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12月の日記

■ 12月31日 今日二回目の日記 ■

ってよく考えりゃーあと数時間で20世紀も終わりじゃねーか!!!
うーん、あっけない……。

ま、とにもかくにも、色々面白い発見のできた一年だった。
心もちょっとは強くなったし、受験に受からなくたって「無駄な一年だったぁ」なんて言わせねーぜ。

そして21世紀に告ぐ!

俺はこの手で幸せを掴む!!
そして死ぬ時に絶対に後悔しない生き方をしてみせる!!!
それが死ぬまでの俺の目標だ!!

そして、あばよ20世紀!!君の事はたぶん忘れません。

以上、20世紀最後の日記でした。
ま、どーせ明日からフツーに一日が始まるんだけど、な……。

■ 12月31日 賢くなるためには ■

単に、自分の見てきた物事を多くの面から見てパターン化し、その仮説を信じる事です。
たしか一月くらいの日記にも書きました。
面白いことを思いつく法則性を掴めばいいとか、観察力だけでもどーにかなる、とか。
結局はそれがニュートン力学や相対性理論の発見の素であって、それ以上でもそれ以下でも無いんスよ。
見たこともない現象を数式にしろってのは絶対に無理だろ?
そもそも、その現象が何なのかもわからんし。
でも必ずその現象をどっかで見てるわけなんですよ。そしてそれをパターン化、終わり。
それが発明の原点。

って事を
『カリスマ受験講師の「考える力」をつける本』by出口なんとか
を読んで思いました。っつーかまとめて+俺の意見が↑。
「パターン化」はこの本の中で「帰納する」って書いてますが似たよーなことでしょ。
このオッサン、けっこう俺と似た考えじゃねーか。そんでいいのかアンタ。
ただひとつ、俺の目のうろこが落ちたのは
「この方法やりゃ誰でもIQ上がるじゃん!ってこと」
パターン化こそが知能指数って、感じなんだよな、IQテスト見てる限り。
伊達に12ヶ月もパターン化の練習してなかったって事か…。
そりゃいい結果も出る、わな……現代文も最後の模試で95%の正答率だし。

とにかくこの本は読め!!誰でも賢くなれる!是非読め!!
そして実践!それだけでIQ150も夢じゃねえ!!!
遺伝子とかもうカンケーねえよ!!

■ 12月30日 今朝の日記 ■

プラス思考とは、なにか不幸な事が起こっても
「それは実は良い事なんだ」と思うよりも、
「よっしゃあ、やったろーじゃねーかコラ!!!俺はこの不幸に絶対勝つ!!」
と叫べる方がよっぽどプラス思考だと思うんですが。
モノホンのプラス思考って何なんでしょうねえ……

個人的には悪い事が起こると、
「おーし、来いやぁ!!」って感じでまずニヤリと笑うのが基本。
それだけで相当やる気が出ます。無理矢理でもとにかくニヤリ。
表面的な体の行動は、意外と深層心理まで届いてしまうモンですからねえ。
某実験で、看守の制服と囚人服の2つのグループに分けたら、
言われてもいないのに何故かそれぞれを演じてしまうというアレと似てます。

とにかくヤバげで不安になったらどんな時でもニヤリと笑う!!
今んトコ、私の人生において最強で最高の必殺技。
緊張しそうになったときもすっげー有効。

■ 12月30日 不幸 ■

今自分が『不幸だ』と思ってる事は、その全てが、親や友人、メディアによって
「これは不幸な事なのだ」と植え付けられているからに他ならない。
自分の物を盗まれる事は不幸な事だ、などといった、無意識下に作られた考えがあるだろう。
それはあくまで、人々によって勝手に作られた妄想でしかない。

そしてまた、他人に教えられただけの幸福など幸福ではない。
「金がありゃ幸福だ、モノがありゃ幸福だ、モノが得られればそれで幸せだ」
それは今まで他人によって勝手に植え付けられてきた固定観念に過ぎない。
本当に幸せだと思える事は、個人個人によって全員違う。
金さえありゃ幸せだと思ってる人間は、たいてい、心のどこかでそれを拒否し、
自分でもよく理解できないむなしさを感じ、そして無様に死んでいく。

今の俺は間違いなく今の俺でしかない、どんなに馬鹿でも、どんなに冷酷でも。
でも、他人によって植え付けられた勝手な固定観念を持ったまま死にたくはない、
どれが固定観念で、どれが自分の考えというのか、それを知りたい。
俺は、本当に幸福だと思える事を探すために生きる。
俺にしかない幸福がどこかにある。

そして、不幸なんかどこにも無い。
この世界に作られた『不幸』など、ただの「他人の思いこみ」にしか過ぎないのだから。
他人に言われた事を鵜呑みにして嫌な気分になりたいと思うか?
他人の変な思いこみだけで生きていくなんてまっぴらだ

■ 12月28日 頭いてえ ■

映画見た日とか運動しまくった日って必ず頭がすんげーガンガンする。
うーむ、一体なんなのやら……特に左脳の表面の辺りの血管が痛い感じ。
これだから映画はあんまし好かんのだが…ちなみに、今日見に行ったのはダイナソーです。
ディズニーなだけあってユルいです。
肉食動物と草食動物の不条理な戦いも無ければ、意味もなく喰われる側を
助けようとして何故かうまくいってる主人公もご都合主義的で、
「うーん、でぃずに〜だ」
と言わざるを得ないよーな気がしました。
ついでに言えば、猿の楽園で暮らしてた主人公が何故見たこともない同族を見て
仲間と判別するのかも「うーん」と思ってしまいました。
まあ、ストーリーは気にするな思考で制作したみたいだし、穴ばっかつつくのもアレか。

ただ、ジュラシックパーク見てディノクライシスやった後ではやっぱユルいッス。
あと大雑把なストーリー構成がライオンキングにも似てる気が。気のせいか。
とにもかくにも、動物ストーリーって組むの難しいんだよなあ……
ストーリー構成に慣れてきたら、そのうち挑戦してみようか。

■ 12月27日 何かある日常 ■

日常の中で、本当に有意義だと思った日は長い日記を書かない。
というより最近は勉強ばっかなんだよなぁ……。
ひょっとして俺ってば勉強モードですか?

それはそうと、昨日「人を殺すとはどーゆー事か」とかいうヤローが医療少年院というトコに
ぶちこまれてましたが、あいつこそ惜しい人材だと思うのは俺だけか!?
思い立ったら一直線、というタイプのヤツは強いんだけどねえ……。
たまたま興味が殺人に向いただけなんだよな、あいつ……ああ、惜しい。
ってゆーかもしかして俺もアスペルガーッスか?
似てる部分はあるけどな……ま、普通に社会生活ができる程度なら気にならん。

■ 12月26日 タイマー ■

勉強するとき、タイマーを側に置いておく。
時間をはかって問題を解くときに使う。
あと、時間は減っていっているんだという事を認識するためにも使う。
20秒なんて一瞬で消えてゆく。
そしてまた、何かを覚えるのには異様なほどの時間を要する事も知った。
……時間は、意外と無駄遣いしてるものである。

■ 12月25日 二周年だったんだなぁ ■

なんだかんだ言って二周年だと言うことに気づかされました。
結構でかくなっちまったモンだなぁ……つってもカウンタの数字だけな。
ま、これからもボチボチやってくか……今はどーも創作意欲が湧かん。
っつーか自信喪失状態。
……勉強しよか。

■ 12月24日 気が付けばクリスマスイヴ ■

……ま、受験生には関係ないんだけどな。
変わりない日常、別にそれで十分だ。
日常に変化を求める必要が無いくらい、毎日発見を繰り返しているから、な。
だからこそ単調な毎日が楽しさで溢れてる。
そういう意味で見れば、日常に変化をあまり求めない人間はそういった考え方なのかも。
自分は、今ある状況だけからでも何かを見いだせる人間が好きだ。
もっとも、そういう連中は変人なんだろーけど。

でもやっぱ人の心を描こうとか思ったりすると、日常の中の細かい発見をしまくらなきゃいけないわけで。
一つの事から多くの事を知る必要があるんだよな、小さな一言からも。
……俺にとっては、クリスマスプレゼントより何より、この毎日が贈り物だ。

…やっぱり精神病患者に見えない事もない。
だが作家とはそういうモンじゃねえかなぁと思うんだけどねぇ。
俺は、「フツーのヤツ」が「フツーのヤツを満足させられるようなモノ」を作れるとは思わない。

■ 12月23日 自分が不安になる ■

自信が無くなったら、自信が付くまで頑張ればいいだけだ。
15歳になるまで、自信がどんなモンか全然わからんかったからのう……。
それはもう毎日が不安で何やっても絶対ダメだと思ってたのに、やっぱ人間って変わるもんですな。
とりあえず、頑張るか……つっても無くなったのは創作技術の自信の方なんですが。
これはやっぱ受験終わってからでしょうな……今はネタの出し方勉強しようっと。

■ 12月21日 いらねえー ■

掲示板のリセットボタンは要らない。
使ったヤツは何%なんだ……そもそもそんなボタン使わないと面倒な
レベルなのかコンチクショウ!!
間違って押して悲しい思いをしたヤツも居るんだぞ!!
うおおおおりゃあああああああああ!!!!!

ところで今日久々にメールボックス見たらファンレターらしきものが届いておりました。
日記見ていただいてどうもありがとうございました。っつーわけで、ここで返事させていただきます。
あと自分は凄く精神的に落ち着いてるつもりなんですが……
妹いわく、ここの日記は精神病患者の書いてるモノっぽいらしいですね……ふ、ふふ……マジかよ、おい。
個人的には論文に感想つけて書いてるようなモンだと思っておったんですけど……う〜む、難しいなぁ。

まあ、マイペースマイペース、一年くらいどうって事ないし。
人生一年を一万円と換算しても、死ぬまでにあと50万円としてもその内の一万払うって事で。
それに、今年だって受験勉強以外にいっぱい成長したし、大学に入らなくても色んな成長はできる、大丈夫!
一年を無駄にしないよーに浪人すりゃいいんだ、社会に出たら年もクソも関係ないし。
とりあえず死なない程度に受験勉強〜。

■ 12月20日 頑張れる事 ■

「才能がない」と思いこんで止めてしまう事自体が、才能が無いという事だ。
逆に言えば、どんなに基礎能力が無くても上手く行く可能性は必ずあるという事だ。
前提として、バカなくらい「自分は才能があるんだ!」と信じなければならない。
どんな苦境に陥っても、その考えは『諦め』という敵から遠ざけてくれる。
だが決して慢心してはいけない。
この場合の『才能』の意味は『頑張れば必ず報われる』という事であって、
決して『何もしなくても能力が身に付く』というわけではない。

しかし違う意味で言うと、どんな人間でも無限の才能を得る事が可能になる。
一度『人間、やれば何でも身に付くじゃん』とわかれば、
発明、研究、芸術、作家、実業家、何でもできると言うことがわかるだろう。
そして、全てにおいての共通部分も非常に大きい。
その共通部分のコツがわかれば、はっきり言って何でもできる。
他人の心の操り方、捕らえ方なんて、芸術家でも実業家でも間違いなく必要だ。
発想のコツもしかり、発想力はどんな時でも武器になる。
意表を突くのは、大抵において素晴らしい武器にもなるし、盾にもなるのだ。
戦闘における戦略や、商売、狩り、小説、どれでも使える。

だからある意味、発想力とその使い方さえわかればどれでも簡単に成功しうる可能性があるのだ。
発想力の原点は簡単だ。

『人と同じ事をしない』

以上、俺のやり方はそれだけだ。
当たり前に起こる事を全て頭に思い浮かべ、それ以外を絞り出す。
それぞれの分野において、通常はどんな事が起こるのかを知る経験は必要だが、それさえわかれば後は楽になる。
そして最後にやる事は、その思いついた中から実用的なものを選ぶ事。
慣れれば、その作業を抜いて最初から実用的かつ意表を突ける事が発想できるようになる。

もっとも、普段気づかないものに気づくってのも大事な発想力だ。
サランラップなんて、あれば便利だが無ければ絶対に思いつかない。
皆が気づかず、そのまま享受している問題点を発見する目も、商売においては非常に大きな発想力だ。


っていうか。
↑に書いた事、あんまり人に教えたくない切り札を当たり前のよーに
個人の日記で書いてるとタダの戯言じゃねーかコラ。
でも心の中だけにしまってるといつまで経っても進歩しないからな……
もっと凄いコツを『見つけださねばならない』って自分を追い込むのにも使えるわけで。
しかも人はあんまり見ないから実際のリスクも少ない。
ふふ〜ん、いいんじゃなーい?

■ 12月18日 言葉・意味 ■

人の発する言葉を完全に理解するのは不可能だ。
どんな言葉を使っても、自分の意志を100%伝達するのは不可能だ。

人は、各人がそれぞれに言葉の意味を持っている。
例えば『自由』とは何だ?その答えは非常に多く存在する。
何が『自由』なのか、そんなものは最初から無いし、どこにでもあるとも言える。
自分たち人類は、この身だけで空を飛ぶことはできない。
だが、どんな不可能な事でも考える事ができる。空を飛ぶ事をイメージするという事ができるのだ。
前者の意味では「不自由」で、後者は「自由」だ。
同じ状況下なのに使用する言葉は正反対になる。
言葉とはあまりにも不自由なもので、そこに精密な意味は無い。

当人の言った言葉の本当の意味が知りたいなら、その人の体験、性格、そして「今考えている事」を知らねばならない。
その上に成り立つ単語の集合体が「文章」になる。
だが我々は他人の考えている事を知る事はできない。
伝達率は決して100%にならないのだ。

もし精神を100%相手に伝達する事ができれば、人間はまた進歩するのだろう。
この世界で必要になるのは、情報だ。
獣達が過酷な生存競争を繰り広げていた頃からずっとそうだ。
『知らぬ事』は、どんな時でも命取りになる。
敵の存在を知らねばならない、そして食料の存在を知らねばならないからだ。
だから情報をより遠く、正確に伝達する事はとても大切な事になってくる。
人間はそうやって進歩してきた。

今日初めて、今の人類の限界を知った。
まだまだ進化する余地はある。

いつか嘘を付かなくても良い世界になってほしい。
たぶん、自分が生きてる内には無理だろうけど。
生まれた直後から嘘と欺瞞の中で生きてきて。
そして他人の、自分に対する正直な言葉を聞いて傷つくのは、どうなんだろう。
なぜ他人の正直な感想を聞いて、悲しむのだろう。
どんなにそれが悪い事でも、結局は自分の事なのに。
自分に対する自分の考えまで誤魔化されて生きてきた事を、悲しんでいるのだろうか。

嘘を付くのが嫌いになったときから、俺は喋らなくなった。
だから孤独を受け入れたのかもしれない。いまさらそれに気づいた。

……俺はいつまで経ってもガキだ。

■ 12月17日 俺は受動的だから ■

学校に行っていれば、自然と楽しい事があって、自然とネタが溜まった。
でも、今は違った、学校にほとんど行く必要が無い……というよりは、
今は学校に行っても勉強しかしないよーな連中ばっかりで全然面白くないのだ。
これからは、もっと集中して、「ただそこにあるもの」を見なければならないと、そう感じた。
しょうもないスピーカー一つでも、そこには多くのドラマがある。
スピーカーが開発されるまでの歴史やら、製造者達の人たちの話や、
笑えるような失敗談、輸送中に起こった事故、etc。
こんなものからでも、何かストーリーにしようと思えばすぐにできる。
万物には人の心が絡んでいる。
それを引き出せるかどうかが、心を動かす為のテクであるような気もする。
例えば中古のモニター。

『これを前に使ってた人はどんなものを見てたんだろうなあ』
そう思って電源を付けて見るとモニターに焼き付いたエロ画像(笑)

これだけでもギャグになる。あんまし面白くないけど。
人間にも、物にも歴史があり、体験(事件)がある。
今、物を見ると勝手に頭にそういう事が浮かぶよう、トレーニングしている。
ネタはそこら中に転がってるのだ。
でなければ毎回3本もネーム上げるという手塚治の真似が出来るとは思えない。

楽しい事はそこらに転がっている、後は拾うだけだ。
誰も拾おうとしないから、使い放題である事に早く気付こう。
常識に捕らわれてはいけない、「ただそこにあるもの」には何も無いという認識を捨てよ。
そうすりゃ、世界がもう少し内側に広くなる。

万物は、本当に『それ一つ』というものではない。
全ては一つの物だったのだから、全ては同じものだという認識もできる。
物事を広く捉える事によって、認識と認識の結合が強くなる。
何も人生があるのは人間だけではない。物や植物にもある、と認識する事。
そんな事、常識的な考えでは思いつかない、だから作家は非常識な事を思いつくのだ。

だから俺は広い自由な心を求める。
狭義な考えだけを持ったまま、死なないように。
もう鎖でがんじがらめになった心は要らない。

■ 12月16日 あー ■

最近失敗だらけでもうイヤーン。
というか方向音痴ネタ多すぎです、今日は40分迷いました。
どうも調子が出ないのよねぇ……
まあ、まずは試験終了まで勉強頑張ろう。

■ 12月15日 失う事 ■

人はみな、失う事を恐れる。
金を盗まれる事を恐れ、自分の持ち物が消えていくのを恐れ、
何か大きな事をする時に、大きなものを失う事を恐れ、動かない。
また、人はプライバシーを失う事も恐れる。
そして、それがバレる事を恐れる。
その気持ちは最後の一歩を踏み出す事を躊躇させる、別の事でも。
自分の気持ちの奥底を、正直に述べる事ができなくなってしまう。
別にそれは悪い事ではない、心の中はプライバシーの塊なのだから。

だが今の世の中、特に気に留めずにとった行動で自分の性格は簡単に漏れてしまう。
それならいっそ、隠さない方がマシだ。
『これからは自分の事を正直に言えるヤツが勝てる』ある人はそう言っていた。
俺もそう思う、自分の意見を正直に言って「アンタ嫌い」って言われたら、
つまりはそいつと本当に相性が悪かったという事なのだから何も構うまい。
自分の正直な意見が好評価なら、もはや何も言うことがあるまい、自分は特に意識せずとも良くやっていけるのだから。

自分を飾り立てて、それで「気に入った」と言われても、本当の意見は彼の心の中にだけしかない。
だから、いつまでたっても自信が無いままになる。
そして自分を飾り立てる事でしか安心できなくなってしまう。
世の中のどれくらいの人間がそうなのかは知らない。
でも、何も包み隠さずに述べる事に、これ以上の楽な生き方は無いと思う。

もっとも、明らかに厄介事になると思ったら嘘付くけどな。
そういう場合は、これはこれ、アレはアレと、キッパリ割り切って生きよう。
『恐れ』は人の時間を消費させる。
「無謀」の領域に入りかけのギリギリを見極める冷静さと、そこまで踏み込める勇気。
大人になりゃ、誰にでも身に付く事かもしれない。
でも、自分は早く身につけたいと思う。
心や精神の成長は、体とは違う。心の強さは、真剣に求めれば自然に身に付く。

俺は求める、どんな時でも自分を信じられる心を。
この大地のごとき強い心を、この空の様に広い心を、そして自然な心を。
誰にも奪う事はできない、真似する事も。

心は世界でもっとも素晴らしい財産だと、俺は思う。
別に宗教的な事でも何でもない、ただ、物質に溺れた人間達を見てるとそう思わずにはいられない。

■ 12月14日 おお! ■

鏡を見て、自分の「瞳の中に映る」自分の顔を見る。
その顔の中の自分の瞳にはまた鏡の中の自分が映ってて、
ああ、最強合わせ鏡じゃん、と思ってみたりする。
受験生の午後。
午前中に脳味噌200分全開で使えるよーになったのが嬉しかったです。
脳の持久力も上がってきてるぜ!この調子でガンバ!!
センター楽勝で満点っつーくらい勉強!

■ 12月12日 うーむ…… ■

ウチはすでに日記しか更新していないので、せめて他の日記サイトでも参考にして
勉強してみようかと思い色々巡回していたのだが、なんだかなぁ、という気がする。
俺の目から見れば、起こった事を書いてるだけのようにしか見えない。
まあ、「日記」っつーモンがただの記録帳っていう意味を成すのならそれでいいんだろうが…。
そんな事言ったら、ここの日記は絶望的だよな、さすがに毎日おんなじ事ばっかやってるのも原因だが、
特に特筆すべき事象が見あたらないっつーのも変な話だ。
でも、自分も、他人も、求めるものは『新しいもの』だ。
ゲームだって小説だって、既存と同じものじゃあ面白いわけがない。
そして、日常とは同じ事の連続、退屈なものだ。
だから人は新しい情報を求めたがる。

ちょっとくらい、偏りすぎた自分の考えをぶつけてみるのもいいと思う。
「おまえそれぜってー間違ってるって!」という意見から、
「あっ、なるほどなぁ、こういう考え方があったんだ!」という意見まで、色々と感想が来るだろう。
俺のトコは感想来ないだろーけどな、結構正直に述べてるつもりなんだが、何とも思わないらしい。
もしくは批判意見が多すぎるけど味方がいなさそうだから感想言えない、か……
まあそれもいい、他人と区別されてるって事だから。
何があっても、俺は俺だし、この意見を人に押しつけるつもりはない。

とにかく、安穏と書かれたモンは誰も読まん。
文章が下手でも、心がこもってりゃ読んでくれる。
心ってーのは、自分の意見だ。
間違ってよーが、合っていようが、心がこもってる事に違いはない。
『心』に対して、人は共感し、反発する。
人はその文章を心でもって「読む」からだ。
だが心のこもってないものには共感も反発もしない、それ以前にできない。
心を動かせるのは心の波だけだと、そうは思わないか?
他人の感想文を見て面白いって思うのと同じだ。
もっとも、その感想文を見せたがらない連中が大半だろうがね……。

そういう点に対して、女性は強いなぁと思う今日この頃。
普段の生活習慣も関係してるのかね。

■ 12月11日 だーれーも見てないにっきー、だから言いたい放題 ■

過去にひどい心の傷を負い、それが辛かった。短絡的にいえば、ムカついていた。
だからどこかにぶちまけようとして、それをいかに上手にぶちまけられるかを
必死に考え、模索し、そしてたまたま文章でぶちまけられるという事を知り、
俺はどうやれば『威力』のある、辛さを他人にぶつけられる言葉を紡げるようになるか、それを知る為に努力した。
だがこれではまるで復讐ではないか。
でも、才能とはそんなものだと思う。
別に、それが殺人だろうが自殺だろうが何でも良かったのだが、俺はたまたまそういう道を選んだ。
運が良かったのかもしれない、こういう機会は少ないし、それを活かせるチャンスも少ない。
通り魔を「悪いヤツだ」とは言えない、鬱憤を晴らす場所が違っただけだ。
むしろ、その彼のことを『惜しい』と思う。彼はチャンスを逃した。

何か心に汚点のある人間や、体に欠陥のある人間は、こういうチャンスを得やすい。
例えば、体に欠陥のある人間は、「可哀想に」と言われがちだ。

「貴様は、身体障害者が何もできないと思ってるのか」

そんな思いが、強い心を作る。強い力を得る源になる。
しかし、強い目標を得られる激情を得られるのは、ほとんど運まかせで、
一般的に不運と呼ばれる状況におかれる事も、その可能性の一つだ。


でだ。とにかく、俺は自分の思いを誰かに伝える方法を知りたかった。
能力や技術は必要性から生み出される。
俺は何故この技術を得られたのか、それは単に「ムカついていたから」に他ならない。
自分に才能があるとは思えないし、もしかしたらあるのかもしれないとも思う。
だが「才能とは所詮こんなものなんだろう」くらいは言っても罪にはなるまい。
あまりにもくだらない理由で生まれるものだって、あるハズだ。鳶が鷹を生むように。

「俺は鬱憤を晴らすためだけにこんな事してるのか?」

あるとき、その事で悩んだ。
だが何故悩むのか、考えた。
俺が
「そんなつまらない理由で、そういう事をやってはいけない」
という固定観念に捕らわれていたから、だ。
気づいてみれば小さな事だった、でもそんな理由で怒る人間も居る。
例えば上記のような理由で小説を書いてる作家に対して、彼はこう言うだろう
「貴様は『書くこと』を何だと思ってるんだ!!」と。
でも、今なら言える、鬱憤を晴らすためだ、と。
何もそれは恥ずかしい事ではない。
世の中に『自分だけ』という事は全くない。
そう思えるのは、その裏に「自分は特別だ」という優越感も含まれているからだ。
俺以外に、絶対に同じ理由で同じ事をやってるヤツがどこかに居る。

本当にそう言い切れるのか?そう聞かれたらこう言う。
調べられない事はとりあえずいい方を信じとけ、そっちの方が強くなれる、ってな。

心は力だ。恨みでも怒りでも、純粋な向上心でも何でも力になる。
最初、どんなに力がなくても、心はどこまでも強さを導いてくれる。
俺の力は「伝えたい」という目標から始まった。理由はひん曲がっていたけれども。

今の目標は勝つことではない、止まらない事だ。
どれだけ賞賛されても止まるつもりはない、逆に、賞賛される事すらも前進には必要ないかもしれない。
もし成長するのが止まったときが大人だというのなら、俺は永遠に子供で居続けよう。
外見は気にしない、地位や学歴も。
それがなくてもやっていけるくらいの力を持てばいいだけの話だ。

だから俺は、自由な時間を得る為に大学へ行くのだ。
仕事も何もしない、だと逆に周りからストレスかかるからな。

これからは、義務感だけで勉強せずにすむだろう。
人に何かを伝える技術を身につける為の「時間」を得るためだけに、俺は勉強する。
あまりにも自己中心的な動機付けだが、もはや構うまい。

……やっぱアホは強いね。

■ 12月10日 考える事 ■

何かを口にするとき、それをよく吟味して考える。
そしてそれが、結局はプラスでもマイナスでもないと、そう感じて口に出すのを止める。
世の中の大半はそんなものだから。
何かにとって有効でも、何かにとってはマイナスな事が多い。
そういった物に意見を付ける事はできない。

『それ』が絶対良い事だと信じられる事は幸せだ、その裏に何が潜んでいるか考えないのだから。
反論しろと言われればどんなものにだって反論できる。
だが誉めろと言われてもそれは可能だ、両方をいちいち口に出して説明しているヒマは無い。
どんなマイナスだってプラスを生み出す力になる、どんなプラスだってマイナスを生み出す元になる。
だが他人がプラス寄りか、それともマイナス寄りな発言をしたときは、俺は0にしようと試みる。
だから反論が多いと言われる。
でも、本当はどんな事にだって正しい事は無いのだと、ただそれだけを言いたい。
片方に寄りすぎた思考より、もう少しバランスよく考えろと、そう言いたい。

人が何かした事に対して、何か述べる事はできない。
言うことが多すぎる。
固定観念に縛られた答えを出せと言われればすぐ言える。
だが頭の中で誰か言う「それは本当に『正しい』のか?と」
だから頭の中で必死に考えた、一般的に考えた場合の『正しい』を述べる。
そうやって、自分は平和を勝ち取ってきた。イジメも回避できた。
人と話すのは好きじゃない。無駄に疲れる。
半分、誰もわかっちゃくれないんだという諦めもある。
少しだけ自分の考えを正直に述べた時、彼らはまるで遠い人のように俺を見る。

人はどんなに頑張ったって、他人を100%理解する事はできない。
だがせめて30%でもいい、自分を理解してくれる人間がどこかに居るハズだ。
そんなヤツと、いつか話してみたい。全く正直に、自分のままに。
うわべだけのつき合いもだいぶ疲れてきた。

■ 12月10日 やってるヤツ少ないよな…… ■

カカカ、カカカカカカ、カッ。
3,6,1。

センター試験においてもっともバレにくくかつ証拠が残らない便利なカンニング方法がある。
っつーか、これは似た名前のヤツが二人以上居ないと成立しない。
センター試験は受験番号を見る限り、席が名前順になってると思われるからだ。

ティッシュを取り出す、鉛筆を一回置く、などの合図を開始に、
解答欄の最初から順番に、番号の分だけ鉛筆を叩く。
答えが1なら一回、7なら七回。
間にわずかな間隔を入れておけば問題あるまい、10問ずつ、または大問一問につき、長い間を置いておけばより正確だ。
教室ごとに、そこらじゅうに録音機でも無い限りは極めて発見の難しい方法だ。
だがいくらか正確性に欠ける部分がある、そして超高速で解答しなければならない、
満点近く取れる自信が無いとできない、などの欠点もいくつか。
ま、これはどうしても勉強してない側一人じゃできねえからな……
一見、あまりにも役に立たない知識のようにも思われる。

が、それよりも何よりもこの方法をバラまく事で有利な点が一つ!!
もし同じ部屋で試験受けてるヤツがこの方法を取っていた場合、そいつの答えをまるまる知る事ができるのだよ!!!
っつーわけで、そういう兆候を感じた場合はラッキーだと思って
自分の解答と照らし合わせてみるのもいいかも。

どっちにしても俺はやりません、実力だけで全部満点取れるぐらいの勢いでやってやろうじゃん!!
だが利用できるモンは全部利用する!!それが俺の生き方!!
しょーもないこだわりで自分の身を滅ぼす事だけはすまいて。

■ 12月9日 今月は日記がやたらと長いドェス ■

The professor is still working in the chemical lavatory.
 訳:教授はまだ化学便所で働いています。

英単語の「研究所」と「便所」は、かなり紙一重な感じ。
化学便所の正体や如何に。


で、未だに意味不明気味らしい日記を延々と書いてるのですが、
今年の日記を全部加えると約350KBくらいに相当するらしく、
計算すると合計350x1024/2=約18万文字。
うーん、俺が今年に感じた事って多いなぁ……
来年は果たしてどれだけ新しい事を発見できるのやら。

■ 12月8日 有名なものが正しいとは限らない ■

だが、それが人々の心を作り出すのは間違いない事実だ。
文学だってマンガだって、それが「正しい」などとは決して言えない。
どんな作品だって、所詮はたった一人の人間の「思想」の集結なのだ。
その思想が「絶対正しい」と、堂々と言えば、たった一人のしょうもない愚痴には聞こえまい。
今更になってそんな事実に気づくのもおかしな話だが、今までそれに、あまりにも躍らされすぎていたのは間違いない。

しかし、逆に言えば自分一人の力でも「人々の心」の一部となれる筈なのではないか。
それは決して遠くはない、相手も、ただの人間なのだ。
ただ、他人より一歩も二歩も進んでいるだけなのだ。

どんな身長の高い人間だって、自分より2m以上のでかいヤツなんてそうそう居ない。
だがその数十センチの差が、まるで相手が塔の様に見える事も多いと思う。
でも、そのたった数十センチが、今、名の挙がっている「創作者」達と自分の差だ。
まだ追いつく、そう信じて歩いてもいいんじゃないか?
最後に必要になるのは、自分を信じる心だ。理屈漬けでも何でもいい。
小さな経験から、自分を信じられるようになるのもいい。

動物の最終目標は、自分の血を広く存在させる事。それが何になるのかは考えない。
俺は人間として、自分の心を広く存在させたい。それが後世の人間の心として残っていくのなら。
それが、自分の存在した証だ。誰も知らなくたっていい、気づかなくてもいい。
せめて自分の満足の行く人生を送りたい。どんな死に方でも悔いのないような終末を迎えたい。

■ 12月7日 久々のお休み ■

なんかもう2週間ぶりくらいに休みが来たような気もしますが、
とにかく学校の都合で今日は休みです!
なので日記をマイナーチェンジ!
↑の過去の日記の部分の「〜月」と付けるのを止めました。
さらに日記CGI(コレCGIで書き込みしてます)の使用可能期限をアップ!
2001年3月から2002年12月までOK。
自作CGIってのは無理矢理なプログラム構造でも使えるのがいいよな。
一般向けにするのって、やっぱ大変な事である……俺はしないけど。
だいたいコレ、SSI使用可能環境じゃないと書き込めないという微妙な欠点持ちだし。
だけど便利だ。
CGIが組めて、さらに日記書くという人は自分用にそういうCGIを作っておいた方がいいと思う。

ちなみに、午前中は全部勉強に費やしました。
現在13:00です。午後もいっちょ勉強!!

■ 12月6日 言いたくても言えない事 ■

いつしか、周りの人間と自分の考えが食い違ってきた。
自分の中で、他人と何か変わりつつあるという事を感じる。

テストで、もし採点ミスなどがあれば出てきて下さいと言われて、
俺は自分の答案用紙に正解数が多い事を指摘した。
もちろん点数は減った。
だが、昔よりも、遙かにそういう事に対する抵抗が減っていた。
周りの人間が言った「何故そんな意味の無い事をするのか?」と。
「ま、点数に余裕があるしな」と俺は言っておいた。
本当はこう言いたかった、
「テストってのは自分の能力を正確に判断するモンだろ?余計に評価されてたらダメじゃん」と。
決して「意味が無い事」ではないと、俺は思う。
でもそれは他人とは違う考えだ。
あくまで、意見は普通っぽくしなければならない。
たとえそれが正論であっても、一般的に「異常な事」と言われてる事は言えない。
言ったとしても、見栄で言ってるんだろうと言われるのが目に見えている。
それが現代社会だ、言えばつつかれる。

俺は、自分に対する評価は正確でなければならないと思う。
それが正の方向に行きすぎていてはならない。
過大評価されるのは、生きる上で損な事だ。
「なんでできないんだ?お前ならできるだろ?」
と「自分にとって」無茶な事を押しつけられる事になる。
もし何かの妨害が入って正当な評価が出ないなら、
その妨害を破壊できるほどの評価を叩き出せばいい。
マイナスに評価される事は別に構わない、努力できるから。

そして「報酬」は必ず自分に見合った分であって欲しいと思う、正確な評価、だ。
商売の仕方が悪いから、作った飯がマズイから、だから客が来ない、それは正当な評価だ。
でも労せずして「評価(この場合は金)」を得ようとするのは嫌いだ。
ギャンブルは好きじゃない、それは正当な評価ではないから。

どんな時でも、自分らしく、そして、正しく理解されたい。
「評価」が自分より悪くても、良すぎても、そこに歯車がかみ合わないという事が起こる。
「いい性格の人だから結婚しよう」と言って、結婚した後にそれが嘘だった事を知って破綻する。
そういう事が起こるのだ、過大評価や、そうさせるような偽りは。
だから悪い面は隠さない、良い面は隠しても。
それが自分なのだからしょうがない。

でも、自分の事を知らねば「正しい評価」を理解できない、当然だ。
だから過大評価して欲しいとか思う以前に、無意識的に過大評価してもらおうとする人間が出てくる。
自分を理解してないからだ。「自分ならこの程度だろ」と言えないからだ。
自分の能力を過小評価して、必死に努力するのはまだいい。
だが努力もせずに自分を認めて貰おうなど、間違ってるんじゃないか?
自分を、まず出ている多くの「評価」を参考にして考えないのか?何の為の評価だ?

だから俺は未来の俺を信じ、自分らしく生きると決心した。
明日の俺は、今よりも絶対に上に行ってるんだと信じて。
そして、そうなるように努力する。
それが俺の誇り、自分らしさ、だ。
人のアドバイスを聞ける素直さと、自分の道を貫ける心の強さが欲しい。

■ 12月5日 地雷の上に咲く花は ■

植物に対して愛がある人なら、地雷の上に花が咲いていれば
その地雷を決して踏まないだろう。

地雷の上に、花の種を蒔く。
優しき人間には平和を与えるが、そうでない人間にはあまりにも残虐な行為だ。
その花を何とも思わない人間は、地雷を踏んでしまうのである。
だが、人はいつでもそんな方法を探そうとしている。
良い人間のみを残し、悪い人間を排除する方法は無いものかと。

だから警察がいる。
一般的に、「悪い人間」とされる者を、良い人間達の中から排除するために。

自分は地雷の上に種を蒔きたい。
それも「花の下には地雷があるよ」と言った上で、だ。
悪い人間と呼ばれる人も、それなら地雷は踏むまいとして花を踏まないようになるだろう。
だが人は「行動」から性格が形成されてしまう事も多い。
いつしか、その人は気づけば花を大事にしているようになるかもしれない。

別に、悪い人間を良い人間に変えようという事は考えてないが、
せめて普通の人間を良い人間に変える努力はしたい。
そのためには、まず自分が良い人間にならなきゃいけないんだが……ま、頑張ればいいさ。

■ 12月4日 いじめねぇ… ■

イジメにあう人間とは、大抵において他人と違う所がある。
体格が違うだの、性格が変だの、つまりは個性的なヤツであるパターンが多い。
そしてその上でビクビクしてるヤツはなおさらである。

先日のセンタープレの現代国語の問題で、こういう内容の文章が出た。

「笑い」とは、人と人との繋がりを作るものだ、相手と自分が微笑み合う事が、コミュニケーションの源になる。
だが、現代社会ではその見解が少しずつ崩れかけてきている。
「商品化」された笑い(漫才師だのピエロだの)が出てきた事によって、
それを現実世界にも当てはめようとする傾向が出てきた。
「笑う者」と「笑われる者」の構造を独自に形成してしまうのである。
笑う者は、お互い笑うあうことで仲間だと認識する。だがその対象は「笑われる者」なのだ。
そして、「笑う者」は笑う者同士で「笑われる者」にならないように必死になって笑うのだ、と。
だが「笑う者」同士は顔を見ない。そんな仲だ。
俺もだいぶ前に日記に書いたが、これが「スケープゴート(身代わり)」だ。
誰かを犠牲にしてそれ以外が円滑になるなら、数の上では確かに有利だ。

だが俺は「笑う側」には立ちたくない、そしてもう「笑われる側」にも立ちたくないと思って、
一生懸命「普通」になろうと努力した。

そして絶対値を見切る目ができた、他人から見て、あまり人を拒まない性格になった。

そいつが「笑われる側」の人間だからといって差別はしないようになった。
そりゃ、もともとその当事者だったんだからな。

また、噂だけで人を決めつける事が無くなった。
それはその人のちょっとした個性が「悪く」、そして「大きく」誇張されてるだけだ。

俺はイジメを知って強くなった。
心の痛みは人を強くさせる。悲しみも憎しみも恐怖も。
喜びや嬉しさは知らないが、でも精神力が強ければそれでいいと思う。

『若者は、体の傷はすぐ癒えるが、心の傷は治りにくい。老人はその逆だ』

以前こんな言葉を聞いた事がある。
ならば、体の傷も心の傷もすぐ癒せる若者になってやろうじゃないか。
老人になってから身に付く精神力を、今から身につけてやろうじゃないか。
いつか人は親を越えねばならない、それは10年も20年も早く、親の精神力に、能力に追いつくことだ。
そうでなければ親を越えたとは言うまい。
より早く、より強く成長する事を目標に頑張らねばならない。

イジメにあって運が良ければ、これだけ、又はこれ以上の精神力を得る事ができる。
全ては強くなる為の、心臓破りの丘に過ぎなかったと、今なら言える。
イジメられた事を悔やむ必要は無い。
むしろコミュニティ内でほぼ一人の割合で、強靱な精神力を得られる可能性を持てるのだ。
きっと、何が本当に大事なのかがわかるだろう。

■ 12月3日 落ち着いてるのかバカなのか ■

今日は期末試験の真っ最中というのにも関わらずセンター模試です。
とりあえず相変わらず朝早く起きすぎてぼーっとしておったんですが、
行く途中の電車の中でどうも落ち着かなかったので
「ま、どーにかなるだろ」
と思ってたら目的の駅を乗り過ごしました、かなりアホです。

で、試験会場になんとかたどり着いたのはいいんですけど、
何故か俺の試験番号の机になんか書いてありました。
「ゲルググ」とか
「より高く飛び続ける事
 重荷になるならば break 一息ついてからラストスパート
 Be stronger, fly higher, don't be afraid」
とか書いてあったのでかなり力が抜けました。
誰だこれ書いたヤツ!!ちなみに某河○塾。
しかも相変わらず俺の後ろの席のヤツ来ないし。
毎回毎回並びが違う筈なのに今まで俺の後ろの席のヤツだけ必ず来ねえ、一体誰だ!
ま、今日は9割くらい本気出せた気分なのでいい感じです。結果はともかく。
まずは100%の力を出せる事を目標にせんと、どんだけ勉強しても意味ないからな……

で、明日からまた期末試験です。
休みねえし、明日の勉強やってないし。
フッ……もう今日は疲れた。

■ 12月2日 夢を見た ■

小さな頃からよく見てた近所の犬と、じゃれあっている夢だった。
一回何かを取りに家に帰って、もう一度その場所へ行ったら、
もう犬小屋が無かった。


その犬はずっと昔からその近所の家に住んでいる、今もまだ生きてる。
犬種はよくわからないが、たぶん洋犬の掛け合わせだと思う。
ふさふさの毛に、真っ赤に染まった優しい瞳を持っていた。
彼には風格があった、好奇心も、そして何より、落ち着いていた。
子供の頃からずっと好きだった。
でも、犬と人間の寿命は違う、いつか別れがやってくる。
そしてそれは、すでに目の前に迫っているのだと思う。

自分の心を形成した幼児期の記憶から「何か」が消えていくのは悲しい事だ。
でも、理性では悲しいとわかっていても、それが自分の心の歯車に引っかからない。空回りする。
子供の頃は、ずっと悲しかったし、ずっと圧迫されていたし、
何一つ正直になれなかった。
心の歯車はすでに削れて回らない。良い事でもあるし、悪い事でもある。
でも、明確な目標はある。それと大学とはほとんど関係なくても、一応努力はできる。
つまり夢と義務感だけは残ってるって事だ。そんだけありゃ生きるのには十分だろ。

■ 12月1日 他人の価値観 ■

今日、某塾の全統模試のデータが返ってきたので見ると、
なんとうちの学校の人間が二人も全国第10位以内をかっさらっており、
そいつらの周りはみーんな京大だの東大で医学やら理科一類と書いてる中、
彼ら二人だけ、言うほど有名でない大学の薬学部と工学部でした。
偏差値80クラスです、特進でもないのに。凄いです、俺らの届く領域じゃありません。
が、その話をある友人に振ったらなんかいきなり元気なくなって、
めちゃ失敗したー、と思いました。
恐らく、同じ学校の、しかも普通クラスの連中が、
自分の目指す大学のよりによってトップの連中と肩を並べており、
それが許せなかったのかなぁと判断しております。
しかも志望が低い連中に負けてるとくればガッカリでしょうな……。
平素より、おだやかながら勝った負けたの話が多い人物ですし、よけいダメージが大きかったんだと思います。

だが偏差値なんつーのは人生の幸せ度じゃねーんだし、
勝ったとか負けたとかで決めるのは好かんねえ、俺は。
そいつもだいぶ賢いのに、なんでそういう事に気づけないのか……これも昨日言った「性格」か?
俺の勝ちは「最後まで諦めない」ことであって、俺の点数は「どんだけ必死にやれたか」の領域でしかない。
だからどんだけ試合で負けそうになっても最後まで本気でやる。
勝ち負けにこだわるヤツは負けがほぼ決定するとやる気を失う、見てればすぐわかる。

だが、そういう価値観の違いは時にズレを生じさせる。
「こいつら頭いい(勉強できる)ことに自分で気づいてねーんじゃねーの?」
という一言が相手を幻滅させても、それは相手の性格を読み違えた俺の責任だ。
ま、人には相性ってモンがあるからな……しょうがねえや。

とにかくだ、本気でやって負けたのならそれは才能の問題だ、よく父に聞かされたが、
才能と経験はほぼ50%ずつの割合で存在しており、才能のないヤツはどんなに
頑張っても50までしかいかないという。
逆に、超才能のあるヤツは経験さえ積めば100まで上がる、つまり世界一だ。
でも、どんな人間にも50の才能があるわけじゃない、せいぜい0〜30程度がほとんどだろう。
だから努力をするヤツは強いのだ。
でも才能=どれだけ努力できるか、っていう考えだと矛盾するけどな……
ここで言う才能ってのは遺伝子的な事だ。知能指数だの芸術性だの。