学校に着いてからですが。

んで、今日吹奏楽部が練習してました。
まだまだ下手だけど、だからこそ誰もいない日にやってんだよな!うん!!

っつーかヤバイなあ、ちゃんとカレンダーにも今日は休みって書いたのに忘れるかあ、俺。
家出る時もなーんかでかい忘れ物してると思ったんだけどなあ、
忘れたのはモノじゃなくってスケジュールですよ。
でも、その存在にはちゃんと気付いてるから人間って不思議。
もう少し自分の勘を信じないとな、忘れ物してる気がしたら今度はスケジュールから何から再確認すべし!

■ 6月13日(水) 偽善か、思いこみか ■

周りに人が集まると、
善良で、有能な気分になれるのか。

人と一緒にやるフリをして、
本当は人任せ。
自分の出した答えが、本当はものすごく自信が無くて、
他人の答えを見ないと安心できない人間。

彼に人望があるとは、あまり思わない。
ただ人を集めるのが上手いだけで、
一見人当たりがよさそうに見えて、
本当は、人がいないと何をする勇気も出ない人間。
すぐに人に頼る、人間。

要領がいいというのなら、きっとそうなんだろう。

俺は、
自分の意志を突き通すのが、好きでしょうがないから、
そんな人は好きじゃないし、相性も良くない。

人が集まる場所へ行けば、たくさんの人と会う。

だから、そんな人も、いる。
存在は否定しない。
ただの、己の勝手な私情だ。

でもそれが、人と付き合うという事だ。
好きな人間もいるけれど、
それ以上に、嫌いな人間なんて腐るほど居る。

自分から何かする事が、できない人間。
人に甘える人間、自分に自信が無い人間。
自分がそんな存在である事すら気付かない人間。
自分をごまかして、ただその時々に折り合いを付けてるだけの人間。

嫌いな人間を少しでも減らす為に、今頑張っている。
選択肢によっては、抹殺するという手段もあるのだろうけど、
自分はそんな事はしないし、できない。
しかも、あまりにも自分勝手な答えだ。

「人の心を変える」
まだ、その目標にはあまりにも遠いけれど、
焦らずに一歩一歩、確実に前進していけばいい。

■ 6月13日(水) 感じる人間ではない、か ■

己は、「感じる」事より、「考える」事の方が得意だ。
何かを感じる事ができるのは、とても良い事だ。
面白いと思ったり、悲しいと思ったり、できる。
あまりにも凍り付いた心よりは、いいのかもしれない。

でも、
そんな自分を少しでも突き動かせるほどに、何かを伝えられたなら、
通常より遙かに高い水準を超えた、強い衝撃力があるのかもしれないと、
判断することができる。

自分を少しでも突き動かせないものは、駄作だと考える。
だから、それは少しでも避けようとして、努力する。

自己満足に陥っている人間よりはいいかもしれないけれど、


心の無い人間が、一生懸命心を表現しようとしたら、
きっと、深い何かをそこに見ることができると、思う。
心の冷たい人間は、心の温かい人間を、よく認識できるから。

いつしか自分を眺めている内に、
自分の理性と感情が、二つに分かれてしまった。
……いや、完全に繋がったのかもしれない。

理性だけでも、詩を書くことはできる。
悲しくなくても、それっぽく書く事はできる。
書いてごらんと言われれば書けるのだから、おかしなものだ。

外見など、いくらでもごまかせる。
笑ったり、同情したりするフリも、迷ってるフリだって、どんな事だってできる。

でも、
悲しんだり、愚痴ったり、文句ばかり言ったり、そんな事はもう、しない。
それはただ、自分の心を悲しくさせるばかりだから。
人の心を強くする事は、できないから。

強く生き抜く事を教えるなら、
自分がまず強く生き抜かなければならない。

同情などさせない。
人にかまってもらうのが、自分の生きる道ではないから。

■ 6月12日(火) うっほっほー ■

今日は大学でHTMLを習った!
UNIXのテキストエディタ(mule)でタグを打たせるのが当たり前のよーな言い分だった!
しかもfontタグを教えて貰っていない!
ああ、だからって今時strongとか使わねえよなぁ……。

そういや、今思ったけど、色の設定とかで「相対カラー」ってあったら便利だろうなあ。
バックグラウンドの色にRGBに+10,+20,-10とかで設定できたら、
背景色の変更だけで結構綺麗に作れるだろうに……まあ、ウチみたいな単色系サイトの話なんですが。

まあとにかく、広島はまだネットの普及率が低いのかホームページの知識バリバリな人が
なかなか少ないッスねえ……。
これからもっと普及していく事を望む。

■ 6月12日(火) うおおおお!! ■

デジファミのクリエイターズリンク集のコメント今すぐ変えてぇ〜。
というのは無理な相談だろうなあ、とほほ。コメントがショボすぎる。
ま、こうなったら最後の手段、「口コミ」しかないか……

それにしてもシルフェイド見聞録のダウンロード数がマジで少ない。
やはり皆さんあれくらいでは興味をそそられないらしい、ああ。
やっぱしADVっていうジャンルが弱いのかなあ……フリーのADVなんてみんなクソだと思ってるのかもしれん。

まあ、どっちにしろ、単に俺の実力不足って事だろ。
みんなADVクソだと思ってる中で、それでもプレイさせるくらいの勢いじゃないと、真に頑張ったとは決して言えない。
「ADVは面白くない」とか、そういう「常識の壁」をブチ壊せるくらいの結果を生まないとな。
過酷な条件下で良い結果を生み出せて、それでやっと自分の実力もそこそこ、って事なんだから。

仲間は必要ないとは言わないが、無くてもいいように頑張ろう。
それで、選択肢が純粋に一つ増えるのだ、
「仲間がいないとできない」から、
「仲間がいてもできる」「自分一人でもできる」になる。この差は大きい。
一人になっても、仲間を集める時間を必要としないんだからな。

条件がそろわないとできない、っていうのは、子供の考えだ。
自分から責任逃れしているだけに過ぎないと、俺は思う。
「条件の完璧主義」は、時間を無駄に食うだけだ。
どんなに悪条件下でも、それを克服できるほどに強くなる事を目指せばいい。
仲間を集める方が簡単だけど、それでも仲間が集まったからといって確実に何かできるわけでも、ない。
真に努力すれば完全にコントロールできる確証があるもの、
すなわち「自分」は、「死ぬまで信用してもいい」人だ。

「死ぬまで信用してもいい人」に近い人間がいるのなら、一緒に夢を追ってもいいと思うかもしれない。
でも、そんな人はなかなかいない。
人の心は、どうしても自分ほど知りうる事はできないから。

まあ、頑張るさ。
人生って道は、どんな道だって歩いていけるんだから。

■ 6月11日(月) 気がつけば守る為だけに ■

グループを作ると、
いつしかグループを維持する方が大事になってしまって、
真実や、自分の歩みたい道が、皆を思う気持ちの中に見えなくなって、
皆、本質を失ってしまう。

最初は、「高い目標」を持っていたはずなのに、
気がつけば「グループの維持」というランクまで「目標が下がってしまう事」は、
グループを作れば、ほぼ必ずそういう事が起こる。
「仲間」「会社」「組織」、どこにだってそれはある。

皆の中にいて、
自分だけが真実に気付いていても、
仲間思いの優しい人は、きっとそれを口にしない。

自分は、
真実を見つめられる目が欲しい。
グループを維持する為だけに人生の大部分の時間を割き、
夢を叶える為に集まった「グループ」なのに、何もできずに死んでいった人もいる。

必ずそこには、金の問題などが絡んでくる。
組織の崩壊の危機が近づいた時、その組織の真の目的を正しく認識できなくなって、
そこには相手の事を考える余裕も無くなって、
自分が生き残る事だけを考えるようになる。

生き残る為の発想と、前に進む為の発想は違うのだ。


時間は、皆同じ分しか与えられない。
グループを維持する分の時間を、自らが強くなるために使えば、
人の心を変えるほどの何らかの力を得る事も、出来るだろう。

グループでやった方がいいに決まっていると、言う人達もいる。
だが、全てに「良い」「悪い」の答えなど存在しない。
あまりにもそれを薦めようとするのなら、
その人は、自分自身がそういう強迫観念に陥っているだけ。
だから自分の意見や心を守るために、強く言ってしまう。
本当は自分に言い聞かせている、「それがいいに決まっているんだ」と。
その人は、どこかで間違っている事に、気付きかけている。

人には人の生き方、やり方、向いてる方法、そして性格がある。
グループを守るために必死になるのもいいだろう。何も悪いことでは無い、立派な事だ。
でも、もしそこに本当に自分のやりたい事が存在しているのなら、
それを見失わないで欲しい。

グループを作るという事は、その時点で必ず決裂を覚悟せねばならない。
そしてまた、決裂を恐れないでいなければならない。
最後の一人になっても、現実的に、自分の夢を貫けるように。

自分は、組織に入るつもりはない。
自分の伝えたい事を、100%に近づけて表現できないのは、わかっているから。
それでいざこざを起こすか、それとも満足のいかないものを作るだけかの、どちらかでしかない。

だから、一人で何人分もの力や技術を身につける。
一番最悪な道を歩くつもりで鍛えれば、楽な道は走ってでも行けるだろう。
もう、だいぶ前に決意した事だ。

自分の将来に必ずやって来るであろう弱点、
自分の性格を理解し、かつ、それを参照して決めた道への対処は、
今自分から動いて克服するしかない。
だから、本気でやってる。
たとえ、自分が報われなかったと思ったとしても。

人のつながりを維持するのは、恐ろしいほどの労力と時間がかかる。
それなら、自分が二人、三人、そして十人分の人間になる方が、どうにかなるかもしれない。
それが、自分の選んだ道だ。
無理とは思わない。もう二、三人分近くの能力は、持ってるつもりだ。
俺がネット上で知ってる人は皆、普通に二人分以上の能力を持っている。
皆、とんでもない連中だ。
だが、それは実現されている。

力には、溺れてはいけない。
力に溺れてしまったら、そこから、心が無くなっていく。
本当に伝えたいものは、心だ。
それを忘れるな。

■ 6月10日(日) 久々にやってみた ■

エゴグラムによる性格診断というものをかなり久々にやってみました。が、今見ると非常に多くの意味が取れて困る質問が多くなっているように見えた。

自分はわがままだと思いますか?
人がイヤがってるのに自分で勝手に人生の道を選ぶ事をわがままだというのなら、
俺は非常にわがままなのだろうが、自発的に人に迷惑をかける事はしないように努めている。
これはたんにだだをこねるとか、そういった浅い意味での「わがまま」を指しているのか、
それとももっと深い意図があるのか。

自分の損得を考えて行動しますか?も似たような答えだ。
友人関係、人に迷惑をかける度合い、自分の満足度、なども含めて自分の損得と言うのなら、
皆、自分が一番いいと思った行動しか取らないのだから、
間違いなく全員、自分の損得を考えて行動している。
イエスキリストだってマザーテレサだってそうだ、自分の心の満足という損得の上で動いているに過ぎない。
これぞ愚問、か……。

子供や部下の失敗には寛大ですか?
寛大……無関心と同意義語か、これは?

我慢するほどストレスが溜まるわけでもないし、
満足するまで娯楽や食事を求めるか?と言われれば、状況による。
宿題などがある状態なら、娯楽が少なくても満足できる。
つまりいつでも満足するまでやってるわけだ、微妙な逆転関係である。

で、結果が↓
根暗のつもりねえぞ俺……まあ常に笑ったりする「フリ」してるから、
ちったぁ子供っぽくしろっつー問題は解決してるって事かな。
沸き立つ感情がないってのは合ってる。だが大好きな事もあるし、問題ないだろ。
色事に関しては保守的まっしぐら。
っつーか興味がまだそんなにないんだよなあ、二十歳になったらちっとは興味も沸くか?
まあ劣等感持ってるほどじゃないし、まだいいでしょ。
彼氏や彼女が欲しいとか思ってるのは、性的劣等感のある人。
自分で足りないと思ってる分を行動でカバーしようとする、それが劣等感ってヤツだ。
妹がいるのも、理由の一つだろうけどな。
17年間も超近距離で生活しとったらそら女にも慣れるわ。

ま、たった5つのステータスで決めようってのが間違ってるな。
名前診断とか手相診断も含めた複合型診断が一番いいのに、なんでそれやらないのかねえ……。

http://www.taisei-e.co.jp/seikaku/kekka/baacc.htm

■ 6月10日(日) ■

夢を見た。
朝飯を作って、食って、ゴミ出して、学校へ行って、
帰ってきて、くつろいでいる夢。

最近見る夢は、全てが日常の繰り返し。
自分の願望が、すでに現実の世界にあるからだろうか。

今日も、いつものように起きて、飯を作って、食って、学校へ行く。

今日はやけに人が少ないなと思って学校に到着したら、
日曜日だった。

自身の無駄な行為に吠えたくなった瞬間だが、
意外と日曜日でも人は来ているという事を知る事ができた。
皆は、ここで夢を紡いでいるのだろうか。
それとも、皆と一緒に何かするという事自体が目的なのか。
寂しさを、紛らわすためか。

「好きな事」がなくてかつ、将来を考えている人は、教職免許を取るために土日も学校へ来ている。
もしくは、教える事自体が本当に好きなのかもしれない。
けれど、それはとても稀だと思う。


本当に好きな事があるという人間は、一体何人いるのだろう。

■ 6月9日(土) 好奇心と、自らへの挑戦 ■

おそらく、
レスをしませんと書いてあり、かつ書き込みの少ない掲示板に
書き込むのは、非常に気が引けるだろう。

そして、
非常に内輪な状態になっている掲示板に書き込むのも、
相当の勇気がいるだろう。

自分は別に、人の賞賛の言葉が欲しいわけじゃない。
どれだけ人の心を動かせたか、それだけを、知りたい。
わざと人を突き放したような作りにしてあるのは、
そんな状態だとしても「良かった(もしくは悪かった)」と言わずにはいられない、
という人が、果たしているのかどうかという事を、知りたいから。
どれだけ心を動かせるのかどうか、今の自分の力を知りたいから。

心理的な近寄りがたさを作るのは、たった一つの文章で簡単に行える。
バグなどはこちらへ、などと書いてある掲示板に
わざわざ感想だけを書き込む人間も、そうはいないし、
ユーザーも、普通の管理者は迷惑がるに違いない、と思うだろう。

おそらくゲストブックに、次に「私の知らない他人」が書き込んだなら、
その人はよっぽど恐れ知らずか、それとも、作品によって強い思いを与えられたかの
どちらかではないかと思う。
この瞬間でさえ、この文を読んでる人は余計に書き込みづらくなっているかもしれない。
「それでも書き込みたい」と思えるほどに心を突き動かせたのなら、
それはそれで、いい事なのかもしれない。
でも、無理に感想を伝える必要はない。
誰かの後に続いて書き込むのも、別に悪くない事だ。
例がない状態で初めて何かをするのは、とても労力がいることだから。

自分の作品が、見た瞬間に止めたくなるような凄まじい駄作だったとしても、
そうでなくて「感想を伝えたい」と思わせられるほどのものでなかったとしても、
はたまた、感想を言わずにはいられないという人を一人でも生み出せるものだとしても、
自分には、同じ事だ。
どれであっても結局は、相変わらず本気で努力するだけ。

非常に書き込みづらい掲示板に感想を書かせる。
それが私の、小さな目標。
そして、自分の力を知りたいという、知的好奇心。

もしこれを読んで書き込みたくなった、とか言うのなら、
それはそれで、人の心を少しでも動かせたのだから、
小さな目標の結果としては、同じ事かもしれないが。

とにかく、あと一歩という所で書き込みできない人は、そのままで居て欲しい。
迷わず速攻で書き込んでしまうような人が、一人いるかどうかを知りたい。
ただ、それだけだ。

どんなに私を褒め称えても、けなしても、私は同じだけ努力できるという自信がある。
何度もやってきては掲示板をのぞいている
(ひょっとしたら書き込みしようとしているのかもしれない)人は、
もしかしたら次が出なくなるのではないかとか、別に心配しなくてもいい。
自分は、そんなに心の弱い人間ではないから。
連載すると言ったなら、必ず次は出す。
仮に面白くなくても、続ける事で自分の能力は間違いなく伸びるだろうから。

だから、続ける。
次回作をもっと面白いものにするために。
そして、自分の真に伝えたいものを、いつか伝えられるようにするために。

■ 6月9日(土) 真に見つめる事 ■

与えられた状況に適当な折り合いを付けて自分を納得させていても、
いつか状況が「与えられなくなった」とき、その人は迷う。
その人は自分が何をしたいのかが、何もわからなくなっていて、
存在の意義を失い、消える。

本当に大切なのは、自分が何を為そうとしているのか、だ。
最終的な目標や理由は、自分に対して強い意志を持って見つめ合った時、
自分の感情や性格にあった、一番いい答えが出てくる。


穏やかな時を過ごしていても、そこには自分が生きてみたいと強く思える道がある。
自分でも気づかないほど弱くて、そして恐ろしく強いこの情念が、そうさせる。
人に何を言われても、この心には逆らえなくて、
それは長い時を越え、凄まじい力を生み出す源となる。

若くして自分の心に気づいたなら、それはきっと得な事なのだろう。
静かに自分を見つめた時、そこにはウソのない自分が見える。
……それがあまりにもつまらなくて、愚かな自分だったとしても。

でも、人間はみな、そんなものだと思う。
自分の中の汚い欲望と、自分に染みついた道徳が必ず相反して、自分を真に見つめる事を、心の底から拒否する。

自分を真に見つめられるのは、もともと心がまだ綺麗な人間か、それとも恐ろしく勇気のある人間か。

俺が迷う時、心にもやがかかっている時は、自分何かに気付こうとしている時なのだという事を知った。
他の人も、なんとなくそうなんじゃないだろうか。
ただ、自分が迷ってるとか、心にもやがかかってるのがわからないだけで。

どんな平和な世の中でも、残酷な事実は人間の中に内在している。
それを見つめたくないのなら、それでもいい。
でも、それで得る物は本当に大きいと思う。
自らが迷わずに、ただ真っ直ぐに道を切り開いていきたいと思うのなら。

それを知った時、そこにつまらぬ焦りや恐れはもう、無い。

■ 6月9日(土) 消滅 ■

ビッグバンから始まって、宇宙の収縮で終わり、
また全てが無になり、再びビッグバンが起こり、宇宙が始まる……のかもしれない。

この世界にとっては、この現象一つが単なる一呼吸のような感覚である可能性は否定できない。
それに比べたら、自分のやっている事はどんな意味があるのだろう、
などと、無駄な考えをする。

全てが無より始まったのなら、この世界自体も無なのだろうか。
たった一つの、原子核が恐ろしいほど集中した物体から全てが発生したと言われても、不思議じゃない。
原子核は、原子自体を野球ドームと仮定すると、ピンポン玉のようなサイズでしかないのだ。
原子核が原子数百個分にぎゅうぎゅうに詰まったものが爆発して宇宙全部が生まれたといっても、
全然不思議じゃないほどのサイズである。

人は宇宙の発生の秘密を知って、また宇宙を作るのだろうか。
そういう事もまた、あるかもしれない。

壮大な宇宙の中の、たった一つの星に生まれたたった一つの生き物に、
何ができるかはもう問わない。
だが、なぜか自分はここにいる。
考えたり、自分から動いたりできる。
「意志」を生み出したのは、「生物」という存在を生んだ太古の地球。
そして、自分は意志を与えられてここにいる。
その事実だけで、十分だ。


広い目で何かを見れば、自分の小ささに虚しさを感じるかもしれない。
所詮、自分はどこかの中の宇宙という空間の地球の上で、滅びに向かって歩き続けている一つの物体に過ぎないのだ。
何をやっても、死ねばもう後の事を知覚する事はできない。
意味を付けて頑張っても、いずれそれは無意味となる。
この大宇宙が消える、その日になれば。

それでも、自分は前に向かって歩き続けなければならない。
どんなに意味がなくても、自分がここにいる限り、自分は生きたい。
だから、生きる喜びを知りたい。

来世は有るかもしれない。
いつか自分とは違う、同じ意志を持った存在が、世界の終わりを見るかも知れない。
もしかしたら、世界の終わりを見るのは自分かもしれないけれど。

来世は無いかもしれない。
それならそれで、別に構わない。
自分が完全に消える事は、怖くない。
誰だって、宇宙の最後の時には逃げ場もなく、消えるのだから。

悩むのは、知恵ある生物に与えられた命題。
そしてまた、人間の弱点。


全て滅びる事がわかっていて、それでも頑張れるのは、
きっと、素晴らしい人だ。
自分は、そんな人間になりたい。

だから今ここから、頑張りたい。
悲しい事に気づいたのなら、それを乗り越えていくだけ。
そこで止まったら、自分はただの隠者になってしまうから。

壁があるなら、乗り越える。
ハードルがあるなら、越えていく。無理なら下をくぐってでも進め。
それが、自分の目指している自分だ。

■ 6月8日(金) 頑張る事、か ■

ゲームを作ったはいいが、あんまり報われた気がしない。
いまいち「これだ!」と叫べるような出来ではない。

まだ、自分の目指してるところまでは行っていない。
いつの間にか、目標がどんどん遠くなっている。
今やっと、中学生の頃の目標だけ果たせた。
それがかなったのは4年後の今だ。
目標が高すぎたのか、それとも育つのが遅かったのか。

自分の成長の遅さに辟易するが、
それなら少しでも成長できるように頑張ればいいだけの話。

外側へ何かを求めようとは思わない。
「満足するまで求める」のは、俺の内側だけだ。
もっと、強くなりたい。
夢も、心も、技術も。

明日の自分が、今日の自分より強くありますように。
そして、自分の力に慢心しませんように……。

■ 6月7日(木) 我が考えとは ■

私の考え方には仏教的な部分があるが、
円環思想、すなわち輪廻転生は信じていない、時間線形思想である。
なぜなら、いつか死ぬ日の為にと、頑張っているからだ。

しかし、常に自分を見て、自分の中にはどんな心の鎖があるかを理解しようとしつづけている。
それすなわち瞑想。座禅を組まずとも、自分を見つめ、考える事くらいはできる。
そして、安易な言葉を、勝手に定義して使ったりはしない。
「正しい」ことも、「間違ってる」ことも、この世界には存在しえない。
それがあまりにも主観的な判断だと知っているから。
人間の勝手に決めた常識を安易に信じるなと、それすなわち「解脱」と呼ばれるものではないかと、俺は思う。
つまらぬ執念や欲望に捕らわれるな、とブッダは言った。
俺の言葉で言うと、それは「心の鎖」だ。
だがまず、自分の中の執念や欲望の「存在」に気づけなければ、何の意味も為さない言葉だと俺は思う。
未だ、それを説いている人は少ない気もする。

みな、主観的なのだろうか。
みんながみんなできると思っているのか、それともわからないヤツには期待していないのか。
もしくは、それを語れる人間は「説かない」という性質があるのか。

俺の行動目標は、一見キリスト教だと言う。
まだ見ぬ隣人の為に頑張りたいと思ってるようにも、見えない事はないのだろう。
これから必死に努力していたなら、
俺がどう思っていたとしても、結果はそうなるのかもしれない。

でも、無償で人を助けたいというのは結局、自己満足、つまりエゴに過ぎない。
だから「きれいな欲望」とでも言うべきか。
「欲望」はどんな行動にも常につきまとう。
犯罪者は欲望で動き、また「聖人も欲望で動く」のだ。
欲がないのは廃人だけだ。

欲望、この意味は一つではない。
マザーテレサはとんでもなく欲深い人間だったに違いない。
やりたいと思ったら、他人の迷惑もかえりみずに動いたのだから。
自分にとって利益だと思ったら、どんなリスクでも冒す勇気がある。
そしてまた、それを愚かなほどに信じられる心も。


「きれいな欲望」を抱いて、自分は生きたい。
そして、それを維持できる強さも。

■ 6月7日(木) シルフェイド見聞録第一話製作完了…… ■

すげえ!UNIXの日本語辞書すげえよマジ!!
なんで「やる」→「殺る」変換が普通に入ってるんだオイ!?
誰かが共有辞書に入れたのだろうか……ううーむ。

それはそうと、最近いまだに中間試験中。
来週も試験なら再来週もその次の週も試験。
遊んでる暇なし!はあー。

■ 6月6日(水) 専門じゃないけど必死ですよ ■

やっぱ絵描くのむずいわーと実感、今日は少々妹に指摘されました。
っつーか美術系の講義なんて一個も取ってねえのが痛いかな。
後期からデッサン基礎でも取ってみるか……って俺情報科学部なんですけど。
まあ、取れないわけじゃあないんだが、指導されてないから下手くそだ、
っていうのはただの言い訳だな。
真にやれるヤツってのは、誰にも教えられずともやるし、
自分から知識集めようとして頑張るものだ。

まあ、やっぱ練習あるのみ、か。
いっぱい本読んで勉強しても書いてないコツは、山ほどある。
とにかく頑張ろう……最低、できる人から見て粗が目立たない程度には。
やっぱパッと見ですぐわかる技術、ってのは、一つは欲しいし。
ゲームとか小説ってのは、ある程度見てくれないとどうしようもないからなぁ。
そういう事やってる人にとっちゃ、パッと見でわかる技術は、
メインをある程度見せるための「餌」としては十分使い道がある、ってな。

そういう意味で一番いいのはマンガなんだけど……な。
本来、売れてるマンガのセリフってのは大抵、凄く練られた文章だ。
そのまま小説にしたっていいくらいの。
漫画家にとって、レベルの高い文章力(理解させやすいという点で)ってのは、
持ってるのが普通なんだよな。
全体的に究極貫いてる、すげえ連中だぜ……。

ま、枚数が書けないなら、堂々と使い回しできる「ゲーム」を作ればいいって事よ。
斬新なシステム発想力があればなお良し。

■ 6月6日(水) つまらん事ですが ■

6月の初頭からバナーを新しく変更。
とはいっても主なデザインは特に変わっておりません。
人を呼びたいのなら、
バナーが並んでる状態で「浮く」というか、
「目立って見える」ものを作りたいですねえ。
以前のは彩度(色の鮮やかさ)がゼロだったんで目立ってませんでしたが、
今回はまだちょっとはマシ……かな?

ま、知り合いのページが黒っぽいトコ多いんでね……相変わらず少しでも目立つようにと白っぽいバナー。
そういうのも一つの戦略ッスよ、うん。

■ 6月4日(月) 広島に住んでみて ■

オリンピック広島にすれば良かったんじゃん!
原爆の件があるだけ絶対大阪より有名ですって。
世界中で原爆落ちた二カ所の内の片方だぞ!
って、そんなしょーもない事に始めて気がつきました。

でも、原爆の余韻なんてどこにも無いし、原爆を体で実感した人はもう居ないし。
まったくだな……だがここは新興都市としての臭いがある。
みんなが街を面白く、格好良く発展させようとしてる、いいねえ。
いまどき路面電車が残ってるようなトコだけど、最新ぽいカッコイイ路面電車(グリーンライナー)とか色々あるんだぜ!
まだみんなが色々開発してる分、大阪なんかよりよっぽどいいトコだと俺は思う。
何より地下鉄が無いしなあ、俺はアレがどーも苦手だ。
まあ、開発もまだ中途半端な分、最新のカッコよさのものを作り出せるから、中途半端な古さが無い!
言ってもわからんと思うけど、アストラムラインとかも駅ごと
わざわざ綺麗なイメージカラーで色分けしてあったりして、
こっちの方がよっぽど近代的って感じなんスよ!
その配色センスも古くさくないしな!

というわけで、やっぱええわ、ここ。
自然も多いし、狐もいるし、蛇の抜け殻も工事現場に転がってるし、
たんぼに何故かピアノ線のトラップ(対カラス用?)が仕掛けてあったりしてもうたまらんッス。
それに、大学の取った講義も他のヤツより6単位も少なかったけど、
その内の4単位が宿題でまくりか合格率20%っていう凄いトコだったし。
一体どこにそういう危険察知センサがついてるのか俺自身も疑問である。

ま、広島に来て勘がやたら鋭くなったし、道に迷わないし、
もしかしたらここが俺のベストプレイスってやつッスか!?
あー、名古屋行かなくてホントに良かったぁ……(っつーかそもそも受かってないじゃん)

■ 6月3日(日) 心 ■

気持ちだけでは何もできない。

動け。

一歩動けば、気持ちを燃料に、どこまでも走り続けられる。
「気持ち」という名の燃料は、使わねば腐っていく。
夢に向かって向かって走りたいという気持ちがそこにあるのなら、
今すぐにでも、使うべきだ。
何もできずに死ぬのなら、やりたい事を少しでもやってから死んだ方がいいに決まってる。


自分は、一人ずつの人間へ送る言葉が好きだ。
大衆への言葉は、心の底から人を強くするには、あまりにも力が無いから。
「諸君」と言っても、「あなた」に比べれば誰も自分の事を言ってるとは思いにくい。

人を「先導」する人は、「諸君」というだろう。
人に「強くなって欲しい」と思う人は、たぶん「あなた」というだろう。

俺は、自分の夢に人を付き合わせるつもりはない。
でも、夢を実現させようと本気で「努力する事」、「努力できる」というを教えたい。

誰もが自分と同じ夢や、目標を持ってるなどとは決して思わない。
仮に「目標は同じだ」と口で言っていても、心の奥底の理由は全員違う。

『人に頑張って生きて欲しい』、自分の目標はただそれだけ。
でも、これだけの言葉の中に、たくさんの意味がある。
100%正確に理解できるのは、俺しかいない。


なぜ頑張る人が増えて欲しいと思うのか。
そこに、俺の根幹の理由がある。
世の中が腐ってるから、という理由は、実はあまりにも表面的だ。
結局は、そこには必ず自己中心的な、「本能」に極めて近い「欲望」がある。
例えば俺の場合、実は同志を見つけられるようにするために頑張って欲しいと思ってる、
つまり深層心理では淋しいと思っている、とか。
今の自分には、無理矢理絞り出しても、それくらいしか理由が思いつかない。
だがおそらく、それが正しいような気もする。
しかし、自分にはまだよくわからない。
報われたと思った瞬間がいつなのかによって、答えは変わる。
「何かを作り終えた直後」か、それとも、「その感想を聞いたとき」か、
または、「真に同志だと思える人間と出会ったとき」か、それ以外か。

まあ、今はどれでもいい。
頑張る理由は、十分にある。
そして、こういう生き方をする人間も、
必ずなくてはならない存在だとも思ってる。
自分はその中の、一人だ。
家族や知り合いは、自分の生き方を拒むかもしれない。
でも、それは単に価値観の違いでしかない。
名誉が大事だ、金が大事だ、夢が大事だ。
人によって、みんな違う。
「親しい人に言われたから、考え直す」こと自体も、価値観の違い。
親しい人の意見が全部「正しい」とは限らない、
そもそも「正しい」事すら地球上にはもともと存在しないのだ。
生物がただ存在し、生き、進化し、今地球上に残る生物は、「存在している」という意味しか無い。
絶命した生物たちが「間違っていた」というわけでは決してない、ただ、「存在しない」だけ。
「正しい」とか「間違っていた」とか、それは人間の主観だ。


目の前の道が、自分の信じる道であるなら、俺は迷わない。
ただひたすら、前に進むのみ。

■ 6月2日(土) 今日は ■

200円の「おべんとう」が製造後6時間経過していたので100円引きになっていた。
いつも買ってる380円→280円弁当が一個も無かったので、
その100円になってる弁当を二個買って、帰った。

そして、後悔した。
まさか全く同じ組み合わせのものを二回食べるのがこんなに苦痛だったとは。
「ふー」と言って一つ目を食べ終わって、俺は気づいたら寝てた。
10分後。
一つ目がまるで夢であったかのように堂々と鎮座している二つ目の弁当。
同じ動作でビニールをはがして、それから食う。
(……まだ食ってなかったっけ?)
食った。間違いなく食った。
だが寝ぼけていた俺の頭には弁当を二つ買ったという記憶がすでになかったらしい。
どうも食欲が出ない、風邪でも引いたかと無駄な心配する俺。
さっき食ったんだってば。

というわけで、これからは気を付けたい。
なんせコーヒー入れかけのままで大学行って帰ってきて
部屋がすっげえコーヒー臭くなって驚く事だってすでに二回ほどやってしまっているのだ。
どうも自分にとって、日常的動作を忘れる事は容易らしい……。

■ 6月2日(土) 理解、か ■

俗っぽい事が気にならないのは、
ただ単に、夢へ向かう事の愛が大きすぎて、
その他の事が何もかも、ちっぽけに見えてしまっているだけかもしれない。

あるときから、些細な事は何も気にしないで済んだ。
自分にとって、一番大事なことが何なのか、わかっているから。
だから呑気なヤツだと言われる。

どんな事も、全く気にならないわけではないが、ほとんど気にならないのは確かだ。
だが、寛大というわけではあるまい。
感情がイライラしてても相手を許せる「理性」が「寛大さ」だ、と俺は思う。
元から何も感じない人間は、ただ無関心なだけだ。
それでも、プラスか、マイナスに行きすぎている状態なら、ゼロにしたいとは思ってる。
希望を失いかけている人は励ましたいし、慢心している人にはそれを気づかせたい。
自分を突き動かしているものは、人に強い心を持って欲しいと思う感情と、小さな事への無関心。
それから、自分の夢への希望。

俺は他人より、自分の限界を見てみたい。
素晴らしい人を応援する暇があったら、その時間を自分が頑張るために使いたい。
だから人はたぶん、私を冷たい人間だと思うだろう。
人に干渉する時間は、最初からほとんど全部夢に費やすつもりにしているから。


人間に与えられた時間は短い。
「普通の人が普通に持ってる何か」を犠牲にせねば、
「普通の人が持っていない何か」を得る事はできない。
何も犠牲にしなかったなら、どっちつかずになるだけだ。
自分は、何もかも完璧にこなせる天才では、ない。

■ 6月1日(金) 自然 ■

上を見れば、
海を映す、果てない空がある。
人智を越えた、果てない宇宙がある。


下を見れば、
深い深い海の底に、宇宙がある。
光届かぬ、漆黒の世界。
宇宙より暗い、誰も行った事のない場所。
そこには、生物がいる。
宇宙より暗い場所に、生物が眠る。
深海には、見たことのない生物が、まだたくさん存在している。
そこへ夢を馳せる人間達も、存在している。


前を見れば、
そこには大地がある。
花が咲き、木々が風になびいて、獣たちが走る。
大地は、人間を皆、受け入れてくれた。


この青い大空を、後の子供達に残したいと思う人達がいる。
緑の草原を、深緑に染まる森林を、守りたいという人達がいる。
果てしない空へと、旅立とうとする人達がいる。
海という深淵へと、旅立とうとする人達がいる。


今日、空があんまり綺麗だったから、遠回りして帰った。
あまり人には理解されないけれど、自分はこの世界が美しいと、心から思う。
自分は、この大地ほど純粋には生きていない。
自然な想いをそのままに、生きていけるなら、それほど良いものは無いだろう。
でも、人間は考える生き物だ。
だから自分は考える。
それが、人間の「自然」だと思うから。


……なんて、
本当は、自分が「考える理由」を後から付けただけ。
理由はいつも、後からついてくる。
偉人らも、やった後からいっぱい理由を付けて語る。
自分の行動を納得させたいから、理由を付ける。

理由があるから、やるんじゃない。
それをやりたいから、理由を付けるんだ。
皆、自分を守るため、そんな事は言わないけれど。

自分のやりたい事を見つけたら、いつまでも信じられる理由を付けるといい。
理由から始まったら、不自然に生きなければいけない。
もちろん、強制でやらねばならない事は、とても多いから仕方がないけれど。

もし「自然に生きてもいい」という環境下にあるなら、
まずは自分の「やりたい事」から見つけるといい。


人が理由を語るときは、いつでも自己弁護にしかならない。
前にも言ったが、結局は人間っていう生き物はそんなものだ。
最終的には、「理由」とは自分を納得させるものなのだから。
でも、それがきっと人間の自然な姿なのだろう。

■ 6月1日(金) ガキの頃 ■

幼稚園の年長(5歳)の頃だったか、
もし両親が死んだらどうやって生きればいいのか、自分はどうなるのか、考えた事が何度かあった。
知識が足りなさすぎて、どうなるのかはわからなかった。

いつも、知らない事が恐怖になっていた。
それゆえか、自分はいつも何かに怯えていた。
知りたくても知れない事が、あまりにも多すぎたから。
いつしかそんな世界に絶望し、そして、自由になりたいと思った事があった。
何もかも消えてしまえばいいと、自暴自棄になった時期があった、小学生の終わり頃。

それから、感情が消えていった。
反発しようとする心が、自分にとって一番大きな感情だった。
気づけば、悲しくも楽しくも、なかった。

今も、何が楽しくて何が悲しいのか、わからない。
たまに、悲しい気分になってみようとして、日記を書くことがあるが、
それはあまりにも虚しい事でしかなかった。

抑制がきくのは、大人になったからか。
誰と話して笑ってみせても、もう一度話したいとはどうしても思えない。
別に話さなくてもいいとは思っているけれど、社会的には必要だから、やってる。

どうしようもない感情があるのは、知ってる。
一、二年ほど前、一度だけ恋と呼べるような感情を抱いた事はあるが、結局、三日で消えた。
相手は単に、つまらない心理的な罠を仕掛けただけ、ということを知っただけだった。
俺を簡単に陥れられるような言葉が、いくつかある。
それを使えば、自分を好きだと思いこませる事など、容易なのだ。

想いが冷めるのは一瞬だ。
それが己の意志力ゆえか、単に冷たいだけか、それは知らない。
「なぜ自分はそう思ったのか」
その探求心が、自分を知る手がかりになる。
そしてまた、自分の弱点も気づかせてくれる。
自身と対峙している「何か」の正体、も。

心が自由である事を望むから、
俺は「何かに固執するような状況」を、嫌うだろう。
それゆえ、自分は何か一つだけを大好きだと思ったりはしないし、しようとは思わない。
視野が小さくなる事が、自分にとって一番の恐怖だから。
知識が無いなら、見て、考えてみればいい。
見て考える余裕さえできなくなったら、俺は何もできなくなる。


もしかしたら、自分には「これが自分にとって良い事だ」と認識できる脳内物質がもう無いのかもしれない。
そのときだけは楽しいような気がしても、後から求めようとはしないから。
だから目移りしない代わりに、新しい事に対して「大好きだ」と言えなくなるのかもしれない。

ゲームを最初に作り始めて、もう7年ほど経った。
それでもまだ飽きない。
そして、人に何かを伝える事が、自分にとって「大好きだ」と言える唯一の事だから、
こうやって日記を書けるのかもしれない。

だが、決して古い人間というわけでもない。
新しい事に対しては、探求心がある。
知り続ける事が、自分にとっての道の一つだ。
そしてまた、これからは「知り続けられない人間」は、消える。
時代の変化についていけないなら、置いて行かれるだけだから。

でも、何も好きな事がないままに「好きな事だ」と思わせる脳内物質が消えなくて、良かった。
もしかしたら、この脳内物質はガキの頃しか出ないのかもしれない。
才能を与えられるのは、子供の時期だけだと、某特命リサーチでも言っていたしな。

「人に伝える事」が、自分にとっての最後の砦だ。
これだけは、誰にも譲りたくはない。
生きるなら、この力を行使して生き抜いていきたい。
だから、この力だけでも生きられるよう、頑張り続ける。