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1月の日記

■ 1月31日 一月最後の日記なので言いたい事を一つ ■

人は個性がある限り、他人と100%相容れる事はできない。
だから他人に拒絶されるのが恐くて、個性を捨てる人間もいる。
もったいない。
誰しも、万人と気が合うわけではない、当たり前だ。

直接目に見えないものを計る事ができない人間は、多く居る。
そしてそれを計る為に必要なのは、完全に自分の判断のみ。
嫌な部分も良い部分もすべて含めて自分が考えれば、わかる事なのに。

相性占いだと言って、たまたま出た数字を見て何を思う?
架空の数字を見て、無理矢理仲がいいとか、そう思いこんでる人も中には居るだろう。
自分で計る事ができるハズなのに、なぜごまかす。


人は孤独を恐れる。
孤独だと、思いこんでるから。


残念だが、
ヒトに個性がある限り、ヒトはいつまでたっても孤独でしかない。

君子は和して同ぜず。
『よくできた人間は、ヒトと調和しつつも自分を見失わない』
そんな意味だ。
でも自分には君子ほどの器はもちろん無い。クソガキも良いところだ。
「和して同する」くらいなら、
「和せずして同ぜず」の方がいい。
今は、自分を見失わない事で必死だから。

他人と違う事を恐れてはならない。
「そんなのアタリマエ」その言葉に惑わされてはいけない。
本当は何が「正しい」か、真に定義できるのは自分だけだ。
たとえ他人の意見を参考にしても、最終結果を決めるのは自分しかいないのだから。

なんなら、
自分が新しい『アタリマエ』を生み出す人間になるのも悪くないだろう。


つまらない心の鎖を、解き放て。
自分を不自由にしてるのは、自分でしかない。
知らない内に心の障害者にならぬよう、気をつけた方がいい。

他の動物には無い、人間だけの欠点もあるのだ。
まだまだ、霊長類はそこまで万能じゃない。

■ 1月31日 おっし! ■

今日のAM10:55頃、金色の太陽を見ました!
雲がビミョーにかかってて、黄色の波長だけ強く出ただけだと思いますが
とにかくほぼ真上に輝く金色のそれがメッチャ美しかったッス!!
そうだよ俺の夢は金色じゃねーのかよなどと言う間抜けな独り言を叫んで
勉強頑張ってます!!

まあとにかく、今日は自分に対してそうそう動機付けなんかする必要もないほど
心の中が澄み切ってるのでこの機会に本気で勉強!!
頑張れ俺!!疲れたらちょっと遊んで寝ろ!!!それが今日の予定!!

■ 1月30日 本日二回目〜 ■

人が長く生きて、その中から生きる為の秘訣を見いだしても、
たった一文では、説得力も何もない。
「自分を信じろ」と言われても、
どうする事が自分を信じる事なのかは、わからない。
「幸せに生きろ」と言われても、
一体何が幸せなのか、わからない。
「自由に生きろ」と言われても、
どうする事が『自由』なのかは、わからない。
物理の参考書を見ても然り、公式だけでは意味がわからない。
「幸せ」「自由」の細かい定義は、誰も教えてくれない。
だから今の人たちにそういった事を伝えたいと思ったのかもしれん、俺は。


それはともかく、
今朝、てっきり全部忘れていたかと思った少年期の思い出がほとんど全部、夢に出てきた。
だからこそ、↓の同日の日記でも色々思い出した事を書いてるのだが、
俺の少年期ってホント心の中までズタボロになってたんだなぁと思ってしまった。

で、人からいっぱい強制されたり、生きるのが苦しくなるような考えばっかり押しつけられた身としては、
今の自分みたいな考え方になっちまうんだろうなぁ、と思ったわけで。
父や母は、俺と同い年くらいの時、どんな考えで生きてたんだろうな……。

別に、誰も生きた事のない生き方で生きるのは恐くはないし、
誰も考えた事のない考え方で生きるのも、別にいいと思う。
基本的に、周りの人間に合わせれば合わせるほど不幸な目にあうヤツもいるんだからな……。
それに、拒絶される事に対しては慣れっこだから、
もはや『拒絶されるのが当然』みたいな考えで生きてるよーです。
でも、それは「言える勇気」と等しい分野の考えだから、創作するのには非常に優位に立てる気もする。

一見不幸なようで全然幸せな自分が居て、
世の中どーなるかわからんなぁと思ってしまった。

ま、自然に生きてりゃいいさ。
俗世間から変に離れた考えも、別に悪い事じゃねーし。
つっても、そんなこと誰が決めたワケでもないけどな。
定義がなければ自分で定義するだけだ。

■ 1月30日 過去を見据えて ■

子供の頃は、
物理的な、目に見える部分では全てが弱かったから、
「誰よりも弱い」という事を知らざるを得なかった。
体力もなかった、すぐ泣いた、人に迂闊な事を言っては終わりの会で泣いて謝った。
テストの点はみんな百点だったから、自分が特別優れてるわけじゃない、と思わされた。
塾に入ってから夜中まで勉強してて、やりたい事があるのにできなくて嫌になって、また泣いた。
ある時、両親に必死に辛いと訴えたけど、聞いてくれなくて、泣いた。
それ以来、人に何かを頼む事に対して大きな恐怖を抱いた。
また、「こんな事がトラウマになるなんて我ながら最低だ」と思った。
何もかも自分が馬鹿に見えて、一度本気で死のうかと思ったけれど、できなくて、また泣いた。
「はっきり言って自分は生きる価値なんてない」と思ってしまうほど、
自分は弱かった。


だからこそ、
弱い事がトラウマになっていて、
身体的にはどうしても強くなれないと理解したから、
あとは心を強く持つしかないと思った。

一歩間違えれば、
人を不幸にするような悲しい道を選んだかもしれないのに、
なんで今の自分がいるのだろうと、ふと疑問になる。

でも、
強くなるためには、
一度でも自分が本当に「弱いんだ」と思わないと
無理である事を、知った。

少年の一年は、大人の感じる二倍以上に長い。
すでに現時点で、人生の90%を自分の弱さばかり見て育ったから、
自分が強くならなきゃと、思わざるを得なかった。


それと同時に、
他人の痛みを感じられなくなってる自分に気づいて、
辛かった過去の自分と、もう一度真正面から向き合って、
その痛みを少しでも理解しようと努力する。

でも、
やっぱり、わからなかった。

気づかない内に人を傷つける事より、罪なことはない。
それはわかっていた。
多くの人間と暮らすには、あまりにも心が違いすぎたのかもしれない。

でも、
それは十年以上前から、全く一緒じゃないかと気づかされて、
十年以上悩んでもどうしようもないこともあるんだと、知った。

けれど、
『性格』は個人個人で違うから、
こんな自分でも、仲良くやっていける人間がいるのだと、知った。


すでに20年近く生きてきて、
本当に心を許せると思った友人は、一人か二人だけ。
これから100年生きても、
この人となら、ずっと一緒に暮らしてもいいっていう人は、
現れないかもしれない。
あまりにも気が合わない人が、多いから。


だからこそ、
自分の心を継いでくれる人がどこかにいてほしいと思うから、
他人に何か伝えようと、努力してる。

人に何かを伝えるのはとても難しい事だけれど、
人に理解されるのはとても贅沢な事だとわかっているけれど、
それでも頑張りたい。

誰も気づかなくてもいいから、
自分の存在した証を残したい。

それが、自分の夢。
過去の弱い自分が、与えてくれた夢。
自分が死ぬまで、大切にしたい。

■ 1月29日 自分の考えを形にするのは難しい ■

『運』という言葉がある。
それは偶然によって成功する為の要素の事。

手相では、「強い精神力」と「運」は似たような見方がされている。
残念ながら、俺の両手にはそういった「強い心」を表す相は出てないが、
誰にでも間違いなく、その素質はあるハズだ。

確率1%でも、
何百回も真剣に挑戦すればいつか必ず成功するだろう。
その「真剣に挑戦できる心」が「努力」であり、「強い心」だと思う。
そしてその心こそ良い結果を導き出せるモノ、つまり、一般的に言う「運」の大半を占めていると思う。

自分は、偶然(出会い等)によって「良い結果になる」という受動的な運は信じるが、
能動的にやって「成功するかどうか」の運は信じない。
というよりは……最初から『運には期待しない』、という一言で済むかもしれない。
もしかしたら、「運」というのは、努力できない人達が作り上げた幻想なんじゃないか……?
それが俺の、「運」に対する個人的な意見だ。
だから、ギャンブルは好かない。
「運」を期待しなければいけないから。


俺の「どうにかなるさ」は、
「どうにかなるように自分のできる限り努力する」事であって、
別に「何もしなくても良い結果になるだろう」という意では無い。

終わった事は全て運だと思えばいい。


って、結局何が言いたいのか俺にもわからんな……。

『自分には運が無かったといって頑張る事を止めてはいけない、
       運とは、あくまで“頑張る事”から生まれてくるのだから』

……ってことか?
たぶん、そんな意味だと思う。


とにかく、「運」は遺伝子と環境と過去の経験だけで十分だ。
与えられた以上の環境は求めない。
その環境下でどれだけ頑張れるか。
今はそんな心が欲しい。
そしてこれは誰にもねだる事はできない。
これは自分の心の何も無い所から生み出さねばならないから。

しかし、種はもう植え付けられた。
他人の、俺に対する勝手な予想はもう聞かない。
とにかく頑張る事。
それが自分の精一杯だ。


そして最後に注釈しておく。
真に頑張るという事は、
「自分の最高の状態」で「精神に限界が来ない程度」に頑張る事であって、
決して体を潰す事ではない。
他人からノルマを与えられないと何もできない人たちは、
皆と同じだけのノルマを――それが自分の無理を越える量でも――こなさねばならない。
自分は、他人からノルマを与えられるような仕事はしたくない。
俺は、自分で歩んでいける心の強さが欲しいから。
だからこそ、自分の健康を「頑張って」保つのだ。
『病は気から、気は体から』だ。


というわけで今日からもう少し早く寝るよう努力します。
あと、日記が異常に長いのは自分を納得させる為のものであって他人に読ませる為では無い!
大人になってから、希望を失いかけてるに読んで頑張る為のものだから!
初心を取り戻せるのはきっと強い武器になる!たぶん。

■ 1月28日 ↓の追加 ■

自然の力に逆らえるのが「生物」なら、
それを真っ向からいってる(自然破壊etc)人間って
もしかしたら「生物」の「生物」たる真の役割果たしてんのかも……。

この大宇宙の意志……というか「大宇宙の本能」は一体何考えてんだろーねえ。
自分達はまだまだ、「宇宙の子」でしかない生き物だからわかんないけどな。
いつか生物達は、親を知り、親を越える日が来るんだろうか……。

■ 1月28日 宇宙とか生物とか ■

ある人は「自分は何かの生まれ変わりだ」と言うけれど、
その前世の多くはあくまで「生物」であって、無機物では無い。

今度生まれ変わる時にこの広大な宇宙の中の、
「たった一つの星」に生息する「生物」は、
また「同じ星」の「生物」で有り得るのだろうか。
……その確率は残念ながら極限までゼロである気がする。
0.000〜が100個続いたところで、それで足りるとはとても思えない。

でも、
この宇宙や星、無機物などと比べて、「生物」とは非常に珍しい存在だ。
今のところ自分達が知る限りで、「自然に逆らえる」のは「生物」しかいない。
何もできない石ころが河に落ちたら、もはや成す術もなく流されるしかないのに、
人間のような生物なら「逆流しようと」する事ができる。
そこでは本当に少しだけでも、自然の物理的エネルギーに逆らう事ができる、例え結果的に流されても、だ。

大宇宙の中で、「自発的に」動けるのはあくまで『生物』という存在だけだ。
この宇宙の中では「生物」は非常に稀少で、そしてその中で人間は生きている。


ってわけで、生命の神秘はやっぱすげえなぁ、と思った今日一日。
↑の事は物理の勉強やってるときに気が付きました。
これは「生物」達の中でも(たぶん)人間にしか気づけない事だよな!
もしかしたらイルカとかイヌとか植物プランクトンも気づいてるかもしんないけど。
ちなみに、「生物」とは植物も含まれるのでそのつもりで。
ひまわりは太陽の方向を向くけど、地球は自分で遠心力を制御したりできないからな。
そもそも、そんな事されたらすっげー困るし(笑)
あ、だからこそ「安定した宇宙」がそれよりもっと成長するために、
「不確定要素」である「生物」を生みだしたのかもしれないな……。
ラプラスの魔(全ての法則を知り、未来も予言できると言った悪魔、だっけ?)も、
「生物」という存在がなけりゃ、今ある法則でも何とか実現可能かもしれない。
でも、その「法則」を見つけだしたのも「生物」なわけだし、色々複雑だのう……。

■ 1月27日 ■

もう間違ってても何でもいいからやる気が欲しい〜。
って状況で勢いだけで昨日の日記書いたみたいですが、
自分ながらアホかなぁと思ったりして。
昨日のは自分で見ても矛盾だらけに見えるのであんまり細かいトコは気にしないよーに。
ま、どーせ誰も見てないし……(って、見てる人はいるにはいるけど一応こう書くのが自分の流儀なんで)
人の目を考えるとすぐ自分らしくなくなるからなぁ、人間って……。
だからといって人の目を考えなさすぎなのも、あんまし良くないけど。
この文章書いてる時点では人の目を少し気にしてる感じがする。

とにかく、今日で学校の授業は終了。
明日から自力で勉強するのみ。
今は志望校の二次試験の過去問を見ても全然解けないけれど、
この一ヶ月でどこまでできるか試したい。

できなかったらどうしよう、とは思わない。
「心配しなくても、きっとできるようになる」
それが自分を信じるという事。

信じるのは、一秒先の自分、明日の自分、一ヶ月後の自分。
越えるのは、一秒前の自分、昨日の自分、一ヶ月前の自分。


これから一ヶ月。
失敗したときの事は、まだ考えなくてもいい。
とりあえず、やれるだけやってやろうじゃないか。


明日の自分が今日の自分より強くありますように。

■ 1月26日 決戦まであと一ヶ月 ■

思いこみは臨機応変に変える事。
無理矢理にでも動機付けして、それを心から信じられる事は、
どんな事でも一生懸命できる原動力になる。
たとえ、そのやろうとしてる事が嫌な事でも、だ。
「動機」は不純でも、抽象的でも、一見意味が無くても、見栄でも、何でもいい。
自分の心の中には、どうだっていい事と、どうにかしなきゃいけない事がある。
「自分を信じられるようになる事」は、自分でも「良い」と言える気がする。
「行動の動機」は、どうでもいい。その質がどうであっても、強い動機で動けるのは、心が強いからだと思ってる。
別に、人を助ける目的が「金の為」でも「ただ人を助けたい」でも何でもいい。
自分が「より強い」と思ってる動機を信じればいいのだ。
「道徳」を学んだからと言って、その通りに生きようとすればするほどストレスが溜まるだけだ。
「自分らしく」とは、あくまで「自分が心の底から、最も好きだと思える方法で生きる」ことなのだから。
誰にも正直に言う必要のない「動機」なら、自分勝手に決めてもいいと俺は思う。


本気で勉強しようなんて、よっぽどの勉強好きか、
そうでなければマインドコントロールでもされてるんじゃないかと思うかもしれないが、
それでも、自分は毎日必死になって、知識と理解を蓄えてる。
自分の一番大切なもの――「自分の心」を本当に信じられるのかを試すために、だ。
端から見れば滅茶苦茶な動機だろうが、でも「自分の心」は自分の中にしか存在しないから、
「どこにでもある金」を報酬として受け取るよりは、「絶対に自分にしかできないこと」を
動機にする方が、迷いも無いし、何より長続きする。
「大学に受かる事」は誰でもできるが、「自分の心を信じられるかどうか試す事」は自分にしかできない。
それが俺なりの、馬鹿で間抜けで自己中心的な動機付けだ。
でも俺はいいと思ってる。

たとえそれが誰にも理解されない動機だったとしても、
誰よりも強く生きられる心を持てるのなら、自分はそちらを選ぶ。
人前で、その動機を言うつもりが全く無くても。


12月の模試の判定が全部E(最低ランク、合格は不可能に近い)だったとしても、
実際に大学に受かるほどに勉強した人間もいると、先生は言った。
俺は12月の時点で全部Eだった。
それでも今、大学に入れる可能性のある、ギリギリの地点に立つ事ができた。
ランクCにギリギリ到達しそうなランクD、合格率25〜45%前後、。
センターの結果が、自分の努力の賜物か、それともただの奇跡なのかはわからないけれど、
できる見込みが少しでも存在しているなら、俺は本気で戦う。
その「合格率」とはあくまで、
「その時点で同じ点数を取った人間の内の何%が結果的に合格しているか」という数字に過ぎないから、
それなら、1%の中におさまる事も絶対に不可能じゃない。

わずかな可能性を、もはやそれが愚かにさえ見えるほど信じて頑張れるという事は、
いつでも奇跡の源になるのだから。

この「確率」という数字が「運命」だというのなら、それを打ち壊すのは自分だ。

それが運命と闘う事。そして希望を信じる事。

パンドラの箱だって、99%の絶望と1%の希望でできてるのだから、
100人に一人くらい、希望を信じて生きる人間がいてもいいはずだ。
俺はその一人になりたい。

■ 1月25日 ここ一年の人生をふりかえって ■

人に物を貸したら、すぐに忘れて、返してくれるまで気づかない。
返してくれたら返してくれたで、「ありがとう」と言ってしまう。
物への執着が少なくなったのはいいが、
人をいかに信頼してないかが感じられてしまい、
「まあ、今までの人生経験だと普通にこうなるしかないよなぁ」と思い、
それと同時に、「その経験」が自分の心を以前よりも強くさせてくれたのだと感じ、
「人を信頼できないようになる人生経験」に対して感謝する。

欠点は、あくまで欠点として捉える。
都合が良すぎだと言われるかもしれないが、なるべく「悪い事」だとは考えない。
自分の欠点は、周りの環境から生まれてきたものだし、周りの環境でしか直せないから。
少しでも直したいと思ったなら、いずれ必ず直る。

通り魔だとか殺人鬼がそこに居ても、
全ては「その人の送ってきた人生」や「周りの環境」でそうなってしまっただけで、
「そいつが悪だ」と一言で決めつける事は、できないような気がする。
決してその人が悪いのではないのだから。

自分の性格も然り。
周りの環境、やってきた経験、偶然、周りの何もかもが影響している。
だが、我々はどうやっても「一人だけ」の世界に行くことはできない。
だから自分は変わった。
この一年で、自分は驚くほど、変わっているのに気づいた。

一年前の日記を見ると、まだ幼かった自分がそこにいた。
まだ色んなものに怯えていた頃の『自分』。
何事に対しても、いまいちやる気の無かった『自分』。
「成長する」という言葉の意味すら、まだ全然知らなかった『自分』。
強い心がどんなものなのか、考えた事もなかった『自分』。
ホームページの更新のネタが無いから、と言って日記を書き始めてなければ、
きっと気が付かなかったであろう、様々な違い。

今、読み直してみると、本当に子供みたいだと思ったが、
何かを論理的に考えて発表するのは好きだったらしいとか、
「俺は独りだ」とか疑問に思ってみたり、
「思いやりがない」とかで悩んでると親父に喝入れられたりして、
ホントに思春期真っ盛りだった。

いつしか明確な価値観がいくつか生まれ、
自らの中に潜む矛盾が、たくさん解決されて、
そのうち、「頑張れ!」と言い聞かせるようになってきて、
自分の心がどうやって形作られたのかわかってきて、
自分を信じる事を知った。


本当に、この一年の為だけに生まれてきたんじゃないかと思えるほど、
自分にとって有意義な一年だった。


だから今、
自分の能力を正確に見極めて、どこまで自分を信じられるかのテストを、
『大学受験』という形で行っている。

あと一ヶ月。

「試験の結果は、自分の『心の強さ』の表れだと思え」

そう思いこんでいれば、俺は負けない。
『心の強さ』が今の俺にとって一番大切なものだから。
自分の知識をどれだけ早く、多く手に入れられるかは、全て自分の心と比例してると思ったから。
大学に入りたいとか入りたくないとか、もう関係ない。
塾も予備校も要らない。
俺の力が、俺の心がどこまで強いか試したい。

■ 1月24日 現在午後四時 ■

自分でもよく気づいてなかったが、俺が日記書いてる目的の中には
相手に理解されやすくするため、また、似た考えの人間を探す、というのも含まれてるらしい。
とはいっても、ほとんどが「タダの鬱憤晴らし」みたいな所もあるけどな……。


ところで、今回のセンター試験で出たのだが、「自己の内面を書き記したもの」の日記というのは「自己を保存する容器」であり、
また日記を書くことは「近代精神の病」でもある、という文章が含まれている評論文が出題された。
で、それが『病』であるがゆえんは、

『絶えず自己にまつわる記憶を喚起し、それを想像力に結びつけて、存在の感覚を確認すること』

であるという。病とは、「絶えず自己にまつわる記憶を喚起し」の部分なのだろう。
文章中の言葉で言うと、「自己という牢獄の中に閉じこめられる」のだそうだ。

で、その一文を見なおしてみて、何となくわかった事がある。
自分の存在の感覚を確認するとは、すなわち「自信をつける」事なんじゃないかと。
「文章で表された明確な自分」を何度も見直せるのが、日記の特徴だ。
だから、『自己』という存在は読み返せば読み返すほど強くなる。
自分で読んでて「そうだよなあ」と頷ける内容が書いてあるなら、それは自己を正確に表わせている証拠だ。

だから、自信を付けたいなら、日記を書く事をオススメしたい。
自分の考えじゃなくてもいい、新聞の社説なんかを読んで「ああ、この見方は自分と同じだ」と思ったら、
メモ的な感覚で、自分の言葉にして日記に残しておくのもいい。
そうやって、書けば書くほど自分の性格がわかってくる。

が、問題はハマりだすと止まらないって事なんだよなぁ。
しかも最初はただひたすら恥ずかしいし。
やっぱり、まだ自分に自信が無いからだと思う。
でもそれを越えれば、たぶん自分を認められるようになる、と思うんだがなぁ……。

■ 1月23日 半端主義追求型 ■

子供の頃からよく、「何でこれがいい事なんだろう?」と何度も思った事がある。
「ある事」が果たして正しいのか悪いのか、全然わからなくて悩んだ事がたくさんある。
どっちかを選べと言われた時、どうしても選べなかった事がたくさんある。

結局、今考えてもどっちが正しいのかわからない事の方が多い。
だからいつしか俺は『どっちでもいいじゃん』と思う事にしたらしい。

世の中に正しい事は存在しない。
二択の内から一つを選んで、それがある災難を招いて「ああ、逆にしときゃよかった」と後悔しても、
そのもう片方が、果たして災難を招かない選択であったかどうかは誰にも断言できない。

どうしても決められない事があったら、まず自分が何故悩んでるのか考える。
主に「世間体を気にする目」とか「周りの人に対する迷惑」とか、
「物質的な損得」なんかが絡んでる場合が多いだろう。
俺の場合、世間体とか周りの人から不信を買わないよーにする為に大学へ行くってのが理由の一つにある。
たぶん、ほとんどの人はそうだろう。
個人的には、行かなくてもいいんじゃない?的な考えだが、やっぱ楽に生きるには
周りの人の信頼を勝ち取らなきゃいけないわけで。
一応、そういう俗っぽい観念も、俺の一部だからな……まあしょうがない。

でも、やると決めたらバシッとやればいい。
行動する動機なんて、所詮はちっぽけで、どこかに人間の嫌な部分があるわけだから、別に気にしなくてもいい。
意外と、それが悩みの種だったりする場合も多いからだ。
自分の嫌な部分も、結局は自分だし、その嫌な部分から起きる動機だって、結局はいい推進剤になる。

自分の悪い部分も認めるのは、自分を信じられるようになる第一歩だと俺は思う。
いい部分ばっかり見て「これが自分なんだ」と思うから、自分の悪い部分が見えるとストレスが溜まる。
恐れないで、自分の悪い部分を認める事ができれば、逆に自信が付く。
良い所はいくらでも伸ばせるけど、悪い所は意識してもそう簡単には直せない。

だから、自分の特性と欠点をよく理解した上で、
何ができるかをよく考えてみる。
結構、色々できる。才能は一つじゃない。

というわけなので、今やりたい事はとりあえず創作活動!
試験に受かったら思いっきりやる!!!
日本人の発想力不足は単に睡眠時間が原因だと思いこんで!!
俺だけは思いっきり寝て究極を目指すと決める!!
寝ないヤツに勝機は来ない!!!
って、そんだけ思ってりゃ、健康かつ優越感に浸れる幸せバイオリズムな生活できるだろ。

結局、↑見てると俺って
「迷ったらどっちでもいいじゃん」
「でもやると決めたら徹底的にやれ!」
「人間は一般道徳的に結構腐ってるから自分が腐ってても問題無し!」
「あんまり悩むな!」
「人には言わずとも自分に都合のいい考えをしろ!優越は強い推進力だ!!」
の精神だけで生きてるみたいだな……。
ま、これも俺、何と言おうと、なかなか変えにくいモンだし。

とりあえず今は二次試験対策!!
数学、物理、英語!!この三科目だけ徹底的に勉強!!!
頑張れ俺!!俺は応援してるぞ!!!

■ 1月23日 ズドーン ■

最近の動向

・知能、記憶力が日頃の1.4倍くらい強化されてる

・視力がどう見ても0.1以上上がってる

・いくら目を使っても疲れない

・睡眠時間が8時間(笑)


というわけで、一日8時間の睡眠(10:30〜6:30)は非常に健康的です。
恐ろしいほど脳が活性化されたり、いい事をひらめいたり、
体が「フルパワァァァア!!」なほどにいい感じになったりしていい事づくめ。
センター試験で奇跡的な点数を取れた(英語のみ)のもきっと寝たからじゃないかなぁと思う今日この頃。

どんどん平凡な高校生から離れていく俺……。
だがやっぱいいね、8時間睡眠。一日10時間近く集中してても結構平気。
どうせなら超良い子生活を心がけるのも悪くない。

■ 1月22日 信仰 ■

人は何らかの明確な価値観を欲する。
価値観は、自分の行動を決定づける上で非常に便利なモノだからだ。
だから人は宗教を必要とする。
宗教とは、既存の価値観が細かく明記されているものだ。
「これを信じれば良い事になる」という事さえ信じられれば、あとはその宗教の方針に乗っ取って生きれば良い。
そして大抵の場合、これは良い結果を生み出せる。
キリストの言うように、隣人を救えばフツーは良いことになるだろう。

自分を信じるとは、自分の価値観を信じる事だ。
自分の価値観が明確なヤツは、強い。
強烈な瞬発的判断力と、何でもやり遂げられるだけの行動力を持てるからだ。
途中で投げ出す事はしない、あくまでもそいつは「自分の考えが正しい」と思いこんでるから。

今の日本には、そんな点で中途半端なヤツが多い気がする。
もともと宗教がないから、という理由も大きい。
だが、価値観は充実した日々を送るのに必要不可欠なモノだ。
どうやれば強い価値観が身に付くのか、自分を信じられるようになるのかはよくわからないが、
自分の夢を叶えたいと思うなら、絶対要ると思う。
もしかしたら、夢があるから価値観が付く、って事かもしれないが。

世間体気にしてたらホント何にもできないよな……。

■ 1月21日 センター二日目 ■

二日目、慣れた感じでセンター会場へ行ってパッと試験してきました。
現代社会の勉強、2:30〜3:40の一時間だけやっただけで受けてみました。
果たして何点取れてるのやら……もしかしたら、一日目に受けた地理よりいいかもしれない。
ま、終わった事はしょうがない。
でもとりあえず二、三日くらいゆっくりしたい、脳が痛い。

■ 1月20日 センター一日目 ■

今日の分の試験は終わった。
会場である大学を出ようとした瞬間、突風が吹き荒れた。
皆の傘が折れた。

強烈な寒波、そして雨、風。
相変わらず目的地と正反対の方向に向かって歩き出していた俺。
気が付けば周りには誰もいなくなっていた。
寒い、手の感覚はだいぶ前になくなっている。
一度地図を見ようと、傘を右手に持ち替えようとする。
「……?」
左手は、凍り付いたように動かなかった。傘を離せない。
雪山で遭難したら、こんな気持ちなんだろうなぁ。
そう思いつつ、嵐の中を歩く。

試験中はかつてないほどの集中力を出せたのに、
方位磁石の印が付いてる方を南にして歩いていた俺は馬鹿だった。

一日目、最終結果。

・緊張するのは一時間目のテスト直前だけである。

・意外と周りに見知った顔があるので心配は要らない。

・模試などのセンタープレテストが満点取れたら、ほぼ楽勝で満点取れます。

・大寒なので防寒の準備を。

以上、一年の命運がかかってるわりには特に緊張しなかった一日。
集中力は2、3年ぶりに本気出した感じ。マジで雑念ゼロの一日でした。
こんな毎日が続いたら間違いなく死ぬな……。
すでに脳がオーバーヒート気味、明日は大丈夫なのだろうか。
ま、きっと大丈夫だろ……自己ベスト更新第二段を目指す。

■ 1月19日 慌てない人たち ■

センター前日だというのに、慌ててる者はいなかった。
全員、気楽なものだ。

例え明日世界が滅ぶと言っても、
みんなはいつも通りに暮らすのだろうか。
自分は別に構わない――死は常に日常の延長上に存在するから。
生きたいと思うのなら、回避しようと努力すればいい。
でも、本当にどうしようもないというのなら、別にいいと思う。
最後の一日はきっと何もかもが美しいだろう。
鳥の鳴き声、木々の擦れ合う音、水のせせらぎ、自動車の音、
そして排気ガスの臭いですらも、きっといいと思うだろう。

俺は、もし明日世界が終わってもいいように、
毎日色んなものを感じようと努力している。
そして、覚えておくのも、事件が起きた日だけでは無い。
天気のいい日、家々の作る影と太陽の光のコントラストが綺麗だと思い、
太陽の光の暖かさを感じて、静かな一日を送った事、それもちゃんと覚えてる。

「静かな平和」は、平和な内に感じておくのがいいだろう。
一体いつ、この生活が終わるのかは、誰にもわからないのだから。
だから毎日を満足して過ごす。明日に死んでも後悔はすまい。

今の生活に満足できないのは、今の生活を理解できないから。
別の生活をしてみないと、どこが違うのかわからない、そう言う人達が多いからだ。
だから満足できない。

金がある一日と、無駄なほど金がある一日は、そう大差が無い。
金はあくまでも、知的価値、生理的価値を得る為の道具でしかなく、
飯代以外に使う時は、それを使って何らかの知的価値などを得なければ何の役にも立たない。

金は人間の第一の価値基準ではない、安い金でも大きな知的価値、知的財産を得る事は全然不可能ではない。

そしてまた、金はモノの第一の価値基準ではない、高いモノだからと言って
それ相応の知的価値、有用性があるとは思えないモノも非常に多い。

さらに、モノも人の第一の価値基準などでは決してない、そのモノから
出した金の分以上の、何らかの有用性、知的価値を見いださなければ、無駄遣いばかりするタダの馬鹿に過ぎない。
モノを多く持ってるからと言って偉いワケでも何でもない。使わないだけ馬鹿だ。

『存在するもの』の、本当の価値を見定めなければならない。
人は今、平和を直に感じられる時代と場所に住んでいるのに、その価値がわかっていない。

人間はそこまで馬鹿じゃないと、そう思いたい。
せっかく人間に与えられた大いなる力、「知能」の価値を再認識してほしいような気がする。
他の動物は、自分に与えられたわずかな能力を最大限まで利用して生き残っているのに、
人間はそこまで利用したいとは思わないのだろうか……。

■ 1月18日 頭が動かねぇ ■

センター直前だっつーのに頭がぼんやりして使いモンになりません。
ブドウ糖の使いすぎで疲労物質が溜まってるのか、
それとも脳のメモリー越えて記憶しすぎてオーバーヒートしてるのか。
うーむ、何にも考えられん……

■ 1月17日 意識、無意識 ■

小さな子供が、親から与えられた食事を食べないのは、
「おまえには私を支配する力が無いのだ」という事を
親に伝えたいと思っているケースがあるらしい。
これはフロイトか誰かさんの見つけた法則だ。
親ってぇのはどういう在り方が正しいのかねぇ……
だいたい、「自分の考えが間違ってる」という証明をしない限り
子供は親の言うことをすんなりとは聞くまい。
教育って難しいねぇ……ま、経験と知識は両方無いと役に立たないからな。
俺も車に吹っ飛ばされてからは左右確認と後方確認のクセが付いたし。

その他の教育の手段としては「恐怖」でしょう。
俺が吹っ飛ばされたのも、その「恐怖」を実感した事に他ならないわけだし、
親がそれなりに畏怖すべき存在だと感じれば言うこと聞くだろうしな。
ま、「尊敬」されるような親なんて所詮無理かね……結局はほとんどのケースで「恐い」だけだ。
文化や教育の変化もあるだろうし、色々と問題あるんだよな。
とりあえずは、強い生き様を見せてやれるよーな元気な親になりたいモンだが。

■ 1月16日 わかってんだけどね…… ■

あー、センター四日前ですが、ここまでギリギリになると成長にかけるのもどうかなぁって感じで。
合格最低点が7割なのに俺の現時点最高予想点数が7割って何?
運が良くないと7割取れないってか?
ま、これくらいまで勉強できたんだったら俺的には文句無いけど……

ただ、謙遜無しの正確な目で言うとたぶん無理。
アーンド、極めて落ち着いてる状況下ですら限界が7割なのに本試験でこれ以上はキツイだろ。
何らかの理由で周りが悪くならないと通らん。緊張しただの、風邪だのでな。
それに高校課程の勉強も全部出来ないクセして大学入る資格なんかないと思うんですがー。

というわけで別に諦めるワケでも何でもなく、今日もマイペースに勉強。
センター予想問題英語、120/200て〜ん……。
……140点の壁は厚い。
それに地理とか30点だしなぁ、話にならんぞオイ。
数学物理はなんとか80行くけど、国語が50程度なので、
120+80+80+50+30=360/600
6割?数学と英語と物理で+20ずつやったとしても7割。
チッ、まあやるだけやったろ。
たぶん予想問題はワザと難しく作ってあるに違いない!!(希望的観測)

■ 1月15日 時代に取り残されないように ■

昨日の特命リサーチ見て思った。
『このままだと絶対オレ時代遅れになるわ』

そういうわけで、今日から新しいモノに対する敏感な目と
アホな固定観念を取り去る訓練しようと思います。
つっても、日常的に見る部分をわずかに増やすだけですが。
いくらキーボードが早くても、もっと高速で便利かつ正確なインターフェースが出たら
堂々と乗り換えられるだけの正確な見極めができるようになりたい。
そして常に、『これから必要とされる能力』を知る事。
たぶん、今必要な能力は「より新しい技術などを自分から身につける能力」だと思う。
例えば今の技術者は、現状の能力だけで10年経ったら間違いなく役に立たなくなるって事は明白だ。
でも、そうなるパターンは意外と多かったりする。
最新の理論、技術を取り入れなければ、どこにも居られなくなる。

今、パソコンが使えないという中年のサラリーマンが泣かされている。
これも、「新しいものを取り込む」能力が多少欠けてるから、という事はほぼ間違いないだろう。
長く使い続けてきた「自分の物や技術」を、パッと捨てる勇気も必要だ。

そしてまた、自分の中の固定観念を認識する事も、当たり前のように大事だと思う。
実の所、これさえできれば発想なんていくらでもできる。
「当たり前」じゃない事を思いつくのが「発想」だ。
セオリー通りにいかないから、突拍子もない事は強いのだ。
そしてそれに対する反応も、発想する側並に賢いヤツじゃないと即座には反応できない。

自分の取ってる行動が当たり前だと気づく事、それだけだ。
そうせずに奇をてらってみても、それが成功する可能性は低い。

だが、「当たり前」ってのは逆の要素にも使える。
自分の弱点すら意表を突くための布石にできるのだ。
普段なら絶対嘘をつけないようなヤツが、正直に言うときの「いつもどおりの」反応で
堂々と嘘ついてりゃ絶対その場ではバレない。
でも、そうする時は意外と「嘘付くときの」癖が出たりするから、常日頃から自分の「いつもどおり」を覚えておかねばならない。
だからこそ、「当たり前」は認識しておく方が得なのだ。

自己認識は武器にも盾にもなる。そして強い心を生める素になる。
俺的に是非ともオススメしたい。慣れるまで結構ムズいけど。

■ 1月14日 センターまであと6日 ■

にもかかわらず、あんまり危機感を感じていないのは何故だろう。

今まで、受験を考えて、悔いの無いように勉強してきたつもりだった。
でも、それがあまりにも甘い考えだった事に気づかされ、
もう少し受験の事を早く考えるんだったかなあと思い、
しかし、どんな事にでもやれる量には限界があるから、
結局は決戦の時に、自分のチカラを信じてやるしか無いと感じる。

今の状況では、どんなに勉強しても100%の理解度を得るのは不可能だ。
それは自分でもわかってる。
でも、今の勉強は来年への良い布石になるから、最後まで諦めない。
……というよりは、マイペースを崩さない方針なのかもな。
疲れたら、寝る。
元気だったら、それなりに勉強する。
嫌になったら、少し休憩だ。
最終的には、自分のやりたい分しか頭に入ってこない。

とにかく、少しでも緊張すると速攻発作が起きてゲロベンピ寸前になるので
決して慌てない事、やるだけやりゃそれでOKだ。
っつーわけで、今日も疲れるまで勉強!
朝から日記っての
もなんか変だけどな!

■ 1月13日 やっと日記がジャスト一年分 ■

強く生きるとはすなわち、強い心を持って生きる事。
力強く、自信に溢れた足跡を、人生に残していくこと。

この世に敗北は存在しない、それは自分が負けたと思いこむ事だから。
その時だけの結果が全てだと思いこんでる、馬鹿野郎の言い分だ。
だから、勝利も存在しない。
敢えて言うなら、勝ったと思い込む事自体が、すでに敗北だから。
戦う相手は誰でもない、一秒前の自分。


時間は長いようで、いつも短い。
人生もまた、然り。
真に充実したと思える日々を過ごせ。
そうやって過ごせない人間は、睡眠時間まで削って、一日を充実させる事を求めるだろう。
だが、今日が終われば次は明日だ。
明日も充実した日々が送れるよう、よく寝るのも悪くない。

■ 1月12日 初夢……かなぁ ■

すっげー夢を見ました。
なんか知らないけど俺が(たぶん)見知らぬ男を強姦してる夢でした。
しかもリアルで鮮明に覚えてるのがなーんか腑に落ちない……。
これでいいのか俺!?てゆーかこのままでいいのか俺!?
でも某分析によると、脳の思考(構造)は猛烈に女性に傾いてんだよなぁ……別におかしくないのか?
体が男なだけかもしれない……妹は一部、男らしいようにも見えるけど。
にしても起きた後に猛烈に後悔……ああやっちまったよ俺って感じで。
夢見て後悔したのは今日が初めてです。
しかもカラーだし。
早くフツーになれる日が来る事を祈る……ってーか俺が見るアバンチュール(?)な夢って何でこんなんばっかしなんだ!?
しかしこの深層心理がプラス思考っつーかNot俗物思考を生み出せるのなら悪くないよな……
人間が堕ちるアホな罠は性欲と金がメインだから、この二つさえ気にしなきゃほぼ自動的に目標一直線の生き方ができる!!
うーむ、細かく考えると、結局はどんな事でもプラマイゼロなんだよなぁ。

……ま、別にどーでもいいか、どんな俺も結局は俺だ。
しょーもない事で悩む方が時間の無駄ってモンなんだよなぁ。
こういった事は変わろうとして変わるもんじゃないんだし。
とにかく今は受験勉強〜。

■ 1月11日 別に二重人格じゃねえっつーの、あと二日 ■

日記読んでると、なんか管理者が二人いるよーに見えたりするらしいのですが決してそんな事はありません。
自分もしくは精神的な事象の考察の時だけ冷たい書き方してるだけで、
それ以外はこんな風にフツーに書いてます。
っつーか他人に意見を押しつけようとするときだけしゃべり口調、って言った方が正しいかもしんない。
「考察」の場合、あくまで『記録』してるだけですからねぇ。

ま、とにかく勉強だ。
何にだって、一生懸命になれる事は気持ちいい。
たとえそれが嫌いな事でも、な。

■ 1月10日 完全なる一年まであと3日 ■

この一年で、俺は強くなった。

先にどんな事が待ちかまえていようとも、自分を信じられるようになった。
そして、自分という存在が揺らいだ時、どうすればいいかを知る事ができた。

運命を受け入れられるようになった。
だから焦らなくなった、なる事はなるようにしかならないと、周りの人から教えられた。

自分やモノを絶対値的に見るチカラが目覚めた。
数々の相対値から、自分を判断する事ができるようになった。

自分を信じられる事がどれだけ強いか、知った。
自分における、自分の為の、堅い価値観を作り上げた。
そして、この価値観は人には決して、全てはわからないのだと理解した。
俺の人生の中の、俺の経験を見てきて考えたのだから、当然の事だった。

また、自然に笑えるようになった。
生きる事に希望を持てるようになった。
毎日が充実していると感じられるようになった。

間違いなく、自分は成長している。
自分には強い体が無いから、だから心だけでも強くなりたいと、決心した。

人より早く命が尽きるのなら、人より余計に燃え上がれ。
自分の生きた証を、この世界に残すために。

■ 1月8日 ぶっ飛ぶぜコンニャロー!! ■

今日はいつもの二倍くらい勉強したぁ!!
問題がスラスラ解けるよーになってマジ賢くなった気分でイエーイ!
というより、参考書がいいんだろうな……ソノ気にさせる本ってそんなにねえよ、うん。
そんな本を漁ってきてくれる母の直感力に感謝。
基本的に、受験用の参考書はXXの国語〜とか、塾の先生が書いてるよーなヤツの方がいいらしい。
っつーかそれやっときゃ塾とか予備校行く必要ほとんどねーじゃん!!
なんせその人のセリフがまんま書いてあるんだからよ、読むのが苦にならないならすっげえ便利なハズだ。
あと、他人に押しつけられなきゃ勉強できないってヤツじゃなければ、な。

地理は物語を作る上でのいい基盤を作れるよーになるし、
数学は数学でやってりゃ意外と面白い発想法が発見できるし、
英語はネーミングセンスの上達じゃあ!!
物理は単語やらも実際の計算にも使える。
標準的な人間の筋力計算(数値化)もできるってのが良いね。
意外とアホな目的で使えるので徹底的に覚えておいて損は無し!
何より頭使う機会なんてこういう時しかねえ!!
あと一年くらいギリギリまで頭を使う機会があってもいいかも。
勉強は嫌いだが頭を使う事は大好きだーー!!!!

■ 1月6日 価値観 ■

あなたは人に必要とされてないと生きていけないと思ってるか否か。
他人に「おまえは必要無い」と言われて悲しい思いをした事があるか?
悲しいと思ったなら、人に必要とされたいと思ってるのだろう。

でも、俺は役立たずと言われた方がいい。
いくら心が冷たいと言っても、多少は打開策を見いだそうと努力するだろう、俺は人間だ。
弱者だと言われても構わない、それが自分なのだから、それでいい。
『今の自分』はいつも弱くて、いつも馬鹿だ。
だから成長しようと思い、自分の力に対して貪欲になる。

いつしか、自分は求めない性格になっていた。
他人には何も期待しない、確実性も。つまり信じない。
賞賛の言葉は偽りだ、自分の成長を妨げようとする台詞に他ならない。
他人に同調されてはいけない、自分らしさを失い、真似し、最終的に何も生み出さない。

■ 1月5日 無我の境地 ■

バスケットボールなんかやっているとき、
初心者はどうやって動くか考えてから動く為、反応が鈍いが、
慣れれば何も考えずに正しく動くことができる。
簡単な4桁のわり算の計算をやってみろと言われれば、
我々は一瞬にして筆算をはじめ、頭の中でほとんど何も考えずに解く事ができるだろう。

それこそが無我の境地。
経験を積み、反射的に、素早く、正確に動く、もしくは考えられるようになる事。
そこに中途半端な自我は存在しない、あるのはただ、脳に組み込まれた本能のみ。

小学生までの時のように、数学の問題を楽に解けないのは、こんな理由だったのだ。
子供の頃は、方法を脳、つまり本能の部分に組み込む事が簡単にできたからだ。
今はもう、そこまではできない。

何も考えずに問題を解けるレベルまで、訓練しなきゃいけない、か……。
やっぱあと一ヶ月じゃ足りない。
確かに、一年目でそこそこの大学に入ろうと思ったら、奇跡でも起こらんと無理だな……。
ま、俺の頭に賭けてみるか。その気になりゃ、誰だって滅茶苦茶賢いんだから。

■ 1月4日 ぐっはあ ■

「景気後退懸念に対応、米で緊急利下げ」 by 読○新聞

俺:へえー、ついに農家も動き始めたか……。

 ちょっと待て、どーやってコメで利下げするんだ!?
 一瞬でもアホな思いを描いた俺に乾杯。
 そして勉強しすぎな為にボケはじめてきているんだと自分に言い聞かせ、今日も勉強、明日も勉強。
 だが日常の記憶力が大幅に減少してるのは事実。
 一日に処理できる情報量には限度があるんだろうな……。

■ 1月2日 某公園にて ■

ホームレスの家はちゃんと減っていた。
要らなくなったと思われる自転車が大量に積んであったりしたし。
景観も少し遠くなってるし、いい感じだ。
だがオリンピックはたぶん来ない、なんつーか無駄……。

で、勉強の日々は続く。

■ 1月1日 当たり前のこと ■

人に理解してもらおうとする前に、
最初っから人は、その人を「本当に理解したのか」という事を考えるべきだった。
人の生活や経験は皆、ほとんど違うし、その人の心の底まで見透かすのは不可能だ。
たとえ予測する事ができても、それは100%じゃない。
どんな人間も、他人を理解するのは不可能なのだ。

理解したと思ってるのは、人間の表層の心理。
常識、当たり前の事、たまたま自分と同じであるたった一つの共通点。

人に理解されない事は、恐れなくてもいい。
自分自身じゃなく、それを何かの明確な形で著せばいいだけの話だ。

今年最初の、自分のしょーもない発見。
だから俺は自分の存在を世に残そうと頑張ってる……のかぁ?
でも、結局は富も名誉も必要無いんだよな、人に夢を与える仕事。
夢を与える幅を広める為の名誉であって、夢を与えられるものを作る為の金、か。
人が本当に何かしようと思ったなら、そこには俗世間が思いつくような理由なんてクソほども存在しない。
目指す先にはゴールなんて無いし、目指す為には何もいらない。
本当に何かやりたくてやってるヤツってのは、決して一般人に理解できないよーな
神聖なるアホな理由で頑張ってるんだろうよ。
なんて、所詮は俺の仮定だけど。
でも自分の仮定を文章にしてみると、それがまるで本当の事のように思えて不思議だ。

■ 1月1日 日記もそろそろ一年達成! ■

今年の最初の記憶。

・12月31日と1月1日の境目、電波少年のチャンネルだけ何故か2001年が1分くらい早く来てた事

・やっぱり全然盛り上がらなかったこと。

・一番星である金星が、1月1日0:00頃にほぼ真南に輝いていたのを見たこと。
 他にも数百個前後の星が見えて感動するほど綺麗な夜空だった……
 ってなわけでこれを俺の21世紀記念とする事に心に決める。

・そして早朝、曇ってた為に初日の出は見られないと思い誰も起こさなかった事(笑)

というわけで、俺の21世紀は初日の出で始まったりせずに輝く星で始まりました。
ま、俺の行ってるガッコーもそんなネーミングだしな!!OKOK!
とりあえず俺は部屋の窓から真っ先に見えたあの金星に誓っておきました、色々と。
全部くもりじゃなくって良かったです、昨日の夜はすっげー綺麗な夜空でした。


あと、記念に何か記憶に残しておきたいと思うなら、
記念になりそーなモンに無理矢理こじつけて覚えておきましょう。
それなら、どんな時も後悔せずに済むし。
っつーわけで俺はあの光り輝く金星が2001年の記念ってことにする!

んじゃ、今年も頑張るぜー!!!