過去の日記  2000年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
         2001年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
        2002年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
       2003年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
      2004年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
     2005年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
   2006年 01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11/12
 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年

3月の日記

■ 3月31日(土) 引っ越し数日前 ■

今日は電気街へ行って色々買いあさった。高い買い物もした。
絶対要らないと思ってたのに携帯も無理矢理買って貰った。
いくら一人で遠くに行くからってここまでせんでもいいと思ったりするんですが、ちょっと嬉しかったりもします。
でも携帯でメール打つのはどう頑張っても遅すぎる、やっぱりキーボード万歳!!
そういや今日新しく買ったキーボードもレスポンスが高速でいい感じ。
しかも展示品の最後の一つだ!!とりあえずラッキーボードと名付けよう(コラ)
などと、色々やってるのはいいのですが……どうも絶対に何か忘れてる気がしてならん。
何を忘れてるんだろうな……凄い致命的な忘れ物だと思うんだが、忘れてるから忘れ物なのであって。
ま、そのうち思い出すでしょ。
ちなみに物理的な忘れ物なのでそこんとこ御注意。
俺の心を忘れてきたとかそんなアホは言いませんぞ!!

■ 3月30日(金) 腐敗 ■

引っ越しの準備がてら、過去のネタ帳漁ってました。
で、昔のネタ帳がいっぱい出てきた訳なんですが、数年前のネタ見て思いました。
昔の方が発想力に溢れていたのになぁ、と。
一日中一つの事ばっかり考えていたあの頃に比べて、精神のコントロールが可能になってくるにつれて
どんどん発想力が低下してきているような感じもします。
やっぱり暴走思考は非コントロール状態の方が強いですなあ、うーむ。
これからコントロールをかけないようにする訓練もすっかな……ってそれ訓練っていえんのか?
ま、制御する事ができるなら暴走させる事もできるよーにしとかなきゃならん、か。矛盾してるな。

だがその矛盾を解決したときに何かが見えるんだろう。
心をコントロールできるだけじゃ、駄目だ。
意識してコントロールを解除できるようにしなきゃならん。
一見進みようがない状態でも、まだまだ先に進める要素がある。

一つの事に固執すると、人は失敗する。
今までは心をコントロールすること、だけを訓練してきたが、
多少は発想を暴走させられるようにしとかなきゃな。
そうやって足りない部分を補っていく、人間。

誰に言われるもなく、自分の力で先を見据えて、自分で解決して、
どんな時も絶望せず、どんな時も無気力にならず、なったらなったで自分で治せるような、
そんな強い人間が、一昔前では普通だったらしい。

単に立ち向かうべき目標が明確だったから、かもしれない。
でも、今の日本の若者達は、立ち向かうべき目標が用意されていない。
昔は、勉強していい大学入って、いい会社に入って、結果を残せばそれで良かったのかもしれないが、
今は誰もが、そんな事を強く要求しようとはしていない。
それに、彼らにとって「素晴らしい」と思うものが無い。
生きるために必要なものは全てそろってしまったから。

社会内でのセオリーも用意されていない、夢もない。
そんな状況で「今の社会は腐敗してる」って言われても、しょうがない。
かつてまでの若者は、夢や、模範や、動機を用意されていたから、頑張った。
貧しかったから、不便だから、憧れていたから、頑張ったのだ。
だからこそ、状況に気づいたヤツらが変えなきゃいけない。
気づいてるのに、直さない連中もたくさん居る。
自分の力じゃ、絶対に直せないとハナから思ってる。直すという行為自体がすでに浮かばない。
……それとも、俺がイカれてるだけか?
でも、思う。
誰もやってないから、無理だと思うのか?思いつかないのか?
それとも、自分の責任じゃないから何もしないのか?
そうは思わない。人間は馬鹿じゃないから。

どんなものも、
ハナから何もできないと思ってはいけない。
可能性を見出す事もしないで、何ができるというのか。

人間が人間としての可能性を捨てて、どうする。
長く生きれば生きるほど、人間は馬鹿になっていくのか。
俺は、数年前より馬鹿になってる自分に気づいた。
くそったれ野郎の一歩手前まで、歩いてきてる事に気づいた。

でも、
失ったと気づいたなら、取り戻せばいいだけだ。
何も知らなかったあの頃にも、大切なものをたくさん持っていた。
けれど、失ってしまった。
ここまで来て他人にその責任を要求する気はない、時間が勿体ないから。
それに、他人に俺が失ったものを直す事ができるとも思えない。
だから今から頑張るしかない。
強い夢があるから、きっと頑張れる。

■ 3月29日(木) 顔 ■

顔の左側は、否定的表情を表し、右側は肯定的表情を表すという。
本当はイヤなんだけど笑ってる、といった場合は左右の表情に違いが見られるらしい。
右脳の感情が素直に出れば、そりゃ左側はイヤな顔も全部出るだろうし、
左脳の理性で考えれば、イヤな顔は見せちゃ駄目だろうから顔の右側はよく笑う。
って事だろうか。

俺の場合、ニヤリとする時に右側の口元が笑い、イヤな時も右側の眉毛が下がる。
という事は、俺の表情は全部左脳によるものだ。
中学生の時までかなり無表情だったし、母も表情がよくわからなかったりする。
父や妹は、結構わかりやすいんだけどな……。
とにかく、俺の表情は感情によるものではなく、理性によるものらしい。
思えば、表情が無いことでボディランゲージによる表現力の大半を失っていたのかもしれない。
だから左脳でサポートした、か。

だが、右側の目の方が左よりも厳しい目をしている。
左側は大人しい人間の目だ。
厳しい理性と、何も言わぬ感情。
これが冷たい人間であるがゆえの理由か。
でもこれじゃあどんどん右脳が錆びてくなあ、どーすんだよコレ。
その分左脳でサポートしろってかぁ、はあ。

ま、だからこそ家族や友人と離れるのを恐れない、っていうのもあるんだろうけどな。
一応、他人の希望は満たしておいた方が後々得だろ、って事で他人と付き合う事もできるようになったし。
それでもやっぱり動くのは理性による右側だけ。

「どうしようもない部分は、有り余ってる部分で補強する」
どーも自分でも知らない内から実践してたらしい。
元来の感情の少なさを理性という仮面でカバーする事。
なんつーか、けっこう便利なこった。

■ 3月29日(木) 年寄り、か ■

「誰かについていきたい」と渇望する事が無い。

誰かに憧れないのは、
年を喰ったからだとある人は言う。
俺はそんなに年を喰ったのだろうか。
若いことの素晴らしさを知らぬまま、大人になってしまったのか、
それとも、今の状況こそが「若いことの素晴らしさ」なのか。
きっと、終わってから気づくのだろう。

誰かに憧れる事ができる妹が羨ましい、と思うときがある。
明確な目標は、人を強くさせるからだ。
ゴールがあるからこそ、マラソン選手は42.195kmを走る事ができる。

けれど、明確な目標は決して数字だけではない。
それだけは、いつも忘れてはいけない。
カウンタの数字が低くても、凄いHPはたくさんある。
数字という先入観に騙されてはいけない。
誰も支持していない人に憧れるのも、罪じゃないハズだ。


自分は、誰を目標に頑張っているのだろうか。
そう問われても、自分は『明日の自分を目標に頑張っている』としか、言えない。
ふざけた答えだ。
それでは、目標はちっとも上に無いじゃないか。
そう、言われるかもしれない。
だが、自分は自分なりに、刻一刻と成長している。
時に休み、時に考えながら。

若くして目標を失いかけた時、
その人は、自分と戦い続ける運命を背負わねばならない。
自分の怠情に負けぬように、ゴールのわからない道を歩き続けられるように。
それと共に、その人は「自分の道を作り上げる」という方法が存在している事を知る。

弱い人間には、ならない。
どんなに絶望したって、無気力になったって、
人間には『理性』という武器がある。
辛くなりそうになったら、いつも理性で自分を奮い立たせて来た。
そしてこれからも、そうする。
自分自身が人類であるがゆえの欠点は、人類であるがゆえの利点で解決する。
身を守るための「不安」が身を滅ぼすなら、身を守るための「知性」で解決すればいい。
人間は、そんなに馬鹿じゃないハズだ。

時間は、刻一刻と過ぎている。
ここで時間を無駄に使うわけには、いかない。
果てしなく、どこまでも頑張れ。
俺の理性が働く内は、決して無気力にはならない。
己を、奮い立たせろ。
何者にも負けぬように。

■ 3月28日(水) 頭いてえ ■

人間は、価値観や人生観の違いから6種類のタイプに分類する事ができる、らしい。
シュプランガーって人が見つけた、っつーか定義したものだ。
とりあえず基礎知識としてその内容を載せておく。

理論型、経済型、審美型、社会型、権力型、宗教型。
物事を合理的かつ客観的に見て、真理の探求に価値を見いだすのが「理論型」。
損得によってあらゆるものを判断し、金や財産第一に考えるのが「経済型」。
美や享楽を愛する芸術家タイプの人、美しさ第一に考える「審美型」。
仲間や人を愛し、皆で生きる事が第一と考える博愛主義者が「社会型」。
他人を支配する事で喜びを感じ、人の上に立とうとするのが「権力型」。
人生そのものに価値を求めようとし、世俗を超えた生き方をするのが「宗教型」。

俺はおそらく、理論型の人間だ。
間違っても、社会型や権力型では無い。
他人を大事にすることはしないが、だからといって粗末にする訳でも無い。
だが、人と付き合う事が億劫だと思ってるから、たぶん違うだろう。
また他人を支配したいとも思わない。人にものを頼むくらいなら俺が行く。

結局、一人で突っ走るタイプの人間なんだよな、俺……。
でも仲間が居る事によって負うリスクが無い分、好き勝手やり放題できる。
意外とコレはでかい。
しかし、一人だと何もできない、という人間だと、仲間によって後押しされない分だけ損する。
だからこそ、一人でも本気で頑張れる精神が要る。
マジにならなきゃ絶対無理だ。
誰に後押しされるでもなく、義務として課せられたものでも無いものに対して100%全力で立ち向かう。
難しい事だが、それだからこそ、ほとんどの人間ができてない。
それをやれるだけで偉人になれる。
だったら一発、やってみようじゃないか。
誰もやってないと言われれば言われるほど、やりたくなる。
それが俺の性分。
自分の性格にバッチリ適合した理由付けができるようになるのも、人生修行の一つだ。
こればっかしは本人しかできないからな……人に教えたい心理テクの一つ。

■ 3月27日(火) 風邪引いた ■

体調が悪いおかげか、久々に物事が悪く思えた一日でした。
鼻血どばどば出るし、やっぱり睡眠6時間じゃ全然足りねえや……。

というわけで全然何も考えられなかった一日。
一人暮らし用品買おうにも間取りがわからん状態じゃあ何買えばいいんか全然わからんし、
そういう言ってる内に新しい部屋見つかったし。
なんでも光通信引いてるとか言ってるけどあまりにも意表を突くような意見で何が何だかサッパリ。
なんでケーブルもADSLも怪しいよーな区域に光ケーブル?って感じなんですが。
もしかしたら大家さんがそういうのを好む人間で全部屋そうなのかもしれないし、
またはそこに住んでた人が無理矢理引いたのかもしれない。
どっちにしても大家さんがとんでもない性格な感じもするので(ファイバー引くのを許したという可能性も凄い)、
けっこういい感じかも。
でも光通信って一体どのくらいかかるんだか……毎月20万とか30万とか言われたら鼻血出るよオイ。
大家さんがマニアなのか、そこに住んでた人がマニアなのか……どっちも面白そうだが。

とにかく、今日は何にもできない一日だった。
一回休みってか……たまにはいいけどな。

■ 3月26日(月) 達観した人々 ■

この世界は、同じ事の繰り返しばかりで、
一生懸命勉強しても何も意味のないことだと理解して、
学校に来なくなったヤツが居る。
彼にはいじめも、何も無かった。
それどころか最初から学校にすら来なかった。

この世界、毎日同じ事の繰り返しだと理解できた事は誉めてやりたい。
だが、それに気づいたなら解決する方法も探してみればいい。
彼は、同じ事の繰り返しは絶対に解決できないと思って、諦めてるだけだ。
諦めてばかりじゃ、ただの負け犬だ。
無意味でも一生懸命に努力する馬鹿の方がまだいい。
そう、自分は思う。

そうやって考えてる自分を見て、思う。
一生懸命になれる事が、人の生においてとても大事なものなのだと
思ってるらしい、という事を。

わかるだけじゃ、駄目なんだ。
問題に気づいたなら、どうにかしよう。
俺はどんな問題も、絶対に解決できると信じてる。
もはや馬鹿なくらいに。
本当にどうしようもない問題なら、問題視しないようにして解決する。
でも、そんな問題はほとんど存在しない。
せいぜい、自分の根本的な性格の部分くらいだろう。
変えようとしても変えられないものもある。
それは「問題にする事」自体が問題なのだ、と知るまでだいぶかかった。
そうやって俺は自分を「認める」事ができた。

今日と同じ明日が来るなら、明日を変えてみせる。
口に出してみれば、あまりにも単純な答えだ。
でも、答えを出すその最後の一歩を踏み込めない人も居る。
問題に気づけるほど賢いのに、勿体ない。

だからこそ、自分は積極性を求める。
この世には解決されたがっている「問題」でいっぱいだから、
真っ向から「問題」と戦える心とやり方を、人々に教えたい。

■ 3月26日(月) 文章について ■

現代文を真剣に読もうと思うのなら、文章が書ける必要がある。
自分も、自分の思った事を文章にできるようになって
ようやく現代文が読めるようになった。
文章を書く身になってわかる事がたくさんあったからだ。

最初は、表現したい事があっても、上手く表現する術を知らなかったが、
慣れると、使い勝手の良い単語をいくつも身につけ、使うことができるようになった。
だが、それは「書かない人」から見れば結構難しい単語だったりするため、
そんな人たちにわかりやすく伝えられる文を書くのは至難の技だと知った。

もっと難しいのが『詩』だ。
詩を読むには「拡大解釈」を必要とする、詩を読めない人間はそれができないという事になる。
拡大解釈ができるようになると「歌」も理解できる。
遠回しな表現から、一体その人がどんな主張をしているのかを知る事ができるからだ。
わかりやすい表現の歌には流行の歌が多い、理解できる人が多いから自動的にそうなるのだろう。

だからこそ、俺は流行の歌を好まない。
慣れたヤツは、主張を直接理解できないような遠回しな表現を好むものだ。

「拡大解釈」は、他にもたくさん利用法がある。
文章を書くのに使えるのはもちろん、イメージとイメージを連結させるという作業を
必然的に行わなければならないため、自然と融通の利く考えができるようになる。
つまり頭が柔らかくなるのだ。
それはすなわち、発想力の向上である。

だから俺は、詩を見れば理解しようと心がける。
詩は、直接表現するよりもずっと、筆者の意見が伝わりやすかったりする。

『詩』は、かつてより上流階級のお遊びだとはよく言ったものだ。
知恵が無ければ読めないと言われれば、読めるように努力したくなるのが自分。
時にその向上心は自身を苦しめるが、自分には無いよりはあった方がいい気もする。

俺は賢くなりたい。
自分の考えを、とてもわかりやすく人に伝える為に。
だから今も、新しい事を考えようと努力している。

ちなみに、現在コンパク用ゲーム打ち止め中。
自作グラフィック使いたいしー、って感じなんでドット絵打ってます。
連載ADVの方も準備しないとな、果たして連載できるのやら。
だが誰もやってない事はやりゃ偉業になるし、他人も安心して真似するってモンだ。
いっちょ頑張るかね。

■ 3月25日(日) 夢 ■

気が付けば、何となくなりたいと思っていたものが「なる」に変わっていた。
そして、昔よりも遙かに「夢」が強くなっていた事を知る。

自分を信じて、自分を貫き通して、自分の言う事はたぶん正しいと信じて、
間違いとその理由を指摘されればちゃんと自分も同様に考えて改善し、
頑固に、そして柔軟に生きていこうとする事ができるようになってきて、
少し大人になったけれど、夢はやっぱり夢のまま残ってて、
最初に「なりたい」と思った時から、すでに6年も経った。

最初は夢からほど遠いと思ってたのが、少しずつ近くなってきた。
一般的に見れば、全然真面目じゃない職業であるはずなのに、
自分の衝動はそれを抑えられずにいて、何も考えなくても真面目に打ち込む事ができて、
執念深く追い続けて、そして必死に準備する事ができた。
自分に対して手厳しい、多少自虐的な性格も、強い武器となった。

妥協は許さない。
だが時にその精神が自分を引き留める時もある。
だからバランスの良い心を求めている。
許すばかりでもなく、厳しくするだけでもなく、
自分の今の力を『見極め』て、それでどれだけできるのかを正確に知る事ができるように。

結局は知恵が要る。
少ないパターンから、正確な情報を得られる知恵が。
それが生まれ持ったものであるなら、仕方が無いかもしれないが、
それでも成長させる事はきっとできる。
だから、時間は無駄にしない。
今から頑張る。
明日でも、後からでもない。
誰もついてこない道だとしても構わない。

恐怖は、安全しか生み出さない。
孤独である事の恐怖、リスクだけを背負う可能性が存在する恐怖。
人間が本来持ってるものを御す事ができねば、何もできない。

だから強くなれ、勇気を持って、何も恐れるな。
たとえ、求めるものが「危険」という領域の中に存在するとしても、
そこにズカズカ踏み込んでいけるだけの精神力が欲しい。
虎の子は虎の穴に入らなければ手に入れる事ができないのだから。

■ 3月24日(土) がーん ■

大学受かったとか調子乗ってたら地震で大学ごと潰れそうです。
なんつーかアブねえ、本来なら今日下宿探しに広島行くトコだったよオイ。
ま、これでボロいアパートやらマンションは凄い事になってるだろうからいいトコだけ残った……と考えれば得か。
それにしても大丈夫かねえ……幸運と引き替えに不幸でも振りまいてきたか、俺。
だがこれから数十年は地震も起こらないだろーから、まあいいか。
でもなんか腑に落ちんのう……。

■ 3月24日(土) パーツ換装! ■

サウンドブラスターLiveの普通バージョンとGeforce2のボード買ってきました。
5万くらい要るかなぁと思って持っていったのですが、
結局どっちも約1万円で2万円しか消費しない始末。
時代に取り残された気分、だからと言ってサンブラプラチナ買っても意味ねえしなぁ。
で、入れる時に色々ゴタゴタが発生。
なんとSoundBlasterドライバをインストールするとマウスもキーボードも認識しなくってお手上げ状態。
おかげでHDD全部消去して入れ直し。
何回か再インスト繰り返して実験しまくった結果、どうもIRQが怪しいようです。
SB16エミュレータというのがクセモノで、それだけでIRQ一個、
またSoundBlaster Live!本体で二個もIRQ喰うそうなので、
もしかしたらWin98SEでも処理しきれないトコでIRQがガッツンコ(競合)してたのかもしれません。
まあとりあえず、解決して良かった良かった。
と思ったら制作中ゲームのデータバックアップしてません、グギャアー!!
だがプログラムの組み方なんて一回こなせば二回目から速攻で組めるし、問題なし!!
それくらいでヘコんでいてはゲームなんぞ作れん!!気合いじゃゴラァー!!

で、これでPCが完全フリーズしてバグらなきゃ俺の勝ち。
バグった場合、何が悪いのかもうわからん。マザーボードか?
まあ、とりあえず実験期間だ。
開発用には既存品のPCを使う、ってぇのも手なんだけどな。
安定性には抜群の性能を誇るはず。っつーか自作で今時500Mhzって遅いよ!!
うーむ、金が残ったんだったら800のセレロンでも買ってくりゃ良かった、って卒業祝い一日で全部使う気か、おい。
ま、やるならHDDとIDEも新しいのに変えないと駄目だよな。
ATA33ではいくら何でも厳しいッスー。

■ 3月23日(金) まだ勇気が足りない ■

『受験勉強』という、受動的な刺激を甘受する時間は終わった。
これからは、答えを自分から探さなければいけない。
既存のものを知る事ほど簡単な事は無いと、今になって再認識する。
「それ」が答えなのかどうかもわからないものを追い続けること。
たとえそれが「好きな事」だとしても、それは勉強より遙かに難しい。

勉強は、向こうから問いを投げかけてくるから、それに対して応対すればいいだけの話なのだが、
答えの無い、もしくは答えがわかりにくいものを追い続けるのは、
何もない空間にただ突っ込んでいくのと同じ事だ。
手応えが無いから、すぐ不安になる。
勉強は、すぐ答えが出る。
問題を解いて、それが答えと合ってるかを見る、非常に簡単だ。

創作はどうだ?
すぐに結果が出るもの(絵など)ならいいが、長い時間をかけねばならないものは大変だ。
作ってる間は結果が全くわからないのだから。
それには、真っ暗な虚空に向かっていつまでも走り続けるだけの積極性と持続性が要る。
少しでもビビったら、終わりだ。
従来通りの、ほとんど何も変わらないようなものを作ってしまう事になる。
新しいものを作るという事は、まだ誰も作ってないものを作ることで、
それはもちろん、まだ誰も結果を知らないということになる。
場合によっては、それまでの苦労が水の泡、だ。
虚空に向かって走り続けて、それが無意味になったら何の為に走ってたのかわからない。

そこで人はリスクと安全性を計りにかける。
多くの人は安全性を選んで、何も変わろうとはしない。

だからこそ、俺はリスクがあっても突っ込んでいけるだけの勇気が欲しい。
終わってみれば、意外と何ともないものなのだ、最初の一回は。
だが最初の一回は本当に勇気が要る。
海の向こうに大陸があると信じて海を渡ったコロンブスも、こう言ってる。
『誰もやったことがない事も、人のやった後では本当に造作もない事だ』
と。

だから何も恐れるな、自分よ。
着いた先がどこであろうと、進まない事には何も変わらないのだから。

受動的な勇気は、もう十分に付いた。先に待ちかまえている事には、十分に自分を落ち着かせる事ができる。
だが、能動的な勇気はまだ弱い。積極性も弱い。
まだまだ、自分にはこれから必要不可欠な要素が足りない……ま、頑張らないとな。
気づいたなら、今から努力すればいいんだ。単純な事。

■ 3月23日(金) 運命とか人生とか… ■

結局、志望があんまり高くない事もあって大学受験に受かったのは良いのですが、
よく考えてみれば実は父も似たような人生負ってたりしますねえ。
俺達に『名前』という武器は似合わない、ってか?
なんつーか、カッコイイ負け惜しみじゃのう。

ま、勉強以外に何か実力がありゃどうにでもなるってモンよ。
いい大学に入りたいって言ってるヤツは自分の別の実力に自信が無いか、
それとも本当にそこでこそ能力を成長させられると思って真剣にやってるかのどちらかだろう。
独学で大学受かったんだから、独学で好きな事を必死にやれば成功するかもしれん。
塾や予備校に頼らなかった理由の一つは、自分の力を信じられるようになるためだ。
自分の実力をオーバーするほどラッキーな事も一、二回あったが、運も実力の内ならそれもそれ。

とにかく、俺は自分の力だけで大学受かった。
これでちったぁ自信も付くだろ。
ちょっとだけ、自分を賞賛したい。
そしてまた、今日から再び頑張りたい。
今度は自分の好きな事をやる。
心だけが先走って自分の力の無さを痛感していた、あの頃とは違う。
あの頃の技術の弱さを身に染みて知ったから、5年かけて一生懸命努力した。
作文能力も、『人に読ませる』ものから『人が勝手に読み進めてしまう』くらいのレベルを目指して今も頑張ってる。

足りないものが何か、それを知ってるほど楽な事はないし、それほど強くなれる理由もない。
自分には何もかもが足りない。
たぶん、これからも一生足りないと言い続けるだろう。
『これでいい』と言って満足した瞬間、自分は滅びる。

今の自分には、常に不満を持ち続ける事。
過去の自分には、満足する事。
やってきた事には悔いは無い、何より変えられない事なのだから、逆に言えば「諦めるしかない」のだ。
自分が最良だと思って取った行動に、何を悔いる?
万全を尽くしたのなら、何も言うまい。

そして、
未来の自分には、期待しろ。
きっと強くなれると信じて、今を一生懸命生きること。
それが、今の自分が最もしたいと思う生き方だ。
過去には振り向かない。

だから祈る。
『明日の自分が、今日の自分より強くありますように』
と。

■ 3月22日(木) 広島市立、合格しました ■

一つ下の続き。
何だかんだ言って、帰ってきて母が嬉しそうな声でおかえりーと言ったので
大学受験後期、結局受かってしまったようです、そりゃ9割も書けりゃあ、ねえ……。
まあそういうわけで、4月から一人暮らしです。
別に受かるのが良かったのか、落ちた方が良かったのかは、よくわかりません。
もし落ちても、その一年で妹がたまたま買ってきた何かで新たな才能が目覚めたりしていたかもしれないし、
受かっていても、家族全員分の刺激を共用してきた状態から一時離れるわけなので、
ある意味、損してるかもしれない。

まあとりあえず、落ちたっつって泣いてる人もいるんだし、
一応良かった、って事にしておきますか……
一人で居る事には、もはや不安より自由さの方がでかくて気楽だしな。

問題は、妹と共有してた分の刺激を自分から見つけないといけないって点だ。
妹の性格であればこそ見つけてくるものというものも多いし、
逆に言えば自分一人だと漫画なんかをほとんど何も買おうとしないというのもある。

まあそれはそれ、自分が努力すればいいだけの話。
妹の分も性格を吸収して、バランス良くならないと、な。
保守的な部分をさっさと治しちまわないと、新しい刺激が入りにくいし。
ま、一発頑張ってみるか、「心の修行」ってな。
イマイチながら、大学も一応受かったし家族もいちおー満足だろ、文句言うまい。


とりあえず!!自宅に居る内にやっときたい目標!!
電気街にて新しいグラフィックスボードとサウンドボードを買う!
コントローラー部がバグってるサウンドボードはちっとばかし問題あるしな……。
グラフィックスボードは自作PC初めて作った時からずーっと酷使しまくりなので相当ヤバイ事になってるし。
あー、HDDの整理もしなきゃ、40GBも全開使うっていくら何でもアホやろ。
何より自分の持ってく備品まとめなきゃいけないじゃん!!
くっはー、他にも下宿探しとか……忙しいぞオイ!!
はあー、どーにかならんかね……もう卒業旅行で無駄に歩きまくって足動かんぞ。

■ 3月22日(木) 東京に卒業旅行に行って来ました ■

3月20日
 新幹線で東京へ。まず秋葉原に向かう。
 大阪の電気街に比べて露天が多いことが特徴的だった。
 また、マニア色を堂々と醸し出していたりガレージっぽいトコを解放して同人即売やってたりと凄い。
 そしてそこで昼飯、まぐろ亭というかなり小さな飯屋で喰う、美味。
 その後原宿へ電車で行き、表参道を歩きつつまた電車に乗って新宿へ、何も見ていないのに無駄に歩く。
 そこから電車で新宿プリンスホテルへ。入り口で自動ドアに痛打を喰らう、実は未だに痛む。
 夕方、ホンダビルへ。車マニア(クルマニア)な友人が試乗して喜んでいた。
 晩飯はラーメン。美味。夜中10時ごろ、近くで銃撃事件発生が発生したらしい。

3月21日
 朝食はプリンスホテルのバイキング、なかなか美味だ。
 お台場へ行ってフジテレビ(たぶん)などを見学。
 そこから横浜へ行き、中華街で中華を喰う。
 飲茶セットを頼んだが、ジャスミン、プアール、鉄観音のどれを飲むか迷ったあげく、
 グループ内で誰も飲んだことのない鉄観音茶を飲む事に、意外と普通だった。

3月22日
 東京タワーを目指して歩いていたハズが、場所を間違えた為、
 国会議事堂やら皇居前やら見た後、電車で東京タワーに。
 東京タワーは150m地点まで820円、そこで250mまで600円追加という
 詐欺まがいの商売やってたけれど結局記念に250mまで行く事に。
 良い風景だった。
 で、そこから東京駅に行ってひよこ7ヶセットを買い、帰りの新幹線に乗る。


そして皆に別れを告げて、現在に至る。
卒業旅行が終わってみれば、皆と会う機会はほとんど無くなるのかと思い、少し淋しい気分。
ま、楽しかったし、もはや何も言うまい。
帰り、コンビニでコーヒーとバニラ牛乳を購入。
後で飲んでみるつもり。

■ 3月19日(月) 生命倫理 ■

人は死ぬとどうなるのか、生きるとはどういう事なのか。
そういう事を生命倫理と呼ぶ。
ある人は、死ぬと天国へ行くと言う。
ある人は、生きるとはこれ即ち全て修行だという。
明確な記録も結果も無いから、人は何らかの理由付けをせねばならない。

そうやって、人は知る。
悩んでもどうしようも無い事も、この世界には存在するのだと。

でも、
だからといって、どうしようもない事ばかりじゃない事も確かだ。
全てどうしようもないことだと言って済ます人間が居る。
才能が無いからしょうがない、環境が悪いからしょうがない、
これには理解できない力が働いている、第六感が働かない、神の仕業だ、とか。
最初から才に恵まれてないとか言って諦めてばかりじゃ、ただの負け犬だ。
この世界、そんなヤツから消えていく。

それはともかく、俺は死生観についてのレポートについてこう書いた。
生きる死ぬを云々言うより、
『一回生まれてきたのだからどんな死に方しても満足できるような生き方をしろ』
と。
死んだ後の事は何も考えてない。
死ぬとどうなるのか、そんな事はもうどうでもいい、死んでから考えればいいだけの話だ。
なってもいない不幸を恐れるくらいなら、俺は今の状況から導ける最良の方法を探して、最良の結果を招く!

でも、「生きる」という事に関しては一言ある。
『終わったことに満足できれば、それで良し』だ。
自分も、他人も、全部含めてな。
しかし現状には常に満足しない、慢心を生むからだ。
だが、だからこそ頑張れる!一生懸命やれる!

だから俺は言う。
明日の自分が、今日の自分より強くありますように、
と。

強く、生きたい。

■ 3月19日(月) 支離滅裂、書きたい事を連ねて書く ■

自分の意志を極力貫く強い心を、人は『頑固さ』と呼ぶ。
だが、行き過ぎると自分の意見を無理矢理貫こうとする変な意地を張る事になる。
周りの意見を極力聞き、お互い争いが起きないような選択をする心を『柔和さ』と呼ぶ。
これもまた、行き過ぎるとただ周りの意見に流されるだけの人間になってしまう。

力は、無いよりはあった方がいい。
この場合の「力」というのは、筋力、破壊力ではなく、あらゆる技術や心の強さを指す。
何もできないよりは、何かできた方がいい。
何もできない者は淘汰される、それが大地の掟。

人の心に、良い悪いは存在しない。
今まで正義と謳われてきた生き物や人間は全て、ただの勝利者に過ぎない。
今の社会、ずる賢いヤツばかり生き残る。
一般倫理の点から見れば、学校で教えられる『模範』が最も弱い心であり、考え方だ。

他人を信じようと言われて、そしてそれを実践する人。
そんな人は社会に押しつぶされる。
矛盾した教育。
素直さは、ただの汚点にしかならない。
それで随分、俺は苦しめられた。

言いたい事を言っては損をして、
でも何か人に伝えたいと思うのが自分の性分で、
その癖はどうしても直らなくて、
泣いた。

そんな時、
偶然にも不特定多数の人間に何かを伝えられるものに出会った。
友人が、それを教えてくれた。
おかげで一時、小さなケンカもやってしまったが、
世界が広がる事は自分にとって、とても得な事だった。
最初は、たまたま出会った友人と、同じクラスの人々だけの交流だったのが、突然、随分と広がってしまったのだ。
多くの人と出会えば、先入観なしに、自分がどう思われてるかを知ることができる。
己が信じられなかった当時の自分にとって、一つの光だった気がする。
そして、知った。
自分には、何かあると。

年をとって、自分の心の中の偏りが随分減ってきた。
日記を読み返して、自分の先入観を知り、そのありきたりの発想を打ち崩せるようになった。
自分が悲観的な人間だと知って、それを治す努力をした。
今はもう、ほとんど何も恐れないようになった。

日記書いてて、時々思う。
いい手段だ、と。
自分を知る為にも、自分の欠点を見つけるのにも、
共感してくれる人を探すのにも、自分を奮起させるのにも。

自分の弱さを露わにするのは、
他人と出会っても失望させないため。
自分は、こういう人間だと教えるため。
自分の弱さを叫ぶ時、自分はその瞬間から少しずつ治そうと努力しているのだから、
いつまでも隠して治さないよりは、ずっと良い事だと俺は思う。
逆に言えば、堂々と言えなければ治ろうとしてないって事だ。

自分の弱さを隠すのに精一杯で、ぎこちなく書いてる人がとても多い。
意外と、弱さを出しても人は何も言わない。
他人が見ても「ふーん」くらいで済んでしまう。
本人にとっては大決断だったとしても、だ。
真に自分を出したいと思うなら、自分の弱さを書けばいい。
そうすれば、『書く事によって失うもの』は何も無くなる。
失うものが何もないヤツほど、強いモンはねえ。

隠す事に精一杯で、成長する事に労力をつぎ込めない人が多いなら、俺はもはや何も隠すまい。
たとえ人に嫌われても、構わない。
どんなに凶悪な意見でも、好む人間は必ず居る。
どんなに善な意見でも、嫌う人間は必ず居る。
なら、真に自分を出した時、好まれる事もあるだろうし、嫌われる事もきっとある。
逆に言う、
『真に自分を晒しても、全人類に嫌われる事は絶対に無い』
のだ。

それが、インターネットというこの広い世界で知った教訓だ。
ホームページ持ってるなら、堂々とやりゃいい。
考えながら日記打ってるなら、その時点で真の自分はそこには居ない。
何を書くかは、考えていない。
ただ連鎖的に、頭に浮かんだ事をそのまま書いてるだけ。
少なくとも俺はそうだ。

日記を書くことを生産的な行為にしたいなら、そうやってみるのもいいと思う。

それはともかく、明日から卒業旅行で東京へ。
計画はほとんど決まっていない。
……まあ、為せば為る、よな。

■ 3月17日(土) 哲学、ね…… ■

どんなときでも、
全ての事象には原因があると考え、
その原因を知るための最善の努力をし、
既存のものより、さらに簡単、かつ有効な解決法を見いだそう、
とするのが、俺の考えだ。

それは法則を見いだす事。
どんな時でも、どんな物にでも、きっと法則はあると、そう思ってる。
人の心にも、人の心を変える力の法則性にも。
ある人はただの勘だと言う事もあるだろうけれど、
それは単に気づいてないだけに過ぎないだけかもしれないとまず思う。

それが己の探求心だ。
結果より、作り方、考える術を重視する。
論理眼だけでどこまでできるかわからないが、
理系が文系のお仕事やっても、できるんじゃないかと思う。
才能は後からついてくる。

■ 3月15日(木) 必要とされる事 ■

自分が誰かの役に立ってると思う少年は、どのくらい居るのだろう。
誰からも必要とされてないと思ってる人間は、もはや捨てるものが何も無いのだから、
人を殺して自分の社会的地位をなくす事を恐れないだろうし、自分の命を絶って逃げる事も容易だろう。

犯罪を起こしたヤツに聞きたい、
『あなたは人に必要とされていると思いますか?』と。

人は、誰かに必要とされていると思うから、人の為に頑張りたいと思ったりするのであって、
その極みにもなれば自分からボランティアに出ていく事もあるだろう。

「必要とされてる」と思うことはただの気休めかもしれないが、気休めがあるかないかでもだいぶ変わる。
「自分は何かに必要な存在だ」と思うのは、「自分は生産的な事をやってるのだ」と思う事と同意義だから。

「意味がある」と思う事は大切だ。
それによって何か「得るもの」があると思わなければ、人は何も努力しないだろう。
自分の満足、物質的幸福つまり金や、精神的幸福、他人の幸福等々、「得るもの」の種類は千差万別だ。

今、何もやろうとしていない自分に対して思う。
得るものは、ある。
誰かに必要とされているというのも、少しは思う。

……ならば何故俺は動かないのだ?
未来にまた、戦うべき時があると薄々感づいてるから?
勘が失われて、どう動けばいいのかわからないから?
それとも、まだ自分に力が無いと思ってるから?
否、今はまだ力が無くても、現時点の力としての結果は残しておきたい。
今、自分の能力がどのくらいあるのか、果たして適性はあるのか。
知りたいとは思っているが、意識すればするほど上手く行かなかったりはしないか?

でも、
そんな事言ったって始まらんな。
今の自分にできることだけを、まさに「できるだけ」の100%を出して頑張ること。
受験やってるときにも、学んだことだ。

でも今はただ、3ヶ月間の勉強で疲れてるだけかもしれない。
そんときゃ休憩あるのみ、か。
その間に脳の思考モードを、勉強モードじゃなくて発想モードに持っていく。
それが明日までの目標だな。今の俺には時間がない。

■ 3月15日(木) …あかん ■

脳がまだ勉強モードに入っててなかなか企画考えモードに入らん……。
机に座ったら勉強しようとするってのがもはや習慣になってるぜえ、ぐふー。
でもこうやって見てると、受験勉強も意外と慣れるもんだなぁ。
日課にしてりゃ、そりゃ辛くは無いだろうさ。
しかし、俺はやるだけやった、と思う。
三ヶ月勉強しまくって最終的には数学と物理の基礎習得率が約100%まで育ったもんなぁ。
物理は参考書2冊完璧に覚えただけで試験は楽に突破できたし、
数学は6冊近く覚えたんだっけか、相当実力ついたぜ、今年。
というか自分でも非常識なほど勉強してんじゃん!!
一体何でこんなに勉強できたんだか……でも英語と社会と古典は相変わらずだな。
ま、もう浪人だろうが大学生だろうがどっちでもいいさ、やるだけやったし。

でそれはいいとして、脳が全然勉強モードから抜けねえんだよ!!
どーにかなんねえかなぁ……あー。

■ 3月15日(木) 動機が無くぅ〜てぇ〜も〜 ■

動機が無くても頑張れる時は動機付けする必要ないから楽!!
だが意味があるかどうか自分でもよくわからない事を頑張る時は絶対必要!!
毎日毎日、自分を勇気づけるのもしばらくおやすみ、だな……。
だがもし失敗したとしても、あと365日くらいどうって事は無い!!
ペナルティのある状況下で頑張れるようになったし、なったらなったで来年も最大限利用するのみ!!
今はとりあえず、動機が無くても自分からやりたくてやりたくてしょうがない事をやる!!ただそれだけだ!!

ってことで、ゲーム製作中。
一回やり始めたら手は抜かん!!
……けど10日では少々足りんな。
とりあえず、まずはツクールでのシステム構築を伝説級まで鍛えるつもりで!
過去に無いと嘆いた「作る技術」は多少身につけた!
今度こそマジで行動開始!!軌道に載ってきたら連載ADV!!
でもまずはコンパク用。一回は挑戦してみたいし。

■ 3月14日(水) 卒業旅行ねえ…… ■

仲間内で卒業旅行の企画があって、今日一日中資料見たりしつつ情報収集しておったのですが、
結果的に、深夜の電車使って総計9時間かけて旅行しようコースと
新幹線で楽に3時間で行こうコースの二つに分かれてしまいました。
私は新幹線コースです。
さすがに深夜0時からの電車に乗るのは辛い、というより就寝時間が夜11時とか
10時30分の私には非常に生体バランスが崩れる恐れがあるので却下。
問題は、先発部隊である9時間かけて行こうコースの到着時間。
午前5時!というと場合によっては電車も動いてないし、普通に店が開くのがAM10時とかAM11時である点を考えると
何もやる事無くて暇する可能性があるんじゃねえかなぁ……と思うわけで。
だが金銭面で考えると9時間コースの方が遙かにお得なんだよなあ。
でも睡眠時間が確実に5時間以内しかとれないし電車内だし寝台列車でもないから、
その日の昼間はホテルでゴロゴロという最悪パターンぽいし……。

後の事も考えてて、その上で覚悟して動けるのは後先考えないタイプだ。
まあ、俺はそういう連中好きだけどな。
選択は常に見極めてから考えよ、か……あんまり旅行しないから後の事が想定しづらい。
とりあえず、これも経験。いろんな道を歩むといいさ。
でもリスクと利益をまず計りにかけるのは大事だ。
自身の健康は俺にとって上位の問題だから、少々金出しても体を大事にする道を選ぶ。

っつーかみんなでバラバラに行くのってホントに卒業旅行って言うんか!?
趣旨がヒッジョーに食い違ってるよーな気もする、よなあ。
もとより、皆で行けるならどこでもいいんだけどね、俺は……。
真の目的を明確にしないとなかなか思い通りの結果が導き出せんわ、やっぱ。
金がかかるなら近くにすればいいと言うものの、近くだと見るものが無いといってバラバラになってまで遠くへ行く。
微妙なんだよなぁ、はあ。
さすがに体壊してまで楽しい思いしたいとは思わんよ……
いや、もしかしたらこの辺の思想の違いがチームの分離を招いたのかも。
……ま、どうなっても知らん。為せば為る。

■ 3月12日(月) 試験終了 ■

終わった。
今年の大学入試全部が。

昨日から行って来た広島はいい所でした。
人が良さそうな住人が多そうだし、コギャルとかパンク系の人も少なそうだし。
何より方向音痴まっしぐらな俺でも現在位置がわかる構造になっとるのが良い。
その他にも、広島市はやたらと路面電車だらけで凄かったです。どこまで乗っても大人150円。
何でも、交通機関のメインを支配してるのは広島高速交通株式会社なんだとかどーとか
個人タクシー協会所属の運ちゃんに聞きましたし。

で、結局一日目(昨日ね)はちゃんと問題なく広島に到着して、
夜全然眠れなくて(失策、電車内で熟睡、就寝直前まで勉強した為)困りましたが、
まあ次の日(今日)は特にこれといったこと支障も無くテスト受けてテキトーに広島ブラブラ観光して帰ってきました。
テストの結果はかつてないほど良好、9割解答できたので7割くらい合ってるかもしんない。
ただ問題は、自分でも驚く解き方したのが一問含まれてる事と、
(1)と(2)と(3)はきっと関連性があるんだろうなあと思いつつも
絶対楽だと思われる解き方で異常なほどにバラバラに解いたのが一問。
採点者がこれ見てなんて言うかだよなぁ、パッと見、やり方あってるよーにも見えるけど滅茶苦茶。
ま、なるようになるさ……相性の悪いヤツに当たったらオジャンだな。

あーそうそう、俺の受験しに行った大学に行く通学路で、アストラムラインっつーモノレールモドキに乗るのですが、
そんときの切符代わりになるプリペイドカード(?)みたいなアストラムカードっつーのがあって、
一日目に買ったのですが、それに写ってる写真の仔猫、小犬、子兎のペアがたまらんほど可愛くて感動。試験のお守り確定。

他にも試験終了後、帰りのバス内で携帯使ってて大声な関西弁で喋る大阪野郎(俺も大阪野郎ですが)がいて、
「え?ギャル系?全然おらんってマジ。清純派っつーか、そんなんばっかやで、ブーツもおらんもん」
とかいっておりました。俺は真面目系大好きなので問題無し。
だがパソコンのパの字も知らないよーな方々ばっかりのようであまりにもむなしい俺。
知識無いフリしてよ……教師に何頼まれるかわかったもんじゃねえ。
フッ、たまにブラインドタッチになる初心者、憑いてるみたいで怖いです。

まあ何だかんだで全部終わったので、これから試験の結果が出るまでゲーム作りまくります。
が、企画上がってませーん。10日しか無いのよアンタ!!
アクションゲーム出尽くしてるから決め手に欠けるし……うーむ、何か考えるか。

■ 3月11日(日) 明日試験につき ■

武者震いするほど興奮してないから、まあ心理状態は問題なしだろ。
心にまだ余裕がある、いつも通りの状態。
もしかしたら、この状態がベストコンディションなのかもしれない。
どんな時でも正確な判断を下せるし、な。

自分の強みは、心に余裕が無くなりかけた時に無理矢理にでも余裕を作り出そうとする努力ができる事。
不安に呑み込まれないで、それを制御しようとする事ができる事。
だから皆が「マジでヤバイ」と思ってる時にしか優位に立てないわけだ。
今回はみんながみんな慣れきってるだろうから、ほとんど誰もヤバイとは思っていまい。
後がないと思って緊張しすぎたら、負ける。
一番気にしてるヤツから落ちる。

俺の場合、勝ち負けを忘れた方が強いのかもしれない。
自分の観点から見た「絶対値」だけで考えて、相対値は考えないようにする。
……っつーかそれは勉強してる時の話かもしれない。
皆、いざ試験が始まったら一瞬で無我の境地に入ってるから、完全に100%の状態になってる。
最初からやれる分は間違いなくできるし、どうしてもできないものはほとんど確実にできない。

結局、やれるだけやるって事だけが目標の全てだな。ここまで来て妥協はすまい。
ま、呑気に行こうぜ。落ちたらそんとき。

■ 3月10日(土) ふーむ… ■

物理は、やればやるほど理解できる科目だ、それはわかる。
問題は数学だ。いくらやってもやっても上達したように思えない。
やってもやっても、わからない問題は永遠に無くならない。
だからハマる連中が居るんだろうが、な……。

いくら上達しないっつっても、結局はパターンの組み合わせだ。
慣れれば答え方なんて見た瞬間にわかるようになる。
中にはむちゃくちゃな解き方の問題もある。
面白い、解答法がわかって「すっげえ!」と叫んでしまいそうな問題だっていくらでもある。
というか、それが許容点なんかオイ、ってツッコミ入れたくなるよーなものも多い。
問題はそこだ。
答えなんざいくらでもわかる。
一番の問題は、どうやっても解き方のわからないよーな問題の、答えだけがわかってしまう事。
センター試験の数学には強いつもりだ。
答えだけでいいのだから、桁数だけ見て、答えになる可能性のある数字をテキトーに選択して無理矢理合わせる事も可能だ。

こんな解き方が許されるのだろうかという問題がやたら多い気がする。
セオリー通りにやれない(というかセオリーを破るのを恐れない)のが、俺の一番の欠点だ。
受験という大勝負の前までに、早めに改善せねばならない。
と思っていたのだが、やっぱいくらか無理があるらしい。
だいたい創作系の道を歩もうと思ってる人間がセオリー通り書くわきゃねーだろ畜生!!
っつーかもう少しレールに乗れる訓練をしような、俺……。

ま、とりあえず弱気になってる理由はわかった!
セオリー通り書ける練習も大量にこなしたハズだし、とりあえずどうにかなるだろ!
時には特徴も欠点になるが、最終的には何でもできるようにならんといかん!!

まずは健康第一、気合いが第二。というよりむしろ「健康=気合い」だな。
気合いが足りないのは、ちっとばかし体が疲れてるせいかもしれん。
だから第一目標!今日はよく寝て英気を蓄える!!
それなら試験が始まったら確実に本気モードになれる、今更何も恐れまい。

まあ、数学は好きなようにやらせてもらうさ。
なるべくセオリー通りに沿って、な。

■ 3月10日(土) なぜに…… ■

大学入試、もう後が無いのに何でこんなに落ち着いてんだ俺。
絶対大丈夫だと確信してるのか、それとも気が抜けただけなのか、または受験に慣れたか?
……ま、どっちでもいいや。
とりあえず、最後のあがきで勉強だ。
やるだけやって落ちたら、俺の過去の「環境・経験」によって偶然に形成された
俺の性格、精神力が大した事なかったって事だし。

もし大学に受からなくたって、今は別の道も見えつつある。
俺の人生の選択肢はいくらでもある、大学に入るというたった一つの道だけじゃない。
それに、俺達が大学卒業する頃には経理だの事務だの、単純作業の仕事なんざほとんど残ってないだろうし、な。

鎖に繋がれるのは好きじゃない。
どこまでも自分で走り続けて、誰も行ったことのない、果てしなく遠い場所へ行ってみたいと思うだろう。
今の俺には、父譲りの論理眼と、母譲りの冒険心がある。
だからたった一匹でも生き残れるよう、強くなれ。

それが未来の約5年間のテーマだ。
地位も大学名も関係ないくらい凄いヤツになる!

■ 3月9日(金) 集団 ■

妹の国語の教科書で、二つほど文章を読んだ。
片方は、日本は文化の独自性はあるがそれは心でなく海という境界に隔てられているだけであるが故に、
彼らには心の独自性が少なく、果たして宗教などに思想が強く支えられている他国との競争に勝っていけるのかどうか、
という文章と、
最近は皆が個の幸福を追求しすぎて、自然破壊などの行為を引き起こしている。
自分、自分の親類、友人、国だけでなく、もっと広いものを守る事こそが真に「生きる事」なのだ、という内容だ。

前者は、確かに日本人のアイデンティティが足りないという点は何となく理解できる。
日本が元々、農耕民族だったからだ。
本来なら滅亡しててもおかしくないハズのイレギュラーだったからこそ、現代になって特殊な強みを持てた。
目新しいもの、技術、ましてや文化までを「吸収」するなど、現代に生き残ってきた国家には信じられない事だ。
とにかく、融合能力にかけては凄まじい才を誇る国だ。
だから自己意識が希薄になってしまう。
お互いが支え合うことが前提の社会が潰れつつある今、確かにアイデンティティは必要だろう、と思う。
でもそれは所詮、俺個人の中にある「自我」がそう思わせてるだけだが……。

後者の意見には、いまいち賛同できない。
同じ年代に生まれた人間でも、こちらは国家に必死に尽くせた人間の意見だろう。
「何かに対して尽くす」のが人間の存在意義だという教育を為されたのだと俺は予想する。
1926年に生まれ、ちょうど彼が成人するのが第二次世界大戦の前後である事を考えると妥当な推理だと思う。
残念ながら、俺と同年代の人間には「他人に尽くす」という思想は植え付けられていない。
というより思想を「何も教えられてない」のが正しい。
学校教育では勉強ばかり教えられ、道徳の授業ではある状況に対してどう思ったかを聞かれ、
自分では思ってもいないことを適当に書き並べてプリントを提出する。
本来なら、その状況下でどう考えるのが良いかというのを教えるハズではないのか。
小学生に書かせる感想文も似たようなものだ。
小学生は自我が薄いし、何より自分の精神状況を観察する術など全く教えられないのが普通のパターンなのだから。
そもそも、自分がどう思ってるのかすらわかってない。
どういう感情がどういう言葉で表せるのか、全然知らない。

学校で周りにいる同年代の人間にも、未だに同じ傾向が残っている。
起こった事ばかり書き、自分が何をどう思ったのかを分析できず、
自分の考えが全く含まれていない、もしくは本来自分が思ってもいないような事を述べた文章を書く。
自分の考えを言葉にできない、もしくは自分の考えがほとんど無い人間が多いのかもしれない、今の日本の社会は。

自分で考えさせる前に、基礎知識すら教えてもらってない、という状況だと俺は思う。
主張させる前に、主張する方法を教えるべきだろう。
少なくとも俺は、精神的な状態についての教育を一回も受けた覚えがない。

結果が悪いのは、根本に欠点があったからだ。
結果は「子供」、根本は「親、または子供を教育する大人」。
自分が育てたのに、子供の弱さを嘆くのはどうかと思う。
「知らない」のは、単に教えてないだけか、教え方が悪くて理解できなかったかだ。
そして、子供は何も知らない。
どんな事が行儀が悪いのか、どういう法則で行儀が悪いと言えるのかを知るためには、多くの事例を知らねばならない。
なんでそんな事もわからないんだと言うのは、親が教えてないからだ。
言ってない事を知ってほしいなら、自ら進んで知恵を集めるという「技術」を教えなければならないのだ。
あまりにも当たり前の事なのに、あまりにも理解していない自己中心的な大人が多い。

だからいつまでも駄目なままになる。
だからどこかで変えなきゃいけない。
だったら誰かが変えるしかない。

今の俺なら、まだ世界の物質的幸福に貢献する道も選べるだろうが、
俺はそんな性格じゃないし、そんな名誉もいらない。
歴史に名を刻むより、他人の心に希望を刻む。
世の中には、「希望」の意味も知らない連中で溢れてるだろうから。

■ 3月9日(金) プラス思考マイナス思考 ■

批評することしかできないのは、良い物が何かわかってるのに能力が伴わない人。
良い物がどんなものか知る能力があるのに、良い物を創る能力を上げようとしない人。
自分の創った物を批評する事ができないのは、ただ独りよがりで、自分にえこひいきな人。
自分は何をやっても全然駄目で、いい所なんて一つも無いと言う人は、自分に厳しすぎる人。

世界には、ごくわずかに存在する「正確に自分を見切れる人」を除いて、
勝手に自分をプラス修正して見る人と、マイナス修正して見る人しか居ない。
いい所ばっかりだと思って、悪い所を見ないふりをしてるヤツはプラス修正してるヤツだ。
悪い所しか無いと思って絶望してるのは、マイナス修正しているヤツ。

この世の中、たいていの場合どっちかに偏りがちだ。
俺はプラス修正してる奴には遠回しにでも悪い所を教えるので仲が悪くなるし、
マイナス修正してる奴にはそいつのいい部分を教えるのでひっついてこられるし。

もともとマイナス修正気味の人間が普通になるとこうなるのかもしれん。
っつーかもう少し上手く他人に悪い部分を伝える方法が知りたいんだが、どうにもこうにも難しい。
俺はもう少し他人に、自分を正確に見る目を養って欲しいと思ってるだけなんだが……所詮、傲慢な考えか?
メンタル面でのお節介はよく焼くんだけどねえ……そうすりゃ直接に世話焼く必要も無くなるだろうし。
ま、今の俺に改善しきれん事は、改善策が見つかるまで保留しとくしかないか……。
だが嘘だけはあんまり付きたくないんだよなぁ、うーむ。

ちなみに2001年3月9日現在の自分はマイナス思考の意見を嫌う人間である。
ゆえにマイナスな意見の発生源を根本から断つ!!
解決できる問題は解決されねばならない!!
が、俺の考えらしい。
以上、自分メモ終わり。

■ 3月7日(水) 名古屋工業大学失敗 ■

というわけで名古屋工業大学不合格通知が到着いたしました。
個人的にはこれで後期に受ける大学が堂々と受けられるので嬉しい感じなのですが、
先月猛烈に燃えてた俺を見直してみるとかなりアレですなぁ、
おまえは他人の予想通りにさせないのが目標だったんじゃないのかーと自分に言い聞かせてたんですが。
ま、試験勉強始める時期が遅すぎたんだろ……一年勉強しても入れないヤツだって居るんだし。
とりあえず、今は勉強!!
結果が並なのがちっと気に喰わんが、背水の陣なら上等!!
後期試験まであと5日!根性出して頑張るのみ!!
浪人したときゃそのときだ。
この世界、なるようにしかならんよ。

■ 3月6日(火) 心 ■

どこまでも青い青い海が黒く汚されていくように、
純粋だった少年の心は黒く染められていく。

金よりも綺麗なものをたくさん知っていたのに、
いつから人は忘れてしまったのだろう。

狭い国だとよく言われるけれど、
自分にとっては、とてもとても広い世界だった。
広い大地、青い空、追っても追っても追いつけない月。

走っても走っても端には到達できなくて、
この世界はどこまでも広がっているのだと思ってたあの日。

将来の夢は特に無かったけれど、
この世界自体が、無限の夢だった気がする。


今は、将来の夢というには少し合わないけれど、目標ができた。
他人には認められないかもしれない、と時々思ったけれど、
周りの人が少しずつ許してくれたから、自信がでてきた。

心の底から頑張れない人たちに、伝えたい事がたくさんある。
どうやって伝えればいいのかまだわからないし、それはとても難しい事だと思うけど、
いつか、伝えられるようになりたい。

そして、みんなに心の底から頑張れるものを持ってほしいし、
どんな事でも心の底から頑張れるようになってほしい。

一人の人間には、手に余る事かもしれないけど、
だからといって最初からやらないのは、もっと嫌だ。
誰もやった事のないことは、できるかどうか誰にもわからない。
最初から成功すると決まってる事なんて、やったって何の意味もない。

自分は、自分一人で歩いていくことを、恐れはしない。
たとえたった一人しかいなくても、自分は新たな地を開拓していく。
「誰かと一緒」が前提のままじゃ、いつまで経っても進めないから。

この小さなたった一つの命で、どこまでできるか試してみたい。

だから、この心は汚したくない。
まだこの心が純粋な内に、どこまでも頑張りたい。
それが一生の、目標。

今日も、一生懸命に生きる。
受験勉強しなきゃいけないなら、一生懸命勉強する。
明日に死しても後悔せぬよう、私は頑張る。

明日の自分が、今日の自分より強くありますように。

■ 3月5日(月) 物質・精神 ■

わかった事が一つある。
世の中には、金などの『物質的幸福』を心の底から望むやつと、
心を重要視する『精神的幸福』を心から望むやつの二つのタイプがあるという事だ。
もちろん、完全にどちらかに偏っているという事は滅多にない。

俺は昨日まで、誰もが精神的幸福を知らないから不幸なのだと思ったが、
人をだましてでも、「金を取る事」が自らの人生においてもっとも幸福で、
潜在意識から至福を感じるやつも、必ず居るはずなのだ。
「物質的←→精神的」という観点で見た、俺の予想だが。

だが、現代社会の問題として最近の心理学者が挙げてる事は、
精神的な面を全くといっていいほど教育していないために、
生まれつき精神的幸福を求める性格の人間を、ストレスで押し潰す社会になっている。
彼らは『よくわからないもの、神秘的なもの、未知のもの』によく惹かれる。
何もないところから何かを生み出したり、原因不明のものを解決してみたいと思ったり、
絶対できないと思われてる事をやってみたかったりする。
ゆえに探求心旺盛で、金がもらえる事よりも何か開発する事が楽しいと思ったり、
特に実益になりえないのに心理的な法則を導き出そうとしたりするのだ。

何かやって得られる「報酬」より、
その『過程・行為そのものの幸福』を重要視する考えが、
『精神的幸福』主義者だ。
彼らは常に自由な発想で勝負する。
エンジニア、心理学者、小説家、数学者、その他色々。
誰も思いつかなかった理論を発見(作成とも言うか?)したり、
どう考えても実現不可能な筈のシステムを突飛な方法で作り上げたり、
数字の羅列から公式を導き出したりできる連中に、
金が大事だなんて常日頃から言えるとは思えない。

物質的幸福主義者は、自分を表現する術を知らない。
だから完全にこの考えの人間が存在するとは、俺は思っていなかった。
彼らが「表現」しないから、見えなかっただけ、単に俺の向かう先々で会わなかっただけだった。
そういう人間は、金の操作に忙しい。自分を表現する事で幸福を感じない人種だ。
しかし、そういう人種がいなければ経済は成り立たないのも間違いのない事実。


俺は、
物質は「食料・道具」以外の何物でもないと考える。
金があっても、それをどう使うかを問題にする。
物があるから成功するなどという幼稚な考えは、とっくに捨てた。
物がたくさんあっても、成功などとは無縁なのだと、一回以上経験しないと
それを捨て去るのは無理な話だが、俺はガキの頃に知った。
極限ストレスの状況下、俺は物質的幸福に心の拠り所を求めて、結局は空虚なものでしかないのだと、知った。

自分が成功しないのを、物のせいにする人間もいる。
彼らは「道具が悪かったから失敗したのだ」と、しょっちゅう思う。
たとえそれが、絶対に使えないような代物でなく、程々の性能のものだったとしても。

自分が成功しないのを、他人のせいにする人間もいる。
無意識的に自分を大事にしようとする潜在意識があるからそうなるのだが、
それではいつまで経っても成長しない。
逆に言えば、周りがどんなに劣悪な環境下でも、真に自分の力があれば解決できると信じ、
努力して成長し、無理矢理成功に導けるようなやつは、絶対に失敗を環境のせいにしない。
むしろ自分の成長の為に環境の劣悪さを使うほどの大馬鹿野郎だ。
ペナルティがあればあるほど燃えるやつってのは、そういう性格なのだ。

だから俺は大馬鹿野郎になる。
いつか、妹を越える。
その為には妹よりも技術面以外で強くならねばならない。

俺は決して妹より自分が強いとは思っていない。
というよりむしろ、兄妹で得るものがお互い違い過ぎたというべきかもしれないが、
自分と違う人間が居るなら、その人間のいいところをたくさん吸収したい。
また、悪いところも良いところも全部見て、人間にはどういう面で違いがあるのかを見つける事もできる。
何気なく接している人々からも、得られるものは非常に多い。
周りの人間と自分の考えの違いを見つける事が、自己を確立し、自信を持たせる為の第一歩なのだから。

俺はどう考えても精神的幸福主義者だ。
だったら、そういうヤツらに向いてる事をやらせてもらう。
そして、一般的に「悪い」と思われてるものすら、全て俺の原動力にする。
残りの人生、一世紀も無いのだ。時間は無駄にしない。
くよくよしてる暇があったら、50年で500年分生きるつもりで頑張れ。

■ 3月4日(日) 自己観察レポート ■

7:40頃、起床。
現在10:40、いつもなら脳が活性状態に入ってるはずなのだが、
いつも癖でやってる「消しゴム親指で弾いてそれを受け止める」という行為の成功率が
通常なら98%以上のはずなのに今日に限って80%程度にダウン。
この事から動体視力もしくは反応速度の低下が見られる。
また頭がぼんやり気味で思考能力の低下も。プラス、わずかな頭痛。
ついでに気分が良くない。
風邪か、花粉症か、二日酔いか。
どれかだとは思うのだが、風邪以外は解決法らしい解決法がないので意味ねえ。
っつーか1デシリットルも飲んでないのに二日酔いはしねえな……アセトアルデヒドの分解能力がほとんどゼロでない限りは。

あー、なんか三カ月ぶりくらいに気分悪い……。
精神の不調はすぐ治せるかもしれんが体の不調はどうにもならん、か。
とにかく、若いから体の不調はすぐ治るだろ、心配する必要は皆無!
前期試験まであと8日!隅々まで勉強し尽くす!!

■ 3月3日(土) 頭痛い ■

日本酒を御猪口一杯飲んだだけで思考能力は停止し、精神混濁状態になるのがやっぱりイヤだ。
帰ってきて泥酔状態になって叫ぶ親父を見るたびに酒への潜在的、表面的嫌悪がして、
絶対に酒を飲むような職業などには就くまいと何十回目の決心をする。
だから俺は、酒を飲む必要のない、常に自然に自分を癒せる精神力を持たねばならない。
酒が嫌いなのは、精神的なところが大部分だろう。
だが嫌いになったらなったで、好きになりたいと思えるまで待てばいいだけの事。

真に自分を晒したとき、そこでストレスを爆発させなきゃいけない生き方はあまりしたくない。
父は不自由な事がどれだけ辛いか、多くの人を先導するのがどれだけ辛いか、よく教えてくれる。

年を取ってからでは、軌道を変えるのは苦しくなる。
今からよく将来の事を考えて、努力して生きていかないと、辛い事になる。
だから早い内から努力できるように、教えてくれているのだと俺は思う。
本人が直接言ってる事以外を多く学ばなければ、いつまで経っても賢くなれない。

それはそうと、
御猪口(オチョコだ、読めるよな)一杯の酒で三半規管が暴走して転倒したあげく、今も頭がガンガンします。
もう勉強どころじゃありません。
今すぐゲロって酒を全部吐きたいくらいヤバイです。
心理的嫌悪の威力は凄まじい……これで明日二日酔いしてたら勧められて飲んだ俺を恨む。
今度から断固として酒を断る事を覚えよう。マジ死ぬ……。

■ 3月3日(土) CD−ROMを起動キーにする方法 ■

昨日、「CD-ROMに入ってるFCD(CD革命)ファイル」を使用中に、仮想CDドライブから「取り出し」するのを忘れて、
CD-ROMをそのまま取り出してしまったため、ウチのEドライブは
読み込みFCDファイルがない状態でファイルを読み込もうとしていたらしく、
エクスプローラーが開けなくなり、また、起動させると1分以内に
確実にフリーズするようになってしまいました。
つまりこれを逆利用すれば、そのFCDファイルの入ったCD-ROMが入ってないと普通に使うことのできない状態にする事が可能で、
こんな半物理的パスワードが作れるなんて面白いなあと思った。

でも「CD-ROM入れてください」というメッセージも出ないため、
その状態にしてしまった本人以外は全然原因がわからないので、
ある意味究極のセキュリティってやつです。
どうしても自分のパソコンを使われたくない場合はやってみてもいいかも。
つっても実際のところ、BIOSでパスワードかけるのが一番手っ取り早いけどな。

■ 3月3日(土) 大と小と ■

天才に馬鹿を描く事ができても、
馬鹿に天才を描くことはできない。
こういう点では、間違いなく大は小を兼ねる。
できない可能性のあることは、天才は馬鹿の気持ちを描く事ができないかもしれない事。
人は皆、自分の境遇はよく知ってるが、他人の境遇はあくまで想像する事しかできない。
己が馬鹿だった時代の、自分の気持ちをきちんと覚えているなら、
きっと、心も描くことができるのだろうが。

だからこそ、
「何か」を描きたいなら、その「何か」を理解できる存在にならねばならない。
「天才」を描くなら、「天才以上」の存在にならなければならないのだ。
よく漫画でも描かれたりしているものだが、
強烈な発想力のあるキャラを描けるのは、作者にもの凄い発想力があるからだ。
天才的な戦略を思いつくキャラがいるなら、作者が天才的な策略家である事に他ならない。
ただ、本人がそれを使う場がないから「漫画」だの「小説」だので発散してるだけに過ぎないのだ。

漫画家だからといって決して馬鹿なわけではない。
皆が皆ではないが、彼らは恐ろしく天才だ。
少なくとも、とてつもない発想力がある。

だからこそ、
絶対に一般人以上に、努力せねばならない。
本人はそれを拒否しない、むしろ自分から望んで「凄まじい努力」ができなければならない。

だからどんな事でも必死に、真剣にやる!!
ネタがどんどんでてくる時は超集中してる状態じゃないと無理な事を知った!
だが集中さえしていればネタがいくらでも浮かぶしシステムのミスとか欠点とかいくらでも発見できるし
このゲームが実際に動くとどうなるかそれは操作性的に使いやすいか
面白いかというシミュレーションすら詳細に行える!!
メモ帳を前にして一時間でも二時間でも考え続ける事ができる!!
かなり重傷気味だが、かつて散々父親に言われた「集中する事」を知った!
テスト時以外では勉強に使いづらいのが最大の欠点だけどな。
最近は自分でフロー状態(集中してる状態)に入る事ができかけてるのでいい感じ!
でも「勉強フロー状態」っつーか「勉強ハイ」になるのはまだ難しい!
今年浪人したらまずそれをマスターする!
っつーか今からマスターしようと努力しつつ勉強する!!

ちなみにフロー(集中)状態における仕事能率、発想力の上昇は
科学的にも証明されてるぞ!!信じる価値十分だ!
シナプスもきっと繋がりまくる!だから賢くなれる事間違いなし!!
今日から少しずつ賢くなるぜ!!
まずは「集中して勉強できる」ように頑張れ!!
どこまでも前向きにポリアンナのよーにゴーだ!!うおおお!!(暴走)

■ 3月2日(金) 時の流れが遅くなったのは ■

一体いつ、俺は強く生きることを決心したのだろうか。
それを知らぬ人から見れば、なにそれ?と言われて終わりなのに、
なぜ俺は信じる気になったのだろうか。
親から継いだ遺伝子がそうさせるのか、親から教わった精神がそうさせるのか、
それとも、完全な偶然なのか。
「強く生きる」とは、一日一日に完全に後悔せずに生きられる、究極の生き方だと、俺は知った。

最初は、自分を信じることから始めた気がする。
なぜそう思ったのだろうか。
恐れずに生きるためか。創作の為に、俺の潜在意識が欲したのか。
それを得たいと思った、その理由を知りたいと思う。
人の心を変えられるほどの強い素材になりうる人間に、自分を信じてほしいから。
俺は悪い状態を、「根本」から変えることを究極の目標にしているから。

どんな時でも負けずにいられる心は、もう知り始めてる。
それを利用して、何をしてもいい。
直接の人助け、地球環境を守る為の努力、その他いろいろ。
もし今の状態で地球を守ることが俺の使命だと感じたなら、
自分がどれだけちっぽけな存在であるかも忘れて、ありとあらゆる方法を使って
一番、他人に迷惑をかけないと思われる最良の方法を見つけだして、死ぬまで努力するだろう。
でも、自分はそんなに崇高な目標で動ける人じゃない。少なくとも今は。

偶然会った人たちだけにでも、強く生きることを教えて、
その人たちの一部でも、強く生きることをもっと多くの人に教えてくれれば、
俺一人じゃ手に負えないほど多くの人が強く生きられるようになる、かもしれない。
もちろん、俺の名前が挙がる可能性はゼロに等しい。
でも、人間一人でそんな凄いことができるなら、やってみたい。
誰かが始めなきゃ誰もやらないというのなら、俺がやる。
半分建前だが、半分は本気だ。
父はかつて、「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す」と教えてくれたが、
俺は死して心を残したい。

俺にこんな精神を預けてくれた全ての偶然に感謝する。
もちろん、俺が何かを失うのはすでに覚悟してる。
例えば、自身のモラル(一般道徳)を限界まで削り取らねばならない。
道徳を尊重する人には、誰もやってないことなんて恥ずかしくて、批判されるのも怖いから、できない。

たぶん俺は、道徳を尊重する人とは付き合いづらいだろう、妹と接して、時々そう感じる。
似たところもあるが、正反対の部分も多い妹だ。
ま、だから俺に足りない部分をたくさん教えてくれたんだけどな。

……なんかまとまってないな。
ま、人に見せる日記じゃないからいいや。
自分を知り、かつての自分の考えを記録しておくための日記なんだから。
とりあえず、勉強頑張ろうか。
入試試験は自分の心を試す為にある!
どっちも受かってなければ意味がないと考える!
って、方針でいく。
にしてもまさか入学手続き期日のことで予定外の事態が発生するとはな……。
うーむ、微妙な感覚。受かってほしいような受かってほしくないような。

■ 3月1日(木) チーズねえ… ■

「チーズはどこに消えた」を父が欲していたらしくてそれを母が買ってきたので俺も読んだ。
経営者向きって聞いたけど俺の言ってる事と一緒じゃねーかテメエ!!
でも表現方法が例え話になってる「おとぎ話形式」で説明してるのがいい。わかりやすいね。
自分で「なんとか理解する」だけじゃなくって、他人に上手に伝えられるところまで理解してるのが良い。
もっと高度になると「どうしようもないストレス」を全部バネにする方法があるぞ!!
っつーか今俺が目指してる方法だけど!
しかも果たして本当に高度なのかどうかすらもよーわからんけど!!
文献で「これが合ってる事なんだよ」って言われないと信じられないほど頭良くないぞ俺は!!
文献になくっても俺はより有利な方法と思えるものを選択し、その選択を信じて努力する!!
それが開拓で、それが創作だ!!
誰も言ってない事をかつてから正当であるかのように堂々と言って皆が
よく生きられるならこれ以上いいことはない!!

俺の目指す先は「チーズはどこに消えた」を読んで感激し、それをバイブルにする側なんかじゃない。
「チーズはどこに消えた」のようなものを作り出す側、つまり良い生き方に導く「方法」を教える側だ!!
俺のやり方は「作品」を通じて教える事!!


……が目標だけど、とりあえず「面白い」ものを作れる能力が前提になるんで、
まずはそれが出来るように頑張る!!
文章だけ書いて金稼ぐなんていくら何でもおいしすぎるし、
何より俺は金そのものだけを求めるようになった瞬間にクソ人間まっしぐらだと
思っておるのでそんな楽な道は進まぬ!!
それだったらホームページに載せるっちゅーねん!
という事なので頑張ります、俺。

それよりも問題なのが大学受験の国立前期試験の結果!!
前期試験結果発表日はいいんですが後期試験発表日が前期入学手続き期限の後に来てるんよ!!!
だから後期試験の方の大学行こうと思ったら後期が受かってるかどーかわからんままに
前期試験の結果を捨てなきゃならんので、もし前期試験が受かってた場合ヒッジョーにマズイ事に!!
っつーか前期試験受かってるのに後期落ちて浪人生の可能性があるわけで!!
しかも俺は後期試験の方の大学に行きたい気がしてならないので!!
前期試験が受かってませんように受かってませんようにと必死に祈りつつ勉強しておるのですよ!!
アッフーン!!これで浪人したら凄く面白い人生送る事になるね俺。
しかも前期試験の方が大学のレベル高いし。
だが俺はリスクを背負ってでも自分の行きたい道を歩く!!

っつーかいざ前期受かったらどうするんだろう俺。
行ってもいいがあんな自然が無い上にボロボロの治安悪そうなトコ行きたくない。
むーん、悩む。悩むがとりあえず勉強あるのみ!!
落ちろ落ちろ!!頼むから落ちろ!!勉強するから落ちろ〜!!
ってホントに受験生かよ俺!?
もうどうでもいい!合格通知が来ようが不合格通知が来ようが破る!!(おい)